↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/31

試験官ルシエル

 討伐隊本部の一室。


 机へ突っ伏したまま、巨大な身体をぴくりとも動かさない男人魚が一人。


 ペルカ隊長である。


 その隣では、キャペリンがノコギリガザミの大剣を布で丁寧に磨いていた。


 磨くたびに黒光りする刃が鈍く輝く。


 もう十分ではないかと思うほど手入れを終えているのに、それでも飽きずに磨き続けていた。


 やがてキャペリンはため息を一つつき、顔を上げる。


「ペルカ隊長。」


「……。」


「そろそろやる気を出していただけませんか。」


「……。」


「このままでは隊の士気に関わります。」


 返事はない。


 キャペリンはもう一度ため息をついた。


「隊長。」


「嫌じゃ。」


 即答だった。


「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ! ワシは南の海域なんぞ行きとうない!」


 机をばんばん叩きながら子どものように駄々をこね始める。


 キャペリンは慣れた様子で大剣を置いた。


「理由をお聞きしても?」


「理由も何もあるか!」


 勢いよく顔を上げる。


「ワシらは基本、流氷海域専門の討伐隊じゃろ!」


 机へ広げられた海域地図を指差す。


「北は冷たい! 見通しが良い! 魚も締まっとる!」


 指が南へ移る。


「それが何じゃ、この泥濘海域は!」


 地図をべしべし叩く。

 

「泥! 泥! 泥! 全部泥じゃ!」


 キャペリンは静かに答えた。


「戦士長命令です。」


「そればっかり言うな!」


 ペルカは椅子から立ち上がる。


「ターボット隊とチュルボ隊は何をやっとる!」


 両手を広げて叫ぶ。


「泥濘海域はあいつらの担当じゃろ! 泥の中を泳ぐのが好きな変わり者どもじゃ!」


「お二人の隊は別件対応中です。」


「別件!? 何じゃ別件とは!」


「詳細は機密です。」 


「便利じゃのぉ、その言葉!」


 ペルカは再び机へ突っ伏した。


「忙しいってことは……。」


 ぼそっと呟く。


「まるでワシらが暇しとるみたいじゃないか。」


「隊長。」


「ワシも忙しいんじゃ。」


 指を折り始める。


「朝飯を食べて。」


「はい。」


「昼飯を考えて。」


「はい。」


「晩飯を楽しみにする。」 


「食事しかありませんね。」


「大事じゃ!」


 即答だった。


「討伐は腹が減る!」


 キャペリンは額へ手を当てた。


「仕方ありません。」


 静かに言う。


「私たちの担当海域の脅威は、ほとんど"冷笑の魔女"が凍らせてしまいましたから。」


 その瞬間。


 ペルカの顔がぴくりと引きつった。


「ぐぬぬぬ……。」


 拳を握る。


「冷笑の魔女め……。」


 歯ぎしりする。


「こんな所でもワシらの仕事を奪いおって……!」


 椅子から立ち上がり、大槌を掴む。


「ワシの流氷海域を返せぇぇぇ!」


「隊長。」


 キャペリンの声色が少しだけ低くなる。


「あまり冷笑の魔女のことを悪く言わない方がよろしいかと。」


 その一言で部屋が静かになった。


 ペルカは首をかしげる。


「おいおいキャペリン君。」


 にやりと笑う。


「随分と冷笑の魔女の肩を持つではないか。」


「…………。」


 キャペリンは無言だった。


 ほんの一瞬だけ視線を逸らす。


「それよりも隊長。」


 話題を変えるように咳払いをした。


「考え方を変えましょう。」


「変えられるものか。」


「今回の捕食者はダイダラワラスボ。」


 海域地図へ指を置く。


「戦士長は、『ペルカ隊でなければ討伐できない』と判断されたのでしょう。」


 ペルカの耳がぴくりと動いた。


「つまり。」


 キャペリンは畳み掛ける。


「それだけ隊長が頼りにされているということです。」


「ほぉ……。」


 少しだけ姿勢が伸びる。


「戦士長直々のご指名ですよ。」


「ほぉほぉ……。」


 胸を張り始める。


「サクッと討伐して帰ってくれば、また武勲が増えます。」


「うむ。」


「もしかすると出世もあるかもしれません。」


「出世……。」


 目が輝いた。


「戦士長補佐とか、副団長とか……。」


 もうすっかりその気である。


 キャペリンは心の中で小さく頷いた。


(単純です。)


