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真夏の嫉妬

 真珠のモニターには、訓練場の様子が映し出されていた。


 大地と、三人の志願者。


 その中から、顔に布を巻いた「流浪の戦士」が、ゆっくりと大地へ向かって歩いていく。


 背の低さと胸の膨らみから、かろうじて女性と見受けられる。


 大地は、その女性を春陽と呼んでいた。


 その姿を見た瞬間。


 真夏の瞳が曇る。


「……大地くん、その女性、誰?」


 先ほどまで、恥ずかしそうに自分の恋物語を語っていた女性と同じ人物とは思えない、怒りの籠もった声だった。


 しかし――


 そんな嫉妬心からくる怒りよりも、大地の姿を見られる喜びのほうが上回った。


 真夏はグラスを片手に、モニターへ身を乗り出す。


「始まるわよ……」


「真夏?」


 ツバキが驚いたように声を掛ける。


「何?」


「いや……なんだか雰囲気が……」


「大地くんの試合だから」


 真夏は即答した。


 その声には、妙な迫力があった。


「大地くんの試合を見てる時だけは、私、ちょっとおかしくなるの」


「ちょっと?」


 ドゥエラーが苦笑する。


「それは自覚してるのね」


「ええ」


 真夏は真剣な顔で頷いた。


「だって、大地くんの試合だもの」


 画面の中で、大地が肩の力を抜く。


 軽く拳を握り、いつものステップを踏む。


 真夏は息を止めてグラスを握りしめた。


「……来る」


 大地と春陽が向かい合う。


「春陽、勇者になるのは諦めたのか?」


「春陽? 勇者? 何のことだ」


 布の隙間から、鋭い片目だけが覗く。


「ボクは流浪の戦士。そんな名前の者など知らん」


「まだ続けるのか……」


 大地が額に手を当てる。


 真夏は思わず吹き出した。


「ふふっ……大地くん、困ってる」


「そこ?」


 ルファが笑う。


「真夏さん、戦いを見る時はもっとこう……」


「静かに見られないの?」


 ツバキが尋ねる。


「無理です」


 真夏は即答した。


「大地くんが戦ってるんですよ?」


「そうだったわね……」


 ツバキは諦めたように酒を口へ含んだ。


 画面の中で、春陽が腕を組む。


「人は皆、過去を捨てて旅立つものだ」


「村を追い出されただけじゃねぇか」


「細かいことを言う男は嫌われるぞ」


 画面越しにルシエルが真剣な顔で頷く。


「確かに流浪の戦士のほうが格好良い」


「お前まで乗るな!」


 訓練場から笑い声が起こる。


 真夏も笑った。


「もう……大地くんったら」


 そして、少しだけ誇らしそうに画面を見つめる。


「こういうところも大地くんらしいのよね」


「真夏、完全にファンね」


 ツバキが笑う。


「ファンじゃありません」


 真夏は少しだけ頬を膨らませる。


「……大好きな人です」


「同じようなものじゃない?」


「違います」


 即答だった。


 だが、その頬は赤い。


 やがて春陽が拳を構える。


「ボクの能力は身体強化」


 春陽の身体が、一回り大きくなる。


「誰にも負けない最強のチート能力だ!」


「そうか」


 大地は静かに拳を構えた。


「俺の能力は――熱だ」


 真夏の目が、さらに輝いた。


「来る……!」


「何が?」


「大地くんの能力です!」


 次の瞬間――


 パシィィンッ!!


