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第31話 社畜、闇に潜む

 ――時が止まったかのような静寂の中、俺たちは境内の片隅、不可視の結界の中に潜んでいた。


 九条の張った結界は、外界からは認識できない。音も気配も、光すら歪める。だがそれは同時に、内部の者にとっても緊張を強いる“密室”でもある。些細な動きや呼吸すら、空気に響く。


 美弦は石垣の陰に身を伏せ、弓に矢を番えたまま、じっと核の方向を見据えている。玉藻はそのすぐ脇で伏せ、時折ぴくりと耳を動かしている。兵衛は結界のやや奥――本堂の梁の影に身を潜め、手の内で大太刀をそっと撫でていた。


 俺は霧丸とともに、境内を見渡せる倒木の裏に潜んでいた。手には印符と槍、腰には太刀。全身に流れる気を静め、呼吸を浅く整える。


 (……まだだ)


 耳を澄ます。虫の羽音も止んでいた。夜の帳が完全に下り、雲が月を覆い隠してから、どれくらいが経っただろうか。霧丸が、低く、喉の奥で唸る。


 玉藻の耳が跳ね上がる。


 ――来た。


 まず聞こえたのは、草を踏む微かな音。人のものとは思えぬほど静かな足取り。複数。最低でも三人、いや、四人……もっとか。


 境内の外、鬱蒼とした木立の向こうから、黒い影が現れた。


 どれも、顔を布で覆い、軽装の装束に身を包んでいる。体格はばらつきがあるが、動きに無駄がない。周囲を警戒しながら、確実に音を殺して接近してくる様子から察するに――ただの賊ではない。訓練された刺客か、あるいは……。


 「……やはり、来たか」


 九条が小さく呟いた。


 先頭の影が手を上げ、残りの者たちに何らかの指示を送る。三人が散開し、周囲を警戒しながら本堂の前に立ち、一人がゆっくりと境内の中央――核の据えられた台座へと近づいていく。


 その動きには、焦りも迷いもなかった。まるでそこにあるのが当然とでも言うように、慎重に、しかし確信を持って手を伸ばす。


 (……今だ)


 九条が指を動かした。


 霊的な震動が、空気を走った。次の瞬間――


 「結界、解除」


 その声と同時に、境内を包んでいた霧のような気配が音もなく崩れ去った。


 刺客たちの一人が顔を上げ、驚愕に目を見開いた。


 だが、もう遅い。


 「今だッ!」


 俺は叫びながら飛び出し、手にした符を地面に叩きつけた。光が瞬く。印が広がる。刺客の目の前に立ちはだかるように、護りの陣が展開される。


 霧丸が風のように飛び出し、別の刺客の足元に閃く。


 矢が鳴る。美弦の放った光符付きの矢が、敵の視界を奪うように地面で炸裂した。


 兵衛の大太刀が、光を纏って唸りを上げ、もう一人を吹き飛ばす。


 混乱する中、俺は台座に手を伸ばしかけていた男に肉薄した。


 「そこまでだ!」


 符を槍の穂先に巻きつけ、突き出す。火符が爆ぜ、男の手元が焼かれる。呻きとともに後退したその瞬間、俺は飛びかかるようにして組み敷いた。


 「動くな!」


 火花と霊光が飛び交う中、九条はその場から一歩も動かず、術式を次々に展開していた。符の光が網のように境内を包み、逃げようとする刺客の足元を封じていく。


 短い――だが激しい攻防の末、五人の影のうち三人を取り押さえた。残りは霧丸が霧で囲み、間合いを取らせぬよう牽制している。


 結界の解かれた境内に、再び静寂が戻る。俺は押さえ込んだ男の顔布を引き剥がした。若い、だがその目は空虚だった。まるで、自分の意志ではないかのように、焦点の定まらない目をしている。


 「……まさか」

 美弦が素早く符を貼り付け、術の残滓を探る。

 「……操られてる。こいつら、自我が薄い。術者に感応させられて動いてるだけよ」

 「捨て駒か……」


 その時――霧丸が押さえている一人が、低く笑ったように見えた。

 「やはり罠か」

 霧の奥、そいつの目だけが異様に生々しく輝く。次の瞬間、そいつが片手をひらりと振った。


 取り押さえていた三人と、霧丸が囲んでいたもう一人が、同時にびくんと跳ねる。続けざまに、四人の体内から淡い霊光が噴き上がり――まるで薪に火を点けたように、肉体の内側から燃え始めた。