「それと。」


「まだあるのか!」


「泥濘海域には、隊長のお好きな食材があります。」


 ペルカの身体が勢いよく振り向く。


「食材じゃと!?」


「マダイラギという二枚貝です。」


「二枚貝!」


 目の色が変わる。


「大きくて甘みが強く、焼いても煮ても絶品だそうです。」


「焼いても……煮ても……。」


 ペルカの口元からじわりとよだれが垂れそうになる。


「しかも。」


 キャペリンは追撃する。


「巨大なものは人の顔ほどあるそうですよ。」


「顔ほど!?」


 ペルカは大槌を天高く掲げた。


「なるほど!!」


 さっきまでの死人のような顔はどこへやら。


 闘志満々で大槌をぶんぶん振り回し始める。


「待ってろマダイラギ!!」


(討伐対象はダイダラワラスボです。)


「今、ワシが食べに行くぞぉぉぉ!!」


 討伐対象より貝に向かって叫んでいた。


 キャペリンは静かに大剣を背負う。


「……これで準備完了ですね。」


「よーし!」


 ペルカは鼻息荒く部屋を飛び出していく。


「討伐隊総員! 出撃準備じゃ!」 


「ダイダラワラスボ討伐!」


 一拍置いて、


「ついでにマダイラギも確保するぞ!」


 廊下に響く号令を聞きながら、キャペリンは誰にも聞こえないよう小さく呟いた。


「隊長……目的が逆になっています。」


 ◇


 訓練場は、まだ試験の熱気が冷め切っていなかった。


 床には電撃で痺れた志願者たちがようやく起き上がり始め、観客席では先ほどの試合の話で持ちきりになっている。


「見ただろ?」


 大地はルシエルへ振り返り、得意げに笑った。


「なんでお前の拳が俺に当たらないか。」


 ぽん、と肩を叩こうと手を伸ばす。


 しかし――


 スッ。


 ルシエルは半歩だけ身体をずらし、その手をきれいに避けた。


「……。」


「……。」


 大地の手だけが宙に取り残される。


「大地の変態。」


 ルシエルは頬を膨らませた。


「えっ、なんで!?」


「私の拳はあんなに避けるくせに!」


 一歩詰め寄る。


「さっきは春陽ちゃんの拳は受けたじゃない!」


「いや、それは受けたんじゃなくて――」


「胸も触ったし!」


「だから事故だって!」


「事故で済ませる気!?」


 ルシエルの怒涛の追及に、大地は完全に押され始めた。


「そ、それは不可抗力というか……その……。」


 助けを求めるように振り返る。


「虎太郎! そこで笑ってないで、お前も弁明してくれ! 元はと言えば、お前が入れ替わったから――」


「くくくっ。」


 虎太郎は口元を隠しながら肩を震わせる。


「大地さん。」


 一礼してから、さらりと言った。


「貴方がお嬢の胸を揉んだことも、その拳を受けたことも、紛れもない事実です。」


 にっこり笑う。


「人のせいにしていただいては困ります。」


「裏切ったな!!」


 大地が叫ぶ。


 訓練場に笑いが広がった。


「春陽!」 


「ひゃいっ!」


 突然名前を呼ばれ、春陽が飛び跳ねる。


「助けてくれ!」


「えっ!? ぼ、ボク!?」


 野球帽のつばをぎゅっと握る。


「ボクは……その……。」 


 耳まで赤く染め、そっぽを向いた。


「もう怒ってない……よ。」


 最後だけ小さな声になる。


「ほら!」


 大地が指を差す。


「本人も怒ってないって言ってる!」


「怒ってないだけで、許したとは言ってない!」


 ルシエルの一撃が飛ぶ。


「ぐっ……。」


 大地は思わず肩をすくめた。


「まあまあ。」



