第2話 社畜、殺した実感に怯える
夜の帳が降りるなか、焚火の炎が静かに揺れていた。
その淡い光が、二人の影を地面に映し出している。橙色に染まった土の上、火の粉が宙に舞う。
「……今日はいったいどうされたのです、若」
低く、落ち着いた声が、炎越しに耳へ届いた。
兵衛が腕を組み、じっとこちらを見つめている。焚火に照らされたその顔は皺深く、だがその中に、静かな怒りが宿っていた。
「……なんの話だよ」
とぼけるように答えたが、兵衛の視線は変わらない。
「とぼけられるおつもりですか。戦場にて、あれほどまでに呆然となされては……命を落とされてもおかしくなかったのですぞ」
怒鳴るでもなく、ただ淡々と――けれど確かに、心に刺さる声音だった。
「……わかってる。わかってるけど……」
俯き、手のひらを見る。いまは何の汚れもない、ただの掌。けれど、昼間――この手は。
「人を……殺したんだよな、俺」
ぽつりとこぼした言葉が、自分の腹の奥に沈んでいく。重く、鈍く。
「初めて、槍で人を突いた。相手の顔も見えた。声も聞こえた。……血の温度も、手応えも、重さも、全部、わかったんだ。怖くて、頭が真っ白になって……動けなくなった」
兵衛は何も言わなかった。ただ、黙って、聞いていた。
「爺……なあ、本当にこれで良かったのか? あいつも、ただの兵士だったんだろ? 家族とか、仲間とか……いたかもしれないのにさ」
情けない。言ってて、自分でもわかってる。だけど、言わずにはいられなかった。
しばしの沈黙の後、兵衛が焚火を見つめたまま口を開いた。
「……その迷い、罪の意識。消す必要はございません。むしろ、大切になされませ」
パチ……と薪が爆ぜた音が響き、炎が少し高く舞い上がった。
その光が、兵衛の顔の皺を一層深く浮かび上がらせる。
「命を奪うとは、重きこと。それを悩むうちは、若はまだ“人”にございます。ですが――」
声が、ほんのわずかに鋭さを増した。
「戦場では、迷うな」
「……!」
「心が揺れても、手足は動かさねばなりませぬ。槍を振るうその瞬間、迷えば命を落とします」
「……じゃあ、俺は今日――」
「生き延びた。それがすべてです」
その言葉は、迷いを断ち切る刃のように鋭く、重かった。
「初陣としては、よくやられました。命を守り、敵を退けた――それは、誇るべきことにございます」
「誇る、ねぇ……今の俺には、ちょっと難しいかな」
「そう思えるうちは、なおよろしい。己を省みる者ほど、強くなれるものです」
兵衛の瞳には、優しさと厳しさが同居していた。深く、真っ直ぐな光。
「さあ、今宵は休まれませ。心は、また明日、鍛え直せばよろしい」
「……ありがとな、爺」
「我が務めにございます、若」
焚火が静かに燃え続けるなか、二人の影が夜の地面に、長く伸びていた。
火の粉が、夜空へと舞い上がり、やがて闇に溶けて消えていく。
焚火のそばに横たわりながら、俺は背中から聞こえる兵衛の穏やかな寝息を聞いていた。
目を閉じる。でも、眠れない。
瞼の裏に浮かぶのは、あの瞬間――
槍の穂先が、相手の胸を貫いたとき。熱と圧力が手に伝わってきた。ぐしゃりと肉を裂く感触。そのとき確かに、一人の命が、俺の手で終わった。
(……これが、戦ってやつなのかよ)
兵衛の言葉は正しかった。戦場では、迷ったら死ぬ。それが“理”だ。でも、わかっていても割り切れるほど、俺の心は強くなかった。