 二人の拳が交差した。


「きゃっ!」


 真夏が思わず身を乗り出す。


「速い!」


 衝撃が遅れて響く。


 会場からどよめきが上がった。


「見えなかった!」


「速ぇ!」


 真夏はグラスを置いた。


「大地くん、今の見えた?」


「私は見えなかったわ」


 ツバキが答える。


「ですよね!」


 なぜか真夏が嬉しそうに頷く。


「でも、大地くんは見えてるんです!」


「どうして分かるの?」


「大地くんだからです!」


「理由になってないわよ」


 ドゥエラーが呆れる。


 しかし、画面の中の大地は冷静だった。


 春陽の拳を、紙一重でかわしていく。


 首を傾ける。


 一歩引く。


 半歩横へ滑る。


 肩を落とす。


 拳が、髪一本分の距離を通り過ぎていく。


「……すごい」


 ルファが呟く。


 真夏は、もっと食い入るように画面を見ていた。


「大地くんは、相手の動きをよく見るんです。そして、最短距離を最速で動く」


「分かるの?」


「はい」


 真夏の顔が、まるで試合解説者のようになる。


「それと、大地くんは、相手の攻撃を無理に止めないんです。ギリギリまで見て、最小限の動きで避けるの」


「へぇ……」


 ツバキが感心する。


「大地くんの戦い方、よく知ってるのね」


「ずっと見てきましたから」


 真夏は当然のように答えた。


「だから次が全部分かる」


 モニターの中で、大地が春陽の肩を指差した。


「技を出す前に、肩が動く」


 腰を指差す。


「腰が沈む」


 足元を見る。


「踏み込みが大きい」


「ほら!」


 真夏が勢いよく立ち上がった。


「これです!」


「真夏、座って」


 ルファが苦笑する。


「でも、見ました!?」


「見たわよ」


「大地くん、格好いい……!」


「完全に酔ってるわね」


 ドゥエラーが呟いた。


「酔ってません!」


 真夏は即答した。


 だが、耳まで赤かった。


 画面の中では、春陽が再び突っ込んでいく。


「墜・爆・蹴!!」


 大地がかわす。


「撃・爆・蹴ぅぅっ!!」


 さらにかわす。


「なんでだぁぁぁ!!」


 春陽が叫ぶ。


 大地が苦笑する。


「流浪の戦士さん。技名を叫ばないと攻撃できない決まりでもあるのか?」


 会場が爆笑に包まれる。


 真夏も腹を抱えて笑った。


「あはははは!」


「真夏さん、そんなに笑う?」


「だって大地くんが……!」


 笑いながら涙まで浮かべている。


 しかし次の瞬間。


 春陽が叫んだ。


「異世界へ行ったら……!」


 真夏の表情が変わる。


「異世界へ行ったら……!」


 拳が震える。


「ボクは本気出すって決めてたんだぁぁぁぁぁ!!」


 布を引き剥がす。


 茶髪がふわりと広がる。


「勇者・春陽、解放!!」


「勇者春陽!」


 ルシエルが目を輝かせる。


「おおっ……!」


 真夏も思わず声を上げた。


「大地くん、気をつけて!」


「真夏、相手を応援してるわよ」


「違います!」


 真夏は真剣な顔で答える。


「大地くんに怪我をしてほしくないんです!」


 春陽の身体が、さらに膨れ上がる。


 水流が渦を巻く。


「うおおおおおおっ!!」


「必殺!!」


「虎・爆・衝ぉぉぉぉぉ!!」


 巨大な拳が大地へ迫る。


「大地くん!」


 真夏が叫ぶ。


 大地は――


 半歩だけ踏み込んだ。


 拳が頬をかすめる。


 その勢いを利用して身体を流す。


「そこだ! 意識の外からの一撃っ!」


 真夏の目が輝く。


「いけぇぇぇぇっ、大地くん!!」


 左手が春陽へ伸びる。


 春陽のフードを掴む。


 そのまま頭を両手で押さえ込み――


「もらった!!」


 膝蹴りが炸裂する。


 続けざまに踵落とし。


 メキィッ!!


