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第34話 社畜、切り札を使う

 前方の黒衣・覆面・長槍の刺客が、地を裂くような踏み込みで先に動いた。長槍の穂先が、真っ直ぐ俺の喉を狙って突き込まれる。


 「っ――!」

 反射的に槍の柄で受ける。火花のような衝撃が腕を痺れさせ、足が半歩下がった。

 (速ぇ……!)


 間髪入れず、薙ぎ、突き、払いが畳み掛けてくる。その動きには迷いがなく、わずかな重心移動から次の攻撃が決まっている。俺は短く息を吐き、懐から封符を一枚抜いた。


 「――縛ッ!」

 符を槍の穂先へ投げつけるが、乾いた音と共に裂かれ、霊力は霧散する。

 「……効かねぇかよ!」


 再び突きが来る。槍の柄で受け流そうとした瞬間、穂先が急に角度を変え、頬をかすめた。熱い線が走り、遅れて血の匂いが鼻に届く。


 (やべぇ、押し込まれる!)

 符の技量も浅い俺じゃ、こいつの間合いを崩すことすらできない。


 「若、交代いたします」

 背後から兵衛の声が落ちる。その声が聞こえた瞬間、俺は一歩退き、兵衛が長槍の間合いへすっと入り込んだ。


 「……任せた!」

 「承知」


 金属と金属がぶつかり、低く重い衝撃音が響く。兵衛の大太刀が長槍を絡め取り、力で押し返す音だ。


 だが安堵する暇はなかった。九条が短く、「後ろだ」と告げる。


 振り返れば、背後の木立から別の影が滑り出てくる。黒布に覆面、短槍を手にした二人と、符を構えた術者らしき一人――霊力が滲む視線が、真っ直ぐ九条の懐を狙っていた。


 「行くぞ、霧村殿」

 「了解!」


 その三人が、左右から挟み撃ちにする形でじりじりと間合いを詰めてくる。霧丸が低く吠え、玉藻が肩から飛び降りて道の端を駆けた。


 最初の一撃は符だった。空気が焼けるような音と共に、炎の帯が道を横薙ぎに走る。俺は地面に符を叩きつけ、防壁を展開――火花が弾け、壁がひび割れる。


 「持たせろ!」

 九条の声が飛び、俺は全力で符に霊力を注ぐ。次の瞬間、九条の符が火帯を裂き、敵の片割れの胸元へ直撃。だが敵は紙一重で後退し、距離を取る。


 もう一人が低く踏み込み、短槍の穂先が俺の腹を狙う。槍で受け、反撃の突きを返すが、あっさりとかわされる。背後では、兵衛と前方の長槍の刺客が激しく打ち合う音が続いている。金属音、踏み込みの衝撃、低い唸り――その全部が耳に刺さり、焦りを煽る。


 (こっちも長くは持たねぇ……!)

 九条は冷静に符を繋ぎながら、俺の横で一歩も引かず構えている。だが、背後から伝わる兵衛の戦いの音が、じわじわと間合いの危うさを知らせてくる。


 俺は汗を拭う暇もなく、再び槍を構え直した――。


 背後の敵三人が、短槍と符を交互に繰り出してくる。二人が距離を詰めて槍を振るい、もう一人が後方から符術で牽制――間断なく襲いかかる連携は、訓練を積んだ部隊のそれだった。


 霧丸が道脇の草むらに身を滑らせ、次の瞬間、敵の背後へ飛び出す。牙が槍の柄を噛み、踏み込みの勢いを削ぐ。

 「よし、行け――」

 俺は霧丸の動きに合わせて突きを繰り出すが、敵は片手で槍を払いながらもう片方の手で符を切った。


 目の前で光が炸裂。

 「っぐ……!」

 視界が一瞬白く染まり、足が半歩後退する。


 「押し込まれるな!」

 九条の声が飛ぶ。彼は一歩引いた位置から符を連続で放ち、火と風を絡めた術で敵の足元を削る。その動きは迷いなく、まるで敵の行動を先読みしているかのようだ。さすがに熟練の陰陽師――術の切れ目が一切ない。


 だが、数の差は埋まらない。霧丸の攪乱を掻い潜り、短槍の穂先が俺の脇腹をかすめる。痛みよりも、じわりと押し下げられていく間合いの狭さが恐ろしい。

 (このままじゃ……防戦一方だ!)


 頭の奥で、昼間の兵衛の言葉がよぎる。

 ――いざという時はともかく、普段は自重なされませ。


 今は、そのいざという時だ。無茶をしなければ突破できない。


 「玉藻!」

 呼びかけると、玉藻がぴょんと飛び上がり、俺の腕にしがみついた。

 「共鳴だ。やるぞ!」


 玉藻の瞳がかすかに光り、しゃらら……と鈴が高く澄んだような音を響かせた瞬間、玉藻の体から熱のような霊力が流れ込んでくる。


 世界の輪郭が急に鮮明になる。竹林を抜けた先の街道、遠くの兵衛と長槍の衝突音までもが、距離や角度を伴って脳裏に浮かぶ。空気の渦や敵の呼吸の変化すら、手に取るようにわかる。


 視界の端に、己の影が揺らめく。そこから、ふわりと狐耳が頭上に伸び、腰のあたりから二本の尾が広がる。耳は風を裂く音を拾い、尾は背後の気配を撫でるように感じ取っていた。


 (これが……玉藻の力……!)


