真夏と女子会 ①
その日のワダツミ王国の王宮内では、ある話題で盛り上がっていた。
それは――
冷笑の魔女を討ち果たした、人族の男についてだった。
国に脅威をもたらそうとしていた冷笑の魔女を退治した人族の男が、今度は泥濘の海域に潜む捕食者――ダイダラワラスボの討伐へ向かう。
しかも、ペルカ隊長の指揮する討伐隊の一員として。
さらには今回、討伐隊員を補充するための入隊試験では、なんと試験官まで務めるという。
その噂は、瞬く間に王宮中へ広がっていた。
ある入院中の兵士は、興奮した様子で語る。
「見たこともないような電気の術を使い、立ちはだかる敵をことごとく駆逐する男だと聞いたぞ!」
また、入国管理を務める兵士は、真剣な顔でこう語った。
「いや、俺が聞いた話では、その男は赤い牙を生やしていたらしい。冷笑の魔女の生き血を啜った、恐ろしい殺人鮫のようだったと……」
「殺人鮫って、人族なのにか?」
「そこまでは知らん!」
「でも、冷笑の魔女を倒したんだろ?」
「そうだ!」
「じゃあ、やっぱり強いんだな!」
「間違いない!」
尾ひれどころか、背びれまで付き始めた噂は、王宮内を勢いよく泳ぎ回っていく。
内容だけを聞けば、物騒極まりない。
しかし――
どうやら兵士たちの間では、その人族の男はすでに英雄として認知されているようだった。
「まさか……大地くんが……」
その噂を耳にした真夏は、思わず手を止めた。
「……ううん」
小さく首を横に振る。
「大地くんは赤い牙なんて生えてないし……」
そして、ふっと笑う。
「強いけど、優しい男の子だもの」
真夏の脳裏に浮かぶのは、あの大地の姿。
不器用で、ぶっきらぼうで。
それでも困っている人間を放っておけない、格闘バカで優しい青年。
そんな大地が今、遠く離れた場所で戦っているかも知れない。
「……大地くん」
医師であるルファの指示のもと、看護師としての業務をこなしながら、真夏は大地への想いを馳せるのであった。
◇
久しぶりの休日。
真夏はルファと共に、ワダツミ王国王妃――ツバキの部屋へと呼ばれていた。
王宮の中でも特に奥まった場所にある、王妃専用の私室。
扉を開けた真夏は、思わず目を丸くした。
「わぁ……」
部屋一面を彩っているのは、柔らかなピンク色。
珊瑚を加工して作られた花飾り。
淡い桃色の貝殻を組み合わせたカーテン。
壁には小さな真珠を連ねた装飾品が掛けられ、ところどころには色とりどりの海藻を編んだリースまで飾られている。
王妃の私室というより――
良く言えば、とても女の子らしい。
悪く言えば――
「……なんだか、少女のお部屋みたいですね」
真夏が思わず呟く。
「でしょ?」
ツバキは嬉しそうに胸を張った。
どうやら本人は、かなり気に入っているらしい。
部屋の中央には大きな丸テーブル。
その両脇には、三人掛けのソファが向かい合うように置かれている。
さらにテーブルの正面。
一段高く設けられた場所には、ツバキ専用と思われる一際豪華なリクライニング式ソファがあった。
柔らかなクッションにはピンク色の珊瑚細工が施され、背もたれには王家の紋章を模した金色の装飾まで付いている。
そして、そのソファのさらに向こう。
壁一面を占領するように置かれているのが――
ブラックパールを加工して造られた大型のモニターだった。
真珠を加工して映像を映し出す装置。
この海底世界では極めて希少価値が高く、一般家庭はもちろん、王宮内でもそう簡単に手に入るものではない。
真夏は思わず、その巨大な画面を見つめた。
「ツバキ様、私などが王妃であるあなた様のお部屋に入るなど……」
「え?」
ツバキが不思議そうな顔をする。
「ルファの部屋なら良くて、私の部屋は駄目なの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「それに、もう真夏は王妃付きの名誉爵位を持っているのよ」
ツバキは赤い髪をかき上げながら、当たり前のように言った。
「王妃付きの名誉爵位……」
真夏は改めて、その言葉を噛みしめる。
つい先日まで、自分は「貢ぎ物」と呼ばれていた。
けれど今は違う。
この国で正式な身分を与えられた。
そして今、自分は王妃の私室へ招かれている。
そう思うと、胸の奥が少しくすぐったくなった。
「そうよ、真夏」
ルファがエメラルドグリーンの瞳で真夏を見る。
「もう真夏は私たちと同じ、王宮側の人間なのよ。さあ、中に入って。せっかくの休日なんだから楽しみましょう」
ルファは真夏の手を取り、部屋の中へと引っ張っていく。
「は、はい」
真夏も笑顔で続いた。
