第12話 社畜、初めての任務に向かう
まだ夜気の残る空気の中、軒先の桶で顔を洗う。冷たい水が頬を打ち、眠気と残り香の夢を一気に洗い流してくれた。
部屋へ戻ると、兵衛が槍の穂先を布で磨きながら言った。
「若、本日の相手は前にも遭遇した小鬼。油断なされますな」
「わかってる」
腰袋から依頼書を取り出し、ふと思い立って視界に意識を集中させる。
――【ステータス】。
目の前に淡い光の板が浮かび上がり、その中にいくつかの項目が並んだ。下へと指先を動かすと、「妖怪等級一覧」という見出しが現れる。
【妖怪等級一覧】
① 魑魅級 …最下層の妖。人家に入り込む小動物型・付喪神・音鳴りなど、個体の脅威は小さい。
② 魍魎級 …動物レベルの脅威。集団で現れ、人家を荒らすこともある。主に本能で行動。
③ 変成級 …人や獣が変異した妖。凶暴性が高く、奇怪な能力を持つ。
④ 妖怪級 …意志と知性を持ち、術を使う個体も多い。人語を解することも。
⑤ 魔性級 …強い妖気で人心や自然を乱す中上位妖。熟練の退魔師を要する。
⑥ 禍祟級 …災いや祟りの象徴。土地や血脈に因縁を残す。
⑦ 霊災級 …自然霊に近い支配的存在。“領域”を持つ。
⑧ 災厄級 …国や軍を滅ぼす規模の妖神。存在するだけで災いを広める。
⑨ 幽世級 …幽世と現世を往来する境界の存在。理を超えた希少かつ強大な妖。
⑩ 神妖級 …神に等しい霊格を持つ“異”の象徴。
今回の依頼先――西裏の蔵に出る小鬼は、②魍魎級。十段階の中では下から二番目だが、前に戦った時のことを思い出せば、油断すれば牙や爪が肉を裂くのも容易い。
そういえば昨日、受付の書記が言っていた。上級祓部が対応するのは、妖怪級の後半から魔性級まで。では、その先――禍祟級や霊災級、まして災厄級や幽世級ともなれば、どうなるのか。……この世界のことはまだよく分からないが、一つの町や国だけでは手に負えないはずだ。領主とか朝廷とか――詳しくは知らないが、そういう偉いところが正規の祓部衆や陰陽寮を動員して対処するのだろう。考えただけで、背筋に冷たいものが走った。
板の表示が消えると同時に、兵衛が槍の穂先を軽く鳴らした。
「さて、若。武具、符と薬草、すべて整っておりますな」
「うん、あとは現場へ行くだけだ」
兵衛が俺の胸元をちらと見やる。
「その護符……昨夜の足跡入りのままでございますな」
「……きっと縁起物だ」
小さく笑って懐を押さえた。
兵衛が腰を下ろし、鞘から大太刀を静かに引き抜いた。朝の光を受けて、刃文がゆらりと揺れる。油布を取り出し、刃全体に薄く油を引き、反りに沿って丁寧に拭き上げた。最後に鞘へ納めると、軽く柄頭を押して収まりを確かめる。
「……よし」
低く呟き、兵衛は立ち上がる。
俺も腰帯を締め直し、袋の口を確かめる。懐の護符を指で押さえ、槍の石突を軽く床に打って手の感触を確認した。玉藻は俺たちの周りをぐるぐる回り、ときおり足元にすり寄ってくる。
宿を出ると、ひんやりとした朝の空気が肌を撫でた。東の空は薄桃色に染まり、通りの石畳には昨夜の露がまだ残っている。行商人が店先に荷を並べ、茶店からは煎れたての茶の香りが漂ってきた。遠くで荷車の軋む音と、呼び込みの声が交じり合い、町が少しずつ目を覚ましていく。
道端では、朝餉を終えた武士風の男たちが武具を背負い、口預所の方角へ歩いていく。その中には、昨日見かけた顔もちらほら。俺と兵衛も足を揃え、西裏へと向かう通りに入った。
