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第27話 社畜、式神と特訓する

 翌日、昼下がりの河原。兵衛と俺がいつものように石の上で待っていると、竹林の向こうから美弦が姿を現した。両腕いっぱいに古びた木箱と巻物の束を抱えていて、歩くたびに箱の中で札がカサリと鳴る。


 「……なんだその荷物」

 「うちの仮屋から持ってきたの。今日は霧丸の実戦訓練だから」

 「実戦って……まさかまた昨日みたいなのを――」

 「安心しなさい。今日は幻影よ」

 さらりと言い放ち、美弦は木箱を河原の平らな石の上に置く。


 箱の中には、丁寧に巻かれた数本の古巻物と、封をされた札がぎっしり詰まっていた。

 「これはね、うちに代々伝わってきた“妖怪の型”を記録した巻物。家は没落して仮屋暮らしだけど、これだけは手放さなかった」


 そう言いながら美弦は一番上の巻物を広げる。そこには墨で描かれた異形の獣の姿と、細かい術式の文字が並んでいた。

 「巻物と封符を組み合わせれば、霊力でこの妖怪の幻影を呼び出せるの」

 「……幻影って、本当に無害なんだろうな?」

 「命までは取られない。でも痛みは本物」

 「いや、結局危ねぇじゃねぇか」


 兵衛が腕を組み、にやりと笑った。

 「若、鍛錬にはうってつけですぞ」


 美弦は巻物を広げたまま、箱から一枚の封符を取り出した。札は歳月を感じさせる黄ばみと、指でなぞればざらりとした感触が残る。中央には黒々とした墨で“封”の字が描かれ、その周囲を複雑な術式が囲っている。


 「今日はこれを使うわ」

 「どんな妖怪だ?」

 「“片面猿”――顔が半分だけ人間で、もう半分は猿の怪物。素早さと跳躍力に優れているわ。霧丸の動きにはちょうどいい相手」

 「……ちょうどよくない気がするんだが」


 美弦は俺のぼやきを聞き流し、封符を巻物の妖怪図に重ねる。

 「離れて」

 その声に、俺と兵衛は数歩後ろへ下がった。


 美弦が印を切る。札が淡く赤光を帯び、巻物の上の墨絵がじわじわと膨らみ始めた。次の瞬間、河原の上に墨色の霧が噴き上がる。霧は渦を巻き、やがて猿とも人ともつかぬ影を形作った。


 片面は毛むくじゃらで牙を剥き、もう片面は無表情の人の顔。背は俺より頭ひとつ分高く、長い腕が地面に届きそうなほどだ。

 「……うわ、なんか生理的に嫌な見た目だな」

 「幻影だから触れれば消えるけど、攻撃は当たるわ。油断したら打撲くらいはする」


 ――――――――――

 名称:ーー

 種族:片面猿(幻影)

 属性:陰/獣


 《スキル》

 ・跳躍【中級】

 ・爪撃【中級】

 ・攀爬【中級】

 ・威嚇咆哮【初級】

 ・半身人面【特性】

 ・幻影体【特性】


 備考:

 ・桐生家に伝わる巻物と封符を組み合わせた幻影召喚

 ・命までは奪わないが、物理的な打撃や痛覚は与える

――――――――――


 俺は霧丸を呼び寄せた。霧をまとった白銀の小さな影が、ふわりと俺の足元に現れる。尾がゆらりと揺れ、蒼い光が耳の縁に淡く灯った。

 「よし、霧丸。お前の初仕事だ」

 霧丸はこてんと首を傾げ、次いで軽く前足を踏み出す。その瞬間、足元の霧が広がり、地を滑るように前へ進んだ。


 「始め!」

 美弦の合図と同時に、片面猿が甲高い叫びを上げて跳びかかる。地面を蹴った瞬間の速さは人間の比じゃない。

 (くそ、やっぱ速ぇ!)


 だが霧丸はそれより速く、するりと霧に溶けて位置をずらした。片面猿の爪が空を切り、代わりに霧の中から白銀の尾がしなり、相手の足首を払う。

 「おお……!」

 兵衛が思わず感嘆の声を漏らした。


 「霧の中を移動できるのか」

 「良い特性ね。攻防の幅が広がるわよ」美弦が淡々と解説する。


 片面猿が素早く立ち直り、地を蹴って再び迫る。俺は符を抜き、霧丸の動きに合わせて風符を起動。突風が猿の体勢を崩し、その隙に霧丸が背後へ回り込む――


 片面猿が地を蹴り、鋭い爪が一直線に霧丸へ迫る。

 「護りの陣!」

 俺は反射的に札を足元へ叩きつけ、霧丸の周囲に青白い光の壁を展開する。


 ――が、霧丸はその中に留まらず、霧ごとふわりと外へ抜け出してしまった。

 「お、おい!?」

 俺の声など聞こえないかのように、霧丸は片面猿の死角へ回り込み、尾の一撃を繰り出す。だが相手は跳び退き、攻撃は空を切った。


 「若、どうやら霧丸殿は独自の判断で動くようですな」

 兵衛が感慨深げに呟く。

 (いや、感慨深がってる場合か!)


