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試験官大地

 大地はペルカの命令を受け、討伐隊の試験会場へ向かっていた。


 隣にはルシエル。


「心配だから。」


 そう言ってついて来たものの、その視線はどこか真剣だった。


 きっと今回の討伐で共に戦う仲間を、自分の目で見極めたいのだろう。


 もちろんアークも一緒である。


 試験会場の大扉の前で、ルシエルがそっと大地の耳元へ顔を寄せた。


「大地。」


「ん?」


「今回は私たちが隊員を選ぶ側よ。」


 赤い瞳が真っ直ぐ大地を見つめる。


「媚びたり、優しくしすぎたりしたら駄目。舐められたら、この先ずっと統率できなくなる。」


 大地は静かに頷いた。


「ああ。分かってる。」


 深く息を吸い込み、大扉へ手を掛ける。


 重い扉がゆっくり開いた。


 ――瞬間。


「うおおおおおっ!!」


「始まったぞ!!」


「湯本大地だ!!」


 轟音のような歓声が会場中へ響き渡った。


 熱気が押し寄せる。


 巨大な訓練場には、屈強な男人魚たちが所狭しと集まっていた。


 前回の入隊試験の倍はいる。


 槍を肩へ担ぐ者。


 銛を振り回す者。


 素手で胸を叩き雄叫びを上げる者。


 誰も彼もが闘志を剥き出しにしていた。


 空気が熱い。


 海中とは思えないほど、人々の熱気だけで水流が揺らいでいるようだった。


「捕食者の証を手に入れるぞ!」


「捕食者を倒せば土地も爵位も貰える!」


「俺が討伐隊に入る!」


 噂はすでに王都中へ広がっていた。


 捕食者を討ち、その証を授かれば名誉も地位も得られる。


 貧しい暮らしから抜け出せる。


 家族を養える。


 そんな希望を抱いた若い戦士たちが、この場へ集まっていたのだ。


 歓声は止まらない。


「早く試験を始めろ!」


「俺を選べ!」


「人族なんかに負けるか!」


 怒号と歓声が入り混じり、誰の声も聞こえなくなる。


 大地は一歩、壇上へ上がった。


 そして腰から赫灼牙を抜く。


 ダンッ!!


 赫灼牙が壇上の机へ深々と突き刺さった。


 鋭い音が訓練場中へ響く。


「静かにしろ。」


 低く放った一言だった。


 だが熱気はまだ収まらない。


 アークが大地の肩へ飛び乗る。


「キューーーッ!!」


 青白い電気が髭の先で弾けた。


 バチバチバチッ!!


 稲妻が天井近くを走り、訓練場全体を青白く照らす。


「うっ……!」


「で、電気ナマズだ!」


 志願者たちが一斉に息を呑む。


 今度こそ静寂が訪れた。


 誰一人、口を開かない。


 大地はゆっくりと周囲を見回した。


「試験は簡単だ。」


 赫灼牙を机から引き抜く。


「俺に一発当ててみろ。」


 その言葉に会場がざわつく。


「ただし――」


 大地は指を一本立てた。


「全員まとめて掛かって来い。」


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間だった。


「舐めるなぁぁ!!」


「人族が何様だ!」


「押し潰せぇぇぇ!!」


 百を超える志願者たちが一斉に駆け出した。


 まるで津波だった。


 砂煙ならぬ泥煙が舞い上がり、槍や銛が一斉に大地へ向く。


「アーク。」


 大地は振り返らず言う。


「頼む。」


「キュッ!!」


 アークの髭が真っ直ぐ伸びる。


 身体が青白く輝いた。


 バリィィィィンッ!!


