真夏とドラド
王宮の最上階。
そこには、豪華絢爛な装飾が施され、まさに「王の間」と呼ぶに相応しい空間が広がっていた。
天井から吊るされた巨大な真珠。
壁面を彩る珊瑚細工。
床には磨き上げられた貝殻が敷き詰められ、その一つ一つが淡い光を放っている。
そんな王の間へ、真夏は呼び出されていた。
娯楽産業に乏しいワダツミ王国に酒をもたらし、酒場という労働者たちの憩いの場――そして、日々の鬱憤を吐き出す「ガス抜き」の場を広めた。
その功績を認められ、真夏はドラド王との謁見を許されたのである。
玉座には、ワダツミ王国国王――ドラド。
その隣には王妃ツバキ。
両脇を固めるのは、ロマンスグレーの髪をした初老の人魚、財務を司るマットウと、青い髪の毛先を橙色に染めた法務官ブドゥ。
そして王と王妃を守るように、その背後には一人の巨漢が立っている。
鮫の頭蓋を模した兜。
三又の槍。
そして、近付くだけで肌を刺すような殺気。
ワダツミ王国戦士長――スズキ。
王の前では、真夏が片膝をついていた。
やがて、玉座から低く、野太い声が響く。
「――面をあげよ」
どこか威圧感のある声。
しかし、その奥には不思議な優しさがあった。
「ハッ」
真夏は静かに顔を上げる。
金色の髪。
金色の髭。
筋骨隆々とした身体には、幾多の戦場をくぐり抜けてきたことを物語る傷跡が刻まれている。
そして金色の瞳。
その瞳が、真夏をじっと見つめていた。
「此度は、この国に新たな文化を芽吹かせてくれたことを感謝する」
口を開いたのは、王妃ツバキだった。
普段の彼女からは想像できないほど、威厳に満ちた声。
真夏は背筋を伸ばす。
「勿体なきお言葉です」
そして、深々と頭を下げた。
「しかしながら、私ひとりの力だけではありません」
顔を上げ、真夏は続ける。
「図書館の司書長であられるドゥエラーさんが本を貸してくださり、更には研究室を使わせてくださったルファさん。そして、研究することを許してくださったツバキ様のお力添えがなければ、今回の成果は成し得なかったと考えています」
そこで真夏は、ふっと表情を和らげる。
「それに――」
真夏は懐へ手を入れた。
そこから、小さなナマズのような身体がひょこりと顔を出す。
「一番の功労者は、私の相棒です」
真夏は笑顔でソラを掲げた。
「ソラです」
「プギッ、プギッ」
突然王の前へ出されたソラが、いつもの鳴き声を上げる。
王の間に、妙に間の抜けた声が響いた。
ドラド王が、ソラをじっと見つめる。
「……なるほど」
その顔には、ほんの僅かに笑みが浮かんでいた。
ツバキも口元を押さえる。
そして――
「プギッ」
ソラがもう一度鳴いた。
「……なるほどな」
今度はドラド王が、満足そうに頷いた。
「この者に褒美を与えても宜しいでしょうか?」
ツバキがドラドへ尋ねる。
「そうだな。ツバキちゃ――」
ドラド王が言いかける。
「……ツバキがそう申すのであれば、一向に構わん」
「……」
ツバキの赤い瞳が、一瞬だけ細くなる。
どうやら今の言い間違いには、何か言いたいことがあるらしい。
しかし、王の間である。
今は何も言わない。
「皆も良いか?」
ドラド王がマットウとブドゥを見る。
「王の意向のままに」
二人は声を揃えて答えた。
ドラド王は改めて真夏を見る。
「真夏よ。そなたの望む物を申せ」
真夏は少し考えた。
そして――
「王宮からの外出の許可を……」
そこまで口にして、言葉を止めた。
真夏はちらりとツバキを見る。
ツバキもまた、真夏へ向けて静かに頷いた。
それを見た真夏は、小さく息を吸う。
「……と思いましたが」
真夏は、ドラド王へ向き直った。
「私の境遇の件ですが……」
「境遇?」
ドラド王が眉を動かす。
「はい」
真夏は膝の上で両手を握った。
「今の私は、ドラド王様からツバキ王妃様への……その……『貢ぎ物』という扱いになっていると伺っております」