 「下がれッ!」

 俺たちは反射的に距離を取る。霊炎は肉も魂も喰らうように広がり、四人は悲鳴もなく崩れ落ちていった。焦げた布切れと黒煙が境内に漂う。


 その混乱の最中、霧丸の霧がわずかに揺らいだ。術者はその隙を逃さず、音もなく境内の外へ身を翻す。


 「逃がさん!」

 九条が素早く巻物を抜き、鋭く印を切る。

 「――追影符!」

 放たれた符が風を裂き、術者の足元へと吸い込まれるように貼り付いた。次の瞬間、淡い光の糸が空中に浮かび、蜘蛛の糸のように林の奥へと伸びていく。

 「糸は短時間しか保たぬ、急げ!」


 俺たちは一斉に駆け出した。霧丸は低く唸りながら俺の横を並走し、兵衛は槍を手に林へ飛び込む。その時、玉藻が地面を軽く蹴って跳び、俺の肩をかすめて頭の上に着地した。

 「おい、落ちるなよ!」

 「きゅ!」と鼻先で俺の額を小突く玉藻。視界の端でふわふわとした尻尾が揺れ、葉をかすめて小さな音を立てる。


 光糸は木々の間を縫うように奥へ続き、落ち葉を踏みしめる音と荒い息が重なって響く。

 (絶対に逃がさねぇ――!)


 俺は走りながら、意識を集中し兵法スキルを発動した。


 視界の片隅に、周囲の地形が淡く描かれた簡易地図が浮かび上がる。青い光点が俺たちの現在位置を示し、もう一つの赤い光点が術者の逃走下方向を指し示している。

 (位置情報は更新されねぇ……でも、地形を見りゃ次の動きは読める)


 林の奥に細い沢と、その先に街道へ抜ける獣道がある。もし逃げるなら、あそこを通るはずだ。

 「兵衛、右手の沢沿いに回る! 先回りするぞ!」

 「承知!」

 兵衛が槍を構え直し、霧丸も低く唸って進路を変える。頭の上の玉藻が「きゅ!」と鳴き、尻尾で俺の額を叩いた。急げ、と言わんばかりだ。


 湿った土の匂いを吸い込みながら、落ち葉を踏みしめ、木の根を飛び越える。俺たちは光糸が示す道から外れ、予測ルートへと突き進んだ。


 沢を渡り、獣道へ踏み込んだ瞬間――前方の茂みが激しく揺れた。飛び出してきた黒い影と、俺の視線がぶつかる。


 「――ッ!」

 術者の目が見開かれ、一瞬だけ動きが止まる。だがすぐに袖口から黒い符を抜き取り、後退しながら何かを唱え始めた。


 「いたぞ!」

 兵衛が槍を低く構え、霧丸は地を蹴って回り込む。頭上の玉藻が尻尾を逆立て、俺の額を叩いた。行け、と。


 (逃がすかよ――!)

 俺は符袋から雷符を引き抜き、術者の進路へと投げ放った。青白い稲光が爆ぜ、獣道を塞ぐ。術者は舌打ちし、脇道へ飛び退ったが――その先には兵衛が待っていた。


 「……詰みだな」

 俺がそう呟いた瞬間、背後の茂みから複数の足音が迫る。


 「こちらも回り込んだ!」九条の低い声。

 振り返れば、九条が印を切りつつ接近し、美弦は符を手に霧丸と並んで駆けてくる。霧丸が低く唸りながら術者の背後に回り込み、白い霧がじわじわと広がっていく。


 前後を完全に塞がれた術者の額に、冷や汗が滲む。

 「……ちっ」


 その目が、急に据わった。

 「俺は……負けん」低く呟いた声は、次第に熱を帯びていく。

 「この腐った世を変える……皆が平等に生きられる世界のために、俺は――!」


 袖口から血に染まった符を抜き取り、胸元に叩きつける。蒼黒い霊光が術者の全身を走り抜け、皮膚の下で脈打つように膨れ上がった。


 「死ぬことすら厭わぬ!」

 叫ぶと同時に、術者は前方の俺たちへと猛然と突進してきた。


 「自爆だ! 下がれ!」九条の怒声が飛び、霧丸が一瞬で俺の前へ躍り出る。

 背後の美弦も符を投げ放ち、青白い光壁が瞬時に展開された。


 次の瞬間、爆ぜるような衝撃音とともに、霊炎が視界を真紅に染めた。


 光壁がぎしりと音を立て、火柱が何度も叩きつける。


 ――耐えろ……ッ!