 稲妻が床を走る。


 先頭集団の足元へ雷が弾けた。


「うわぁぁぁ!」


「し、痺れる!!」


「足が動かねぇ!」


 先頭の十数人が一斉に転げ回る。


 後続も慌てて足を止め、雪崩のようにぶつかり合った。


 会場は一瞬で大混乱になる。


「隊列が崩れた!」


「押すな!」


「前が見えない!」


 誰も攻撃できない。


 誰も指示を出せない。


 ただ押し合いへし合いするだけだった。


 静まり返った会場で、大地はぽつりと呟いた。


「これが強敵との戦いだ。」


 誰も動かない。


「一人の判断ミスで、隊は全滅する。」


 その声だけが静かに響く。


 志願者たちは痺れた身体を押さえながら、大地を見上げていた。


「力だけじゃ討伐隊には入れない。」


 赫灼牙を指先でクルクル回すと、鞘に収めた。


「仲間を見て動け。前だけ見る奴は、一番最初に死ぬ。」


 重い沈黙が流れた。


「キュ〜。」


 アークは満足そうに胸鰭をぱたぱた動かす。


 その直後――


「大地ぃぃぃっ!!」


 ルシエルの怒鳴り声が訓練場中へ響き渡った。


「最初から電撃で試験を壊す人がある!?」


 大地はきょとんと振り返る。


「いや……全員倒したわけじゃないし。」


「問題はそこじゃない!」


 ルシエルは頭を抱えた。


「試験官が受験者をまとめて痺れさせるなんて聞いたことないわよ!」


 会場のあちこちで痺れた志願者たちがうめき声を上げる。


 その光景を見た大地は頭をかきながら苦笑した。


「……ちょっとやり過ぎたか。」


 大地が頭をかく。


「ちょっとじゃない!!」


 静まり返った訓練場に、ルシエルの怒鳴り声だけが響き渡った。


 床には痺れて転がる志願者たち。


 会場中から「うぅ……」「動けねぇ……」とうめき声が聞こえる。


 大地は困ったように肩をすくめる。


「でもまぁ……残ってるだろ?」


 そう言って訓練場の片隅を指差した。


 ルシエルが視線を向ける。


「……本当だ。」


 そこには三人だけ、何事もなかったように立っていた。


 一人は顔を布でぐるぐる巻きに隠した、小柄な女性。


 一人は深くフードを被り、顔をほとんど見せない男。


 そしてもう一人。


 深緑色の長い尾をゆらりと揺らす、褐色肌の女性――シャイナだった。


「俺の本命は、あいつらだよ。」


 大地は笑いながら三人へ歩み寄る。


「よう、春陽。虎太郎。久しぶりだな。」


 すると布を巻いた女性が、さっと背を向けた。


「春陽? 誰だ、それは。」


 腕を組み、どこか芝居がかった口調で言う。


「ボクは流浪の戦士。」


 布の奥から片目だけを覗かせる。


「名など持たぬ。」


「……。」


 大地は無言になる。


 続いてフードの男も、一歩前へ出た。


「私も虎太郎ではありません。」


 胸へ手を当て、妙に格好つける。


「世を巡る旅人――フードの男、とでも呼んでもらいましょう。」


 ルシエルの目がきらきら輝いた。


「流浪の戦士! フードの男!」


 両手を握り締める。


「格好良い!」


「ルシエル、騙されるな。」


 大地は即座に突っ込んだ。


「こいつら、春陽と虎太郎だ。」


「違う。」


 春陽は人差し指を立てる。


「ボクは流浪の戦士。」


「違います。」


 虎太郎も首を横へ振る。


「私はフードの男です。」


「いや、虎太郎だろ。」


「違います。」


「春陽だろ。」


「違う。」


「面倒くさっ!」


 大地が頭を抱える。


 その様子を見て、ルシエルは大笑いしていた。


「大地、全然勝ててない。」


「助けてくれ。」


 大地は最後の望みを託すようにシャイナを見る。


「なぁ、シャイナ。」


 シャイナは深いため息をついた。


「これはどういうことなんだ?」


「……聞きます?」


「聞く。」


 シャイナはこめかみを押さえる。


「この二人、狩猟の奴隷村で『もっと強そうな名前が欲しい』って騒ぎまして……。」


 またため息。


「マダムに『あんたたち痛い』って怒られました。」


「うん。」


「そのあと『しばらく村へ帰ってくるな』って追い出されまして。」


「うん。」


「それで流浪の戦士ごっこを始めました。」


「なるほど。」


 大地は納得した。 


