アークの口髭
「だ、大地くん……そ、それって……」
鉱山から戻った大地の胸元を見つめ、美萩が目を輝かせた。
その熱い視線に、大地は思わず一歩後ずさる。
「今夜は……洗いね♡」
「ゴクッ……あ、洗いって……い、一緒に、ですか?」
「……あら?」
美萩は小首を傾げると、いたずらっぽく口元を緩めた。
「私とじゃ……いや?」
ゆっくり、ゆっくりと距離を詰めてくる。
大地の心臓は、格闘技の試合前よりもうるさいくらい鳴り響いていた。
「ふふっ、大人しい……いい子ね」
「そ、そんな……美萩さん、ダメです! ダメですよ!」
思わずギュッと目を閉じる大地。
――まさか、こんな急展開があるなんて!
しかし、そんな大地の期待(?)とは裏腹に、美萩の手は胸元へと伸びていく。
その瞬間だった。
パチッ。
パチパチパチッ!!
「きゃあっ!」
青白い電光が弾け、大地の胸元から火花が散る。
美萩はビリッと痺れて尻餅をついた。
「いったぁ~い!」
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄る大地。
「イタタ……もう、大地くん。それ、普通のナマズじゃないのね」
大地は美萩の手を取り、立ち上がらせる。
「ナ、ナマズ? アークのことですか? えっ、美萩姉さん……もしかして、洗いって……アークを食べようとしてたんですか?」
「……え?」
今度は美萩が固まる番だった。
「だ、大地くん。食べる以外にどうするの?」
「え?」
「え?」
二人の間に、何とも言えない沈黙が流れる。
やがて美萩の頬が、みるみる真っ赤に染まっていった。
「も、もしかして大地くん……違うこと想像してた?」
「ち、違っ! いや、その……違わないというか、違うというか……!」
耳まで真っ赤になって慌てふためく大地。
「す、す、す、すいません! アークは俺の相棒なんです! た、食べないでください!」
「話をごまかしたわね……」
美萩は呆れ半分、照れ半分で頬を膨らませる。
少し離れた場所では、その一部始終を見ていた千萩が深いため息をついていた。
「……なーにやってんだか」
無邪気な姉と天然青年。
奴隷村には今日も、平和な時間が流れていた。
◇
ガキーン、ガキーン。
今日も採掘坑道には、大地がツルハシを振るうひときわ大きな音が響き渡っていた。
その傍らでは、青白い電気をパチパチと弾ませながら、アークが元気いっぱいに泳ぎ回っている。
時折、大地の肩に乗ってはまた飛び立ち、まるで「頑張れ」と応援しているかのようだった。
「大地くぅ〜ん、お昼ご飯よ〜!」
坑道の奥から美萩の明るい声が響く。
その声を聞いた瞬間、アークはビクッと体を震わせると、大地の胸元へ一直線。
慌てて服の隙間へ潜り込み、身を隠してしまった。
「あはは。まだこの前のこと根に持ってるのか?」
大地は苦笑しながら胸元を軽く叩く。
「ほら、アーク。ご飯だってさ。ちゃんとお礼を言いなさい」
その一言に、アークは恐る恐る顔を覗かせた。
周囲をキョロキョロと見回し、安全を確認すると、渋々と大地の胸元から姿を現す。
そして、美萩へ向かって長い口髭をパタパタと揺らした。
まるで手を振っているような仕草だった。
「か、可愛い〜っ♡」
美萩の目が一瞬でハートになる。
「もう大丈夫だからねぇ。今日は食べたりしないから」
そう言って苦笑しながら手を差し出すと、アークは一歩……いや、一泳ぎだけ近づいてきた。
美萩は恐る恐る手のひらに乗せたご飯を差し出す。
アークは長い髭でツン、ツンと器用につつき、匂いを確かめると――。
ぱくっ!