 全身の毛穴が焼けるような熱気と、胸をえぐる衝撃波が何度も押し寄せる。光壁はひび割れながらも崩れず、炎を必死に押し返していた。


 だが、その余波だけでも十分すぎるほど凶悪だった。


 森全体が悲鳴を上げるようにしなり、周囲の枝葉が吹き飛ぶ。地面を覆っていた落ち葉は一瞬で舞い上がり、炎に舐められたように焦げて散った。


 頭上から降ってきた木片が肩を叩き、土と焼け焦げた臭いが肺に入り込む。


 耳の奥で、ぐわん、と鈍い音が響き続けていた。


 「……っ」


 何かを叫ぼうとしたが、自分の声すら聞こえない。視界も白く焼き付いたように霞み、輪郭のない光景が揺れている。


 (まずい……)


 足元がぐらつき、玉藻が頭上から俺の額を小突く感触でようやく意識を引き戻した。


 耳鳴りは遠雷のようにいつまでも鳴り続け、その向こうで仲間の声が、水底から響くようにぼんやりと混じる。


 目の奥がじくじくと痛み、ゆっくりと色彩が戻るにつれ、焦げた匂いと熱気が現実を押し戻してきた。


 やがて、炎と衝撃が嘘のように収まり、光壁はふっと掻き消える。


 耳鳴りの中、徐々に形を取り戻す視界――そこにあったのは、異様な光景だった。


 爆心地は丸くえぐられたように黒く焦げ、土は焼き固められ、熱気がまだ揺らめいている。


 その中心には……何もなかった。


 骨も、肉も、衣も、術者の痕跡すら一欠片も残っていない。まるで、最初から存在しなかったかのような虚無。


 九条が低く息を吐き、「……完全に消えたな」と呟く。


 美弦は険しい顔でその光景を見つめたまま、「自分ごと術を燃やし尽くした……徹底してる」と静かに言った。


 爆心地の縁に立ち、俺は焦げた土をじっと見つめていた。遺されたのは焼き固められた地面と、吹き飛んだ枝葉だけ。手掛かりになりそうな物は……何一つない。


 「……何も残っちゃいねぇな」

 思わずこぼれた声に、九条が淡々と頷く。

 「自分ごと焼き尽くす符だ。意図的だな。完全に口封じだ」


 その言葉に、美弦が低く続ける。

 「しかも黒い符を使ってた……この前言ってた黒蓮ってやつの縁者じゃない?」


 黒蓮――その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわつく。

 (皆が平等に暮らせる世界……?)

 あの術者はそう叫んだ。だが、俺と兵衛の故郷――山間の小国を襲い、焼き、奪った黒蓮の姿と、どう考えても結びつかない。平等だの理想だのを掲げるやつらが、何百人もの命を奪うのか……?頭の奥でその言葉が反響し続ける。皆が平等……平等……。だが、その声に重なるように、あの日の光景――炎に包まれた屋根、倒れた家族、血の匂い――が否応なく蘇る。二つの像が脳裏で重なろうとしては、拒み合うように弾け飛んだ。


 「……どういうことだ」思わず声が漏れる。

 兵衛が俺の肩に手を置き、静かに首を振った。

 「若、真に受けてはなりませぬ。黒蓮は我らの仇、それは変わりありませぬ」

 その声音には、長年積み重ねてきた憎悪と覚悟が滲んでいた。


 九条が視線を黒焦げの地面に落とし、低く言う。

 「危険だな。思想は表向きの飾りに過ぎぬ。奴らの真価は……死をも厭わぬ姿勢と、手段を選ばぬ冷酷さだ」


 美弦もまた、目を細めて同意する。

 「今の自爆がいい例よ。情報を与えないためなら、自分ごと吹き飛ばす。それが一人や二人じゃないとしたら……」

 言葉の続きを飲み込み、彼女は空を仰いだ。


 風が吹き抜け、焦げた匂いと土埃が鼻を刺す。俺は拳を握りしめたまま、黒蓮という存在の輪郭が、ますます掴めなくなっていくのを感じていた。

 (あいつらは……一体何を企んでやがる)