「なるほどじゃありません。」


 シャイナは肩を落とす。


「毎日これなんです……。」


「はぁぁぁ……。」


 人生を諦めたような大きなため息だった。


 ルシエルはというと。


「流浪の戦士……。」


「フードの男……。」


 一人でぶつぶつ呟いている。


「やっぱり格好良い。」


「だから騙されるなって。」 


 大地が呆れる。


 春陽は満足そうに胸を張った。


「ふっ。見る目があるな、お嬢さん。」


「当然だ。」


 虎太郎まで腕を組む。


「我々は強き者を求め、この海を流浪する戦士。」


 二人同時に大地へ指を向けた。


「湯本大地。」


「勝負を願う。」


「試験官は俺なんだけど?」


「構わん。」


 春陽が拳を構える。


「試験官だろうが、流浪の戦士は遠慮しない。」


「試験官だから受けて立つ。」


 大地も赫灼牙へ手を掛ける。


 二人の間に火花が散る。


「面白そう!」


 ルシエルは完全に観客になっていた。


「頑張れ、流浪の戦士!」


「どっちの味方なんだ!」


 大地が叫ぶ。


「大地さん。」


 シャイナが静かに頭を下げた。


 その表情だけは真剣だった。


「うちの馬鹿二人を、どうかよろしくお願いします。」


 大地は春陽と虎太郎を見て、小さく笑う。


「任せろ。」


「まずはその流浪癖ごと叩き直してやる。」


「望むところだ!」


「来い、人族!」


 こうして試験会場の空気は、先ほどまでの熱狂とは違う意味で再び熱を帯び始めるのだった。


 ◇


 大地は赫灼牙を鞘へ戻し、ルシエルへ視線だけを向けた。


「ルシエル。」


「なに?」


「なんでお前の拳が俺に当たらないのか、この試合で教えてやる。」


 ルシエルが目を丸くする。


「え?」


「よく見ておけ。」


 そう言って大地は訓練場の中央へ歩み出た。


 春陽――いや、流浪の戦士がゆっくりと向かい合う。


 会場に倒れていた志願者たちも、痺れた身体を起こし始めていた。


「始まるぞ……。」


「あいつが魔女討伐の英雄か。」


「流浪の戦士も結構強いぞ。」


 熱気は先ほど以上だった。


 誰もが息を呑み、二人を見つめる。


 大地は肩の力を抜き、軽く拳を握る。


「春陽、勇者になるのは諦めたのか?」


「春陽? 勇者? 何のことだ。」


 布の隙間から鋭い片目だけが覗く。


「ボクは流浪の戦士。そんな名前の者など知らん。」


「まだ続けるのか……。」


 大地が額へ手を当てる。


 春陽は腕を組み、ふっと笑った。


「人は皆、過去を捨てて旅立つものだ。」


「村を追い出されただけじゃねぇか。」


「細かいことを言う男は嫌われるぞ。」


 ルシエルが真剣な顔で頷く。


「確かに流浪の戦士のほうが格好良い。」


「お前まで乗るな!」


 会場から笑いが起きた。


 春陽は満足そうに頷く。


「さて。」


 拳をゆっくり構える。


「素手でいいのか?」


 大地が尋ねる。


「武器を使ってもいいんだぞ。」


 春陽は首を横へ振った。


「武器など不要。」


 拳を胸へ当てる。


「この拳には、この場に倒れた戦士たち全員の怒りが宿っている。」


「怒り?」


 ルシエルが辺りを見回す。


「えっ、どこどこ?」


「ルシエル。」


「はい。」


「いちいち反応するな。」


「ごめん。」


 大地は今度はフードの男を指差した。


「フードの男さんよ。」


「はい。」


「二人がかりでも構わないぞ。」


 虎太郎はゆっくり首を振る。


「試験官殿。」


 胸へ手を当てる。


「貴方ごとき、流浪の戦士一人で十分です。」


 妙に芝居がかった言い回しだった。


「……ごとき、ね。」


 大地の口元が少しだけ吊り上がる。


「随分舐められたもんだ。」


 足が動き始める。


 軽い。


 まるで踊るような細かいステップだった。


 ルシエルの瞳が動きを追う。


(いつもの構えじゃない。)


 春陽が腰を落とした。


「ボクの能力は身体強化。」


 筋肉が膨れ上がる。


 腕の血管が浮き出て、身体が一回り大きく見えた。


「誰にも負けない最強のチート能力だ!」


「そうか。」


 大地は静かに拳を構える。


「俺の能力は――熱だ。」


 パシィィンッ!!