「……ダメだ。考え出すとキリがねぇ」
小さく息を吐いて、思考を切り替えようとする。
(現実なのか、夢なのか……)
あまりに現実的な戦場、ありえない“スキル”の感覚。ゲームなのか現実なのかわからない。ならば――
気を紛らわせるために、試してみる。
(スキル。……鑑定。……ステータス)
その瞬間だった。
視界に、青白い文字列が浮かび上がった。
(……マジかよ)
まるで脳内に直接描写されているかのように、明確に、HUDのように文字が現れる。サイズもフォントも、どこかゲームっぽいのに、なぜか違和感がない。
“見える”というより、“思い描いた情報がそのまま脳裏に転送されてくる”ような、奇妙な感覚。
――――――――――
名前:???(霧村 次郎 正虎)(きりむら じろう まさとら)
年齢:14歳
称号:傭兵(仮)
流派:霧霞流(槍)/無影流(剣)
《スキル》
・槍術 :【修練】★★★☆☆☆☆☆☆☆(2,054 / 5,000)
・剣術 :【修練】★★★☆☆☆☆☆☆☆(2,000 / 5,000)
・弓術 :【初伝】★★☆☆☆☆☆☆☆☆(1,000 / 2,000)
・騎乗術 :【初伝】★★☆☆☆☆☆☆☆☆(1,000 / 2,000)
・居合術 :【入門】★☆☆☆☆☆☆☆☆☆(100 / 1,000)
・陰陽術 :【初伝】★★☆☆☆☆☆☆☆☆(1,000 / 2,000)
・薬術 :【入門】★☆☆☆☆☆☆☆☆☆(100 / 1,000)
・筆術 :【初伝】★★☆☆☆☆☆☆☆☆(1,000 / 2,000)
・兵法 :【初伝】★★☆☆☆☆☆☆☆☆(1,000 / 2,000)
・修理術 :【入門】★☆☆☆☆☆☆☆☆☆(100 / 1,000)
――――――――――
最上段に表示された名前は――「???」
(……なんだよ、これ)
“霧村正虎”の名前は、かっこ付きで括られている。
この世界が、まだ“俺”を完全に認識していないような、そんな不安定な印象を受けた。
だがその下に並ぶ流派やスキル構成は、確かに俺がキャラクリで設定した通りのものだった。
霧霞流、無影流――間違いない。これは“俺のキャラ”だ。
だが、次に目に入ったのは、見覚えのない表記だった。
各スキルの右に並ぶ、等級のラベルと星印、そして数値。
(……等級? ★の数が進行度? そしてこの数字は――熟練度?)
大半のスキルは、切りのいい数字で止まっている。
いかにも「初期値です」と言わんばかりに整った数値たち。
だが、一つだけ違っていた。
槍術の熟練度だけが、2,054。
(そういえば、戦闘後になんか出てたな。……これ、今日の戦闘の経験が反映されてるってことか?)
まるで、命を懸けた実戦の感触が、そのまま数値に変換されたかのような……そんなリアルすぎる変化。
(ってことは――やっぱり、ここは“ゲーム”の中なのか?)
だが、頬の傷の痛み、手に残る血の温度、死んでいった敵の目――あまりに現実すぎた。
(じゃあ……これは、“ゲームっぽい現実”なのか?)
意味がわからない。でも、ひとつだけはっきりしている。
この世界は、俺を“正虎”として扱っているということ。
名も、スキルも、記憶さえも……まるで、キャラクターではなく、“一人の人間”として。
じわじわと、戦場での動きや幼少期の記憶までもが、現実の記憶のように染み込んでくる。
(正虎が……俺になっていく?)
