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第13話 社畜、変身する

 俺はなりかけの間合いに踏み込まず、槍を滑らせるように突き出す。穂先が奴の脇腹をかすめ、赤黒い血が散った。すぐに引き、次の構えへ。 槍の柄が掌に食い込み、節の硬さが骨を震わせる。汗がじわりと滲み、握りが滑らぬよう力を込めるたび、腕の筋肉がひきつった。


 兵衛は俺のすぐ横、半歩前を行く。大太刀を低く構え、俺の槍が空間を切り開いた瞬間に踏み込む。大地を蹴る音と同時に、銀の刃が閃き、鬼の脇腹を浅く裂いた。 切り抜けざまに半歩下がり、また俺が前に出る。


 ――まるで、長く稽古を重ねた舞の相方と動いているようだった。呼吸のリズムが、戦場のざわめきと重なり、一瞬ごとに整っていく。 互いの足音が石畳に同じ間隔で響く。踏み込みと退き、切り開きと斬り込み――そのリズムが、鬼の呼吸を狂わせていく。


 周囲でも動きが変わり始めていた。 左からは短槍を持った若い祓部が、間合いを外さぬよう低く構え、素早く突き込む。右手からは刀を持つ男が、斜めに切り込み、すぐに退いてまた間を詰める。 鬼は正面の兵衛だけでなく、左右からの刃にも対処せざるを得なくなり、腕を大きく振る動作が増えた。動きが重い。


 「……効いてるぞ」

 誰かが息の合間に小さく言った。その声が、不思議と全員の胸に響く。


 再び俺の槍先が鬼の膝を狙い、ほんの一瞬、奴の脚が沈む。すかさず兵衛の刃が肩口をかすめ、血飛沫が夜明けの光を弾いた。鬼は低く唸り、片目を細めた。額からも、首筋からも、黒い液が滴っている。


 息遣いが荒い。鬼の喉から漏れる呼吸は、先ほどまでの獣の咆哮というより、熱を持った金属を冷水に浸けたような、ひび割れた音を帯びていた。足運びが乱れ、時折よろめく。背中の筋肉が震え、動作がわずかに遅れる。


 (……追い詰めてる。確実に)

 この距離、この連携、この流れなら――押し切れる。そう思わせるほど、鬼はじりじりと下がり始めていた。


 祓部たちも、互いの動きに合わせて包囲を狭める。踏み込みの音が石畳に連続して響き、刃と刃の間を鬼が右往左往する形になった。刃が肩を裂き、槍が太腿を打ち、短刀が腕に食い込む。浅い傷ばかりだが、確実に溜まっていく。


 兵衛の目が細まり、低く言葉を漏らす。

 「若、このまま崩しますぞ」

 「……ああ」

 俺の返事は、思わず熱を帯びていた。


 鬼の咆哮が一瞬、細くなる。胸が大きく上下し、膝が沈む。肩越しに見える祓部たちの表情も、恐怖より手応えが勝っていた。

 (もうすぐだ――)


 その刹那。


 なりかけが耳を裂くような咆哮を上げる。瞬間、蒼黒い気を放ちながら全身の筋肉が膨れ、骨が軋む音さえ聞こえた。背丈が一回り大きくなり、牙がさらに伸びる。

 「……ほんとの鬼になりやがった!」

 誰かが声を上げた。


 押していたはずの陣形が、一撃ごとに崩されていく。大太刀で受け流した兵衛の足元が滑り、横合いの祓部が吹き飛ばされる。


 「こいつ……もう妖怪級に片足突っ込んでやがるんじゃないか」

 弱気な声があちこちから漏れ始めた。


 その時、壁際で膝をついていた少女が、ゆらりと立ち上がった。左手に符、右手に弓。符を矢に結びつけ、口の中で何事かを呟く。次の瞬間、矢尻が淡く光り、弓弦の音とともに鬼の胸へ一直線に飛んだ。炸裂する符の光に、鬼が一瞬ひるむ。


 だが、鬼はすぐに踏み込んだ。符の光に包まれた胸から黒煙を上げながらも、爛々と輝く目は決して死んではいない。少女が再び弦を引こうとした瞬間、その巨体が影のように迫った。