大きな口を開け、一瞬で平らげてしまった。
「えっ、もう無いの?」
と言わんばかりに、美萩の顔と手のひらを交互に見つめる。
「ア、アークちゃん……」
そのあまりにも愛らしい姿に、美萩はすっかり見惚れてしまった。
するとアークは、「もっと!」と言わんばかりに長い髭をスルスルと伸ばし、美萩の手をツンツンとつついておねだりを始める。
「もう、しょうがないなぁ」
美萩が笑顔で次の一口を差し出すと、アークは待ってましたと言わんばかりに飛びついた。
ぱくっ、もぐもぐ。
ぱくっ、もぐもぐ。
小さな体のどこへ入るのかと思うほどの勢いで、ご飯を平らげていく。
その様子を見ていた大地は思わず苦笑した。
「こいつ、美萩さんに完全に胃袋を掴まれたな」
嬉しそうに餌をねだるアークと、それを満面の笑みで見つめる美萩。
採掘坑道には、ツルハシの音の代わりに、穏やかな笑い声がしばらく響いていた。
◇
昼過ぎになると、今度は千萩が大地のもとへやって来た。
「大地、ちょっと来てくれないか」
「ういっす」
満腹になったアークは、大地の胸元で気持ちよさそうにプカプカと浮かんでいる。
大地は苦笑しながらアークをそっと懐へしまい、立ち上がった。
「この前、大地が見つけた穴を一緒に調べてくれないか?」
「もちろんです」
二人が坑道の奥へ向かうと、アークが見つかった穴の周囲には、崩落を防ぐための木材が丁寧に組まれていた。
「す、凄い……。これ、千萩さんが?」
「何事も安全が最優先だからな。現場監督の仕事ってやつさ」
そう言って照れくさそうに笑う千萩。
派手さはないが、一つひとつの仕事が実に丁寧だった。
大地は改めて感心する。
――この人、本当に頼りになるな。
「でも油断はするなよ。ここから先は、まだ誰も調べていない坑道だ」
「了解です」
二人は足元を確かめながら慎重に進んでいく。
奥へ進むにつれ、水温がゆっくりと下がり始めた。
辺りは静まり返り、光クラゲの淡い光だけが岩肌を照らしている。
「思ったより深いですね……」
大地は周囲を見渡した。
「何か……未知の生き物でも出てきそうな雰囲気がありますね」
その一言で、千萩の足がぴたりと止まる。
「……そ、そうだな」
返事はしたものの、どこか声が上ずっていた。
大地は思わず小さく笑う。
「千萩さん、もしかして怖いんですか?」
「ば、馬鹿言うな! アタイは現場監督だぞ!」
そう言った直後。
「……ちょっとだけ、不気味なだけだ」
小さく付け足した。
その姿が少し可笑しくて、大地はそっと千萩の手を握る。
「大丈夫ですよ。」
大地は優しく微笑んだ。
「俺が、千萩さんのこと守りますから」
一瞬、千萩の瞳が丸くなる。
「ア、ア、アタイもだ! だ、大丈夫だからな! こ、怖くなんか……」
言葉とは裏腹に、大地の手をぎゅっと握り返す。
そして自然と、大地のすぐ隣へぴったりと寄り添った。
その時だった。
ふわり。
漂っていた光クラゲが一斉に揺れる。
「……?」
次の瞬間。
大地の懐からアークが勢いよく飛び出した。
「キャーーーーッ!!」
突然のことに千萩は思わず悲鳴を上げ、その場にぺたんと腰を抜かしてしまう。
「アハハッ! 千萩さん、大丈夫ですって!」
「う、うるさいっ!」
顔を真っ赤にしながら立ち上がろうとする千萩。
そんな二人には目もくれず、アークはスイスイと前へ泳いでいく。
そして、ある岩壁の前でぴたりと止まった。
長い口髭がピンッと真っ直ぐ伸びる。
まるで、
――ここを掘れ。
そう言っているかのようだった。
「アーク……ここなんだな?」
パチッ。
青白い火花が小さく弾ける。
「……分かった」
大地はツルハシを大きく振りかぶった。
そして、アークが示した場所へ力いっぱい振り下ろす。
キャキィィィン!!
今まで聞いたことのない、甲高い金属音が坑道いっぱいに響き渡る。
「……えっ」
千萩の表情が変わる。
ゆっくりと岩肌へ駆け寄り、砕けた断面を食い入るように見つめた。
震える手で岩をなぞる。
「こ、これって……」
息を呑み、
そして確信したように顔を上げた。
「鉄鉱石だ……!」
その声は震えていた。
恐怖ではない。
歓喜に。
「りょ、良造さんに知らせなきゃ!」
千萩は勢いよく立ち上がると、大地の手を掴んだ。
「ほら、大地! 急ぐよ!」
「はい!」
その横で、アークは得意げに口髭を揺らしながら、パチパチと青白い火花を弾かせていた。
まるで、
――褒めて。
そう言っているようだった。