その言葉を口にした瞬間、真夏の表情から笑顔が消えた。
「ですので――」
真夏は顔を上げる。
「私を、物から人へ」
王の間が静まり返る。
「この国で働く、ひとりの人間として扱っていただきたいと考えています」
ドラド王は黙って真夏を見る。
真夏は続けた。
「そして……烏滸がましい限りですが」
ほんの少しだけ、照れたように笑う。
「私は、もっとツバキ様と仲良くしとうございます」
「……そうか」
ドラド王は静かに呟いた。
「ツバキと、仲良くしたいか……」
その言葉の裏には、王としての葛藤があった。
身分のない者を、そう簡単に王族へ近付けるわけにはいかない。
ましてや、この国は男尊女卑の風潮が根強い。
王妃であるツバキと親しくすることを快く思わない者が現れる可能性もある。
ドラド王が答えを探している、その時だった。
「――ドラド王」
低い声が響く。
スズキ戦士長が、一歩前へ出た。
「横から口を挟むことを、お許しください」
ドラド王が視線を向ける。
「申してみよ」
「この女性には、爵位を与えるに相応しい功績がございます」
スズキは真夏を見る。
その巨体から放たれる威圧感は凄まじい。
しかし、その声には一切の迷いがなかった。
「この者は、“冷笑の魔女”討伐より凍えながら戻った、私の三人の息子たちを機転を利かせて救ってくださいました」
セイゴ。
フッコ。
マダカ。
スズキの三人の息子。
あの時、彼らを救ったのは――目の前にいる小さな人間の女性だった。
「戦士長として、そして父親として――私は、この者の功績を軽んじるべきではないと考えております」
スズキは一礼する。
「よって、この者に爵位を与えても宜しいかと存じます」
ドラド王はしばし沈黙した。
やがて、隣にいるツバキへ視線を向ける。
ツバキは何も言わない。
ただ、赤い瞳で真夏を見つめていた。
ドラド王は再び真夏を見る。
「……スズキ」
「はっ」
「マットウ、ブドゥ」
「はっ」
「我は、この真夏の望みを叶え、爵位を与えたいと思う」
ドラド王は二人へ問い掛ける。
「其方らは、どう思う?」
マットウが一歩進み出る。
「断る理由など、ございません」
続いてブドゥも頭を下げる。
「王の望むままに」
ドラド王は頷いた。
そして――王として、真夏へ告げる。
「森真夏」
「はい」
「其方の望みを叶え、爵位を与える」
真夏の瞳が大きく開く。
「……ありがたき幸せ」
真夏は深々と頭を下げた。
その声は、僅かに震えていた。
こうして森真夏は――
ただ王妃に仕える異世界人ではなく。
ワダツミ王国に正式な身分を持つ、一人の人間となった。
だが――
ドラド王には、もう一つ考えていることがあった。
「それと、もう一つ」
真夏が顔を上げる。
「この国は、其方も知っての通り男尊女卑の国である」
ドラド王の声が、少し低くなる。
「今回の件を良しと思わず、良からぬことを考える者も現れるかもしれぬ」
真夏の表情が僅かに強張った。
「よって――」
ドラド王はスズキを見る。
「セイゴ、マダカ、フッコの三名に、森真夏の護衛を命ずる」
「!」
真夏が目を見開く。
「スズキ戦士長も、宜しいか?」
スズキは迷うことなく答えた。
「王の意向のままに」
そして――
スズキはゆっくりと鮫の頭蓋を模した兜を脱いだ。
露わになった顔には、歴戦の戦士としての威厳があった。
「我が息子たちに、命を預けさせます」
深々と頭を下げる。
真夏は慌てて立ち上がりそうになるが、すぐに思い直し、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
こうして真夏には、三人の護衛が付くこととなった。
「森真夏」
ツバキが声を掛ける。
「はい」
「それでは、下がってよいぞ」
いつものツバキらしい、少し悪戯っぽい笑顔。
そして――
赤い瞳を細めると、真夏へ向けてウインクを飛ばした。
「……はい!」
真夏も笑顔で応える。
