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第22話 社畜、夜明け前まで残業中

 夜の町へと再び踏み出す。肩は重く、足は鉛のようだ。それでも前に進むのは、これが“業務命令”である以上、断れないと知っているからだ。


 提灯の灯が風に揺れ、路地の影を大きく伸ばした。調査官の指示で、俺たちは一列になって北側の堀筋へ向かう。兵衛はいつものように俺のすぐ後ろを守るように付き従っている。美弦は弓を下ろしつつも、矢をすぐに番えられる姿勢を崩さない。玉藻はその前を軽やかに進み、時折尾を立てて左右を探る。


 先ほど、調査官の話を聞きながら、兵法スキルの画面に地形図を呼び出し、印をつけていった。視界の端に、淡い光で地図が浮かび上がる。水路や澱が光点で示され、俺の動きに合わせて線が伸びる。だが――現実の夜道にそれを重ねて歩くと、道の曲がり角が幾重にも絡み合い、あっという間に自分の現在地が心許なくなる。昼間なら目印になるはずの看板や軒先も、今は灯が落ち、代わりに黒い影ばかりが濃く沈んでいる。石畳を渡る夜風が、堀の水気と冷えた鉄の匂いを運んでくるたび、背中にじわりと汗が滲む。


 不意に、足下を黒い影が走り抜けた。玉藻がぴたりと足を止める。


 「……匂いますな」

 兵衛が低く呟く。

 その鼻先に、鉄と湿り気の匂いがかすかに乗った。俺も同じ匂いを感じ、握った槍の柄がわずかに汗ばんだ。澱んだ空気が、どこかの路地から流れてくるようだ。


 俺たちは自然と歩みを緩め、その路地へと向かう。足音が石畳に吸い込まれ、背後の通りの明かりは遠ざかっていく。耳に届くのは自分たちの呼吸と、玉藻の軽い足音だけ。護符の光が、じわりと強まった。


 「……近い」

 そう思った瞬間、奥の闇の中で水音がひとつ、ぽちゃんと響いた。その直後、白い霧が、地を這うように広がってきた。


 兵衛が大太刀の柄に手をかけ、美弦が音もなく弓を引く。俺は槍を半身に構え、玉藻は霧の先を睨みつけたまま動かない。


 霧はゆっくりと濃くなり、石畳の輪郭が溶けるように消えていく。湿った空気が肌にまとわりつき、耳の奥で低いざわめきが響き始めた。――水の流れる音でも、風の音でもない。どこかで人が囁き合っているような、不気味な音。


 「媒介の気配……しかも複数」

 調査官の低い声が背後から届く。その瞬間、霧の中に、黒く細い影がゆらりと立ち上がった。


 「調査官殿……? なんで、ここに」

 思わず声が漏れる。さっき口預所で別れてから、どこをどう通ったら先回りできるんだ。


 調査官は答えず、霧の奥を鋭く見据えたまま言った。

 「息を潜めろ。……媒介が動いている」


 玉藻が低く唸り、護符の光が一段と強まる。霧の向こうで、水音がぽちゃん、と跳ねた。


 霧の奥から、ぼうっと白く縁取られた影が浮かび上がった。人の形にも見えるが、腕も脚も歪に伸び、顔のあるべき場所は真っ黒だ。複数――五つ、いやもっと。


 「囲まれる前に切れ目を作る」

 調査官の声は低く、それでいて揺るぎない。兵衛が一歩前に出て大太刀を構え、美弦が弓の弦を静かに鳴らす。玉藻は牙を剥き、尾を逆立てた。


 霧の中から、くぐもった笑い声が聞こえた。昼間聞いたあの声。喉の奥をくすぐるような、嫌な笑いだ。


 「来たな……」

 槍を握る手に力を込めた瞬間、影の一つが地を滑るように迫ってきた。俺は槍を逆手に返し、石突に巻き付けた護符を地面に叩きつける。ぱん、と乾いた音と共に護符が淡く光り、霧が一瞬だけ後退する。そこへ槍先を突き込み、影を霧ごと押し返した。