玉藻は肩の上で耳をぴくりと動かし、何かを探るように町の匂いを嗅いでいる。
(さて……初仕事だ)
胸の奥で静かに息を吸い込み、歩を進めた。
集合場所に着くと、すでに数人の祓部が集まっていた。槍や弓を手に、互いに軽く挨拶を交わしながら準備を整えている。
その中に――見覚えのある顔。昨日、口預所で小鬼討伐の札を掲げていた、あの生意気そうな娘だ。あちらもすぐに俺たちに気づいたらしく、猫のような目を細めて近づいてくる。
「ほんとに来たのね。……自信過剰じゃないといいけど」
挑発めいた声音に、胸の奥がむっと熱くなる。
「心配はいらん。やるべきことは心得ている」
淡々と返すと、彼女は「ふうん」と鼻を鳴らし、背を向けた。
やがて日が少し高くなった頃、年かさの男が前に出て声を張る。
「よし、全員そろったな。これより西裏の蔵に向かう。遅れを取るなよ」
掛け声とともに、祓部たちは武具を握り直し、一列になって路地を進み始めた。俺と兵衛もその後に続く。
西裏は、町の表通りからいくつも路地を抜けた先にある、古い土蔵や倉庫が建ち並ぶ一角だ。米や塩、酒樽を保管するための建物が多く、昼間でも人通りは少ない。蔵の白壁はところどころ煤け、瓦屋根には枯れ草が引っかかっている。
足元の石畳はひび割れ、雑草が隙間からのぞいていた。風が抜けるたび、どこからともなく古米の甘い匂いと、かすかな獣臭が混じったような匂いが漂ってくる。
(……この匂い、覚えがあるな)
前に山道で遭遇した小鬼の気配を、わずかに思い出す。
石畳の隙間から伸びる草を踏みしめながら歩いていると、前方でこちらを振り返る視線を感じた。昨日の少女だった。短く顎を上げるだけで、何も言わない。代わりに、腰の符袋を軽く叩いて見せる。
(……準備はできてる、ってことか?)
俺も軽くうなずき返す。言葉はないが、互いに相手を測るような空気が一瞬だけ流れた。
やがて目的の蔵が見えてきた。正面の扉は固く閉ざされ、外側から縄で十字に縛られている。縄の上からは護符が何枚も貼られていたが、そのいくつかは端が剥がれ、墨の線が薄れていた。
「こいつが、件の蔵だ」
年かさの男が顎で示す。
「昨夜も中から物音がしたと番人が言っている。中に入るのは二組ずつ。外は残りが警戒にあたる」
近くで見ると、縄の護符には薄く爪痕のような傷が走っていた。風が吹くたび、紙の端がはらりと揺れる。墨の香りと古い土の匂いが鼻をくすぐり、胸の奥に緊張が芽生える。
兵衛は大太刀の柄に手を置き、静かに目を細めた。少女は少し離れた位置で弓を構え、軽く弦を弾いて張りを確かめる。その低く澄んだ音が、張りつめた空気に溶けて消えた。扉から目を逸らさない。誰もが、これからの一瞬に備えて息を詰めていた。
縄を解く音が、やけに大きく響く。護符が一枚、ひらりと剥がれて地面に落ちた。年かさの男が最後の結びをほどき、両手で扉の取っ手を握る。ごう……と、奥から冷たい空気が押し寄せるのがわかった。
「開けるぞ」
短く声をかけると、男はぐっと力を込める。
――ぎぃ、と重く軋む音。闇が、口を開けた。
まず耳に届いたのは、乾いた木箱がわずかに擦れるような音だった。続いて、湿った藁と古米の甘い匂い……その奥に、鼻の奥を刺すような獣臭が混じってくる。
(……やっぱり、あの山道で嗅いだ匂いだ)
暗がりの奥で、低く唸る音。少女が弓を構えたままささやく。
「……いるね」