 空気が弾けた。


 二人の拳が一瞬だけ交差する。


 衝撃だけが遅れて響いた。


「見えなかった!」


「速ぇ!」


 志願者たちがどよめく。


 春陽は着地と同時に地面を殴りつけた。


「爆・砕・拳!!」


 ドゴォォン!!


 泥が噴き上がる。


 床が大きく陥没した。


 しかし、大地は半歩後ろへ滑っただけだった。


 土煙の中から声だけが聞こえる。


「遅い。」


「まだだぁぁ!!」


 春陽が突っ込む。


「百・爆・拳!!」


 拳。


 拳。


 拳。


 拳。


 嵐のような連打。


 左右上下から百発近い拳が大地を襲う。


 観客席から歓声が上がる。


「決まった!」


「押し切れ!」


 だが――


 当たらない。


 大地は身体を最小限だけ動かしていた。


 首を傾ける。


 一歩引く。


 半歩横へ滑る。


 肩を落とす。


 紙一重。


 本当に髪一本分だけ拳を避け続ける。


「うそ……。」


 ルシエルが息を呑む。


 春陽の拳は、水を切る音だけを残して空を叩いていた。


「どうしてだ!」


 春陽が叫ぶ。


「全部見えてる。」


 大地は平然と答える。


「嘘だ!」


「違う。」


 大地は笑う。


「お前が教えてくれてる。」


「え?」


「技を出す前に。」


 大地は春陽の肩を指差す。


「肩が動く。」


 腰を指差す。


「腰が沈む。」


 足元を見る。


「踏み込みが大きい。」


 春陽が固まる。


「だから次が全部分かる。」


 ルシエルの瞳が見開かれる。


 大地は続けた。


「これが俺に拳が当たらない理由だ。」


 ルシエルは思わず自分の拳を見る。


 大地は春陽から目を離さない。


「お前も同じだ。」


「ぐっ……。」


 春陽の額へ汗が流れる。


「ならこれならどうだ!!」


 高く跳び上がる。


「墜・爆・蹴!!」


 上空から一直線。


 踵が大地の頭を狙う。


 ドォン!!


 地面が割れた。


 しかしそこにも大地はいない。


「後ろだ。」


「えっ!?」


 春陽が振り向く。


 大地はすでに背後へ回っていた。


「まだ終わらん!!」


 着地した勢いのまま身体を捻る。


「撃・爆・蹴ぅぅっ!!」


 回転蹴りが唸る。


 大地は身を沈め、蹴りの下を滑り抜けた。


「なんでだぁぁぁ!!」


「流浪の戦士さん。」


 大地は苦笑する。


「技名を叫ばないと攻撃できない決まりでもあるのか?」


 会場がどっと笑う。


「笑うなぁぁぁ!!」


 緩んだ布の隙間から春陽の顔が真っ赤になるのが見える。


「異世界へ行ったら……。」


 拳が震える。


「異世界へ行ったら……。」


 肩も震える。


「ボクは本気出すって決めてたんだぁぁぁぁぁ!!」


 勢いよく顔の布を引き剥がす。


 茶髪がふわりと広がった。


「勇者・春陽、解放!!」


「勇者春陽!」

 

 ルシエルの紅い瞳が一際輝く。


 春陽の身体が赤く染まり、筋肉がさらに膨れ上がると、水流が渦を巻く。


「うおおおおおおっ!!」


 訓練場が震えた。


「必殺!!」


 拳へ全身の力が集まる。


「虎・爆・衝ぉぉぉぉぉ!!」


 一直線。


 渾身の右拳が空気を裂いた。


 轟音。


 水流が一本の槍のように大地へ伸びる。


 それでも。


 大地は半歩だけ踏み込んだ。


 春陽の拳が頬をかすめる。


 その勢いを利用して身体を流す。


「そこだ。」


 左手のジャブが春陽の側頭部を捉えようとした――。


 ヒュンッ!!


