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第33話 社畜、街道で釣りを楽しむ

 翌日――俺たちは橋場宿を発ち、南へ伸びる街道を進んでいた。朝霧の名残がまだ道の脇に漂い、松並木の影が長く地面に伸びている。


 九条は、何気ない旅人の装いで核を懐に忍ばせ、ゆったりと歩を進める。その後ろに俺と兵衛が位置を取り、左右に視線を走らせながら歩調を合わせる。霧丸は時折先行して道の曲がり角や草むらを嗅ぎ、玉藻は俺の肩の上でぴんと耳を立てていた。


 街道は行き交う旅人や荷馬車で程よく賑わっている。農夫らしい一団、行商人、僧侶風の男――その中に、狩人のような目を持つ者はいないかと、俺は一人ひとりの顔と動きを確認していく。


 (……今は平穏、か)

 しかし、昨日の袋小路で感じたあの息の詰まるような視線は、きっとまた現れる。敵は俺たちの足取りを探っているはずだ。


 「若、後方は異常なし」兵衛が低く告げる。

 「こっちも今のところは静かだ」俺も同じく小声で返す。


 街道を進むにつれ、周囲の人通りは徐々に減っていく。小川を渡り、緩やかな坂を登ると、道は両脇を竹林に囲まれた狭い一筋になる。耳に届くのは、自分たちの足音と、時折風が竹を揺らすざわめきだけ――。


 (こういう視界の悪い場所って、どう考えても襲ってくださいって言ってるようなもんだよな。普通の釣りなら日陰が涼しくていいんだが)

 視界が制限される竹林は、待ち伏せには格好の場所だ。俺は無意識に符袋へ手を伸ばし、呼吸を整える。


 竹林の中を進む街道は、昼なお薄暗かった。両脇から伸びた竹が頭上で交差し、天蓋のように光を遮っている。風が吹くたび、細い幹がかすかに軋み、葉が擦れ合う音が耳にまとわりつく。


 九条は、あくまで平然と歩を進めていた。白布に包まれた“核”は、今もその懐にある。その背中を、兵衛と俺が左右から守り、霧丸は前方を警戒しながら静かに道を進む。玉藻は俺の肩の上で身を低くし、片耳を前に、片耳を後ろに向けて周囲の音を拾っている。


 (……風と葉擦れ、鳥の鳴き声……異常なし)

 そう自分に言い聞かせるが、心臓はじわじわと早鐘を打っていた。この竹林の先、坂を下れば小さな集落がある。だが、そこへ辿り着く前に、必ず一度は“試し”が来る――そう予感していた。


 「後方、まだ変化なし」兵衛が低く告げる。

 霧丸が戻ってきて小さく首を振る。


 九条は頷きつつも、視線を前方から外さない。

 「油断するな。奴らは、こちらが気を抜いた瞬間を突いてくる」

 低く響く声に、竹林の空気がさらに重くなる。


 坂を登りきった時、わずかに視界が開けた。そこには、切り通しのように削られた道が、再び竹林へと吸い込まれていく。風が途絶え、耳に届く音が急に少なくなる。


 (……静かすぎる)

 竹の葉の擦れ合う音も、鳥の声も遠ざかり、代わりに耳に届くのは自分たちの足音だけ。それも、やけに響いて聞こえる。


 玉藻がぴたりと動きを止め、低く「きゅ」と鳴いた。霧丸も鼻先を持ち上げ、風下の匂いを嗅いでいる。


 「若……前方から人の足音。複数」

 兵衛の言葉に、俺の背筋がひやりとする。


 九条は足を止め、わずかに首を傾けた。

 「……囲む気か」

 懐から符を抜き取り、静かに印を切る。


 竹林の奥、影が二つ、三つ……形を現す。その動きは、真っ直ぐこちらに向かってくるのではなく、道の両脇に散るように――まるで網を広げるかのようだった。


 (……来やがったな)