中央のテーブルには、真夏が作った蒸留酒が並べられている。
その隣には、職人が作った工芸品のグラス。
さらに酒のつまみになりそうな料理や珍味が、ところ狭しと並べられていた。
まるで小さな宴会である。
「うふふ」
ツバキが楽しそうに笑う。
「真夏の世界では、こうやって女の子だけで集まって色々お話しするのを『女子会』って言うんでしょ?」
「はい」
「私、やってみたかったの」
そう言うツバキの瞳は、子供のようにキラキラと輝いていた。
「今日は王妃じゃなくて、普通の女の子として楽しむからね!」
「ツバキ様……」
真夏は思わず苦笑する。
この人は、本当に王妃なのだろうか。
そんな疑問さえ浮かんでしまう。
だが――
真夏も、この雰囲気は嫌いではなかった。
「それにね」
ツバキがグラスを手に取りながら、少し声を潜める。
「スズキ戦士長が言ってたのよ」
「何をですか?」
「冷笑の魔女を倒した人族の男が、街に来るって」
「!」
真夏の胸が、小さく跳ねた。
「人族の……男……」
「そう」
ツバキはニヤリと笑う。
「だから、もしかしたら真夏の恋人かもしれないと思って」
「えっ……!」
真夏の顔が一気に熱くなる。
「そ、そんな……!」
「ふふふ」
ツバキは楽しそうに笑う。
「だから今回だけは、ドラドくんにお願いして――」
ツバキは部屋の奥にある大型モニターを指差した。
「真珠のモニターを借りたの」
「えっ?」
「もちろん、マットウには内緒でね」
ツバキは悪戯っぽく笑った。
「王妃が私的な理由でこんな高級品を使っているなんて知られたら、きっと小言を言われるから」
「ツバキ様……」
ルファが呆れたように笑う。
「王妃様なんですから、そこは堂々と使えばいいのでは?」
「いいのよ。こういうのは秘密だから楽しいの」
ツバキは楽しそうに答えた。
「その男性は……赤い牙を生やして、電気を使うって本当なんですか?」
真夏が恐る恐る尋ねる。
「私も王宮内では、そのような噂を聞いています」
ルファも頷いた。
「赤い牙……」
真夏は思わず苦笑する。
そんな大地を想像してみる。
赤い牙。
電撃。
冷笑の魔女の生き血を啜る殺人鮫。
「……大地くん、そんな人じゃないんだけどな」
真夏は小さく呟いた。
それでも――
胸の奥では、期待が膨らんでいた。
もし、本当に大地だったら。
もし、今からその姿を見ることができたら。
声は聞こえなくてもいい。
顔だけでもいい。
元気な姿を確認できるだけでいい。
真夏は、そう願っていた。
「うーん……」
ツバキはソファに腰掛けながら、リモコンのような装置を操作する。
「討伐隊のキャペリン副隊長から聞いた報告だとね、電気ナマズを引き連れた若い人族の男ってだけなのよ」
「電気ナマズ……」
真夏は首を傾げる。
「そんな生き物までいるんですね」
「この国には変わった生き物がたくさんいるからね」
ツバキは何気なく答えながら、モニターを操作し続ける。
真夏は再び画面を見つめた。
若い人族の男。
それだけでも、十分だった。
この世界に来てから、真夏がずっと探していた人。
「……大地くんだったら、いいな」
誰にも聞こえないほど小さな声で、真夏は呟いた。
「あっ、これかなぁ」
ツバキが手を止める。
真珠のモニターに映し出されたのは――
巨大な訓練場だった。
そこには、血気盛んな大勢の若い人魚たちが集まっている。
その視線の先。
一人の若い人族の男が立っていた。
そして、その隣には――
美しい白髪をなびかせる、紅い瞳の人魚。
「……!」
真夏の息が止まる。
知らない女性だった。
白い髪。
紅い瞳。
そして――
大地のすぐ隣に立っている。
「……あの人、誰?」
思わず真夏の口から、そんな言葉が漏れた。
しかし、それを考えるより先に、真夏はモニターへ視線を戻す。
隣にいる女性の正体など、今はどうでもいい。
確かめたい。
あの人族の男が――
大地なのかどうか。
「ツバキ様……!」
真夏は思わずモニターへ身を乗り出した。
「もう少し……もう少しだけ、人族の男性の顔を映せますか?」
「うん、いいよ」
ツバキがリモコンを操作する。
画面がゆっくりと切り替わる。
男の顔が、少しずつ大きくなっていく。
真夏は息をすることさえ忘れた。
もし違っていたら――。
期待してはいけない。
そう思う自分もいる。
けれど。
もし、もしも本当に――。
画面に映し出された、その顔は。
紛れもなく――
真夏がずっと探し続けていた想い人。
湯本大地だった。
「……大地、くん」
その名前を口にした瞬間、真夏の目頭が熱くなった。
ずっと会いたかった。
生きている。