 頭上から鋭い殺気が降ってきた。


 春陽とはまるで違う速度。


「くっ!」


 反射だけで灰燼を抜く。


 ガキィィィンッ!!


 甲高い金属音が訓練場へ響いた。


 灰燼が弾き飛ばしたのは、一枚の鋭い刃。


 水を切って床へ突き刺さったそれを見て、大地の目が見開く。


「ナゲヤリイカのエンペラだと……。」


 巨大な槍イカの翼。


 刃物のように研ぎ澄まされた投擲武器だった。


 見上げると、天井近くを一つの影が駆け抜ける。 


 フードの男――虎太郎。


 水流を蹴るように、壁から壁へ軽やかに飛び移っていた。


「これ以上、私のお嬢の自信を砕いていただいては困ります。」


 淡々とした声だけが降ってくる。


 次の瞬間――


 ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!


 二投目。


 三投目。


 四投目。 


 ナゲヤリイカのエンペラが四方八方から大地へ襲い掛かった。


 大地は身体を捻って一枚をかわす。


 灰燼で二枚目を弾き飛ばす。 


 赫灼牙で三枚目を受け流す。


 最後の一枚だけが頬をかすめ、黒髪が数本、水の中へ舞った。


「惜しい。」


 虎太郎が小さく呟く。


「私の能力は投擲。」


 指先で新たなエンペラを回転させる。


「なのに……何故、当たらない。」


 大地は灰燼を肩へ担ぎ、涼しい顔で笑った。


「人を傷つけるために投げたことがないんだろ。」


 その一言で、虎太郎の指先が止まった。


「……何を言っているんです。」


「図星だ。」


 大地は飛来するエンペラを灰燼で弾きながら続ける。


「お前の投げ方は、人を外す投げ方だ。」


 虎太郎の瞳が大きく揺れた。


「演目でやってたんだろ。人の身体を縫うようにナイフを飛ばして、頭の上の林檎や体の横の風船だけを割る。」


 その言葉に、虎太郎は息を呑む。


 それは奇術師として磨き上げた神業だった。


 髪一本、服一枚の距離を縫い、人にはかすり傷ひとつ負わせず標的だけを射抜く。


 観客を沸かせるための、美しく、そして優しい投擲。 

「その癖が抜けてない。」


 大地は半歩だけ身体を傾ける。


 エンペラは頬のすぐ横を通り抜けた。


 「投げる瞬間になると、無意識に刃が俺を避けていく。」


「……。」


「肩に力が入る。視線も最後の最後で逸れる。」


 虎太郎は言葉を失った。


 人へ本気で刃を向けたことは、一度もない。


 奇術師として誇り続けてきた"傷つけない投擲"が、この場では皮肉にも最大の弱点になっていた。


 見兼ねた春陽が飛び込んできた。


「虎太郎ぉ! 黙って殴れぇぇぇ!」


「お嬢こそ前を見てください。」


「誰がお嬢だ!」


 春陽の拳が唸る。


「爆・砕・拳!!」


 轟音とともに床が砕ける。


 大地は半歩滑るように避けた。


「虎太郎! 邪魔すんな!」


「邪魔ではありません。」


 虎太郎は天井近くを滑るように移動しながら答える。


「これは、お嬢を勝たせるための援護です。」


「流浪の戦士ごっこは終わったのか、フードの男。」

「ごっこではありません。」


 虎太郎は真顔で言った。


「流浪の民です。」


「そこだけ譲らないのかよ。」


 訓練場から笑いが漏れる。


 しかし、大地は笑っていなかった。


 視線は虎太郎だけを追っている。


(なるほど……。)