 別の影が美弦に迫る。ひゅっと弦が鳴り、符を貼った矢が闇を裂く。命中した瞬間、青白い火花が走り、媒介の形がぐにゃりと歪んで消えた。


 「右!」

 兵衛の声と同時に、大太刀が唸りを上げる。刃が影を両断し、黒い霧が飛沫のように散る。鉄の匂いが一層濃くなった。


 そのとき、玉藻が低く唸り、尾をぴんと立てた。首の護符が明滅し、路地奥――闇の濃い一点を指し示す。

 「……そこだ!」調査官が声を放つと、袖の中から紙札が舞い出た。札は空中で燃え上がり、炎の筋となって霧の中心を貫く。


 短い悲鳴が響き、いくつかの影が一斉に形を崩した。だが霧は引かない。むしろさらに濃く、重くなっていく。玉藻の護符が再び強く光り、次の位置を示した。


 闇の奥で、黒い面の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。昼間の町人――あの笑みを浮かべた術者が、こちらを見ていた。口が動くと同時に、周囲の霧がざわめき立つ。


 「構えを崩すな!」調査官の声が鋭く響き、俺たちはそれぞれの間合いで構え直した。


 黒い面が一瞬だけ光を反射した。次の瞬間、霧が渦を巻くように流れ、術者の姿がすっと掻き消える。

 「逃げる気か!」兵衛が大太刀を構え直すが、すでに視界は真っ白だ。


 玉藻が低く唸り、尾をぴんと伸ばす。護符の光が脈打つように強まり、進むべき方向を示していた。

 「追え!」調査官の短い号令に、全員が同時に動く。


 霧の中では方向感覚が狂う。石畳の感触が時折ぬかるみに変わり、足元から冷気が這い上がってくる。息を吸うたび、鼻腔に水と鉄の匂いが濃くなった。


 玉藻はためらいなく路地を駆け抜け、時に角を曲がり、時に木戸の影をくぐる。その後ろ姿だけが、この白い闇の中で唯一の道標だった。


 「この先、堀筋に出ます!」美弦が弓を抱えたまま叫ぶ。確かに湿った空気が一段と重くなり、水音が近づいてきた。


 やがて霧の向こうに、川面の黒い光がちらりと覗いた。その手前、木橋のたもとで、黒い面の影が立ち止まる。こちらに振り向き、あの昼間と同じ笑みを――


 「捕らえる!」

 兵衛が大太刀を振り上げ、俺は槍の石突を構えて踏み込んだ。その刹那、術者は橋板を蹴り、黒い霧をまき散らして再び走り出す。


 玉藻の護符が、さらに強く光った。まだ追える――そう直感した俺たちは、一斉に橋へ飛び込んだ。


 橋を駆け抜け、川沿いの細道へ。水面を照らす月明かりが、霧の中で白く揺れている。黒い面の術者は軽やかに飛石を渡り、対岸へ逃げようとしていた。


 「回り込む!」調査官の声が飛ぶ。美弦が瞬時に右へ逸れ、路地の上から狙いをつける。兵衛は俺と並び、低く構えて一直線に突き進む。


 玉藻の護符が脈動を早める。もう距離はわずか――石突の先の護符も、相手の霊力に反応して熱を帯びてきた。


 術者が振り返り、手を払うと霧の中から黒い影が飛び出す。形を持たぬ腕が蛇のように絡みつこうと迫るが、兵衛の大太刀が一閃し、影は霧散した。その隙に俺は前へ踏み込み、石突を突き出す。