 見かねたシャイナが二人の間へ入る。


 長い深緑色の尾を揺らしながら、困ったように笑った。


「これでみんな討伐隊に入れたんだから、仲良くしましょう?」


 その場が少し和みかけた――その時だった。


「シャイナさんは、まだ合格してないよ。」


 ルシエルがきっぱりと言った。


 空気が止まる。


「……え?」


 シャイナの黄色い瞳が丸くなる。


「ほ、本当に?」


「本当。」


 ルシエルは腕を組む。


「だってシャイナさん、まだ試験を受けてないもの。」


 シャイナはきょろきょろと辺りを見回した。


「顔パスじゃ……ダメです?」


「ダメ。」


 即答だった。


「そんなぁ……。」 


 肩までしょんぼり落ちる。


 その様子に会場から小さな笑いが起きた。


 ルシエルはまだ少し頬を膨らませたまま、大地を指差す。


「それに私、まだむしゃくしゃしてる。」


「えっ、まだ?」


「まだ。」


 きっぱり。


「大地。」


「はい。」


「試験官、代わって。」


「……できるのか?」


「うん。」


 迷いのない返事だった。


「私がシャイナさんを受け持つ。」


 大地は少しだけ考え、笑って頷く。


「分かった。」


 一歩下がって道を譲る。


「じゃあ頼む。」


「任せて。」


 ルシエルは八星爪へそっと手を添えながら訓練場中央へ歩き出した。


 向かい合うシャイナは、大きくため息をつく。


「うーん……。」


 頭をかきながら苦笑する。


「正直、あんまり乗り気じゃないのよね。」


「なんで?」


「だって。」


 シャイナは肩をすくめる。


「私が合格する未来しか見えないもの。」


 その場にいた全員が首をかしげた。


 ルシエルだけは真っ直ぐ見つめ返す。


「そんなの。」


 一歩踏み出す。


「やってみなきゃ分からないでしょ。」


 シャイナは静かに首を横へ振った。


「ううん。」


 不思議なくらい穏やかな声だった。


「分かるの。」


 二人は訓練場の中央で向かい合う。


 熱気に包まれていた会場が、今度は張り詰めた静寂へ変わっていく。


 少し離れた場所で、大地は虎太郎へ小声で尋ねた。


「なあ。」


「はい。」


「さっきシャイナが言ってたこと……どういう意味だ?」


 虎太郎はフードの奥で静かに笑う。


「くくくっ。」


 一拍置いて答えた。


「それはですね。」


 視線はシャイナから離さない。


「シャイナくんの能力が――**『未来視』**だからです。」 


 その一言に、大地の表情が凍りついた。


 未来が、見える――。


 訓練場の空気が、一瞬で張り詰めた。


 ◇


 訓練場の中央。


 白髪の人魚と、深緑の尾を持つ蛇人魚が静かに向かい合う。


 二人の背丈はほとんど変わらない。


 だが――違うのは尾だった。


 ルシエルの尾が人魚らしい長さなのに対し、シャイナの尾はその十倍近くもある。


 長く、美しく、そして獲物を締め上げるためだけに生まれたようなしなやかな尾。


 床へゆっくりと円を描き始めるだけで、周囲の空気が変わった。


「イライラする……イライラする……。」


 ルシエルは八星爪を握る手に力を込める。


 紅い瞳に光が宿る。


「おい、ルシエル。落ち着けよ。」


 大地が声を掛ける。


 だが届かない。


 春陽の一件もあり、ルシエルの頭にはまだ湯気が立っているようだった。


「……今は大地のこと嫌い。」


「えぇ……。」


 大地が肩を落とす。


 その瞬間だった。


 シャイナの尾がゆらりと揺れた。


 ヒュンッ!!