 鈍い音が響く。


「きゃっ!」


 真夏が目を見開く。


 だが――


 床へ叩き付けられたのは。


「ぎゃああああっ!!」


 観戦していた男人魚の兵士だった。


「え?」


 大地の動きが止まる。


 兵士も涙目で倒れている。


「ダミーだと!?」


 背後から乾いた笑い声。


「くくくっ」


 振り返る。


 虎太郎が、そこに立っていた。


 何事もなかったように帽子を整えている。


「私は奇術師でありクラウン」


 一礼する。


「これくらいの入れ替わりなど朝飯前ですよ」


 観客席がどよめいた。


「いつ入れ替わった!?」


「全然見えなかった!」


 ルシエルも驚いている。


「大地でも見失った……」


 真夏は思わず身を乗り出した。


「すごい……!」


 大地は口元を吊り上げた。


「面白ぇ」


 今度は本気で笑う。


「だったら捕まえればいい」


 一歩踏み出す。


 流れの壁を蹴る。


 さらに浮遊物を足場にする。


 虎太郎と同じ移動を真似た。


「なっ……!」


 虎太郎の目が見開く。


「もう使えるんですか!?」


「似たような方法を使っていたからな」


 一瞬で虎太郎の背後へ回る。


「捕まえた!」


 大地の手が伸びる。


 そして――


 柔らかい感触。


「……え?」


 時間が止まった。


「キャーーーーーッ!!」


 訓練場中へ悲鳴が響く。


「痴漢ーーーッ!!」


 真夏の笑顔が消えた。


「…………」


 モニターの中で、大地が羽交い締めにしようとしていたのは虎太郎ではない。


 いつの間にか入れ替わっていた春陽だった。


 春陽は顔を真っ赤にして固まっている。


「しまっ――」


「お嬢、今です」


 虎太郎の冷静な声が飛ぶ。


 動揺した大地の脇腹へ。


 トンッ。


 春陽の肘が軽く触れた。


 ほんの一撃。


 それだけだった。


「……くっ」


 大地は、その場で動きを止める。


 数秒の沈黙。


 虎太郎が静かに拍手した。


「チェックメイトです」


 大地は悔しそうに頭をかいた。


「一本取られた」


「大地くん……!」


 真夏が身を乗り出す。


 しかし、その声には怒りよりも心配が滲んでいた。


「大丈夫かな……」


 その時。


 胸の奥に、鈍い痛みが走った。


「……っ」


 真夏が胸元を押さえる。


「真夏さん?」


 ルファがすぐに気付いた。


「どうしたの?」


「……いえ」


 真夏は画面から目を離さない。


 大地はまだ脇腹を押さえている。


 その姿を見ていると――


 自分まで同じ場所が痛む。


「……大地くん」


 ゆきも真夏の様子を見ていた。


 そして、静かに画面へ視線を戻す。


「今、大地くんが痛がった瞬間……真夏さんも痛がったわよね?」


「え?」


 真夏が顔を上げる。


 ルファも、何かを確かめるように真夏を見る。


「以前から少し気になっていました」


 ルファが静かに言う。


「真夏さんが大地さんの状態に反応する時だけ、妙な現象が起こることがある」


「……」


「今回も同じです」


 ゆきが頷いた。


「今の反応で、私はかなり確信したわ」


「何を……?」


 真夏が尋ねる。


 ルファが微笑んだ。


「真夏さんの能力」


「……!」


 真夏の瞳が揺れる。


「もしかして――」


 ゆきが言葉を継いだ。


「人の苦しみを、自分が肩代わりする力なんじゃない?」


 真夏は、しばらく黙っていた。


 やがて小さく頷く。


「……肩代わり」


「やっぱり」


 ルファの目が輝く。


「私も、そう思っていました」


「私自身も、まだ全部は分からないんです」


 真夏は胸元へ手を当てる。


「でも……大地くんが痛いと、私も痛い。大地くんが苦しんでいると、私も苦しくなるんです」


 ゆきは優しく微笑んだ。


「なるほどねぇ」


「……変な能力ですよね」


「いいえ」


 ルファが首を横に振る。


「とても真夏さんらしい能力だと思います」


「……私らしい?」


「ええ」


 ルファは大地の映るモニターを見た。