 次に雷符を投げ、霧丸の攻撃に合わせようとしたが、またも霧丸は俺の想定とは別方向へ消える。符の雷光は空を走り、片面猿の肩をかすめただけ。


 「……こりゃ、連携なんて全然取れねぇ」

 美弦が唇を上げ、面白がるように言う。

 「だから言ったでしょ? 意志の種を蒔けば、術者の思惑どおりには動かないこともあるって」


 片面猿は低く唸りながら霧丸を追う。霧丸は霧をまとい、滑るように後退してから急停止――次の瞬間、霧を破って真正面から飛びかかった。その意外な動きに片面猿が一瞬たじろぐ。


 (あいつ……もしかして、わざと俺の援護を外して動いてるのか?)


 片面猿の腕が横薙ぎに振り抜かれる――霧丸は霧ごと身を沈め、紙一重でそれを躱す。その霧の動きが、なぜか俺の視界にゆっくりと見えた。


 (……待てよ。これ、避けるだけじゃない。次の位置を“誘って”る?)


 霧丸は片面猿を引き込むように右へ回り込み、視線だけ俺の方へちらりと寄越す。まるで「今だ」と言わんばかりに。


 「――そういうことか!」

 俺は即座に雷符を取り出し、霧丸の進行方向の先――片面猿が踏み込むであろう場所へ叩きつけた。


 符が炸裂し、紫電が地を這う。その瞬間、霧丸は霧を解き、雷光の中へ片面猿を押し込むように尾で弾き飛ばした。獣の悲鳴が河原に響く。


 「なるほど……こうやって合わせればいいのか」

 俺は深く息を吸い、次の符を構える。


 霧丸は霧をまとい直し、また別の角度から片面猿へとにじり寄る。もうさっきまでのすれ違いはない。霧丸がどう動くのか、その意図が自然と読める。

 (お前……思ってたよりずっと頭が回るじゃねぇか)


 兵衛が腕を組み、満足げに頷いた。

 「ほぅ……これなら実戦でも十分通用しますな」

 美弦は涼しい顔で、しかし目の奥にわずかな驚きを宿していた。

 「へえ……たった数合で式神と歩調を合わせるなんて、思った以上ね」


 片面猿が最後の力を振り絞って飛びかかる。霧丸と俺は同時に動いた。霧で視界を奪い、符で足を縫い止める――そして霧丸の尾が決定的な一撃を叩き込んだ。


 土煙が落ち着くと、片面猿は消え去り、ただ霧と符の残骸だけが残っていた。


 【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました】


 戦いが終わると、霧丸は霧をほどき、軽く俺の足元に寄ってきた。鼻先を俺の膝に押しつけ、尻尾を一度だけ振る。


 「……ああ、お前のおかげだ」

 頭を撫でると、霧丸は目を細め、静かに座り込んだ。


 美弦が歩み寄り、片手を腰に当てながら言う。

 「ね? 意志を持つ式神は、こういう連携ができるのが強みなの」

 「確かに……俺が指示してないのに、動きが読めた」

 「それはあの子が“合わせよう”としてたからよ。命じられるまま動く式神より、状況を見て先を読める存在は、戦いではずっと頼もしい」


 兵衛も感慨深げに頷く。

 「術者と式神が心で通じ合えば、戦いの幅は飛躍的に広がりますな」


 美弦は続ける。

 「ただし――その意志が暴走に変われば、制御できなくなる危険もある。だからこそ、信頼と主従の線引きが大事になるの」

 「信頼と……主従」

 「そう。あの子があなただけを主と認めるように、日常から関係を築くこと。命令だけじゃなく、意思疎通を育てることね」


 霧丸がこちらを見上げ、こてんと首を傾げる。その瞳に浮かぶ柔らかな光に、俺は小さく息を吐いた。

 (……こいつとなら、ちゃんとやっていけるかもしれない)


 訓練を終え、霧丸は霧をほどき、玉藻の方へと軽やかに歩み寄った。玉藻が「コン」と鳴きながら尻尾を揺らし、霧丸の鼻先に自分の鼻を軽く当てる。次の瞬間、二匹はくるりと回り込み、じゃれ合うように尻尾を絡め、砂の上を駆け回った。