 空気を裂くような音。


 長い尾が鞭のように一直線でルシエルの頬を狙う。


「きゃっ!」


 紙一重で身を反らす。


 頬をかすめた尾が床へ叩きつけられると、石畳が弾け飛んだ。


 ドガァンッ!! 


「速い……!」


「尾だけであの威力か!」


 観客席が一斉にどよめく。


 しかし終わらない。


 ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ! 


 二撃。


 三撃。


 四撃。


 長い尾がまるで生き物のように軌道を変えながら襲ってくる。


 ルシエルは悲鳴を上げながら飛び退くしかない。


「きゃあっ!」


「近寄れない!」


「距離が全然縮まらないぞ!」


 討伐志願者たちも思わず息を呑んだ。


 十倍の尾は、そのまま十倍の間合いだった。


 離れていても攻撃できる。


 近付けば締め上げられる。


 蛇人魚ならではの戦い方だった。


「くくくっ。」


 虎太郎が腕を組んで笑う。


「さすがシャイナくん。容赦ありませんね。」


 大地は目を細めた。


「虎太郎、お前忘れてないか?」


「何をです?」


「人魚の本当の武器は泳ぐ速さだ。」


 その言葉を聞いた瞬間だった。


 ルシエルの瞳が変わる。


 ヒュッ!!


 水流を蹴る。


 尾を大きくしならせ、一瞬でシャイナとの距離を詰めた。


「速っ!」


 観客の誰かが叫ぶ。


 八星爪が銀色の軌跡を描く。


「もらったぁ!」


 四連撃。


 右。


 左。


 下。


 最後は喉元。


 完璧だった。


 ――はずだった。


 シャイナは一歩も慌てない。


 身体を紙一枚ずらすだけで、一撃、二撃、三撃とかわしていく。


 最後の喉元への一撃も、首を傾けるだけで避けた。 

 ルシエルの爪は空を裂く。


「なっ……。」


 ルシエルの表情が固まる。


「くくくっ。」 


 虎太郎が肩をすくめた。


「大地さんも忘れていますよ。」


「……未来視か。」 


「そうです。」


 シャイナはルシエルの攻撃を見ていない。


 攻撃が来る未来を見ている。


 だから避けられる。


 シャイナはルシエルの背後へ滑り込む。


「さぁ、可愛い白髪の人魚ちゃん。」


 黄色い瞳が妖しく細くなる。 


「観念しなさい。」


 長い尾が一瞬でルシエルの身体へ巻き付いた。


 シュルルルルッ――。


 腰。


 腕。


 脚。


 胸元。


 尾が何重にも巻き付き、美しい緑色のとぐろが完成する。


「うっ……!」


 ルシエルの身体が持ち上がる。


 締め付けが少しずつ強くなる。


 ギリ……ギリ……。


 呼吸が苦しい。


「ルシエル!」


 大地が思わず一歩踏み出す。


「バカ……大地。」 


 締め付けられながらも笑う。


「し……心配……すんな。」


 その強がりに、大地は足を止めた。


 試験官だからではない。


 ルシエルなら、まだ何か考えていると信じたからだった。


「ほらほら。」


 シャイナは余裕の笑みを浮かべる。


「チェックメイトよ。」


 さらに締め付ける。


「ここからどうやって逆転するの?」


 ルシエルの指先から八星爪が落ちそうになる。 


「まだ……。」


 息を絞り出す。


「まだ……負けてない。」 


「諦めなさい。」


 シャイナが勝利を確信した、その瞬間――


 ルシエルが小さく笑った。


「ネバー……ギブアップ。」


 そして叫ぶ。


「アーク!!」


「キュウゥゥゥッ!!」


 ルシエルの影から、黒い影が飛び出した。


「えっ?」


 シャイナが初めて驚く。


 アークがとぐろの隙間へ潜り込み、髭を真っ直ぐ立てた。


 バリィィィィッ!!


