第28話 社畜、久しぶりに仕事に行く
結局、俺たちは三つの依頼書を抱えたまま、受付前の長椅子に腰を下ろした。玉藻と霧丸は、その足元でくるくると回りながら、待ちきれない様子で尻尾を振っている。霧丸の方は時折こちらを見上げ、まるで「早く決めろよ」とでも言いたげだ。玉藻は玉藻で、霧丸の尻尾をちょいちょいとつついて遊んでいる。
俺はその二匹を見下ろし、胸の奥で小さく息を整えた。
(さて……霧丸の初陣、何を選ぶかだな)
横で、美弦がひらりと一枚の依頼書を指先で持ち上げる。
「霧丸の実戦経験を積ませるなら、討伐系がいいわね。こういうのは座学や模擬戦だけじゃ身につかないもの」
「……まあ、そうだが」
俺は少し口を噤む。まだ作って間もない霧丸を、いきなり危険な現場に出すのは気が引ける。
しかし美弦は容赦がない。
「信頼と主従を試すいい機会よ。あなたもそれを意識して鍛えるって言ったでしょう?」
「……ああ、言ったな」
押し切られる形で、俺は依頼書の中から一つを選んだ。
――「街道沿いで旅人を襲う妖影の討伐」。
「現場が比較的近いし、被害も出てる。討伐すれば報酬も悪くない」兵衛が依頼書を覗き込みながら頷く。美弦も「短期決戦向きね」とあっさり同意した。
俺たちは受付の書記に歩み寄り、詳しい話を聞くことにした。帳簿と証言の束をめくりながら、書記の男が低い声で説明する。
「街道を通る複数の商人が、同じ場所で襲われています。襲撃の後、皆、意識を失い……目を覚ますと荷車や背負い袋の中身がきれいになくなっている」
「荷物が……全部?」
「はい。金も食料も、商品も。まるで盗賊の仕業のようですが、襲撃された者たちは、襲ってきた影をはっきりと“妖”だと証言しています」
兵衛が顎に手を当てて唸る。
「妖が物を奪う……あまり聞かぬ話ですな」
俺も首をひねった。妖は人を喰らう、あるいは害するために動くことが多い。だが、わざわざ人を気絶させて荷物を奪うなんて、聞いたことがない。
「人を攫うわけでもなく、命を奪うわけでもなく、物だけを……理由は?」
美弦が細い眉をわずかに寄せる。
「符に落ちない点が多いわね。……でも逆に、だからこそ調べがいがある」
霧丸が俺の足元で小さく唸り、尻尾を揺らした。まるで「行くんだろ?」と背中を押すように。
(……ったく、やる気だけは十分だな)
俺は小さく笑い、依頼書を握り直した。
「よし――引き受ける」
依頼書を受け取った俺たちは、宿に戻るなり支度に取りかかった。
まずは武具の点検。鞘から太刀を引き抜き、刃を光にかざす。昨日の訓練でついた細かい痕を布で丁寧に拭い、油を薄く引く。槍の穂先も同様に磨き、柄の緩みを確かめると、兵衛が横から覗き込み、にやりと笑った。
「若、刃の冴えは心の冴え。こうして整えておけば、いざという時も迷いが減りますぞ」
「わかってる」
そう言いながらも、内心では少し緊張していた。霧丸の初陣である以上、俺自身の動きが鈍れば、あいつを危険に晒すことになる。
次に符の補充。護りの陣符十枚、起符五枚、封符・結界符・火符・雷符・風符・光符をそれぞれ三枚ずつ――美弦がさらさらと書き上げていく。
「ほら、あなたの分も」
「……やけに多くないか?」
「初陣に不足は禁物よ。余ったらまた次で使えばいいだけ」
そう言いながら、彼女は俺の符袋を手際よく詰め直していく。符の香のような墨の匂いが、鼻の奥に落ち着く感覚を残した。
霧丸の支度も忘れない。首に結んだ淡い灰色の紐は、美弦が用意したものだ。霊的な鎖の役割を果たし、呼び戻しや指示を通しやすくするという。
「窮屈じゃないか?」と問いかけると、霧丸は首を傾げ、くいっと紐を自分で直すような仕草をした。
「……大丈夫そうだな」
玉藻はその様子を見て、霧丸の首紐を鼻先でつつき、なぜか誇らしげな顔をしている。
