招集令状②
ウミウシの牛車に揺られながら、五人と一匹はワダツミ王国を目指していた。
本来なら招集令状を受けた以上、一刻も早く向かうべきなのだろう。
だが――。
「急いだところで討伐対象は逃げないわ。」
ゆきのその一言で、一行は慌てず騒がず、のんびりと王都へ向かうことにした。
千萩と美萩は久しぶりの王宮行きにすっかり旅行気分で浮かれている。
あれも持った、これも持ったと荷車へ荷物を積み込み、姉妹で楽しそうに笑い合っていた。
そしてゆきはというと、何やら意味ありげな含み笑いを浮かべながら、その様子を眺めている。
(ふふ……楽しみが二つもできちゃった。)
そんなことを思っているとは、大地もルシエルも知る由はない。
それよりも、大地が驚きを隠せなかったのはアークの成長だった。
出会った頃は懐へすっぽり収まるほど小さかった電気ナマズ。
それが今では、大地の腕ほどの長さまで成長している。
アークはウミウシの大きな頭の上に寝そべり、尻尾をゆらゆら揺らしながら気持ち良さそうに景色を眺めていた。
「お前、本当にでかくなったな。」
「キュ〜。」
返事をするように髭をぴくりと動かす。
その姿に、大地は思わず笑みをこぼした。
やがて道幅は少しずつ広くなり始めた。
道路脇には淡く光る珊瑚が増え、行き交う人魚や魚人の姿も多くなる。
荷車を引く者、海藻を売る者、子どもを連れて歩く家族。
王都が近いことを、海底の賑わいが教えてくれていた。
道行く人魚たちは、大地たちの荷車を見るたびに振り返る。
積まれた荷物は、まるで引っ越しでもするかのような量だった。
「美萩姉さん……やっぱり荷物、多すぎないか?」
大地が苦笑すると、美萩は呆れたように肩をすくめた。
「大地は相変わらず女心が分からないのね。」
「え?」
「せっかく王宮へ行くのよ? おしゃれしなきゃ損じゃない。」
千萩もうんうんと大きく頷く。
「そうだぞ、大地。アタイだって流石に王宮の中じゃ、おしゃれくらいするぞ。」
「いや、目的は討伐であって旅行じゃ――」
「私たちはあくまでサポート役でしょ?」
千萩は胸を張る。
「戦うのは大地とルシエルの仕事。アタイたちはアタイたちの仕事をする。」
「そういうこと。」
ルシエルも腕を組んで頷いた。
「村を出る前にも言ったでしょ? 千萩姉と美萩姉はサポート担当。」
そして、にやりと笑ってアークへ顔を向ける。
「アーク。ヘタレな大地の代わりに、千萩姉と美萩姉を守ってくれる?」
「キュッ! キューッ!」
アークは嬉しそうにウミウシの頭の上でくるくると回り始めた。
「きゃーっ!」
美萩が手を叩く。
「アークちゃん頼もしい!」
「強いだけが取り柄の男とは大違いだわ。」
千萩まで追い打ちをかける。
「ぐっ……。」
大地は言葉に詰まった。
格闘なら負ける気はしない。
だが、女性四人を相手に口で勝てる気もしなかった。
(男一人じゃ、さすがに分が悪い……。)
荷車の隅で肩を落とす大地を見て、四人は楽しそうに笑う。
その光景を、ゆきは何も言わず見つめていた。
穏やかな笑みを浮かべながら。
まるで、この賑やかな時間が少しでも長く続いてほしいと願うように。
◇
やがて一行は、巨大な岩塊を削り出して築かれた要塞――ワダツミ王国の正門へとたどり着いた。
見上げるほど分厚い岩壁。
その中央には、人魚が何十人も並んで通れるほど巨大な門が口を開けている。
門の左右には槍を構えた男人魚の兵士が立ち、王都へ出入りする者たちを鋭い眼差しで見張っていた。
大地は荷車を止め、一歩前へ出る。
「招集令状に従い、参じました。ペルカ隊長へお目通りをお願いします。」