 青白い雷がシャイナの尾を走る。


「きゃああああっ!!」


 全身が痺れた。


 尾が勝手にほどける。


 ルシエルが床へ転がり落ちた。


 シャイナも膝から崩れ落ちる。


「し、痺れるぅ……。」


 尾を押さえながらぷるぷる震えていた。


 観客席が騒然となる。


「電気ナマズだ!」


「援護だ!」 


「そんなのアリか!?」


 虎太郎が苦笑した。


「くくくっ……大地さん。」


「あれは反則では?」


 大地は腕を組み、真面目な顔で考えるふりをした。


「いや。」


 一拍置いて笑う。 


「試験方法は試験官が決める。」


「それに最初から、一対一なんて一言も言ってない。」


 虎太郎は額へ手を当てた。


「なるほど……屁理屈ですね。」


「戦場じゃ正論だ。」


 大地が笑う。


 床へ座り込んでいたルシエルが勢いよく立ち上がった。


 両手で大きくⅤサインを作る。


「やった、抜け出せた!」


 満面の笑みだった。


 大地も思わず笑い返し、手を振る。


「よくやった。」


 ルシエルは得意満面に胸を張る。


「戦いは一人でするものじゃないもん!」


 その言葉に、大地は少しだけ目を細めた。


 ――そう。


 さっき自分が志願者たちへ言った言葉と同じだった。


 「仲間を見て動け。前だけ見る奴は、一番最初に死ぬ。」


ルシエルは、それをちゃんと戦いで証明してみせたのだった。


 大地は満足そうに頷き、ルシエルへ歩み寄る。


「よくやった。」


 頭をぽん、と軽く叩く。


 ルシエルはえへへ、と嬉しそうに笑った。


「えらい?」


「えらい。」


 胸を張るルシエルを見て、訓練場の空気も少し和らぐ。


 大地は腕を組み、試験官らしく咳払いをした。


「それで、ルシエル試験官。」


「うん!」


「シャイナは合格か?」


 ルシエルは少しだけ考える素振りを見せる。


「うーん……。」


 人差し指を口元へ当て、首を左右へ傾ける。


 そして満面の笑みで宣言した。


「不合格!」


 一瞬、訓練場が静まり返る。


 次の瞬間――


「「「えぇぇぇぇぇぇっ!?」」」


 会場中がどよめいた。


「未来視なのに!?」


「さっき勝つ寸前だっただろ!」


「未来が見える相手を落とすのか!?」


 志願者たちは騒然となる。


 シャイナ本人も目をぱちくりさせていた。


「え……私?」


 虎太郎が額へ手を当てながら歩み寄る。


「おやおや、ルシエルさん。」


 いつもの丁寧な口調で一礼する。


「差し支えなければ、不合格の理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 ルシエルは悪びれる様子もなく答えた。