 【槍術スキルの熟練度が上昇しました】

 【兵法スキルの熟練度が上昇しました】

 【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました】




 橋場宿の口預所に戻った頃には、夜も深くなっていた。机の端に腰を下ろすと、全身の力が抜ける。


 爆心地の光景が、何度も脳裏に蘇る。蒼黒い霊光を纏い、ためらいもなく突っ込んでくるあの姿――

 自分ごと術を焼き尽くす覚悟。あんなの、狂気以外の何物でもない。


 ……だが、耳に残っているのは、その直前の言葉だ。


 ――皆が平等に生きられる世界のために。


 平等だの理想だのを掲げるなら、なぜ俺たちの故郷を焼き払った? なぜ何百人も殺せる?

 (どっちが本当の顔なんだ……?)


 答えは出ないまま、胸の奥がざわつく。指先がじんわりと汗ばんでいるのに気づき、拳を握った。


 「……若」

 兵衛の声が低く響く。ぐっと肩を掴まれ、強く揺さぶられた。

 「敵は死に、核は戻った。それが事実です。迷えば、次は命を落としますぞ」


 その眼差しは、いつもの穏やかさとは違い、鋼のように硬かった。俺は小さく息を吐き、「ああ……わかってる」と答えた。


 九条が白布を机に置き、静かに言葉を継いだ。

 「まず、整理する。探査術で見えた術者――あの黒衣の人物と、先ほど自爆した術者が同一かどうか。ここが焦点だ」


 「服装も雰囲気も似てたけど、顔は隠れてたし、断言はできないわ」

 美弦が少し考えるように視線を伏せる。

 「……それに、探査術で見えたほうはもっとほっそりしてた。今夜のやつは、肩回りや胸板が厚く、がっしりしてた気がする」


 「加えて、探査術で映った背景――格子窓や石の階段――あれの場所も判然としていない」

 九条は机上に紙を広げ、手早く簡略図を描く。

 「自爆した術者は“核を回収に来た者”であって、探査術で見えた人物と同一である保証はない」


 俺は唇を噛む。

 「じゃあ……あの自爆野郎は、ただの使い捨ての可能性もあるってことですか?」


 「可能性はある」九条は即答した。

 「だが、使い捨てるにしても相応の腕があった。術者本体ではなくとも、核の所在を突き止める能力は持っていたのだろう」


 兵衛が低く唸る。

 「つまり、本命はまだ動いておらぬか……あるいは別の場所から指示を送っていたか」


 「後者の方が厄介ね」美弦がため息をつく。

 「距離を取って操れるなら、今回みたいに直接の手掛かりは得られない」


 九条は黙って核に目を落とす。白布越しに、あの冷たい気配がじわじわと漏れ出している。俺はそれを見つめながら、再び脳裏にあの言葉が浮かんだ。


 ――皆が平等に生きられる世界。


 (あれが本心か、ただの方便か……今はまだ、何も見えねぇ)


 九条が視線を上げ、全員を順に見やった。

 「いずれにせよ、今回で得られた情報は僅かだ。背景も、術者本人かどうかも、場所すら掴めていない」


 「……つまり、また“核”を使って炙り出すのか?」俺は問う。


 「可能性は高い。だが同じ手は二度は通じにくい」九条は短く首を振った。

 「今度は“核”を動かしながら使う。場所を絞らせず、追跡されてもこちらが主導権を握る形だ」


 兵衛が腕を組む。

 「囮を動かすには護衛が要りますな」


 「俺たちの仕事ってわけか」俺は肩を回し、まだ残る耳鳴りを振り払った。


 九条は続ける。

 「加えて、探査術で見えた背景の特定を急ぐ。格子窓、石の階段……このあたりの建築様式や配置を洗えば、候補は絞れるはずだ。旅籠や商人、寺社筋から聞き込みを行い、街道筋の口預所や関所が持つ道中帳も洗う。必ず手掛かりはある」


 美弦が頷きながら言った。

 「私が町や集落を回って情報を拾うわ。似た造りを見つけたらすぐ知らせる」


 「では若は、核を囮に使う策の護衛役。私は補助と外周警戒を」兵衛が続ける。


 九条は短く頷いた。

 「次は一手先を読み、必ず“本命”を釣り上げる。動くのは明日の夜だ」


 俺は深く息を吸い、拳を握った。

 (逃がすもんか……)

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