 頭の中で何かが繋がった。


 今まで大地は「流れの壁」を利用して動いていた。


 海底に生まれる水流の境目。


 そこへ身体を預け、滑るように移動する。


 だが虎太郎は違う。


 水流に漂う砂粒。


 砕けた珊瑚。


 小さな貝殻。


 目にも映らないほど細かな浮遊物を、一瞬だけ足場にして身体の向きを変えている。


(壁じゃない。)


(流れの中に、自分で足場を作ってる。)


 大地の瞳が輝いた。


 昔見たロボットアニメを思い出す。 


 無重力の宇宙空間で、漂う岩や瓦礫を巧みに利用しながら、推進力を無駄なく繋げて信じられない速度で動き回る赤い機体。


 足場のない世界でも、足場は作れる。


(そうか……。)


(海の中も同じだ。)


(流れに乗るだけじゃない。流れを踏めばいい。)


 春陽の拳をかわしながら、一歩。


 虎太郎へ近付く。


(これを応用できれば――。) 


 もう一歩。


(俺はもっと速くなれる。)


 虎太郎が目を細めた。


「……嫌な目をしていますね。」


「ありがとう。」


 大地は笑った。


「今、お前から一つ盗んだ。」


「小癪な……。」


 虎太郎の投擲速度が一気に上がる。


 左右。 


 上下。


 背後。


 死角から飛ぶ刃が、水流ごと大地へ襲い掛かる。


 だが大地の足取りも変わっていた。


 浮遊する砂を蹴り、砕けた珊瑚を踏み、水流の中を踊るように身体を滑らせる。


 ほんの数歩前までとは別人の動きだった。


「これぞ正に――」


 大地が一気に踏み込む。 


「エンターテインメントだろ。」


 一瞬で距離が消えた。

「なっ!?」


 虎太郎のフードを掴む。


 そのまま頭を両手で押さえ込み――


「もらった!!」 


 膝蹴りが炸裂する。


 続けざまに踵落とし。


 メキィッ!!