王の間を退出する真夏の背中を、ドラド王は静かに見送っていた。
そしてツバキもまた――
その背中を、どこか嬉しそうに見つめていた。
◇
王との謁見を終えた真夏は、ひとり自室へと戻っていた。
胸の奥に刺さっていた棘が、一本抜け落ちたような感覚がある。
歩く足取りも、どことなく軽い。
「ソラ、私ね。ソラのお陰で爵位を貰っちゃった」
懐から顔を出しているソラに、真夏は嬉しそうに話しかける。
「私がお酒を飲みたかっただけだったのに……なんだか凄いことになっちゃったわね」
「プギッ、プギュ」
ソラは小刻みに尻尾を振りながら鳴いた。
まるで自分も喜んでいるかのようだ。
「ふふっ」
真夏はソラの頭を優しく撫でる。
「さっ、今日も早くお仕事頑張って、みんなで飲もう!」
「プギュ~~ッ!」
真夏が右手を高々と掲げる。
するとソラも負けじとヒゲをぴんと伸ばし、元気よく鳴いた。
――その時だった。
「真夏!」
背後から、聞き慣れた声が響く。
「?」
真夏が振り返る。
そこにいたのは、赤い髪を揺らす人魚の王妃――ツバキだった。
「ツバキ様?」
「ちょっと私に付き合ってくれない?」
「え?」
真夏が返事をするより早く、ツバキは真夏の手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください、ツバキ様! どこへ行くんですか?」
「いいから、いいから」
「いいからって……!」
ツバキは楽しそうに笑いながら、真夏を引っ張って泳いでいく。
向かった先は――王宮の最奥だった。
そこには、これまで真夏が一度も見たことのない巨大な金色の扉があった。
分厚く、頑丈に造られた扉。
その両脇には、完全武装した兵士たちが立ち、厳重に警備している。
真夏は思わず足を止めた。
「王妃様。この場に人間の者をお連れになるのは……」
兵士の一人が困惑したように声を掛ける。
しかしツバキは、少しも動じなかった。
「何を言っている。この者は、王妃付きの者である」
そして真夏を見る。
「通せ」
「……ハッ!」
兵士はすぐに姿勢を正し、頭を下げた。
「ツバキ様……ここには、一体何があるんですか?」
真夏はおっかなびっくり尋ねる。
「それは、見てのお楽しみ」
ツバキはいたずらっぽく笑った。
「兵たちよ。扉を開けよ」
「ハッ!」
兵士たちが扉へ手を掛ける。
そして――
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……。
重厚な音を響かせながら、巨大な扉がゆっくりと開いていく。
その隙間から、柔らかな光が溢れ出した。
真夏は思わず目を細める。
不思議だった。
ただ光を見ただけなのに――
胸の奥が、じんわりと暖かくなる。
「真夏、中へ」
ツバキが先に入っていく。
「兵たちよ。扉を閉めよ」
「ハッ!」
真夏が中へ入った直後、背後で巨大な扉が閉じられた。
ゴォン……。
外界から切り離されたような静寂。
真夏は、ゆっくりと顔を上げた。
「……わぁ……」
そこには、巨大な空洞が広がっていた。
王宮の内部に、これほど広大な空間が存在しているとは思わなかった。
そして、その中央。
まるで天を衝くかのような巨大な木が、そびえ立っている。
太く、力強い幹。
無数に伸びる枝。
その枝葉からは柔らかな光が漏れ、周囲を淡く照らしている。
木の根元には、何人もの女性の人魚たちが集まっていた。
幹に抱きつき、目を閉じ、静かに祈っている者もいる。
その光景を見た真夏は、言葉を失った。
「この木はね――」
ツバキが静かに口を開く。
「ニライカナイって言うの」
「ニライカナイ……」
真夏の脳裏に、沖縄地方に伝わる伝説上の楽土の名前が浮かんだ。
しかし、ここにあるのは伝説ではない。
目の前に実在する、巨大な生命の樹だった。
「私たち王国の者たちが、何千年もの間守り続けてきた木。そして、これからも守り続けなくてはならない御神木よ」