「ずっと大地さんを見守ってきた真夏さんだからこそ、そういう能力になったのかもしれませんね」


 真夏は少し恥ずかしそうに笑った。


「……そうだったら、いいな」


 しかし。


 次の瞬間。


 画面の中で、虎太郎が大地へ語りかけていた。


「貴方は女性に、とてもお優しい」


 真夏は眉を寄せる。


 虎太郎が続ける。


「だからこそ、お嬢と生涯を共にする器だとお見受けしました」


「どういう意味だよ!」


 大地が慌てる。


「くくく」


 虎太郎は笑うだけだった。


 そして――


 春陽へ帽子を差し出す。


 春陽は少し照れくさそうに、それを受け取った。


 乱れた髪を整える。


 そして。


 トレードマークの野球帽を目深に被り直した。


「…………」


 真夏の表情が変わった。


「……何してるの?」


「真夏さん?」


 ルファが振り返る。


「いえ」


 真夏は笑っている。


 笑っているのだが――


 目が笑っていない。


「なんで、あんなに深く帽子を被ってるのかなって」


「照れているんじゃない?」


 ルファが何気なく答える。


「大地さんに何か言われたのかもしれませんね」


「…………」


 真夏の眉が、ぴくりと動いた。


「何かって?」


「それは分かりませんけど」


 ゆきが楽しそうに画面を見る。


「大地くん、ずいぶん優しく声を掛けてるみたいよ」


「……そうですね」


 真夏の声が低くなる。


 画面の中で、大地が春陽へ言う。


「お前は強い」


 真夏の頬が引きつった。


「だから、また教えてやるよ」


「…………」


 真夏の手が、テーブルの上のグラスを握る。


「戦い方も」


 ぎゅっ。


「勝ち方も」


 ぎゅうっ。


「生き残り方も」


 ピシッ。


「……え?」


 ルファがグラスを見る。


 真夏のグラスに、小さな亀裂が走っていた。


「真夏さん……」


「……大丈夫です」


 真夏はにっこり笑った。


「私は大丈夫ですよ」


 ゆきが口元を押さえる。


「ふふっ……」


「ゆきさん?」


「いやぁ……」


 ゆきは楽しそうに笑った。


「大地くん、愛されてるわねぇ」


「そ、そういう意味じゃありません!」


 真夏の顔が一気に赤くなる。


 だが、画面の中では。


 春陽が帽子のつばを指でつまんでいた。


 そして――


 さらに深く被る。


「…………」


 真夏の笑顔が消える。


 ピシッ。


「「…………」」


 今度は全員が聞いた。


 グラスに、二本目のひびが入った。


「真夏さん」


 ルファが静かに声を掛ける。


「はい?」


「……グラスが」


「…………」


 真夏はゆっくりとグラスを机へ置いた。


「大丈夫です」


 にっこり。


「本当に大丈夫です」


 ドゥエラーが肩を震わせる。


「……これは面白いものを見せてもらったわ」


「ドゥエラーまで!」


 真夏が頬を膨らませる。


 その様子を見て、ゆきはとうとう堪えきれずに笑い出した。


「ははははっ!」


「ゆきさん!」


「いやぁ、ごめんごめん。でもねぇ――」


 ゆきは真夏の肩をぽんぽんと叩く。


「その顔、大地くんには見せないほうがいいわよ」


「……どうしてですか?」


「絶対に喜ぶから」


「…………」


 真夏は黙った。


 少し考えてから。


「……それは、困ります」


 そう言って、モニターへ視線を戻す。


 画面の中では、大地が笑っていた。


 春陽は帽子を目深に被ったまま、顔を隠している。


「…………大地くん」


 真夏は小さく呟いた。


「女の子に、あんまり優しくしちゃ駄目ですよ」


「真夏さん……」


 ルファが苦笑する。


 ドゥエラーも肩をすくめる。


 ツバキは酒を飲みながら、楽しそうに笑っていた。


「ふふっ。これが女子会なのね」


「そうですよ」


 ゆきが笑う。


「女が五人も集まれば、こうなるのよ」


 モニター越しの訓練場では、真っ白な髪に紅い瞳をした人魚――ルシエルと、緑色の髪に黄色い瞳、褐色の肌をした、長い尾を持つ蛇女――シャイナが睨み合っていた。