 (……仲良くやってくれてるのはありがたい)

 玉藻と霧丸が取っ組み合い、ころころと砂利の上を転がる。霧丸の尾が霧を巻き上げ、玉藻はそれを軽やかに飛び越える。思わず頬が緩んだ。


 その様子を眺めていた美弦が、湯を啜りながら口を開く。

 「さて、今日の訓練はここまでにしましょうか」

 「ふぅ……助かる」

 腰を伸ばし、大きく息を吐く。兵衛も槍を肩に担ぎ直し、軽く肩を回した。


 「若、そろそろ新しい依頼でも受けに行きますかな?」

 「そうだな……数日鍛錬ばかりだったし、そろそろ稼ぎに行くか」

 「口預所に行くなら、霧丸の初陣にも丁度いいかもしれないわ」美弦が涼しい顔で付け加える。


 玉藻と霧丸がじゃれ合いながらこちらに駆け寄り、俺の足元にぴたりと並んだ。その姿を見て、なんとなく心強さが胸に灯る。

 (よし……次は、この二匹と一緒に行ってみるか)


 「そうそう。霧丸の首紐を用意してきたわ」

 美弦が唐突に紐を渡してきた。

 「いやいや、犬じゃないんだし……」


 「同じようなものでしょ。信頼関係や主従関係のの構築の役に立つわ」


 「そういうものか」

 釈然としないながらも、一度使ってみることにした。


 霧丸の首元に紐を回し、金具を軽く留める。すると霧丸は、一瞬だけ動きを止めて俺を見上げ――ふっと尾を振った。嫌がるどころか、むしろ満足げに首元を小さく揺らしてみせる。


 「……あれ? 全然嫌がらないな」

 「嫌がるどころか、“自分の居場所が決まった”と感じてるんでしょうね」美弦が淡々と答える。

 「式神にとって、主の印は誇りよ。それをつけることで、自分の役目を再確認するの」


 兵衛が腕を組み、「ふむ……ならば霧丸殿にとっては勲章のようなものですな」と頷いた。

 霧丸は紐をつけたまま、玉藻の周りを一周してから俺の足元へ戻り、そこにちょこんと座った。


 (……信頼と主従、か。思ってたよりずっと自然なものなのかもしれない)


 俺たちは道具をまとめ、いつもの河原から街道へと足を向けた。夏の午後の日差しが石畳を照らし、行き交う人々の声と荷車の軋む音が混じる。霧丸は興味深そうに道端の屋台を覗き込み、玉藻は器用に俺の肩へ飛び乗った。

 「……おい霧丸、そっち行くな、引っ張るな!」

 霧丸の首紐を軽く引きながら進むが、足取りは軽い。


 やがて、街の中心にある口預所の木造建物が見えてきた。入口の前には数人の武士や旅装束の男女が立ち、掲示板を熱心に見上げている。中へ入ると、古い木の匂いと、紙に記された墨の香りが鼻をくすぐった。壁一面に貼られた依頼状がずらりと並び、受付では書記が数名、依頼の手続きを取っている。


 「さて、どのような依頼がありますかな」兵衛が腕を組み、依頼札を一枚ずつ眺め始める。

 俺も横に並び、文字を追う。

 ――農村近くに現れる野犬退治。

 ――山道の行方不明者捜索。

 ――古井戸から夜な夜な聞こえる泣き声の調査。

 ――街道沿いで旅人を襲う妖影の討伐。


 「これはどう? 古井戸の泣き声調査。原因が妖なら、そのまま討伐して報酬二倍よ」

 「いや、美弦殿、それは討伐より厄介な類かもしれませぬ。泣き声の怪異は長引くと祟りになると聞きますぞ」兵衛が難色を示す。


 「じゃあ、山道の行方不明者捜索なんてどうだ?」俺が札を手に取る。

 「ほぅ……霧丸の機動力なら、山林でも活躍できそうですな」兵衛が顎を撫でる。

 「でも“行方不明”っていうのは、大抵戻ってこない理由があるのよ?」美弦が薄く笑う。

 (なんだよ、その言い方……また命懸けか)


 結局、俺たちは三つの候補を抱えて受付前の長椅子に腰を下ろした。玉藻と霧丸はその足元でくるくる回りながら、待ちきれない様子で尻尾を振っている。俺はその二匹を見下ろし、胸の奥で小さく息を整えた。

 (さて……霧丸の初陣、何を選ぶかだな)

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