 「危ない!」

 俺は咄嗟に槍を構えたが、距離が足りない。鬼の腕が振り下ろされ、少女は横へ転がってかろうじて直撃を避けた。土と埃が舞い、符袋が地面に散らばる。


 息を荒げたまま少女は俺を見た。その目には恐怖よりも――「まだやれる」という強い光があった。


 (……何か、俺も動かなきゃ)

 胸の奥が焦りで締め付けられる。だが、槍を握る手がわずかに震え、視線が鬼の異様な膨れあがった肩と牙に吸い寄せられる。


 そのときだった。背後から、かすかな「きゅ」という鳴き声。振り返ると、玉藻がこちらをじっと見ていた。


 琥珀色の瞳が、どこまでも深く澄んでいる。――覚悟はあるか、と問われているような感覚。逃げ場のない視線に、心臓がひとつ強く脈打った。


 俺が無言で頷いた瞬間、玉藻の毛並みがふわりと逆立ち、柔らかな蒼い光が全身から溢れ出す。それは空気ごと揺らしながら、波のように俺を包み込んだ。


 【スキル・共鳴 発動】


 視界が白く塗り潰され、音が遠くなっていく。耳元で「しゃらら……」と風鈴のような音が響き、同時に胸の奥に温かい何かが流れ込んできた。


 次の瞬間――世界の輪郭が変わった。鬼の吐息が熱と匂いを伴って押し寄せ、筋肉が収縮するわずかな音まで聞こえる。足裏からは地面のひび割れや石の感触が細かく伝わり、遠くで飛ぶ一羽の雀の羽音すら感じ取れた。


 視界の端で何かが揺れる。……白銀色の毛が、俺の視界に垂れている。


 思わず手を伸ばすと、そこには柔らかな毛並み――耳だ。自分の頭の上に、生まれて初めて感じる狐耳が二つ、ピクリと動いていた。背後では、腰から伸びた尻尾が二本、ゆらりと揺れているのがわかる。


 全身を駆け巡る力は、恐怖を上塗りするようなものではなかった。むしろ、研ぎ澄まされた狩人の本能と、冷えた刃のような静けさが同時に宿っていく。


 鬼の動きが遅く見える。その呼吸、その視線、その爪の角度――すべてが、手に取るように読めた。


 「……行ける」

 低く、誰にも聞こえない声が喉から漏れた。握りしめた槍が、まるで自分の一部のように軽く感じられた。


 次の瞬間、なりかけの腕が振り下ろされる。それが来ると同時に、体が勝手に動いていた。槍の石突で地面を蹴り、横へと滑り込む。鬼の爪が空を切り、風圧だけが頬をかすめた。


 間合いの外から、斜め下へと鋭く突く。鬼の太腿に刺さりかけた刃が、硬い筋肉で止められる――が、そのわずかなひるみを兵衛が見逃すはずもない。俺の槍先が離れた瞬間、兵衛が大太刀を袈裟懸けに振り下ろし、鬼の肩口を裂いた。


 「今だ、押せ!」

 左右から祓部たちが殺到する。刀が腕を裂き、槍が脇腹を穿つ。鬼はのたうち、咆哮を上げるが、すでに動きが乱れていた。


 だが――それでも倒れない。鬼は血飛沫を振り撒きながら、反撃の突進を繰り返す。一撃で二人が吹き飛ばされ、地面を転がった。


 (このままじゃ……まだ足りない)

 呼吸を整え、再び槍を構える。共鳴した感覚が、全ての動きを導いてくれる。


 俺は鬼の正面に立ち、槍をゆっくりと前へ突き出した。挑発するように間合いの外で槍先を揺らすと、鬼の黄色い眼がギラリと光る。次の瞬間、予想通り、真正面から突っ込んできた。