次の瞬間、闇がはじけた。小鬼だ。背を丸め、長い腕で鉈を地に擦るように振り回しながら突っ込んでくる。
「来るぞ!」
誰かの声と同時に、弓弦が弾け、矢が先頭の小鬼の肩に突き刺さった。
だが止まらない。脇から飛び出してきた別の二匹が、土埃を蹴って迫る。兵衛が一歩踏み込み、大太刀を横に払った。鋼が空を裂き、近づいた一匹の喉を断つ。俺も槍を握り直し、霧足を意識しながら前に出た。膝を抜き、足裏で地を撫でるように運ぶ。自分では安定しているつもりなのに、外から見れば揺れ動いているような足取りになる――それが霧足。
「はっ!」
霧の揺らぎに惑わされた小鬼の目が、一瞬、焦点を失う。その隙を突き、槍の穂先が胴をかすめた。皮膚が裂け、黒い血が飛び散る。
懐の護符が、衣越しにわずかに温もりを帯びているのを感じた。
(……頼むから、今日はこいつの出番が来ませんように)
そんな祈りを胸に、俺は槍を構え直す。
まだ蔵の奥から、低く響く唸り声が漏れてくる。
入り口付近では、残りの小鬼が断続的に飛び出してきた。その数は、先日の山村で遭遇した時よりも明らかに多い。槍の穂先を突き出すたび、骨に当たる鈍い感触が腕に伝わる。兵衛の大太刀が横薙ぎに走り、別の一匹の胴を断った。
矢が唸りを上げ、少女の放った一本が後方の小鬼の喉を貫く。それでも、奥から次々と影が溢れ出る。
「多いな……!」
息を切らしながらも、俺たちは全員で必死に押し返した。
やがて、最後の一匹が喉を裂かれて崩れ落ちた。土埃と血の匂いの中で、短い静寂が訪れる。
そのとき、足元で「きゅっ」と短く鳴く声。玉藻だった。じっと蔵の奥を見つめ、耳をぴんと立てている。
(……何かいるのか?)
玉藻は視線だけで俺に何かを訴え、尻尾をぴくりと振った。
次の瞬間、奥の闇がぐらりと揺れた。梁がきしむ低い音が響き、土埃がぱらぱらと落ちる。巨体が影を押しのけて姿を現す。踏み出すたび、石畳が微かに震えた。それは小鬼の姿をしていながら、背丈は倍以上。肩から覗く筋肉は岩のように盛り上がり、顔は歪みきって牙が露わになっている。すでに“小鬼”ではなく、“鬼”のなりかけと呼ぶべき存在だった。
視界の端に、淡い光の板が浮かび上がる。
――――――――――
名前:――
種族:鬼
年齢:推定3歳
階級:【変成級】★★★☆☆☆☆☆☆☆
属性:陰/獣
スキル:
・体術【修練】
・索敵嗅覚【熟練】
・突進【修練】
・執念【修練】
・共喰い【修練】
・鬼化【初伝】
――――――――――
(……一つ上の階級、変成級か)
背中に冷たい汗が走る。小鬼の延長だと思っていたものが、まるで別物の怪物に見えた。初任務で、いきなりこいつとやるのか――胸の奥がきしむ。
「小鬼って感じじゃなさそうだ! 気を付けろ!」
誰かの叫びが響き、全員が武器を構え直す。
先手を取ったのは少女だった。弓弦が高く鳴り、矢が一直線に鬼の片目を射抜く。黒い液が飛び散り、鬼は顔をのけぞらせ――だが、止まらない。獣じみた咆哮を上げ、一直線に少女へ突進してきた。
「っ――!」
避けきれず、少女は肩から吹き飛ばされ、土蔵の壁に叩きつけられた。口から息が漏れ、体が一瞬くの字に折れる。弓が手から滑り落ち、指先がかすかに震えていた。
「おい!」
俺は槍を握り直し、兵衛と目を交わす。
「若、行きますぞ!」
「応!」
地を蹴り、俺たちは鬼めがけて一気に踏み込んだ――。
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