そう言って、腰から魚皮の書簡を取り出し兵士へ手渡した。
門番の兵士は書簡を広げると、内容を素早く確認する。
そして顔を上げ、一行を見回した。
「大地殿……この書簡に記されているのは、湯本大地殿、ルシエル殿、アーク殿の二名と一匹だけです。」
兵士の視線が、千萩、美萩、ゆきへ移る。
「他のお三方は、どのようなご関係で?」
「我々の協力者です。」
大地は迷わず答えた。
兵士は困ったように眉をひそめる。
「ですが、招集対象以外を王宮へ――」
言葉が終わるより早く、大地は腰に差した赫灼牙へそっと手を添えた。
刃を抜くことはない。
だが、赤黒く輝く刃がわずかに姿を見せるだけで、その場の空気がぴんと張り詰めた。
兵士の喉が小さく鳴る。
「……討伐には必要な仲間です。」
大地は静かな口調で言った。
脅すつもりはない。
それでも、その一言には捕食者を討った者だけが持つ重みがあった。
「わ、分かりました。」
兵士は慌てて書簡を巻き直し、一歩脇へ下がる。
「どうぞ、お通りください。討伐隊の皆様の到着は、すでに王宮へ伝達いたします。」
重々しい門がゆっくりと開き始める。
大地たちは顔を見合わせ、小さく頷いた。
そして五人と一匹は、ワダツミ王国の内部へと足を踏み入れるのだった。
◇
王宮の内部は、以前訪れた時とはまるで別の街のような賑わいを見せていた。
大通りには人魚や魚人が行き交い、露店の数も以前より増えている。
何より目を引いたのは、昼間だというのに屈強な男人魚たちの頬がほんのり赤く染まっていることだった。
「なあ、美萩。あそこって……。」
大地が指差した先には、色とりどりの貝殻を飾った洒落た店が建っていた。
入口には海藻で編まれた暖簾が揺れ、中から陽気な笑い声が聞こえてくる。
「えっ……。」
美萩が目を丸くする。
「お酒の飲めるお店ができてる!」
店先から漂う芳醇な酒の香りが、水の流れに乗って一行のもとまで届いた。
懐かしい香りだった。
海藻酒とも果実酒とも違う、どこか日本の酒を思わせる甘く豊かな香り。
千萩と美萩は顔を見合わせる。
「行く?」
「行く!」
返事は一瞬だった。
いつの間に着替えたのか、二人は村で用意してきたおしゃれ着へ身を包み、吸い寄せられるように店の中へ消えていく。
「ちょっ、おい! 二人とも!」
大地の制止も聞こえていない。
店内からは早くも姉妹の楽しそうな笑い声が響いてきた。
ゆきはその様子を見て、小さく笑う。
「さて、大地、ルシー。」
「ん?」
「私はちょっと探し物をしてくるから、あとはよろしくね。」
さらりと言って背を向ける。
「探し物?」
「すぐ戻るわ。」
ゆきは意味ありげな笑みを浮かべたまま、人で賑わう王都の通りへと姿を消していった。
その背中を見送りながら、大地は首をかしげる。
「今日はみんな自由だな……。」
気付けば残されたのは、大地とルシエル、それにアークだけだった。
ルシエルは少しだけ寂しそうに大地を見上げる。
大地は照れくさそうに笑うと、その手をそっと握った。
「さあ、俺たちも行こうか。」
「……うん。」
ルシエルは嬉しそうに頷く。
「キュ、キュウ。」
アークも二人の間へ泳ぎ込み、尻尾を振ってついてくる。
三人は肩を並べるように歩き出した。
目指す先は――ペルカ隊長が待つ討伐隊本部。
王都の喧騒を背に、大地たちは次なる戦いの舞台へ向かうのだった。
◇
討伐隊本部の一室。
大地は静かに扉を三度叩いた。
「失礼します。湯本大地、ルシエル、アーク。招集令状に従い、馳せ参じました。」
二人と一匹は一礼し、部屋へ足を踏み入れる。
――その瞬間だった。
空気が変わる。