 真夏は、大地の試験が一段落すると、先ほどまでの熱狂ぶりが嘘のように静かに割れたグラスを傾けていた。


 そんな真夏を横目に、ルファがツバキへ尋ねた。


「ツバキ様、あの人魚と蛇女は……」


 ルファが伺うようにツバキの顔を見る。


 ツバキは、少し悲しそうに目を伏せた。


「ええ……。あの二人には、この国の者たちが酷い仕打ちをしてしまったの」


「……」


 その言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。


 ゆきが静かにモニターへ目を向けた。


「ツバキ王妃」


「はい」


「ルシエルは、強い子に育ちましたよ」


 ゆきは優しく微笑んだ。


「こんなことを言うのもおかしな話ですが……私の娘として、逞しく育ちました」


 ツバキは、ゆきへ視線を向ける。


「ゆきさん……ありがとうございます」


 その声には、王妃ではなく、一人の女性としての感謝が込められていた。


「ルシエルのことを……娘として育てていただいて」


「お礼を言われるほどのことじゃありませんよ」


 ゆきは照れくさそうに笑う。


「私のほうこそ、あの子には色々楽しませてもらいましたから」


 そして、ふと思いついたように続ける。


「だから――」


 ゆきはモニターに映る蛇女へ視線を移した。


「今度は、あの蛇女を私に預けていただけませんか?」


「ゆきさん?」


 ツバキが目を丸くする。


「何をまた悪巧みを考えてるの?」


 ドゥエラーがすかさず突っ込んだ。


「失礼ねぇ」


 ゆきは頬を膨らませる。


「それはまだ内緒よ」


「絶対ろくなことじゃないわね」


「そんなことないって」


 ゆきは楽しそうに笑う。


「この国には、もっと娯楽が必要でしょ?」


「娯楽、ですか?」


 ルファが首を傾げる。


「そう」


 ゆきは胸を張った。


「この国の女性たちを幸せにする、恋の娯楽」


「恋の?」


「そう」


 ゆきはシャイナを見つめる。


「あの蛇女……ううん、シャイナちゃんの能力は未来視」


 そして、意味ありげに笑った。


「戦いで役立てるよりかは――」


 そこで言葉を切る。


「もっと別の使い道があると思うのよねぇ」


「…………」


 ドゥエラーが嫌な予感を覚えたように目を細める。


「ゆき」


「なぁに?」


「あなた、また何か企んでるでしょう」


「だから内緒だってば」


 ゆきは楽しそうに笑った。


 そして椅子から立ち上がる。


「ツバキ王妃、ルファさん、それに真夏さん」


 三人へ順番に視線を向ける。


「今日は、とっても楽しかったわ」


 最後に真夏を見る。


「特に真夏さん」


「はい?」


「あなたの大地くんに対する真剣な想い……」


 ゆきは胸に手を当て、感慨深そうに息を吐いた。


「おばちゃん、十歳くらい若返った気分よ」


「えっ……」


 真夏の頬が赤くなる。


「また参加させてくださいね」


「もちろんです」


 ツバキが笑顔で答える。


「私も楽しかったわ」


「ちょっと待って、ゆき」


 ドゥエラーが慌てて立ち上がる。


「何よ?」


「あなた、今度は何をするつもりなの?」


「だから、内緒」


「絶対に碌なことじゃない……」


 二人はそんなやり取りをしながら、部屋をあとにした。


 扉が閉まる。


 女子会の部屋には、ツバキ、ルファ、真夏の三人が残った。


 そして――


 真珠のモニターには、再び訓練場の光景が映し出される。


 ルシエルとの勝負に敗北したシャイナが、訓練場の中央でポツリと呟いていた。


「……逃れられない運命が……」


 その言葉を最後に、シャイナは静かに訓練場をあとにする。


 そして、モニターに映る大地へと視線が移った。


 大地は、ルシエルに手招きをされる。


「?」


 何だろうと首を傾げながら、大地が腰を落とす。


 その瞬間。


 真夏のグラスを持つ手が――


 ピクリ。


「……?」


 ルファが真夏を見る。


 真夏は何も言わない。


 ただ、モニターを見つめている。


 ルシエルが大地の顔へ近づく。


「……え?」


 真夏の瞳が細くなる。


 そして――


 ルシエルの唇が、大地の頬に触れた。


