招集令状
ルシエルは変わった。
自ら立てた作戦で討伐を成功へ導いた経験は、彼女の中に確かな自信を芽生えさせたのだろう。
それ以来、教鞭を振るうゆきの言葉に素直に耳を傾け、日本語とワダツミ王国の文字、その両方を読み書きできるようになっていた。
漁へ出る回数も増えた。
そして空いた時間には、源爺の家へ入り浸り、本棚に並ぶ日本の戦国時代を題材にした小説を片っ端から読み漁る毎日だった。
ページをめくるたびに目を輝かせ、武将たちの策や駆け引きに夢中になっている。
「大地。私、真田昌幸みたいな知将になる」
胸を張って宣言するルシエル。
「誰だ、そいつ?」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。ルシー、おヌシは渋いところを選ぶのぉ」
源爺は肩を揺らして笑った。
「ワシは太原雪斎のほうが好きじゃがな」
「だから、その人も誰なんだよ?」
大地が首をかしげると、ルシエルは呆れたようにため息をつく。
「まったく……だから大地は格闘バカなのよ。」
ぴしゃりと言い切られ、大地の額に青筋が浮かぶ。
「真田昌幸はね、弱い者が生き残る戦い方を知っていた人なの。」
ルシエルは大事そうに本を抱きしめた。
「強い人が勝つんじゃない。生き残った人が勝つの。主人のために、民のために知恵を使って戦った知将なのよ。」
その言葉に、大地は少しだけ表情を改める。
「へぇ……なるほど。」
そこまでは納得した。
だが、大地はふと我に返る。
「……いや、それは分かった。でも、なんでルシエルは俺の家で、しかも俺の膝の上で本を読んでるんだ?」
「…………。」
ルシエルの動きがぴたりと止まる。
数秒の沈黙。
耳まで真っ赤になった顔が、ゆっくりと俯いた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。正に水魚の交わりよのぉ。」
源爺が面白そうに笑う。
「ルシエルは水魚じゃなくて人魚だろ?」
「バカもん!」
源爺が杖を振り上げる。
「水魚の交わりとは仲睦まじいことを言うんじゃ! 言葉を覚えたなら意味まで覚えんか!」
「いてっ!」
軽く頭を叩かれ、大地は頭を押さえた。
ルシエルは恥ずかしさで顔を真っ赤にしたまま、小さく本で口元を隠している。
「大地。おヌシも読み書きができるようになったんじゃ。本を読め。本を。」
「本、か……。」
その一言で、大地の表情が少しだけ静かになる。
病院の個室。
窓から差し込む夕陽。
ベッドの傍らの椅子に座り、真夏は自分の様子を気にしながら、手の空いた時間になると静かに本を開いていた。
ページをめくる音だけが、部屋に優しく響いていた。
――懐かしい。
胸の奥が少しだけ締め付けられる。
大地は机に積まれた本へ手を伸ばし、一冊を開いてみた。
細かな文字が、ページいっぱいにびっしりと並んでいる。
「なあ、源爺。」
「なんじゃ?」
「もっと絵とかあって読みやすいやつはないのか?」
「そんな本は持っとらん。」
源爺は煙の出ないキセルをくわえ、満足そうに一息つく真似をした。
「ふぅ……じゃあ諦めるか。」
ぼやきながら手に取った本の表紙を見て、大地の手が止まる。
そこに書かれていた題名は――
『宮本武蔵』
剣豪の名が、静かに大地を見つめ返していた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。おヌシに武蔵はまだ早い。」
源爺はそう言うと、本棚からもう一冊、少し古びた本を取り出して大地へ放った。
「ほれ、これを読め。」
本の題名は――
『富田勢源』
「おヌシはまだ、勝ち方を知らん。」