食料と水も忘れずに。街道沿いの現場までは半日ほどだが、妖影との戦闘が長引けば野営もあり得る。干し飯、干し肉と乾果実を袋に入れる。水筒の口を固く締めた時、兵衛が声をかけてきた。
「若、こういう時こそ腹ごしらえを忘れずに。腹が減っては妖も斬れませぬぞ」
「戦の格言にしちゃ間抜けだな……」
そう返すと、兵衛は豪快に笑って、俺の肩を力いっぱい叩くのだった。
【修理術スキルの熟練度が上昇しました】
翌日、俺たちは宿の前で集合した。出発前に美弦が空を仰ぎ見る。
「天気は悪くないわね。霧も出てないし、現場までの道のりは順調でしょう」
「逆に言えば、妖影が潜むなら隠れる場所は限られるってことか」
俺の言葉に、美弦は片眉を上げ、「なら見つけるのも早いわね」と応じる。
こうして支度を終えた俺たちは、玉藻と霧丸を連れて宿を後にした。霧丸は道に出た途端、足元に霧をまとい、ふわりと軽やかに浮き上がるように移動する。その横で玉藻は軽快に駆け、時折霧丸にちょっかいを出しては前を行く。
街道へ向かう道すがら、俺は改めて腰の符袋と太刀の重みを確かめる。
(――さて、霧丸。お前の初陣だ。俺も、お前も、しくじるわけにはいかない)
街の喧騒が背後に遠ざかり、やがて石畳が土道へと変わっていく。青空の下、俺たちは街道沿いの依頼現場を目指して歩みを進めた。
昼前、俺たちは街道沿いの現場に到着した。ここは商人が襲われたという場所で、道は片側が緩やかな土の斜面、もう片側は低い雑木林に囲まれている。鳥の声も少なく、空気は妙に湿り気を帯びていた。
「……ここですな」
兵衛が足を止め、槍を軽く地面につく。見下ろせば、街道の土は所々乱れ、削れた跡がある。だが、不自然なほど足跡らしい足跡が残っていない。
美弦がしゃがみ込み、指先で地面をなぞった。
「ここ……何かで足跡を均してあるわね」
「均す?」
「ええ。枝か布で叩いて均してる。ただ、力加減が雑で、土が盛り上がってる所と押し潰された所が混じってるわ。道の土の流れを断ち切るように叩いてる。足跡を消そうとした意図はあるけど、仕上げが粗い。慣れてない手つきね」
俺も屈み込み、触れてみる。指に湿った土が張りつき、ほんのり生温い。
「……つまり、跡を消そうとしたってことか?」
「そういうこと。でも、普通の妖怪はそんなことしないわ。獲物を倒せばそれで終わり。痕跡を消すなんて、人間の知恵に近い行動よ」
兵衛が周囲を見渡しながら唸る。
「ふむ……足跡を消す妖怪、ですか。単に警戒心が強いのか、それとも――」
「誰かの指示を受けて動いている……かもな」
言葉にすると、胸の奥に小さな棘のような不安が刺さる。
俺たちは、美弦が指差した方向に目を凝らした。足跡を消そうとしたらしい地面は、道の端から藪の方へと続いている。踏み荒らされた草がまだ湿っており、通ったのはそれほど前ではなさそうだ。
「行ってみますかな」
兵衛が槍を軽く持ち直す。俺は頷き、玉藻と霧丸を呼び寄せた。二匹は鼻をひくひくと動かし、すぐに藪の奥へと向かう。
「……匂い、嗅ぎ取れてるみたいだな」
藪を抜けると、そこは細い獣道になっていた。だが、獣の足跡はなく、代わりに人間の靴底のような跡が点々と残っている。ただ、その靴跡も途中から消えており、代わりにまた“足跡消し”の跡が現れる。
「……おかしい」
美弦が立ち止まり、しゃがみこんで土をつまんだ。
「この辺りから、消し方が丁寧になってる。まるで途中で“やり方”を覚えたみたい」
「つまり、跡を消してる奴が、この先にいるってことか」
「可能性は高いわ」
俺たちは息を潜め、痕跡を辿り続けた。霧丸の尾が低く揺れ、玉藻の耳がぴくりと動く。森の奥から、かすかに金属が擦れるような音が聞こえた。
(……人間? それとも妖怪か?)