「意識の外からの一撃♡」


 勝ち誇ったルシエルの声が、モニター越しに響く。


「…………」


 真夏は動かない。


 ツバキも。


 ルファも。


 ただ、画面を見つめている。


 次の瞬間――


 パキーン。


 甲高い音が響いた。


「……え?」


 真夏の手にしていたグラスが、完全に割れていた。


 酒がテーブルの上へと流れ落ちる。


「真夏さん!」


 ルファが慌てて立ち上がる。


 しかし、真夏は反応しない。


 肩が、ワナワナと震えている。


 目はモニターに釘付けだった。


 頬へ手を当てた大地。


 そして、その隣で勝ち誇ったように笑う白髪の人魚。


「…………」


 真夏の唇が、わずかに震える。


「……あの」


 ルファが恐る恐る声を掛ける。


「真夏さん……?」


 ゆっくりと。


 真夏が立ち上がった。


「……あのアマァ〜っ!!」


 女子会の部屋に、真夏の怒声が響き渡った。


 ツバキが目を丸くする。


 ルファは完全に固まった。


 そして――


「ふふっ……」


 ツバキの口元が緩む。


「ツバキ様、笑ってる場合じゃありません!」


「だって……」


 ツバキは肩を震わせながら笑う。


「真夏が、さっきまでとは別人みたいなんだもの」


「私は大地くんの試合を見ているだけです!」


「そうねぇ」


 ルファが苦笑する。


「……グラスを割るほどに?」


「…………」


 真夏は答えない。


 ただ、モニターの中で大地の頬に残った唇の跡を見つめている。


「…………」


 そして、小さく呟いた。


「……誰なの、あの子」


 その声には――


 先ほどまでの優しい笑顔は、もうどこにもなかった。



ールファ、恋をするー


 女子会が終わった翌日。


 王宮の一室。


「…………」


 ルファは、一人で椅子に座っていた。


 机の上には、昨日の記録。


 薬草の調合記録。


 真夏の能力についての研究メモ。


 そして――


「…………虎太郎さん」


 ペンが止まる。


 ルファの頭の中に、昨日の男が浮かんだ。


 奇術師。


 クラウン。


 軽妙な身のこなし。


 礼儀正しい口調。


 そして、あの帽子。


「…………」


 ルファの頬が、ほんのり赤くなる。


「……素敵」


 呟いた瞬間。


 椅子から立ち上がった。


「結婚したい!」


「…………」


 自分で言ってから、固まる。


「……結婚したい?」


 もう一度呟く。


「結婚したい!」


 拳を握る。


「結婚したい!!」


 さらに拳を握る。


「結婚したい!!!」


 その声は、研究室の外にまで響き渡った。


「…………」


 廊下を通りかかった兵士が、何事かと足を止める。


「結婚したい!」


「…………」


 兵士は何も聞かなかったことにして、その場を立ち去った。


 ルファは頭を抱えた。


「どうして……どうして私は、こんなに……」


 冷静になろうと深呼吸する。


「私は王宮付きの医師で……」


 一つ。


「虎太郎さんは流浪の戦士で……」


 二つ。


「私は人魚で……」


 三つ。


「虎太郎さんは人族……」


 さらに頭を抱える。


「それに……」


 ルファは天井を見る。


「身分だって違う」


 王宮に仕える自分。


 国の中枢に近い場所で働く自分と、どこにも属さず旅をする男。


「そもそも……私なんかが……」


 そこまで言って、ルファは首を振る。


「いや!」


 立ち上がる。


「でも好き!」


 拳を握る。


「結婚したい!」


 また言った。


「…………」


 ルファはしばらく黙り込んだ。


「……相談しよう」


 そして向かった先は――


 王妃ツバキの部屋だった。


 コンコン。


「どうぞ」


「失礼します」


 扉を開ける。


「ルファ? どうしたの?」


 ツバキは書類を整理していた。


「実は……ご相談したいことが」


「珍しいわね」


 ツバキが顔を上げる。


「あなたがそんな顔をするなんて」


「どんな顔ですか?」


「恋する乙女の顔」


「――っ!」