「御神木……」
真夏は、その巨大な幹を見上げる。
「私たち人魚はね。この木に願いを捧げることで、子を授かるの」
「え?」
ツバキが指差す。
その先には、枝から伸びる小さな実がいくつか見えた。
「私たち人魚もね、恋をするのよ」
ツバキは、どこか照れくさそうに笑う。
「互いに恋をして、将来を誓う。そして、子供が欲しくなったら、女性の人魚がこの木のもとを訪れて願うの」
「……素敵」
真夏の瞳が輝く。
「願いが叶うと、花が咲く。そして、その花が実を結ぶのよ」
真夏は、枝先に実った小さな果実を見つめた。
その一つ一つに、誰かの願いが込められている。
誰かを愛した想い。
家族を望んだ願い。
そして、新しい命を迎えたいという祈り。
そう考えると、ただの実には見えなかった。
「そうでしょ?」
ツバキが嬉しそうに笑う。
「人間も人魚も、見た目が違うだけで中身は変わらないのよ」
「……はい」
「それに――」
ツバキはニライカナイを見上げる。
「男尊女卑なんて言ってるけど、この場所には女性しか入れないのよ」
「そうなんですか?」
「そう。まったく……王国の慣習って、本当に古いよね」
ツバキは呆れたように肩をすくめる。
「ドラドくんは少しずつ変えようとしてるけど……」
「伝統というものは、なかなか変えられるものではありませんからね」
真夏は静かにニライカナイを見つめながら答える。
「その土地に根付いた伝承や伝統には、それを守ってきた人たちの想いがありますから」
そして、少し考えてから続けた。
「残すべきものと、変えるべきもの。その判断は、いつの時代も難しいと思います」
「うん」
ツバキは頷いた。
「変えすぎれば、国そのものの制度が崩れてしまうこともある。だけど、何も変えなければ、時代に取り残されてしまう……」
「そういうことです」
「ふふっ」
ツバキは真夏を見た。
「やっぱり真夏は博識ね」
「いえ、そんな……」
真夏は少し照れたように笑う。
しかし、ツバキはそこで話を終えなかった。
「それと真夏」
「はい?」
「人族が、この世界で暮らせる理由。考えたことはある?」
真夏の表情が変わる。
「あります」
真夏は頷いた。
「これまでにも色々な本を読みました。ワダツミ王国の歴史や、この世界について書かれた本も。でも……答えは出ませんでした」
ツバキはニライカナイへ視線を戻す。
「それはね――この木が、海底世界に暮らす全ての者に酸素を供給しているからよ」
「……!」
「いわば、この国にとっての生命維持装置ね」
真夏は息を呑む。
「この木に……そんな効果まで……」
改めて、ニライカナイを見上げる。
巨大な幹。
広大な枝葉。
淡く輝く無数の葉。
この木がなければ、人間はこの海底世界で生きていけない。
そして、この木を何千年もの間守り続けてきたからこそ――
自分たち人間も、ここで生きていられる。
そう考えると、ニライカナイという存在が、急に身近なものに感じられた。
ふと、真夏は幹の方へ視線を向ける。
そこには、一人の女性の人魚がいた。
腕の中には、生まれたばかりの赤ん坊。
女性は我が子を優しく抱きしめ、穏やかな表情で母乳を与えている。
その姿を見つめていた真夏の顔に、自然と笑みが浮かんだ。
生命が生まれる場所。
願いが届く場所。
そして――
この国そのものを支えている場所。
「……ニライカナイって、本当に素敵な場所ですね」
真夏は小さく呟いた。
そしてツバキへ向き直る。
「ツバキ様。私をこのような場所へ連れてきてくださって、ありがとうございます」
ツバキは一瞬、目を丸くした。
そして――
「ふふっ」
柔らかな笑みを浮かべる。
「私はね、真夏にこの国をもっと好きになってもらいたいと思っただけよ」
その言葉とともに、ツバキは満面の笑みを浮かべた。
ニライカナイの柔らかな光が、二人の人魚――いや、人魚と人間を優しく照らしていた。