痕跡を辿った先に現れたのは、木立の奥にぽつんと建つ古びた廃屋だった。屋根は一部が抜け、壁板も所々が腐っているが、最近になって誰かが出入りしているらしく、入口付近の土は踏み固められていた。
俺たちは木陰に身を潜め、息を殺す。廃屋の中からは、くぐもった男たちの声が聞こえてきた。
「……ずいぶん油断しておるな。見張りもいないようだ」
兵衛が低く呟く。
「兵衛、確認を頼めるか?」
「承知」
槍を背に、兵衛は音もなく廃屋へと近づいた。腐った板壁の割れ目に身を寄せ、じっと中を覗き込む。
その間にも、ひそひそ声が風に乗って耳に届く。
「いやー、楽な商売だよな。こいつをけしかけて……」
「へっ、獲物が気絶してる間に荷を運び出すだけだもんな。俺らは手ぇ汚さずに済む」
「次は北の街道だ。あっちは商人が多い」
(……やっぱり、人間が絡んでやがったか)
胸の奥がざらつくような嫌悪が広がる。
やがて兵衛が、影のように滑るような足取りで戻ってきた。
「中には人間が三人。それと、動かぬ妖怪が一体。廃屋の裏手には盗品と思しき荷が山積みされた荷車があるようです」
「妖怪が操られてるってことか?」
「詳しい手口は不明ですが……連中の話ぶりからすると、妖怪をけしかけ、標的が気絶した隙に荷を奪う――そういう手口のようですな」
美弦が静かに息を吐き、瞳に冷たい光を宿す。
「面倒な連中ね。放っておけば、もっと被害が広がるわ」
兵衛の報告を受け、俺たちは廃屋から少し離れた林の陰に身を潜めた。玉藻と霧丸も気配を殺し、俺たちの足元でじっと待っている。
俺は静かに目を閉じ、兵法スキルを展開した。
(……兵法スキル、表示)
視界の端に淡く光る盤面が浮かぶ。俯瞰された地形が広がり、廃屋の輪郭や木立の位置が線で描かれる。兵衛から知らされた情報が自動で反映され、廃屋内部に「人影×3」と「妖影×1」の光点、裏手には荷車らしき印が浮かんだ。さらに、周囲の林には小さな死角や獣道までが示されている。
俺は地図を睨みながら口を開く。
「廃屋の北側は木が密で接近しやすい。逆に東側は開けてて、見張りがいなくても目立つな」
「裏手の荷車は、廃屋の陰に入っていて外からは見えない位置だ」
「……それと、妖怪は入口付近に固定されてる。動き回ってはいない」
「どう動くかだな……」
頭をひねってみるが、妙案は浮かばない。
俺の沈黙を埋めるように、美弦が迷いなく答えた。
「まず妖怪を無力化する。それから人間を捕らえる。順序を逆にすると、妖怪が暴れて面倒なことになるわ」
兵衛が頷く。
「承知。しかし妖怪の制御方法がわからぬ以上、まずは術者らしき者を探る必要がございますな。操っている者がわかれば、無力化も容易でしょう」
「となると……」
「私が囮になるわ」美弦が平然と告げる。
「妖怪を引きつける間に、あなたは符で援護。兵衛は隙を見て中に踏み込み、人間どもを抑え込む」
「おい、それ危なくないか?」
「大丈夫よ。式神の時と同じ、訓練だと思えばいい」
軽く笑うその顔に、冗談めいた色はない。
兵衛は口元を引き結び、「若、援護の準備を」とだけ言った。俺は腰袋の符を確かめながら、霧丸の頭に手を置く。
