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第24話 社畜、この国のことを知る

 「……悪い、兵衛。悲しいことを思い出させてしまったな」

 箸を置いて、俺は低く呟いた。兵衛は首を横に振り、穏やかな笑みを浮かべる。

 「いえ、若には覚えておいてほしいのです。どれほど辛くとも、忘れてしまえば、それはもう無かったことになる。……それだけは、あってはなりませぬ」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ締めつけられる。逃げてはいけない――兵衛の声は、そう告げているようだった。


 「……そういえば、この国のことも、まだあまり思い出せないんだ。教えてもらえるか?」


 「承知しました」

 兵衛は荷の中から和紙と筆を取り出し、卓上に広げる。すらりと筆先が走り、あっという間に大枠の地図が浮かび上がった。


 天穂国あまほのくに

 「豊穣の象徴であり、古くから“天子”が治めております。中央には天子様と公家衆、そして陰陽寮。地方には諸大名、国衆、寺社勢力が割拠しているのです」

 兵衛は筆で中央に丸を描き、さらに周囲を四方に分けながら説明を続ける。


 北方

 ・氷海ひょうかい……流氷漂う永久凍土。異種族領が広がる。

 ・白嶺はくれい……雪深く、白霜族や阿羅鬼族の棲む北国。

 ・常氷じょうひょう……長い冬と海霧の沿岸。鉄の産地でもある。


 東方

 ・葦原あしはら……広大な稲作地帯と湿地。弓騎兵と長槍足軽が強い。

 ・潮鳴しおなり……海鳴り響く沿岸、水軍と漁民兵の本拠地。


 中央

 ・雲州うんしゅう……山岳と盆地の交易路。

 ・瑞穂みずほ……天子の都がある豊穣の地。


 西方

 ・岩鎮いわしずめ……岩山と峡谷の砦。山賊の拠点が多い。

 ・渦潮うずしお……多島海の水軍と商人の国。


 南方

 ・南嶺なんれい……密林と火山の地。毒術・幻術の使い手が多い。

 ・火島ひのしま……珊瑚礁と竜神伝承の島々。


 地図が完成する頃には、机上に小さな国土模型ができあがっていた。


 「……こうして見ると、結構広いな」

 「ええ。ですが戦乱と妖の災厄で、行き来できぬ地も多うございます」


 俺は描かれた地形をじっと見つめ、ある感覚を覚えた。

 (……これ、日本じゃないか?)

 頭の中で島の輪郭なぞる。――どう見ても、地形のベースはあの世界の日本列島だ。それぞれ、以下に相当しそうだ。


 氷海=北海道

 白嶺=東北

 常氷=北陸

 葦原=関東平野

 潮鳴=房総半島・東海沿岸

 雲州=信濃・美濃

 瑞穂=畿内・紀伊半島

 岩鎮=中国山地

 渦潮=四国・瀬戸内・九州北部

 南嶺=九州南部

 火島=南西諸島


 俺は兵衛の説明を聞き流しながら、地図に視線を落とす。

 (……やっぱり日本だよな、これ)

 頭の中で現実世界の日本地図と重ね合わせる。輪郭も配置も、驚くほど一致している。ただ、違うのは――この国には鬼や妖がいて、陰陽師が祓い、戦国大名が平然と妖と同盟を結ぶ、ということだ。


 兵衛はさらに細かな地名や街道、山脈の話を続けていたが、俺の頭の中では別の地図がくっきりと浮かんでいた。もしこれが本当に“あの日本”が元になっているとしたら……今後の行動のヒントになるかもしれない。


 「そういえば、今の話で異種族の話がでてきたよな? 本当にいるのか?」

 「はい。この国には、人間以外の種族も棲んでおるのです」

 「妖怪ってことか?」

 「いえ、妖とは違います。元は人と妖の間に生まれた子孫。今では、我らと同じく社会を持ち、国の戦にも加わります」


 兵衛は筆を取り、地図のあちこちに小さな印をつけた。

 「例えば、北方の阿羅鬼族――鬼の血を引く怪力の戦士たち。

  中部山間北部の妙尾族――狐の血を引く幻術師。

  中部山間北部の化楽族――狸の血を引く変化術の使い手。

  南方沿岸の潮影族――海神の末裔、水軍の名手……」

 筆先は迷いなく地図を走る。

 「他にも、雪女の末裔“白霜族”、山の岩妖を祖に持つ“岩籠族”、森の精霊の血を引く“葉隠族”……」


 「けっこういるんだな」

 「ええ。人間族と異種族の間にも混血は多く、今や境はあいまいになりつつあります。しかし、血の濃い者ほど妖に近づきやすく、恐れられることも多い」


 兵衛は筆を置き、俺を見た。

 「若、この国の鬼や妖というものは――ただの怪物ではございません」

 「……というと?」

 「元はすべて、人の負の念から生まれるのです」

 (つまり、メンタルが荒れると妖が湧く……ブラック企業か)