 迫る短槍の一撃が、まるで止まって見えた。刃筋の角度も、踏み込みの強さも、全てが脳裏に線となって描かれる。俺はその線をなぞるように槍を滑らせ、敵の攻撃を容易く弾き返した。


 「……まだ終わってねぇぞ!」

 声と共に、反撃の突きが敵の肩口を掠める。槍先が布を裂き、わずかな血の匂いが風に混じった。


 九条が横で小さく笑い、次の符を構えた。

 「面白い……ならば、こちらも合わせよう」


 九条の符が宙を舞い、淡い金色の文様を描く。瞬間、敵の足元に細い炎の輪が走り、短槍の二人が慌てて距離を取った。だが、背後の術者が間髪入れず符を切り、鋭い風刃が炎を割って突き抜けてくる。


 「来るぞ!」

 風の流れが耳と尾に触れた瞬間、俺は左へ半歩。風刃は髪をかすめ、背後の竹の幹を斜めに裂いた。


 霧丸が吠え、右側から突進して敵一人を押し込む。その隙に俺は槍を返し、もう一人の短槍を押し下げた。手応えと同時に、耳が背後の術者の微かな動きを捉える。


 (印を切った……!)

 俺は槍を片手で支え、空いた手で素早く符を抜く。

 「――光ッ!」

 符から放たれた霊力の閃光が、術者の視界を覆い、その印を中断させた。


 九条が間髪入れずにその胸元へ封印の符を打ち込む。

 「一人、封じた」

 淡々とした声と同時に、残る二人の短槍が一斉に突きかかってくる。


 だが今の俺には、その攻撃が遅く見える。一本を槍で払い、もう一本は尾で風を裂く音を読んで身を沈め、逆に懐へ滑り込んだ。


 「はあっ!」

 槍先が敵の脇腹を捉え、呻き声が響く。霧丸が最後の一人の足を噛み、九条の符が背を打ち抜いた。


 息を吐くと、耳と尾がかすかに揺れた。玉藻が腕の中で小さく「きゅ」と鳴く。

 (……まだ、前の戦いが残ってる)


 竹林の向こうから、兵衛と長槍の重い衝突音が途切れることなく響いていた。俺たちは視線を交わし、迷わずそちらへ駆け出した――。




 竹林を駆け抜け、街道に飛び出す。その先では、兵衛と長槍の刺客が火花を散らしていた。


 金属と金属がぶつかる鈍い衝撃音が、地面を震わせる。兵衛の大太刀は重く速く、振り下ろされるたびに槍の穂先を深く押し込む。だが、刺客は驚異的な腕前でそれを受け、かわし、逆に間合いの外から穂先を閃かせる。


 (……互角だ)

 どちらも一歩も譲らず、攻防の隙間は紙一重。刺客の踏み込みは槍とは思えぬ速さで、兵衛の鎧袖に幾筋もの浅い裂け目を刻んでいた。


 兵衛が低く唸り、大太刀を振り払う。その風圧で枯葉が舞い、刺客は一瞬だけ距離を取った――が、それも次の突きへの溜めだった。


 「若!」兵衛が一瞬だけ俺を見た。

 「援護する!」


 俺は玉藻と共鳴したまま槍を構え、兵衛の右側から回り込む。狐耳が風の切れ目を拾い、二本の尾が背後の空気の揺れを撫で取る。刺客の重心が左に傾き、穂先が兵衛の胸を狙う動きが見えた瞬間――


 「そこだっ!」

 俺の槍が横から穂先を叩き上げる。兵衛がその隙に踏み込み、大太刀の斬撃を浴びせた。


 刺客は必死に槍柄で受けるが、兵衛の剛力に押されて土煙と共に後退する。その土煙の中、九条の符が鋭く閃き、刺客の足元を封じた。


 次の瞬間、刺客が槍を地に突き立て、全身から濃い霊光が迸らせる。


 「……まずい、来るぞ!」九条の声が鋭く飛ぶ。


 刺客の周囲の空気が渦を巻き、土と枯葉が逆巻きに舞い上がった。耳の奥に直接響くような低音が続き、視界が歪む。


 「自爆か!」

 兵衛が大太刀を構え直し、俺も玉藻と共鳴した感覚で霊圧の中心を探る。


 九条が素早く印を切り、符を十枚以上同時に宙へ放った。

 「護りの陣、展開!」

 符が空中で金色の輪を形作り、爆心地を覆うように閉じていく。


 だが、刺客は輪を突き破る勢いで突進してきた。

 「させるか!」兵衛が正面から迎え撃ち、大太刀と槍が火花を散らす。


 その隙に、俺は尾で風の流れを読み取り、敵の霊力の漏れ口――右脇腹に集中している渦を見つけた。

 「九条卿、右脇腹だ!」

 「承知!」九条の符がその渦を縫い留める。


 同時に、兵衛が力任せに槍を弾き上げ、俺がその間合いへ滑り込む。槍先に霊力を集中させ、玉藻の力で一点突破する。

 「――霧突きッ!」


 突きが脇腹を貫き、封印の符が爆発的に広がった。刺客の霊力が悲鳴のように散り、爆発の光は鈍く押し潰されたように消える。


 兵衛が大きく息を吐き、九条が結界を解く。残されたのは、力を失い崩れ落ちた黒衣の影だけだった。

 (はぁ……これで一件落着……なわけねぇよな。どうせ次の会議(戦い)まで時間ないんだろ)


 「……間一髪だったな」

 耳と尾がまだ震えていたが、俺は深く息を吸い込み、槍を下ろした。玉藻が小さく「きゅ」と鳴き、戦いの終わりを告げるように尻尾を揺らした。

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