思わず背筋が凍った。
(……でも、もし、ゲーム性が残ってるなら)
ステータス。スキル。熟練度ゲージ。
――この世界には、“システム”が存在している。
(なら……ゲームだろ? だったら、クリアすれば――元に戻れるかもしれない)
どれだけ根拠が薄くても、どれだけ希望的観測でも……それにすがらずにはいられなかった。
必死で、記憶を手繰る。
(たしかこのゲーム、ルート分岐があったはずだ……)
開発インタビューか、特典ブックレットか――以下の内容だったはずだ……。
「忠義の将」――
特定の勢力に仕え、主君に忠を尽くす。天下泰平の礎となるルート。
「武の化身」――
無名の傭兵から成り上がり、“天下無双”と呼ばれる戦士となる。
「商道成金」――
流通と金を操り、経済で戦国を制する。金こそ力の信条。
「幽世の導き手」――
術法を極め、幽世と現世を繋ぎ、神秘の災厄に挑む道。
「盟約の調停者」――
対話と智で群雄を結び、無血の統一を成す平和の道。
「影の王」――
忍びと謀略で裏から支配する。影に生き、影を制す。
そして、最後に――
「覇王」
(……天下統一)
ぽつりと、口に出ていた。
最も難易度が高く、自由度が高く、そのぶん孤独で、血に塗れた道。
俺が、ゲーム開始時に“目指そう”と思っていたルート。
でも、現実でそれをやるなんて……正気の沙汰じゃない。
今のスキル構成なら、可能性があるのは「忠義の将」か「武の化身」――あるいは、「覇王」。
加えて、出自設定。
一族は黒蓮に滅ぼされ、仇討ちと家名再興を誓う者。
(……それも、この世界では“現実”になるってことか)
「はい、敵討ちも家再興もやめます」――そんなこと、言えるわけがない。
言ったら、あの爺さんにぶん殴られる。絶対に。
(あぁ……なんで、俺は、あんな設定にしちまったんだよ……)
けれど、もう遅い。
この“人生”は、始まってしまった。
「帰るには、クリアするしかない。クリアするには――」
スキルを鍛え、経験を積み、どこかのルートを選んで突き進むしかない。
もし、構成が固定でないのなら……他のスキルも、あとから習得できるのか?
(どう動く? 何を鍛える? この現実を――どう進める?)
答えの出ない問いを胸に、焚火を見つめる。
ぱち、ぱち、と乾いた音が、闇に染み入っていく。
まるで、問いに答えることなく――ただ夜の静けさだけが、そこにあった。
ふと視線を上げると、焚火の向こう。
兵衛は、すでに眠っていた。
(……何も、言えなかったな)
命を救われて、導かれて、守られて――それでも、まだ俺は“正虎”として踏み出せていない。
……いや、もしかすると。
俺は“日比野直哉”として、この世界にしがみついているだけなのかもしれない。
……目を閉じると、浮かんでくる。
味気ない蛍光灯の光。鳴り止まぬ電話の音。無表情のまま報告書に目を通す上司の顔。
「日比野くんさぁ、これ昨日の段階で提出しろって言ったよね?」
「報連相、足りないよ。社会人としてさ」
「で? 言い訳、聞こうか」
理由なんて、いくらでもあった。でも、聞かれたのは“言い訳”であって、“理由”じゃなかった。
終電を逃してタクシーで帰った夜。家の明かりがついていない。冷えたコンビニ弁当と、誰もいない部屋。
「親父、元気にしてるかな……」
実家にも、もう何年帰ってない。母が亡くなったとき、仕事の納期を優先して通夜にしか出られなかったことが、今でも心に引っかかっている。
誰かのために生きてきたつもりだった。でも、誰かの「ありがとう」なんて、最近聞いたことがなかった。
(それでも、俺は……生きてた)
あの世界では、確かに“生きてた”。
たとえ意味のない日々でも、他人に否定され続けても、それでも生きてた。
だからこそ、今――この世界で命を奪って、生き残っている自分が、信じられない。
「正虎」として、誇ることもできず、「直哉」として戻る場所もない。
気づけば、“直哉”の記憶も、“正虎”の記憶も、同じ色で混ざり始めていた。
どちらが夢で、どちらが現か――境界が、溶けていく。
(俺は、誰なんだ……)
火の粉が、ぱち、と音を立てて弾けた。
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