 「怨み、妬み、恐怖、飢え……そうした感情が濃く淀み、形を持った時、鬼や妖となって現れます。戦乱が続く地ほど、飢えと怨嗟が渦巻き、妖の巣窟と化す。黒蓮などは、それを意図的に広げ、喰らい、操っているのでしょう」

 兵衛の目は険しい。

 「ゆえに、妖退治とは単に怪異を斬ることではなく、その根を断つこと。だが――人の世から負の念が尽きることは、まずありません」


 言葉の重さに、俺は返す言葉を失った。

 (つまり……この国では、人が人である限り、鬼や妖は消えないってことか)

 戦が終わっても、飢えや怨みは消えない。それどころか、誰かがそれを利用する限り、また次の怪物が生まれる。

 ――終わりなんて、どこにもないじゃないか。思わず、膝の上で握った手に力がこもっていた。


 「思えば、ここ数十年の“霊災”――妖の大量出現も、人の業が生み出したものと申せましょう」


 兵衛は湯呑を置き、静かに背筋を伸ばした。

 「……若、この国の今を知るには、ここ八十年の歴史を押さえておかねばなりません」

 そう前置きして、彼は指折り数えながら語り始めた。


 「まず――八十年前。時の幕府は内紛と権力争いで急速に衰えました。将軍家は複数に割れ、管領や守護大名が互いに刃を向け合う、血で血を洗う時代が始まったのです」

 兵衛の声がわずかに低くなる。

 「六十年前には、幕府の支配は名ばかりとなり、地方大名が事実上の独立国を築きました。朝廷が仲裁の勅命を下しても、各地の争いは止まらず……国は割れたまま、戦火は広がる一方でした」


 彼は卓上の地図を指でなぞり、北から南へと滑らせる。

 「そして三十年前――『霊災の時代』の幕開けです。全国で突如、妖の出現が激増しました。山や川は霊火に染まり、村々は夜ごと魍魎に襲われる。朝廷はこれを“天の乱れ”と呼び、国家総動員の『大祓令』を発しました」

 筆を執った兵衛は、地図の大名領に印を入れていく。

 「この時から、諸大名は軍制に霊術部隊を組み込み、陰陽師や祓部を常備軍化。武と術を合わせ持つ者こそ、一国の戦力の要とされるようになったのです」


 湯をすすり、彼は再び口を開く。

 「二十年前には、天子の権威こそ神聖視されながらも、政治の実権は地方へ移りました。ある者は『天子の御旗』を掲げ、妖退治を口実に他国を侵略する。聖戦を名乗りながら、実のところは領土の奪い合い……そんな戦が横行しました」


 その目が、わずかに鋭さを帯びる。

 「十年前――妖の大侵攻を前に、人間以外の種族との同盟が模索されました。阿羅鬼族や化楽族、潮影族……かつては隔絶していた者たちです」

 「同盟派は異種族を戦力として迎え入れ、排斥派は人間至上を掲げ迫害する。この対立が、戦乱をさらに複雑にしたのです」


 そして兵衛は短く息を吐いた。

 「今――戦は日常と化し、武も術も持たぬ者は生き残れぬ世。幕府は滅び、朝廷も霊的均衡を守る役割のみ。国を動かすのは、大名と、その背後に控える力ある陰陽師や異種族……それが、この天穂国の現状です」


 「その割には、橋場宿周辺は栄えているように思うが……」

 「はい。ここは特別でしてな」


 兵衛は湯呑を置き、地図の雲州東部――大きく描かれた湖のほとりに指を置いた。

 「橋場宿は、この“鏡湖かがみこ”の東岸にございます。雲州と葦原を結ぶ街道の要衝にして、湖の舟運の中継地。北からは山間を抜けた交易隊が、南からは稲作地帯の物資が船で運ばれてくる。戦乱の世でも、人と物の流れは止まらず、むしろ需要が高まっております」


 筆先で湖から伸びる街道をなぞりながら続ける。

 「加えて、橋場宿には祓部の詰所があり、湖とその周辺の妖は早期に討たれる。ゆえに旅籠や茶屋、武具商に至るまで繁盛し、戦場帰りの兵や術師の金も落ちる……つまり、戦の影で肥える町というわけです」

 (戦乱バブルってやつか……笑えないな)


 俺は地図の上を眺めながら、ふと思い出したように口を開いた。

 「ちなみに俺たちの故郷って、この地図のどこにあるんだ?」


 兵衛は地図を手繰り寄せ、雲州の北東端あたりを指先で叩いた。

 「――ここ、白霧谷しらぎりだにです。雲州と白嶺の国境近く、山中深くにある谷間の集落」


 彼は筆で小さな印を打ち、淡く色を塗る。

 「四方を切り立った山に囲まれ、朝晩は必ず濃い霧が出る。昼でも霞が漂い、外から訪れる者には足元すら覚束ない地形。道は細く曲がりくねった山道と、谷をまたぐ吊り橋だけ……冬は雪で完全に孤立することもあります」