「何でだよ。これでもある程度の難敵には勝ってきたつもりだが……。」
不満そうに唇を尖らせる大地へ、源爺は静かに笑う。
「勝ったことと、勝ち方を知っとることは違う。」
その一言に、大地は口を閉じた。
「武蔵は兵法を極めた男じゃ。勢源は生き残るための太刀を極めた男。今のおヌシには、まだ勢源のほうが合っとる。」
「……わかったよ。」
大地は渋々本を開く。
富田勢源。
小太刀の技を極めた中条流の達人。
視力を失いながらも無類の強さを誇り、後に富田流を広めた剣豪。
――相手に先を打たせ、その一瞬で勝負を決める。
数ページ読んだだけだった。
それなのに、大地の指はページをめくるのをやめられなかった。
自分の戦い方にどこか似ている。
そんな感覚が胸の奥で静かに脈打つ。
気付けば時間は瞬く間に過ぎ、部屋の中は夕暮れ色へと染まり始めていた。
「なんじゃ、村の外がちと騒がしいのぉ。」
源爺はゆっくりと立ち上がる。
杖を手に取り、戸を開けると外の喧騒へ耳を澄ませた。
「……何かあったようじゃな。」
そう呟き、源爺は家の外へと歩き出した。
◇
村の入り口。
人だかりをかき分けたその先には、王宮から遣わされたと思われる若い人魚の兵士が二人立っていた。
二人とも片手には槍を携え、もう片方の腰には、乾燥させて薄く加工したマンボウの魚皮で作られた書簡が下げられていた。
兵士の一人が源爺の姿に気付き、足早に歩み寄った。
「この村の村長でいらっしゃいますか?」
「うむ、いかにも。」
源爺は煙の出ないキセルをくわえたまま、落ち着いた声で答える。
「王宮より招集が掛かりました。湯本大地殿、ルシエル殿、そしてアーク殿。二名と一匹に、至急王宮へ参じるよう命が下っております。」
「ふむ……。」
源爺は兵士の腰にぶら下がる魚皮の書簡へ目を向けた。
「その書簡を見せてもらおうかの。」
「はっ。」
兵士は両手で大切そうに書簡を外し、源爺へ差し出した。
源爺は静かに魚皮の書簡を開く。
― 招集令状 ―
湯本大地、ルシエル、アークに命ずる。
王宮南方海域に出現した捕食者の討伐隊へ参加せよ。
直ちに王宮へ参じ、討伐隊に合流すること。
ワダツミ王国 戦士長 スズキ
「ふむ。本物じゃの。」
源爺は書簡を閉じ、周囲の村人へ声を張った。
「誰ぞ、大地たちを急いで呼んできておくれ!」
「はいっ!」
子どもたちは元気よく返事をすると、一斉に駆け出していった。
「大地ー! ルシエルー! 早く来て!」
「急げ急げー!」
騒がしい足音が遠ざかっていく。
ほどなくして、大地とルシエルが子どもたちに急かされながら村の入り口へ姿を現した。
「なんだなんだ、そんなに慌てて。」
「息が切れるじゃない……。」
「二人とも、これを読んでみい。」
源爺から書簡を受け取り、大地とルシエルは並んで目を通す。
「招集令状……だと!?」
「本当みたいね。」
ルシエルの表情も引き締まる。
「スズキ戦士長って……あの三兄弟の親父さんだろ?」
「今回は本人も討伐に参加するのかしら。」
「ダイダラワラスボか……どんな化け物なんだろうな。」
「気持ち悪いのだけは嫌っ!」
ルシエルは肩を抱いて身震いした。
兵士が一歩前へ出る。
「ダイダラワラスボは泥濘の海域に潜む捕食者です。ここ最近、その海域を通る商人や漁師から被害報告が相次いでおります。」
兵士の声は若いながらも真剣だった。
「捕食者討伐の実績を持つ湯本大地殿とルシエル殿のお力を、王宮としてぜひお借りしたいのです。」
二人の兵士は揃って深々と頭を下げた。
大地は慌てて手を振る。
「やめてください! 頭を上げてください。」
兵士たちが顔を上げる。
「王宮の問題は、この村の問題にも直結します。俺たちが行きます。」