(……お前の初陣だ。しっかり頼むぞ)
【兵法スキルの熟練度が上昇しました】
美弦が囮になると決まった瞬間、場の空気がぴんと張り詰めた。
「それじゃあ――行くわよ」
腰に下げた符袋を軽く叩き、美弦は河原の稽古のときと同じ落ち着いた足取りで廃屋へ向かっていく。
俺と兵衛、玉藻と霧丸は林の陰からその後ろ姿を見送った。
「若、符の準備は?」
「万全だ。……霧丸、行けるか?」
霧丸は短く鼻を鳴らし、霧をまとった足で地面を軽く蹴った。
廃屋まであと十数歩という距離で、美弦はあえて足音を響かせるように踏みしめた。その瞬間、廃屋の扉が音を立てて開き、中から低い唸り声が漏れた。四つ足の影――昨日までの稽古で見た獣より一回り大きく、目は赤黒く濁っている。
(あれが……操られてる妖怪か)
妖怪はまっすぐ美弦に向かって跳びかかる。
「護りの陣!」
美弦が足元に符を叩きつけ、白光の壁を作る。その衝撃で一瞬だけ獣の動きが止まった。
「今だ!」
俺は霧丸を送り出し、援護の符を放つ。火符が爆ぜ、獣の横腹に炎の帯が走った。霧丸はその隙を逃さず、霧とともに獣の死角へ滑り込み、鬼の角を有した頭で頭突きを叩き込む。低い唸り声とともに獣がよろめき、美弦が後退して距離を取る。
「兵衛、行け!」
俺が叫ぶと同時に、兵衛が槍を低く構えて廃屋に突入。中から驚いた声が上がる。
「な、なんだお前ら!?」
「動くな!」
金属がぶつかる鋭い音と、短い悲鳴。どうやら兵衛が二人を瞬時に制したらしい。
だが、残った一人が慌てて何かの符を取り出し、外の獣に向かって掲げた。
「まだだ、やれ!」
獣の赤黒い瞳が一層濁り、霧丸に向けて猛然と突進してくる。
「霧丸、退け!」
だが霧丸は下がらず、逆に俺の方を一瞬振り返った。
(……信じろってことか?)
次の瞬間、霧丸は自ら霧を噴き上げ、獣の視界を塞ぎ、背後へ回り込む。尾の先が蒼い光を放ち、霊核の力を帯びた一撃を獣の後脚に叩き込んだ。
獣が膝をついた瞬間、俺は雷符を投げつけ、全身を痺れさせる。その間に美弦が素早く封符を獣の額へと貼りつけ、赤黒い瞳の光がふっと消えた。
――――――――――
名称:――
種族:式神(獣型)(封印中)
属性:陰/獣
スキル:
・噛みつき【熟練】
・跳躍【中級】
・突進【中級】
・耐性:火【特性】
・耐性:雷【低】
・魂吸収【特性】
製法:
・低位の獣妖を素材とし、魂の欠片を核に封入
・外装に強化式を刻み、戦闘特化に改造
備考:
・操符によって遠隔操作される
――――――――――
「……ふぅ」
緊張の糸が切れ、肩から力が抜ける。廃屋から兵衛が出てきて、「中の連中は確保しましたぞ」と報告。美弦は封印された獣を見下ろし、「操り方は中で調べましょう」とだけ言った。
霧丸が俺の足元に戻ってきて、まるで「どうだ」と言わんばかりに尾を揺らす。
「……やるじゃねぇか」
玉藻が霧丸の横で「きゅい」と鳴き、二匹の尻尾が絡むように揺れた。
【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました】
よろしければ、評価やブックマークをお願いします!
執筆の励みになります!!m(_ _)m




