第30話 社畜、闇夜に影を釣る
橋場宿の口預所――畳の上に広げられた地図の上に、九条の指が静かに置かれた。
「ここだ。郊外の廃寺、今は使われていないが……人目がなく、見通しも悪くはない」
その声音は変わらず淡々としていて、まるで“今日の献立”でも選んでいるかのような調子だった。俺は腕を組みながら、彼の指先が指し示す地点を眺める。
「……ほんとに釣れるのか?」
ぽつりとそう呟いた俺に、九条は視線すら寄越さずに言葉を返す。
「釣れる。術に執着する術者の習性は共通だ。この核は術の媒介であると同時に痕跡でもある。奪われることは、術者にとって“死”に等しい」
「それにしても、簡単に来るようには思えないですけど……」
「簡単ではない。だが、やつらは必ず来る」
九条は一拍置いて、核を包んだ白布に目を落とした。
「我々は、その“来ざるをえない”状況を作るだけでいい」
(……“だけ”って言うやつは、大抵その後地獄みたいな仕事を押し付けてくる)
机の上には、昨日の戦いで得た、ひび割れた黒い核。冷気にも似た気配を、白布越しでもひしひしと感じる。今もなお、微かに“向こう”と繋がっている気がして、視線を合わせるだけで胸の奥がざわついた。
「作戦は単純だ。私が核に霊的痕跡を探る調査を施す。外から見れば、ただの陰陽術による調査にしか見えん」
「……でも、実際は“囮”ってことですか」
「そうだ。核を通じて霊的に術者を辿るということは、同時に“こちらの位置”も、術者に感づかせるということだ」
九条が顔を上げ、俺、兵衛、美弦、玉藻、そして霧丸を順に見やる。
「これから行う調査は、“霊的痕跡を探る”という名の招待状だ。やつらはそれに応じる。なぜなら、核を放置するということは、自らの術式の痕跡を晒すことに他ならないからだ」
「なるほど……奴らにとって、核は“証拠隠滅”すべき爆弾でもあるってことか」
「的を射ている。よって我々は、その爆弾に火を灯すだけでよい。あとは、それを回収しに来る鼠を罠で狩る」
兵衛が腕を組んだまま、ゆっくりと頷く。
「では、我らはどう動きますかな?」
九条はすっと立ち上がり、手元の巻物を数本取り出した。
「廃寺の境内に、視認不可の霊的結界を張る。内部からの視界は確保されるが、外部からは空間そのものが歪んで見えるようにする。視覚だけでなく気配、音、霊的存在感も遮断される」
「……そんな都合のいい結界、よくあるもんだな」
「通常の陰陽術では不可能だ。これは寮内の禁術に近い技法だが……今は背に腹は代えられん」
「なるほど、また面倒くさいことに首突っ込む羽目になったわけだ……」
思わず頭をかく。美弦が隣で小さく笑った。
「面倒なのはいつもでしょ。祓部稼業なんて、そんなものよ」
俺は霧丸の頭を撫でながら、視線を地図へ戻す。
「それで、敵が来たら?」
「私が結界の中から合図を送る。それを合図に、お前たちは一斉に動け」
九条は目を細め、声を低くした。
「……来るのは術者本人とは限らない。傀儡、刺客、式神、あるいは霊に操られた者。だが、誰であろうと“核に手を伸ばす”その瞬間を狙え」
「了解。俺は正面からぶつかる。兵衛は中距離の制圧、霧丸は外周の遊撃、玉藻は……」
「見張りよ。私と連携して索敵してもらう。射撃は任せて」
美弦が背に負った弓を軽く叩く。兵衛はいつも通り、大太刀の柄に手をかけたまま、口元だけで笑う。
「狩るなら一撃、ですね。後は奴らが吐く“情報”に期待しましょう」
俺は、拳の中で小さな符を握り締める。術者の目に核が映るなら、こちらの意志も、きっと――
「決戦は、夜。月が沈む前には、終わらせる」
(残業確定しました。まあしゃあないよな……)
九条の言葉に、全員が無言で頷いた。
陽が傾き始めた頃、俺たちは橋場宿の外れ――森の奥に眠る廃寺へと足を踏み入れた。
かつては立派だったであろう山門は半ば崩れ、苔と蔦に覆われた柱が無造作に地に横たわっている。境内の石畳も割れ、雑草に飲まれ、所々に立ち枯れた木の根がうねっていた。
本堂の屋根は斜めに傾き、風に揺れる板壁が、ぎし、と乾いた音を立てる。仏像ももはや原形を留めておらず、首の折れた躯が台座の上で静かに時を待っていた。
(……よくもまあ、こんな場所が残ってたもんだな)
風の音と虫の羽音だけが耳を満たす。まるでこの空間だけが時間に取り残され、他所と切り離されているような錯覚を覚える。
俺は一歩引いて目を閉じ、兵法スキルを発動した。脳裏に淡い光を帯びた俯瞰地図が広がる。境内、本堂、周囲の森――わずかな高低差や障害物が見える範囲を中心にあいまいに、だが確実に描かれていく。