 ルファの顔が真っ赤になる。


「な、なぜ分かるんですか!?」


「分かるわよ」


 ツバキは微笑む。


「昨日の女子会を見ていたらね」


「……」


「もしかして、あの人族?」


「……はい」


 ルファは小さく頷いた。


「虎太郎さんです」


「やっぱり」


 ツバキが笑う。


「いつの間に?」


「昨日です」


「一目惚れ?」


「……はい」


 ルファは俯いた。


「一目惚れ……なんです」


「まあ」


 ツバキが嬉しそうに身を乗り出す。


「それで?」


「それで……」


 ルファは両手を胸の前で握る。


「結婚したいんです」


「早いわね!」


 ツバキが思わず笑った。


「まだ名前を知ったばかりでしょう?」


「でも結婚したいんです!」


「二回目」


「結婚したいんです!」


「三回目ね」


「結婚したい! 結婚したい! 結婚したい!」


「ルファ、落ち着いて!」


 ツバキが両手を上げる。


 ルファは肩で息をしながら、椅子へ座った。


「……すみません」


「いいのよ」


 ツバキは笑っている。


「それだけ好きってことでしょう?」


「はい……」


 ルファは恥ずかしそうに頷いた。


「でも……問題があるんです」


「身分?」


「はい」


 ルファの表情が曇る。


「私は王宮付きです。虎太郎さんは流浪の戦士」


「ええ」


「それに……」


 ルファは少し迷ってから口にする。


「種族も違います」


「人魚と人族ね」


「はい」


 ルファは膝の上で手を握った。


「私は、王宮に仕える身です。虎太郎さんは、この国に属しているわけではありません」


「……」


「もし私が彼と一緒になったら……周囲はどう思うでしょうか」


 ツバキは少し考えた。


「身分の違いを気にする人は、いるでしょうね」


「やっぱり……」


「種族の違いを気にする人もいると思う」


「……はい」


 ルファの肩が落ちる。


 だが。


「でも」


 ツバキは微笑んだ。


「それを理由に、あなた自身が諦める必要はないんじゃない?」


「……え?」


「恋愛は王族会議で決めるものじゃないもの」


「ですが……」


「それに」


 ツバキは少し悪戯っぽく笑った。


「私だって、人間の真夏と仲良くしているでしょう?」


「あ……」


「種族が違うから友達になれないなんて、私は思わないわ」


 ルファは黙って聞いている。


「身分だって同じよ」


 ツバキは椅子に背を預ける。


「あなたが王妃付きの医師だからって、恋をする相手まで王宮の中から選ばなきゃいけない理由なんてないでしょう?」


「…………」


 ルファの瞳が少しずつ明るくなる。


「では……」


「まずは話してみれば?」


「虎太郎さんと……」


「そう」


「でも、何を話せば……」


「好きなら、好きなことを話せばいいじゃない」


「好きなこと……」


 ルファは考える。


 そして。


「結婚したいです」


「それは最初に言わないほうがいいと思うわ」


「そうですか?」


「絶対に」


 ツバキは即答した。


「まずはお友達から」


「友達……」


「そう」


 ルファは頷く。


「分かりました」


 そして、立ち上がる。


「ありがとうございます、ツバキ様!」


「頑張ってね」


「はい!」


 ルファは扉へ向かう。


 しかし――


 扉の前で足を止めた。


「……でも」


「どうしたの?」


 振り返る。


「結婚したいです」


「まだ言うの!?」


「だって……」


 ルファは胸に手を当てる。


「虎太郎さん、素敵だったんですもの」


 そう言って、幸せそうに微笑んだ。


 扉が閉まる。


 静かになった部屋で、ツバキは一人呟いた。


「……女子会って、怖いわね」


 そして。


 ツバキは机の上に置かれた書類へ目を戻す。


「次はルファの恋愛相談かぁ……」


 小さく笑った。


「悪くないかも」


 王宮の片隅で――


 新しい恋が、一つ始まった。

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