 護符が閃光を放ち、石突が術者の脇腹を捉えた瞬間、重い手応えと共に霧が一気に吹き飛ぶ。黒い面がぐらりと傾き、術者は川辺の石畳に崩れ落ちた。


 「今だ!」

 美弦の矢が肩を射抜き、調査官が素早く封札を叩きつける。札の紋が淡く光り、術者の体を縫い止めた。


 術者は短く息を吐き、動かなくなる。霧が完全に消え、川面に月が静かに映った。玉藻の護符も光を失い、尾をゆるりと下ろす。


 「……確保完了だ」調査官が低く言う。その声に、ようやく俺は握っていた槍を下ろした。夜風が頬を撫で、戦いの熱を冷ましていく。


 術者をうつ伏せに倒したまま、調査官が封札を幾重にも重ねる。札の紋が青白く輝き、術者の体からは細い霧がじゅう、と音を立てて抜けていった。

 「もう動けまい。……身元を改める」


 兵衛が面を外すと、中から現れたのは三十そこそこの男。頬はやせこけ、唇は紫がかっている。だが目だけはぎらつき、俺たちを一瞥するとすぐに逸らした。

 「見覚えは?」調査官が短く問う。

 「昼間の水桶の町人です」俺は即答した。


 ――ステータス。頭の中で呼びかけるが、視界の端に何も浮かばない。媒介や妖なら数値や属性が見えるはずなのに、目の前の男については、ただの「???」のままだ。やはり、名前が分からないと駄目なのか……?


 懐や袖、腰回りを調べると、干からびた小魚、霊墨の染みた布片、そして掌に収まるほどの黒い符が出てきた。符には複雑な文様が描かれ、どこか禍々しい光を帯びている。


 ――この符、見たことがある。脳裏に、火と煙、崩れ落ちる屋根と共に見た、あの夜の光景がよみがえる。


 ――――――――――

 名称:式神符(黒)

 種別:呪符

 品質:高

 効果:

 ・霊核との同調による式神召喚

 製法:

 ・霊墨に特殊な血液を混ぜ、独特な文様を描く

 備考:

 ・ある一派が用いる独自の符。使用者の霊力を媒介に変換し、術の規模を拡大する

 ・長時間の使用は使用者の霊力枯渇や精神汚染の危険あり

 ――――――――――


 「……兵衛、この符……」

 俺が声をかけると、兵衛はじっと符を見下ろし、眉間に皺を寄せた。

 「間違いありません。我らの仇――黒蓮のものとよく似ております」

 兵衛の声は低く、かすかに震えていた。


 「黒蓮?」調査官が目を細める。

 「非公認の陰陽術師集団がいると聞いたことがあるが……それのことか」


 兵衛は低く息を吐き、言葉を選ぶように続けた。

 「若の父君は、小国なれど領主であられました。しかし黒蓮と名乗る陰陽師どもに城を襲われ……我らは若をお救いするのが精一杯。領は奪われ、家臣も散り散りになり、残ったのは仇討ちと家名再興の誓いのみ」


 調査官は長く黙し、やがて符を懐にしまいながら言った。

 「……そのようなことがあったとは。本件のこともある。こちらでも黒蓮について調べることとしよう」


 川面を渡る夜風が、捕らえられた術者の髪を揺らす。俺は槍の石突に巻いた護符を見下ろし、あの黒い符の感触を忘れまいと握りしめた。


 調査官は封じ札を重ねた術者を部下に引き渡すと、川面に視線を投げた。東の空はまだ墨を流したように暗いが、その端にわずかに白さが混じり始めている。


 「……夜明けまで、まだ幾ばくかある」

 低い声に、俺たち三人は自然と背筋を伸ばした。

 「今のうちに、印を付けた澱を可能な限り潰しておく」


 「この男の仕込みが他にも残っている可能性が高い、ということですな」兵衛が確認する。

 調査官は短く頷き、地図を広げて川沿いのいくつかの要所を指先で叩いた。

 「媒介は霧と冷気を帯びている。その狐の護符が反応すれば即座に知らせろ」


 玉藻はまるで言葉を理解したかのように尾を立て、路地の奥を見据える。その目の光に、俺の胸は少しだけ軽くなった。


 捕らえた術者は部下が連行し、俺たちは再び四人と一匹で暗い町を駆ける。石畳を叩く足音と、時折響く夜鳥の声だけが耳に残る。水辺に近づくたび、吐く息が白くなり、護符の光がわずかに強まった。