 「――今だ!」

 鬼の視線が俺に釘付けになったその瞬間、側面から少女の矢が放たれる。矢に括られた符がまばゆく光り、鬼の耳元で炸裂。鬼が悲鳴を上げ、巨体がよろめいた。


 すかさず兵衛が背後へ回り込み、大太刀を腰の高さで振り抜く。刃が深々と食い込み、鬼の膝が崩れた。


 「押し切れぇぇ!」

 祓部たちの一斉の掛け声とともに、槍と刀と矢が雨のように降り注ぐ。


 最後に、俺は腰を沈め、霧足で踏み込む。地を撫でる足取りとともに、腹の底から細く息を吐く。低く構えた槍が揺らぎの中に沈み――次の瞬間、跳ね上がるように突き出された。


 「霧霞流――《霧突き》!」


 幻のように揺れる槍影が鬼の目を惑わせる。だが、ただ一筋の芯だけが迷わず進み、喉の隙間を穿った。


 抵抗は一瞬。骨を断つ感触が手に伝わり、鬼の濁った目が大きく見開かれる。そのまま巨体は崩れ落ち、土煙が舞った。


 土煙がゆっくりと晴れていく。全員が息を荒げながらも、立っていた。


 狐耳の先で、風がそっと揺れた。玉藻が俺の足元で「きゅ」と短く鳴き、光がすっと引いていく。耳も尻尾も消えたが、あの感覚はまだ胸の奥で確かに燃えていた。


 鬼が崩れ落ち、土煙が静かに広がっていく。あたりには、荒い呼吸と、血の匂いが残っていた。


 俺は槍を杖代わりにしながら、その場に立ち尽くす。玉藻が足元で小さく「きゅ」と鳴いた。


 視界の端に、淡い光の板がふわりと浮かび上がる。


 【槍術スキルの熟練度が上昇しました】

 【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました】

 【共鳴スキルを習得しました】


 板が消えると同時に、胸の奥でまだ燃えている何かを感じた。――あの耳と尻尾が生えた感覚は、夢でも幻でもなかった。玉藻がこちらを見上げ、満足そうに尻尾を一振りした。




 なりかけが崩れ落ち、黒い煙になったと同時に、蔵の中の空気がわずかに軽くなった気がした。祓部たちは互いに視線を交わし、誰からともなく武器を下ろす。俺は深く息を吐き、槍の石突きを地面に着けたまましばらく動けなかった。


 「……終わったのか」

 誰かがそう呟く。だが、兵衛は大太刀を納めず、蔵の入口を鋭く睨んでいた。


 「若、油断は禁物にございます」


 縄と護符で封じられていた扉は、戦闘中に半ば破れ、わずかに口を開けている。そこから流れ出す空気はひやりとしていて、ほんのわずかに金属を焦がしたような匂いが混じっていた。


 兵衛が一歩前に出て、扉を押し開ける。中は薄暗く、外光が届くのは入口付近だけだ。奥へ進むほど闇が濃く、何かが息を潜めているような錯覚を覚える。


 足を踏み入れた瞬間、俺は違和感に気づいた。本来、小鬼や妖は討伐されれば霊核だけを残して煙のように消えるはずだ。だが、土間には干からびた小鬼の死骸が転がっていた。皮膚は干し肉のように縮み、骨が浮き出し、何かを噛み千切られたような跡がある。