 鈍い音が響く。


 床へ叩き付けられたのは――


「ぎゃああああっ!!」


 観戦していた男人魚の兵士だった。 


「え?」


 大地の動きが止まる。


 兵士も涙目で倒れている。


「ダミーだと!?」


 背後から乾いた笑い声。


「くくくっ。」


 振り返る。


 虎太郎がそこに立っていた。


 何事もなかったように帽子を整えている。


「私は奇術師でありクラウン。」


 一礼する。


「これくらいの入れ替わりなど朝飯前ですよ。」


 観客席がどよめいた。


「いつ入れ替わった!?」


「全然見えなかった!」


 ルシエルも驚いている。


「大地でも見失った……。」


 大地は口元を吊り上げた。


「面白ぇ。」


 今度は本気で笑う。


「だったら捕まえればいい。」


 一歩踏み出す。


 流れの壁を蹴る。


 さらに浮遊物を足場にする。


 虎太郎と同じ移動を真似た。


「なっ……!」


 虎太郎の目が見開く。


「もう使えるんですか!?」


「似たような方法を使っていたからな。」


 一瞬で虎太郎の背後へ回る。


「捕まえた!」


 柔らかい感触。


「……え?」


 時間が止まる。


「キャーーーーーッ!!」


 訓練場中へ悲鳴が響いた。


「痴漢ーーーッ!!」


 大地が羽交い締めにしようとしていたのは虎太郎ではなかった。


 いつの間にか入れ替わっていた春陽だった。


 春陽は顔を真っ赤にして固まっている。


「しまっ――」


「お嬢、今です。」


 虎太郎の冷静な声が飛ぶ。


 動揺した大地の脇腹へ。


 トンッ。


 春陽の肘が軽く触れた。


 ほんの一撃。


 それだけだった。


「……くっ。」


 大地はその場で動きを止める。


 数秒の沈黙。


 虎太郎が静かに拍手した。


「チェックメイトです。」


 大地は悔しそうに頭をかいた。


「一本取られた。」


 虎太郎は満足そうに微笑む。


「私の見立て通りでした。」


「何がだ?」


「貴方は女性に、とてもお優しい。」


 その一言で春陽の顔がさらに赤くなる。


「えっ、おい!」


 大地が慌てる。


 虎太郎は続けた。


「だからこそ、お嬢と生涯を共にする器だとお見受けしました。」


「どういう意味だよ!」


「くくく。」


 虎太郎は笑うだけだった。


「そのままの意味として受け取ってください。」


 そして姿勢を正す。


「それで試験官殿。」


「私たちは合格でしょうか。」


 大地は春陽と虎太郎を交互に見る。


 身体能力。


 連携。


 判断力。


 そして互いを信じて動く戦い方。


 口元が自然と緩んだ。


「合格だ。」


 その一言で春陽が飛び跳ねた。


「やったぁぁぁ!」


「流浪の戦士、第一関門突破!」


「だから結局春陽じゃねぇか。」


 大地が笑う。


 虎太郎は丁寧に一礼した。


「ありがとうございます。」


 そして顔を上げると、小さく咳払いをした。


「それと、試験官殿。」


「ん?」


「そろそろ、その手をお嬢の胸から離していただけませんか。」


 一瞬、訓練場の空気が止まった。


 大地は自分の手を見る。


 そして、その手が春陽の胸元をしっかり掴んでいることに気付く。


 訓練場中の視線が、一斉に二人へ突き刺さった。


「「あっ……。」」


 二人の顔が、これまでにないほど真っ赤に染まる。


 次の瞬間――


 バキィィッ!!


「ぐぼぁっ!!」 


 春陽の拳が大地の顔面へ綺麗にめり込み、大地は勢いよく吹き飛んだ。


 訓練場には悲鳴と爆笑が同時に響き渡る。


「痴漢だー!」


「試験官がやられたぞ!」


「一本取られてるじゃねぇか!」


 大地は鼻を押さえながら床へ転がった。


「いってぇ……。」


 春陽は耳まで真っ赤にしたまま拳をぷるぷる震わせている。


「ち、違うからな! 今のは事故だからな!」


「事故でも触ったぁぁぁ!」


 さらにもう一発飛んできそうになり、大地は慌てて両手を上げた。


 そんな二人を見て、虎太郎はくすりと笑う。


「おめでとうございます、お嬢。」


 被っていた野球帽を外し、丁寧に春陽へ差し出した。


 春陽は少し照れくさそうに帽子を受け取り、乱れた髪を整える。


 そしてトレードマークの野球帽を目深に被り直した。


 帽子を被った瞬間、いつもの春陽に戻ったようだった。


 大地も鼻先を赤くしながら立ち上がる。


 二人は改めて向かい合う。


「な、何だよ……。」


 春陽は帽子のつばを指でつまみ、視線を逸らしたまま聞く。


 大地は少しだけ真面目な顔になる。


「春陽。」


「お前、この世界に来たら本気を出すって言ってたよな。」


 春陽は黙って頷く。


「俺は違う。」


 大地は拳を握る。


「この世界に来る前から、本気で格闘技と向き合ってきた。」


 その言葉に、訓練場が静かになる。


「だから今回は、その差が出ただけだ。」


 春陽は帽子の影で目を伏せた。


「でも、お前は強い。」


 大地は笑う。


「だから、また教えてやるよ。」


 戦い方も。


 勝ち方も。


 生き残り方も。


 春陽はしばらく黙っていた。


 やがて帽子をさらに深く被り、小さな声で呟く。


「……ボクは。」


 頬がほんのり赤く染まる。


「大地に、いろいろ教わりたい。」


 帽子のつばの下で、小さな唇が悔しそうに、それでも少しだけ嬉しそうに結ばれた。


 その声は、自分でも聞き返せないほど小さい。


「ん? 何か言ったか?」


「な、何でもないっ!」


 春陽は勢いよくそっぽを向く。


 その様子を見た虎太郎は肩をすくめ、ルシエルはじっと春陽を見つめていた。


 こうして、流浪の戦士・春陽と奇術師・虎太郎。


 二人は正式にダイダラワラスボ討伐隊の仲間となった。


 

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