大地が、この海のどこかで生きている。
それだけで胸がいっぱいになる。
「良かったね」
「うん……本当に、良かった……」
ツバキとルファが、嗚咽を漏らす真夏の背中を優しくさする。
「真夏、良かったら聞かせてくれないかな」
ツバキが優しく微笑む。
「大地って子のこと」
「はいっ」
真夏は涙を拭いながら、力強く頷いた。
「お酒を飲みながらね。ほらほら、座って」
「はい」
真夏はツバキに促されるようにソファへ腰を下ろした。
これから始まるのは、王妃と王宮看護師と人族の少女による、ちょっと特別な女子会。
――の、はずだった。
その時。
部屋の扉が、ゆっくりと開いた。
「ツバキ様、突然失礼します」
「……?」
中へ入ってきたのは、王宮図書館司書長のドゥエラーだった。
「私の友人が、どうしてもお会いしたい方がいるというもので。こちらへ案内させていただきました」
「友人?」
ツバキが首を傾げる。
すると、ドゥエラーの背後から――
ひょこっ。
白い着物に身を包んだ女性が、まるで雪女を思わせる姿で顔を覗かせた。
「初めまして、ツバキ王妃」
女性はにこりと笑う。
「それに、あなたが大地くんの想い人の森真夏さんね」
「えっ……」
真夏が目を丸くする。
「私は採掘の奴隷村から来た炭谷ゆきです。村では大地くんに勉強を教えてあげてるの」
「は、初めまして……森真夏です」
真夏が慌てて頭を下げる。
その一方で――
「れ……」
ツバキの顔が引きつった。
「冷笑の魔女……」
「どうしてここに……」
ルファも思わず後ずさる。
かつて海域ひとつを凍結させた女。
ワダツミ王国を震撼させた、あの異名。
その本人が、今まさに王妃の私室に立っている。
「あら?」
ゆきは二人の反応を見て、きょとんとする。
「ドゥエラー、私ってどうやら人気者みたいね」
「アンタが勝手に暴走して、海域ひとつ凍らせたからでしょうが」
ドゥエラーは呆れたようにため息をついた。
「ご安心ください、ツバキ様」
そして、何事もなかったかのように説明を続ける。
「彼女は私の古い友人です。今回の件も、あのモニターに映し出されている白い髪の人魚と、ちょっとした親子喧嘩をしたことが原因でして」
「親子喧嘩って……」
ルファが絶句する。
「あら、まあ」
ゆきは照れ臭そうに頬を掻いた。
「おほほ……お恥ずかしい」
「笑って済ませる話じゃないのよ」
「そう?」
「そう」
ドゥエラーは即答した。
しかし、ゆきはそんなやり取りを気にする様子もなく、部屋の中を見回す。
そして――
「……あら」
テーブルの上に置かれた酒瓶に目を留めた。
「せっかくだから、おばちゃん達も混ぜてくれないかなぁ」
「え?」
真夏が目を瞬かせる。
次の瞬間。
ゆきは当然のように酒瓶を手に取った。
「これ、いただいていいの?」
「え、あ、はい……」
返事を聞くより早く、ゆきは慣れた手つきでグラスを並べていく。
「……あら、これお酒じゃない」
ラベルを眺めながら、ゆきがドゥエラーを見る。
「ドゥエラー、この国にはいつの間にお酒があるの?」
「そこの真夏さんが造ったのよ」
「まあ!」
ゆきが真夏を見る。
「真夏さん、あなた素晴らしいわ!」
「えっ?」
「こんな美味しそうなお酒を造れるなんて、あなたとは仲良くなれそうねぇ」
そう言いながら、ゆきは次々とグラスに酒を注いでいく。
「ほらほら、皆さんもグラスを持って」
「ちょ、ちょっと待って、ゆき!」
ツバキが慌てる。
「ここ、私の部屋なんだけど……」
「あら、そうだった?」
「そうよ!」
「じゃあ、ツバキ王妃が一番に乾杯の音頭を――」
「えっ、私が!?」
「王妃なんだから、こういう時くらい仕切ってよ」
「さっきから仕切ってるの、あなたじゃない!」
「おほほほ」
ゆきは楽しそうに笑った。
その横で、ドゥエラーが頭を抱える。
「……ゆき」
「なぁに?」
「あんた、昔から本当に変わらないわね」
「褒め言葉?」
「呆れてるの」
「あら、そう」
ゆきはまったく気にしていない。
むしろ、ますます楽しそうにグラスを掲げる。
「ほらほら、皆んな、グラス持って!」
真夏もつられるようにグラスを手に取る。
ルファも苦笑しながらグラスを掲げた。
ツバキは呆れた顔をしながらも、結局グラスを手にする。
そして――
「かんぱぁ~~い!」
ゆきの豪快な音頭が、王妃の私室いっぱいに響き渡った。
「「「「かんぱーい!」」」」
こうして。
王妃の私室で始まった、少し特別な女子会は――
図書館司書長と、冷笑の魔女まで加わったことで、予想もしなかった大所帯へと変貌していったのであった。