 筆先で山脈をなぞりながら、兵衛は続ける。

 「この険しさゆえ、外敵に攻められにくく、その分、外の物資や情報も入りにくい。ですが、霧と谷は優れた守りともなります。若の御父君は、この地の利を最大限に生かし、谷を天然の城塞としておられました」


 ふっと目を細めて、兵衛は言葉を添えた。

 「……白霧谷は、そうした地の利と霊気に守られた、生まれ故郷でございます」


 「こう見ると、大分西に来てるんだな」

 地図の上で自分たちの足跡をたどりながら、ふと現実的な不安が胸に浮かんだ。戦や妖の話は聞いた。だが――この世界で暮らすための、もっと日常的な知識は俺の頭の中にほとんどない。


 「……なあ兵衛。国のことはだいたいわかったけど、俺、正直ここで生きていく知識が圧倒的に足りない。金のこととか、旅の危険とか、そういうのも教えてくれないか?」

 俺の問いに、兵衛は一瞬だけ目を細め、地図から視線を外した。

 そして、静かにうなずく。


 「承知しました。では――まず金のことから」

 兵衛は指で空中に三段の段差を描く。

 「通貨は銅の“文”、銀の“分”、金の“両”が基本。百文で一分、百分で一両です。ただし、戦の近い地や妖被害の多い地では物価が跳ね上がります。米や塩が貨幣代わりになることも珍しくありません」


 「じゃあ、宿とか飯っていくらくらいなんだ?」

 「安宿は一泊二十文、飯は麦飯一膳で三文ほど。」

 (ラーメン一杯三文……いや、ラーメン無いけど)

 「武具は高価で、刀一振りが安くても二十両は下りませぬ」

 俺は思わず心の中で「高っ!」と叫んだ。


 「次に、武器や装備の入手について」

 兵衛は地図のいくつかの町に印をつける。

 「武器は町の鍛冶屋や宿場の武具商で買えますが、領によっては武具の持ち歩きが許可制。関所で没収されることもあります。符や霊薬は祓部の詰所や寺社で手に入りますが、高価です」


 「旅の安全圏は――」

 筆が街道と関所の位置をなぞる。

 「祓部や武装衆が常駐する宿場町までは比較的安全ですが、山道や街道脇は盗賊、野武士、妖の温床。夜の移動は自殺行為です。通行証のない者は関所を通れず、無理に通れば無宿人とみなされ、捕縛されることもあります」


 「身分についても覚えておかねばなりません」

 兵衛の声がやや低くなる。

 「この国は武士、農、工、商、そして異種族や無宿人に分かれます。特に異種族への扱いは領ごとに差があり、同盟派の領地では歓迎されますが、排斥派では迫害されます。身分を証す札を必ず携える必要がございます」


 「情報の流れも重要です」

 「市や宿場は噂の集まる場。寺社や陰陽寮の出先では、もっと確かな情報が得られます。狼煙や飛脚、霊的な通信を用いる場合もありますが、これは大名や陰陽寮が独占しています」


 「最後に――政治について」

 兵衛は大名領に印を入れ、いくつかを丸で囲む。

 「同盟派と排斥派、そして中立派。この三つの勢力図を頭に入れておくことです。若の御家に縁のある者もおれば、仇なす者もおります。誰に近づき、誰を避けるべきか……ここを誤れば、命は幾つあっても足りませぬ」


 そこまで言って、兵衛は茶を一口すすった。

 「以上が、若がこの国で生き延びるために、まず押さえるべき事柄でございます」

 俺は無言でうなずいた。

 (……完全に戦国サバイバルマニュアルだな)


 兵衛の話がひと段落し、湯呑の湯気だけが静かに立ちのぼっていた。そのとき、部屋の隅の布団がもぞりと揺れる。


 小さな影がむくりと起き上がり、まだ眠たげに目を細めながら、てててっとこちらへ歩いてくる。玉藻だ。ふわふわの尻尾をゆらし、迷いなく俺の膝の上へ飛び乗ってきた。


 「……お、おい」

 丸くなった身体が胸元に押しつけられ、やわらかな毛並みと温もりが広がる。さっきまで頭を占めていた戦や妖、物価や関所の話が、すうっと遠ざかっていく。


 兵衛が苦笑し、湯呑を置いた。

 「……どうやら、本日の講義はここまでのようですな」


 俺は玉藻の背をそっと撫で、深く息をついた。

 (……まあ、こういう終わり方も悪くないか)

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