 俺は槍を握り直し、息を整えた。竹林の薄闇が、次の瞬間を飲み込むように深まっていく――。


 九条は足を止めず、歩調も変えないまま懐の“核”にそっと手を添えた。その横顔には、わずかな笑みとも諦めともつかない影が差している。


 「……まだだ。通せ」


 その低い声に、俺は思わず聞き返す。

 「このまま行かせるんですか?」

 「囮は“本命”を釣るための餌だ。小魚に食わせるには惜しい」


 九条は袖の奥から一枚の符を抜き、歩きながら軽く印を切った。符はふわりと宙に浮かび、静かに燃え尽きる。その瞬間、竹林の空気が変わった――目には見えないが、肌を刺すような微かな霊圧が、周囲の空気に溶け込んでいく。圧は音もなく広がり、竹の葉擦れに紛れて、聞く者の心に「これ以上は近づくな」と囁きかけているようだった。


 やがて、竹の間から三つの影が現れた。浅黒い装束に顔を覆う布、軽い足取り。その動きは無駄がなく、間違いなく訓練を積んだ連中だ。そして、その視線は揃って九条の懐へ――そこにある“核”へと注がれていた。


 (来るか……?)


 俺は無意識に槍を握り直す。兵衛も僅かに体勢を低くしていた。霧丸は音もなく前へ出、玉藻は俺の肩で耳を後ろへ向ける。


 影たちは距離を詰め、五間、四間……だが、あと三間というところで、先頭の男がぴたりと足を止めた。そして、まるで見えない壁に阻まれたかのように、眉間に皺を寄せる。


 短く視線を交わし合った三人は、唐突に動きを変えた。何事もなかったかのように道の脇へ逸れ、竹林の奥へと消えていく。足音はすぐに葉擦れに紛れ、やがて完全に聞こえなくなった。


 「……引いた?」

 俺が低く呟くと、九条は前を向いたまま答える。

 「いや、嗅ぎ付けただけだ。本命に報せるためにな」


 竹林の中に、再び重い静寂が落ちる。風が戻ってきたのに、涼しさよりも湿った熱気が肌にまとわりつくようだった。


 兵衛が眉間を押さえ、低く言う。

 「つまり、次はもっと手強いのが来るということですな」

 「そういうことだ」九条は淡々と答える。

 「さっきのは探り。あれで位置も進路も割れた。……あとは、奴らが“釣られる”のを待つだけだ」


 俺は肩に乗った玉藻の尻尾が、ゆっくりと揺れるのを感じながら息を吐く。

 (小魚が引いたってことは……次は獣が来るってことか)


 霧丸が一度だけ低く唸った。その音が、この先に待つものの大きさを、無言で告げているように思えた。




 竹林を抜けた瞬間、視界がぱっと開けた。眼下には小さな谷間の集落があり、茅葺きの屋根が十数軒、寄り添うように並んでいる。その向こうを一本の街道がゆるやかに走り、遠くに霞む山並みへと溶けていく。


 「……静かだな」

 兵衛が低く呟いた。


 確かに、昼時だというのに人の姿がほとんど見えない。軒先に干された大根や網の上の魚はそのままに、家々の戸は半ば閉じられ、犬の鳴き声ひとつ聞こえない。


 (……これ、普通じゃねぇな)

 俺は胸の奥がざわつくのを感じた。集落を通り抜ける風が妙に湿っていて、鼻の奥に土と鉄が混ざったような匂いを運んでくる。


 九条は足を止めず、その懐の“核”に一瞬だけ視線を落とした。

 「匂いが変わったな」

 兵衛が頷く。

 「はい……血の匂いが混じっております」


 街道を進むにつれ、空気がさらに重くなっていく。竹林の薄闇とは違う、もっと濃密で、肌の内側にまで染み込むような圧。霧丸が鼻先を低くし、耳を伏せた。玉藻も肩の上でじっと動かず、片目を細めて街道の先を睨んでいる。


 「来るぞ」九条が短く告げた。

 「前か?」俺が問う。

 「前だけじゃない」

 その答えに、背筋が氷のように冷たくなる。


 街道の両脇に並ぶ木立の奥――そこに、人影が立っていた。まだ距離があるはずなのに、その輪郭は妙にくっきりとしている。黒衣、覆面、そして背丈に不釣り合いなほどの長槍を構えて。


 兵衛が目を細めた。

 「あれは……ただの刺客じゃありませぬな」

 「そうだ。本命だ」九条の声には、迷いがなかった。


 その瞬間、背後の道からも同じ気配が迫ってくる。小魚ではなく、狩人――いや、獣だ。逃げ道は、もう閉ざされていた。


 (……さあ、来やがれ)

 俺は槍を構え、息を吸い込んだ。

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