「うんとね。」


 指を一本立てる。


「未来が見えちゃうと、私の作戦が輝かないから!」


「…………。」 


 虎太郎が固まる。


 春陽も口を開けたまま動かない。 


 大地は思わず吹き出しそうになる。


「それだけ……ですか?」


 虎太郎が恐る恐る聞き返した。


「それだけじゃないよ。」


 ルシエルは今度は二本目の指を立てた。


「未来が見える人ってね。」


 紅い瞳が真っ直ぐシャイナを見る。


「きっと、自分の見えた未来を信じすぎちゃう。」


 訓練場が静かになる。


「だからね。」


 ルシエルはにこっと笑った。


「策士、策に溺れる未来が私には見えた。」


 その言葉だけは、不思議なくらい真剣だった。


 大地も少し驚いた顔をする。


 虎太郎は目を細め、小さく息を吐いた。


「……なるほど。」


 シャイナはしばらく黙っていた。


 そして、ふっと笑う。


「ごめんね、シャイナちゃん。」


 ルシエルが申し訳なさそうに頭を下げる。


 シャイナはゆっくり首を横へ振った。


「ううん。」


 その笑顔は、とても穏やかだった。 


「いいの。」


 床へぺたりと座り込む。


「私ね。」


 自分の長い尾を見つめながら呟く。


「戦いには向いてないってこと、本当は知ってたから。」


 その声には、どこか諦めが混じっていた。


 虎太郎と春陽の表情が曇る。


「シャイナくん……?」 


 虎太郎が一歩近付く。


 その時だった。


 シャイナの身体が小さく震え始めた。


「……え?」


 春陽が顔色を変える。


 黄色い瞳が大きく見開かれ、焦点がどこか遠くを見ている。


 まるで今この場ではない景色を見ているようだった。


「見える……。」


 シャイナが震える声で呟く。


「逃れられない運命が……。」


 訓練場の空気が一変する。


 さっきまで笑っていた志願者たちも息を呑んだ。


「私に近付いてくるのが……見える。」


「逃れられない運命……ですか?」


 虎太郎が心配そうに問い掛ける。


 シャイナは答えない。


 ただ一点だけを見つめていた。


 誰にも見えない未来を。


 やがて震えが収まると、ゆっくり立ち上がる。


 そして大地へ向き直った。


「大地さん。」


「ん?」


「虎太郎と春陽を、よろしくお願いします。」


 大地は眉をひそめる。


「おい、シャイナ。」


「私は、この運命に従うわ。」


 一歩、後ろへ下がる。


「ううん。」


 寂しそうに笑った。


「従うことしか、できない。」


  それだけ言い残して、シャイナの背中が訓練場の扉の向こうへ消えていく。


 誰もその意味深な言葉の意味を理解できないまま、静かな空気だけが残った。


「……運命って、なんだろうね。」


 ルシエルがぽつりと呟く。


 大地にも、その意味はまだ分からなかった。


 しばらく考え込んでいると、不意にルシエルがくすっと笑う。


「でもね。」


「ん?」


「私、今回一つ学んだよ。」


 紅い瞳が悪戯っぽく細められる。


「何をだ?」


 ルシエルは大地へ手招きした。


「大地、ちょっとだけ屈んで。」


「こうか?」


「うん。耳、貸して。」


 大地は何も疑わず身を屈める。


 ルシエルの白い髪がふわりと揺れた。


 次の瞬間――


 チュッ。


 頬に、温かく柔らかな感触が触れた。


 一瞬、時間が止まる。


「なっ……な、な、何だいきなり!?」


 大地が飛び退く。


 頬を押さえたまま顔を真っ赤にする。


 ルシエルは満足そうに両手を後ろで組み、にこりと笑った。


「私からの――」


 わざと一文字ずつ区切る。


「意識の外からの、一・撃♡」


 訓練場が静まり返る。


「…………。」


 観戦していた討伐志願者たちまで固まった。


 そして――


 春陽の時間だけが止まった。


「だ、大地ぃぃぃぃぃぃっ!!」


 春陽の叫びが訓練場中へ響き渡る。


 顔を耳まで真っ赤にした春陽が、大地を指差して震えていた。


「ち、違う! 今のは俺じゃ――」


「問答無用だぁぁぁ!!」


 拳を握って突撃しようとする春陽を、虎太郎が慌てて羽交い締めにする。


「お嬢、お嬢! 落ち着いてください!」


「離せ虎太郎! ボクも意識の外から一撃する!!」


「それは一撃の意味が違います!」


 訓練場は一気に大騒ぎになった。


 そんな春陽を見つめながら、ルシエルはほんの少しだけ顎を上げる。


 紅い瞳に宿るのは、無邪気さと小さな勝ち誇り。


 まるで宣戦布告を告げる小悪魔のような笑みだった。


 大地はその笑顔を見て、思わず額へ手を当てる。


「……勘弁してくれ。」


 その一言に、訓練場は再び笑いに包まれた。


 こうして討伐隊入隊試験は、最後まで大騒ぎのまま幕を閉じるのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。