 「……これは」

 横にいた年かさの祓部が、低く吐き出すように言った。

 「共喰いの跡だ。鬼の成りかけは、こうして生まれたか」


 鼻をつくのは古米の甘い匂いに混じった、血と腐臭。壁際の木棚の上には、半ば開いた木箱が置かれており、その中には漆黒の玉のようなものがいくつも転がっている。


 「霊核……にしては、形が……」

 俺が近づこうとすると、玉藻が短く鳴き、俺の足首にしがみついた。その瞬間、ぞわりとした寒気が背筋を走る――やめろ、と言われているような感覚だ。


 その時、後ろから少女の声が飛んだ。

 「待って!」

 軽く息を切らしながら、少女が歩み寄ってくる。符袋から一枚の護符を抜き、木箱の上でひらりとかざすと、護符の墨がじわりと滲んだ。


 「……やっぱり。これは霊核じゃない、人の魂を封じた核よ」


 ――――――――――

 名称:封魂核

 種別:禁呪物

 品質:不明

 効果:強力な妖の召喚・償還などの触媒として利用可能。

 入手条件:不明

 備考:強制的に魂を引き抜き封入したもの。封印が解ければ周囲に悪影響を及ぼす危険大。

    直接触れると魂を吸い取られる危険あり。

 ――――――――――


 少女の言葉に、周囲の祓部たちは短く頷き合った。年かさの男が一歩前に出て、渋い声で告げる。

 「……この件、口預所へ即報告だ。放っておけばまた被害が出る」

 その場で手早く打ち合わせがなされ、数人の祓部が蔵を離れて駆け出していく。


 残った俺たちは、現場が荒らされないよう蔵の周囲で待機することになった。戦いの熱気がまだ肌に残る中、数人の祓部が鬼たちの死骸――いや、黒い煙となって消えた跡を一つ一つ確認して回った。小鬼のいた場所には、蒼い光を放つ霊核がいくつも転がっている。傷を負った者が拾い集め、腰袋や木箱に収めていく。


 「なりかけのは……これか」

 ひときわ大きな蒼い光が、土埃の中に沈んでいた。拳ほどもある霊核だ。その隣には、白く乾いた一本角が転がっている。鬼の額から折れ落ちたものだろう。表面は陶器のようになめらかで、触れるとひやりと冷たい。


 年かさの祓部がそれを指し示し、俺の方へと歩いてきた。

 「止めを刺したのはお前だ。それは持っていけ」

 思わず手の中で重みを確かめる。冷たさの奥に、何か脈打つような感触があった。


 ――視界に、例の光の板が浮かび上がる。



 名称:霊核(鬼・なりかけ)

 種別:素材(陰陽術/薬術/錬成術)

 品質:中級

 効果:

 ・陰陽術の儀式に使用可能

 ・式神の核として組み込み可能

 ・粉末化し調合すると気力回復効果

 入手条件:なりかけを討伐

 備考:核を失った妖は完全に消滅する。



 名称:角(鬼・なりかけ)

 種別:素材(陰陽術/薬術/錬成術)

 品質:中級

 効果:

 ・陰陽術の符や式神の強化素材

 ・武器に加工すると斬撃に「妖気・小」を付与

 ・粉末化し調合すると滋養強壮効果大

 入手条件:なりかけを討伐時、稀に入手可能

 備考:成長途中の妖の角。霊核と併用で高品質素材に錬成可能



 光の板が霧のように消え、俺はそれらを慎重に袋へしまい込んだ。

 (……またひとつ、この世界の“現実”を手に入れたな)



 ふと、隣から声がした。

 「……危ないところを助けられちゃったわね」

 振り向くと、例の少女が弓を片手に立っていた。矢筒は空で、額には土埃がついている。それでも、猫のような目元はどこか誇らしげだった。


 「これじゃ、どっちが新人かわからないわ」

 挑発めいた笑みと共に言われ、少し言葉に詰まる。


 「いや……符の扱い、すごかったな」

 正直にそう口にすると、少女は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから肩をすくめた。

 「お世辞でも悪くないわね」


 俺は懐から、一枚の護符をそっと取り出した。黄土色の紙に、まだ墨の香りがかすかに残っている。

 「……昨日作ってみたんだ。でも、使い方がわからないままなんだよ」

 護符の端には、小さな黒い足跡――玉藻のいたずらの痕が残っている。


 少女はそれを覗き込み、口元を緩めた。

 「ふうん、意外と線はきれいじゃない。あとは力の流し方と起動の仕方を覚えれば、ちゃんと使えるわ」

 そう言って、護符を指先でひらりと返す。


 「じゃあ……お礼に、少し教えてあげましょうか?」

 その声音は、からかうようでいて、どこか楽しげだった。


 玉藻が少女を一瞥し、尻尾をふわりと揺らした。それは歓迎とも、警戒とも取れる仕草だった。


 俺は思わず頷く。背後で玉藻が「きゅっ」と短く鳴き、また尻尾を二本揺らした。どこか、次の戦いに向けた空気が、またゆっくりと動き始めているような気がした――。

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