まるで深海の底へ沈められたような重圧が、一気に全身へとのしかかった。
息が詰まる。
胸を押し潰されるような圧迫感に、ルシエルは思わず大地の手を掴んだ。
「……っ。」
指先が震えている。
アークも「キュゥ……」と小さく鳴き、大地の背中へ隠れるように身を寄せた。
部屋の隅には、ペルカ隊長とキャペリン副隊長が背筋を伸ばして並んでいる。
いつも豪快なペルカですら一言も発さず、まるで部下のように整列していた。
(違う……。)
大地は息を飲む。
(この部屋にいる全員が、この一人を中心に立っている。)
圧の源は、部屋の奥だった。
巨大な椅子へ腰掛ける一人の男人魚。
口髭を蓄えた大男が、腕を組んだまま微動だにせずこちらを見ている。
討伐者の証である巨大鮫の牙を連ねた首飾り。
鮫皮の鎧から覗く肌には、無数の古傷が刻まれていた。
どれも浅い傷ではない。
命を奪い合った戦場を生き抜いてきた証だった。
その傍らには、人の背丈を超える巨大な三叉槍が静かに立て掛けられている。
男は立っていない。
それなのに、部屋全体を支配していた。
「……良く来た。」
低い声が響く。
怒鳴ったわけではない。
それでも床も壁も震えたような錯覚を覚えるほど、重く深い声だった。
「湯本大地、ルシエル、アーク。」
黄金色の瞳が細くなる。
「我は、この国の兵を束ねる戦士長――スズキである。」
視線が合った瞬間、大地は本能的に理解した。
(強い。)
今まで戦ったどの強者とも違う。
目の前にいるのは、生き物ではなく「戦場」そのものだった。
「人族の男よ。」
スズキの声に一切の感情はない。
「何故、この国に味方する。」
一歩も動かない。
それなのに殺気だけが濃くなる。
「何故、この国に仇なす者を倒す。」
ルシエルの肩がびくりと震えた。
視線を向けられただけで足がすくむ。
アークも尾を丸め、声も出せなくなっていた。
「……ルシエル。アーク。」
大地は小さく呟く。
「大丈夫だ。」
その一言だけで、ルシエルはぎゅっと握る力を緩めた。
大地は一歩前へ出る。
重圧を押し返すように、真っ直ぐスズキを見据えた。
「この国に、この王宮に会いたい人がいるからです。」
部屋が静まり返る。
「村長に言われました。」
大地は源爺の言葉を思い出す。
「自我を通してこの国と敵対すれば、村のみんなを危険に晒す。」
一呼吸置く。
「だったら、この国の力になる。この国に力を示して、地位を得る。そうすれば、必ずその人に会えると信じています。」
スズキは黙って聞いていた。
表情は一切変わらない。
「……なるほど。」
短く頷く。
その瞬間だけ、殺気がほんの少し和らいだ。
だが次の問いは鋭かった。
「他には。」
大地は迷わなかった。
「俺は……。」
拳を強く握る。
「俺は、自分より強い奴と戦いたい。」
空気が凍る。
ペルカの目が見開かれる。
キャペリンが思わず息を呑んだ。
ルシエルは「大地……!」と声を漏らしかける。
「それは――」
スズキが静かに立ち上がる。
天井が低く見えるほど巨大な体躯。
二百六十センチの身体がゆっくりと動いただけで、床が軋むような錯覚を覚えた。
「我ともか。」
殺気が弾けた。
部屋の温度が一瞬で下がる。
ルシエルは膝をつきそうになり、アークは悲鳴を上げて大地の後ろへ潜り込んだ。
ペルカとキャペリンですら身構える。
それでも、大地だけは視線を逸らさなかった。
「無論です。」
その返答を聞いた刹那――
スズキの姿が消えた。
次の瞬間には巨大な三叉槍が大地の眼前へ迫っていた。
速い。
目で追えない。
本能だけが身体を動かす。
大地は赫灼牙と灰燼を同時に抜き放った。
キィィィィンッ!!