(……西側の木立は道が狭く、動きにくい。北側の崖沿いは足場が悪いが、奇襲には使える。東側の古井戸を回り込めば、本堂裏へ抜けることも可能……)
敵の侵入経路をいくつもシミュレートし、迎撃に適した位置を脳内で印を付けていく。俺は九条のそばに歩み寄り、簡潔に報告した。
「三方向から侵入の可能性あり。だが、動きやすいのは南と東。迎撃は本堂を中心に手前の石垣と、その脇の倒木を押さえれば良いと思われます」
九条はわずかに目を細め、うなずいた。
「……霧村殿、兵法の心得があるのだな。私もそれがよいと思う」
その口調は淡々としているが、わずかに含み笑いが混じるようにも聞こえた。
俺は肩をすくめた。
「心得ってほどじゃないです。ただ、頭に地図が浮かぶだけですよ」
そう、冗談交じりに伝える。
九条は小さく笑った。
「なるほど、脳裏に地図とは……面白い冗談だ」
「まあ、そんなもんです」俺は軽く流すように言った。
【兵法スキルの熟練度が上昇しました】
「ここで張る。誰も来ないし、何かあっても気づかれん」
九条が境内の中央に立ち、白布に包んだ“核”をゆっくりと取り出した。
「霧村殿は式神で外周の索敵を。兵衛殿、地形を把握しておけ。桐生殿、準備はいいな?」
「いつでも」
そう答えた美弦は背の矢筒を調整し、俺は霧丸の背を軽く叩いて送り出す。白銀の霊獣は玉藻と鼻をこすり合わせた後、音もなく境内を走り去った。
「では――始める」
九条はそう言って、本堂を中心に石垣と倒木を囲むように古びた巻物を広げ、符を等間隔に配置していった。
「急急如律令……不可視結界……展開」
声とともに、周囲の空気がわずかに揺らいだ。
境内がわずかにゆがみ、空気の層が水面のように揺らめいた。霧が這うように地を覆い、柱や石畳の輪郭がぼやけていく。外から見れば、廃寺はそこにあるままだが――人影も物音も感じられず、まるで何年も前から無人であったかのように映るはずだ。これが、寮内で禁じられている不可視結界。外界からの遮断と、内部の秘匿を兼ね備えた霊的密室だ。
そして九条は、用意した台座の中央に核を据え、周囲に六枚の印符を配置した。符に火が灯ると同時に、低く、深い響きが地面から滲み出すように聞こえ始める。
「術痕探査術式、発動」
九条の指が空を裂くように動いた瞬間、核から蒼い霊糸が一本、ゆっくりと空中に浮かび上がった。
細く、しかし不気味なほど長く、まるで生きているかのように蠢く。霊糸は淡く揺れながら、空中に“映像”を編み出す。
――顔が見えない人影が、符に向かって何かを注ぎ込んでいる。赤い衣に覆われた手は細く、しかし所作には迷いがない。
――その背後には、何かの建物のような構造がぼんやりと浮かんでいた。格子窓に似た影、石造りの階段、低い屋根。どれも朧げだが、確かに見える。
――それは、どこかの屋敷、あるいは施設の一部のように見えた。術者の立っている位置や背景の構造から、建物の規模や間取りすら、かすかに想像できる。
「……見えますな」兵衛が低く呟いた。
「術式の残像ね。霊糸が掴んだ断片」美弦が眉をひそめながら囁く。
――その時だ。像の奥から、冷たい何かが這い寄ってくる感覚が、背筋を伝った。目の奥に、氷のような指先を差し込まれたような、不快な寒気。
(……見られてる)
こちらが覗いているつもりだったのに、向こうの視線が鋭く返ってくる。
九条の指が止まり、低く呟いた。
「……こちらの存在に気づいたな」
霊糸が一瞬、ピンと張り詰める。空中の像が歪み、ざわ、と風もないのに木の葉が鳴ったような音が響いた。
「術者が反応した。位置を感知された可能性が高い」
「……来るか」
「確定ではないが、核に執着するなら、高確率で“動く”」
九条は淡々と言いながらも、視線は張りつめていた。
「これ以上術を維持すれば、逆に霊糸を辿られる恐れがある。探査を終了する」
結界の中で、張り詰めた空気がひときわ濃くなる。
美弦が矢を一本抜き、穂先に符を巻く。兵衛はゆっくりと呼吸を整え、大太刀の柄に手を添える。
俺は手のひらに小さな符を数枚忍ばせ、霧丸の気配を探った。あいつはもう、廃寺の裏手に回って待機しているはずだ。
(……来いよ、術者。核が欲しいなら、手を伸ばしてみろ)
月が、ゆっくりと雲の陰に隠れた。境内が闇に包まれる。
気配だけが、濃くなる――。
(完全に残業モード突入。帰れる気がしない)
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