 一つ、また一つ。澱の中に潜む媒介を破壊していくたび、川面の霧が少しずつ薄れていく。夜明けまでにすべて終わらせられる保証はない。だが、やれるだけやらなければ、明日はもっと多くの町人が巻き込まれる。


 東の空が朱に染まり始めた頃、最後の澱で護符が静かになった。深く息を吐く俺の横で、兵衛が穏やかに言う。

 「若、本日の分はこれで終いでしょう」


 調査官は川の流れを一瞥し、短く告げた。

 「よくやった。……これで一件が片付けばよいがな」


 「そういえば調査官殿、どうしてこちらに来られたので? それも先回りするような形で」


 調査官は問いにすぐには答えず、川面に漂う薄霧を見つめたまま、しばし沈黙した。やがて視線をこちらに戻し、低く言う。

 「……口預所を出たあと、別動の者から報せがあった。北側の澱に動きあり、とのな」


 「それで、俺たちより先に」

 「町の構造は熟知している。堀と川の合流から回り込めば、お前たちの進路より早く着ける」

 その口調は淡々としていたが、長年この町を歩き尽くした者にしか持ち得ぬ確信がにじんでいた。


 美弦が矢筒の位置を直しながら、低く呟く。

 「……つまり、術者の動きも、ある程度は読めていたわけだ」

 調査官は否も肯も示さず、足元の媒介の欠片を白木の箸で拾い上げると、握りつぶすようにして粉にした。


 「今回の件、西裏の“核”と繋がりがあるのは間違いない。だが、まだ断片にすぎぬ」

 その声は、夜明け前の川風よりも冷たく響いた。


 兵衛が横目で俺を見る。

 「若……これで終わったわけではございませんな」

 分かっている。夜が明けても、戦いは続く――その予感が、胸の奥で重く沈んだままだった。


 【兵法スキルの熟練度が上昇しました】

 【槍術スキルの熟練度が上昇しました】

 【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました】




 日が昇る頃には、川面の霧もすっかり晴れ、石畳に朝の光が差し始めていた。俺たちは足を引きずるようにして、口預所へ戻る。


 重い木戸を押し開けると、昨夜も顔を合わせた役人が目を丸くした。

 「戻られましたか……では、任務の報告を」


 調査官が俺たちの横に立ち、淡々と経過を語る。捕らえた術者の身元、押収した媒介、そして澱の破壊。時折こちらに視線を送りながらも、その声は終始揺るがない。


 役人たちは一通り聞き終えると、何やら帳面を確認し、奥から包みを持ってきた。

 「今回の働きは大きい。調査官殿からの口添えもあったゆえ、通常より色を付けた」

 差し出されたのは、掌からはみ出すほどの厚みを持つ銀子の袋だった。中で板銀がぶつかり合い、じゃらりと低い音を立てる。重さはおそらく一分銀で二十枚前後――前回の小鬼退治の三倍以上だ。加えて、町で使える食料券が束になって添えられていた。


 銀子の重みが掌に伝わるたび、腰の疲れが少し和らぐような気がする。兵衛は深く頭を下げ、美弦は淡く笑って礼を述べた。玉藻は袋の匂いを一嗅ぎしてから、ふいっとそっぽを向いた。

 「……お前、食えないと分かったら興味なしか。」


 調査官は俺達に視線を向け、低く告げた。

 「次も、期待している」


 ……やっぱり、まだ終わりそうにない。肩が自然と落ち、ため息が漏れる。戦いは一応の区切りを迎えたはずなのに、胸の奥では次の夜の足音がもう響き始めていた。

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