耳をつんざく金属音が部屋中へ響き渡る。
三叉槍の穂先は、大地の喉元寸前で止まっていた。
赫灼牙と灰燼が十字に交わり、その一撃を受け止めている。
床には二人の足元を中心に亀裂が走っていた。
静寂。
誰も動けない。
数秒後――
スズキはゆっくり槍を引いた。
口元がわずかに緩む。
「ふっ。」
それは笑みとも呼べないほど小さな変化だった。
「励めよ。」
その一言だけを残し、スズキは三叉槍を肩へ担ぐ。
巨大な背中が部屋を出て行くまで、誰一人として口を開くことはできなかった。
扉が閉まる重い音が部屋に響き渡る。
その音が消えて初めて、ルシエルは張り詰めていた息を大きく吐き出した。
「……あれが、戦士長。」
へなへなと力が抜け、その場へ座り込む。
「こ、怖かった……。」
「キュ〜……。」
アークもようやく大地の背中から顔を出し、安心したように鳴いた。
一方、大地は震える自分の腕を見つめ、小さく笑う。
「強ぇ……。」
その瞳に宿っていたのは恐怖ではない。
胸の奥から込み上げる高揚。
全身が小刻みに震えている。
武者震いだった。
「ルシエル。」
大地は興奮を隠せないまま呟く。
「俺……高みが見えたかもしれない。」
「やめときなさい。」
ルシエルは即座に首を横へ振る。
「あの人の強さは異次元よ。」
その時だった。
「異次元――その通りだ。」
今まで直立不動だったペルカが、ゆっくり口を開く。
豪快な男とは思えないほど真面目な表情だった。
「あの強さに比肩する者は、この国でも数えるほどしかおらん。」
「そんなにも強いんですか?」
大地が問い返す。
「別格だ。」
ペルカは迷いなく言い切った。
「我ら戦士団の頂点。そして、あの強さに肩を並べるのは、この国の王――ドラド様くらいだ。」
「……そんなにも。」
普通なら怯える言葉だった。
だが、大地の目はむしろ輝きを増していく。
「この国には、他にも強い人がいるんですか?」
「ああ。」
ペルカは腕を組む。
「前にも言っただろ。この国は強い者が上に立つ。」
少しだけ笑みを浮かべる。
「肩書きを持つ者なら、大抵は化け物だ。」
胸を張り、どんと自分の胸を叩く。
「かく言うワシも――」
「コホン。」
部屋に乾いた咳払いが響いた。
ペルカの言葉が止まる。
隣ではキャペリンが腕を組み、冷たい視線を送っていた。
「隊長。」
「……お時間です。」
「ああ、もうそんな時間か。」
ペルカは気まずそうに頭をかいた。
「時間?」
大地が首をかしげる。
ペルカは椅子へ腰掛け直し、真剣な表情へ戻る。
「ああ。ルシエルから事前に今回の作戦について話は聞いている。」
ルシエルも頷いた。
「村からは、大地、ルシエル、アークのほかに二人ほど同行させたい、と言っていたな。」
「はい。」
「だが今回は事情が違う。」
ペルカの声が低くなる。
「戦士長の息子たち――セイゴ、フッコ、マダカは別任務で不参加だ。」
大地は少し驚いた。
「三兄弟がいないんですか?」
「だから討伐隊の人数が足りん。」
ペルカは立ち上がる。
「新たな討伐隊員を選ぶため、入隊試験を実施する。」
その言葉に、大地は目を丸くした。
「入隊試験?」
「そうだ。」
ペルカは大地を真っ直ぐ指差す。
「大地。今回の志願者たちを、お前が品定めしろ。」
「……俺が?」
思わず自分を指差す。
「キャペリン副隊長のほうが適任じゃないですか?」
視線を向けると、キャペリンは静かに黒光りする巨大な大剣を抱き寄せた。
以前の銀色の大剣ではない。
ノコギリガザミのハサミで造られた新しい大剣だった。
「私は、この大剣を新調したばかりです。」
刃を撫でるように見つめる。
「まだ、その切れ味を試す気にはなれません。」
静かな言葉なのに、不思議と説得力があった。
ペルカは豪快に笑う。
「だそうだ。」
そして真顔になる。
「それに、お前は“冷笑の魔女”を討った男だ。」
その一言で部屋の空気が変わる。
「今回の志願者に、その資格があるかどうか。お前の目で見極めろ。」
大地は一瞬だけ考え――ゆっくり頷いた。
「分かりました。」
拳を胸へ当てる。
「隊長の命令とあれば、喜んで引き受けます。」
ペルカは満足そうに笑った。
「よし。」
こうして湯本大地は、ダイダラワラスボ討伐隊へ加わる新たな仲間を選ぶ入隊試験の選考役を任されることになった。