迷いのない返事だった。
「あら。」
ルシエルが横目で笑う。
「今日はいつにも増して礼儀正しいじゃない。」
「当たり前だろ。」
大地は拳を握りしめ、指をポキポキと鳴らす。
「それに捕食者討伐なんて聞いたら、黙ってられない。」
「全く……。」
ルシエルは肩をすくめる。
「格闘バカから戦闘狂に昇格したのかしら。」
「誰が戦闘狂だ!」
二人がいつもの調子で言い合いを始める。
「これこれ。」
源爺が二人の頭をわしづかみにした。
「兵士さんの前で騒ぐでない、このバカたれ共。」
「いてててっ!」
「痛い痛い!」
源爺はそのまま二人の頭を軽く押さえつけ、一緒に頭を下げさせる。
「若い兵士さん方、わざわざご足労ありがとうございます。この村としても、このバカ達を責任を持って向かわせますので、ご安心くだされ。」
兵士たちは思わず苦笑した。
「そのお言葉をいただけて安心いたしました。」
二人は改めて一礼する。
「それでは我々は先に王宮へ戻り、皆様の到着をお待ちしております。」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。」
源爺はキセルを肩に乗せて笑った。
「準備が終わり次第、このバカ達を向かわせますわい。」
二人の兵士は槍を握り直すと、海底を蹴って王宮の方角へ泳ぎ去っていった。
残された大地とルシエルは、互いの顔を見合わせる。
――次の討伐が、始まる。
◇
大地が良造へ武器の手入れを頼み、討伐の荷物をウミウシの牛車へ運び込んでいる頃――。
ルシエルは家で一人、腕を組んだまま難しい顔をしていた。
「ダイダラワラスボ……。」
床に広げた魚皮紙へ、指で簡単な陣形を書いては消す。
「源爺の話だと、とにかく大きい。しかも向かう場所は足場の悪い泥濘の海域……。」
小さく唸る。
「ペルカ隊長、キャペリン副隊長、セイゴ、フッコ、マダカ。それに大地、アーク、私……。」
名前を書き並べ、しばらく考え込む。
「……駄目。」
首を横に振った。
「どう考えても戦力が足りない。」
泥濘では動きが制限される。
大地の格闘も、ペルカの大槌も、本来の力を出し切れるとは限らない。
ならば必要なのは、戦う力だけではない。
「千萩姉……また手伝ってくれないかな。」
思わず漏れた独り言に、背後から優しい声が返ってきた。
「そんなに悩むなら、声を掛けてみればいいじゃない。」
「母ちゃん。」
いつの間にか、ゆきが隣へ腰を下ろしていた。
ルシエルの描いた魚皮紙を見つめ、静かに微笑む。
「生きて帰るの。そのために考えられる準備は、全部しなさい。」
ゆきの声は穏やかだった。
「後悔しないためにも……ね。」
その言葉が胸へすっと染み込む。
「それに今回は、私も王宮まで行くわ。」
「え?」
「保護者として。」
ゆきは何食わぬ顔で言った。
「それに……何だか今回は面白いことが起こりそうな気がするの。」
どこか意味ありげに笑う。
ルシエルもつられて笑みを浮かべた。
「ありがとう、母ちゃん!」
勢いよく立ち上がる。
「千萩姉に声を掛けてくる! 泥濘の海なら、きっと千萩姉の知恵が役に立つ!」
家を飛び出しかけて、ふと振り返る。
「あ、それと――。」
「今度は何?」
「美萩姉も誘う! みんなで美味しいご飯食べたいから!」
ゆきは思わず吹き出した。
「ふふっ。それが一番大事かもしれないわね。」
「うん!」
ルシエルは元気よく返事をすると、そのまま勢いよく家を飛び出していった。
討伐の準備が進む奴隷村に、少女の足音が響いていく。
こうして今回の王宮行きは、大地とルシエルに加え、鳴海千萩、鳴海美萩、そして炭谷ゆき。
さらにアークを連れた、五人と一匹の一行となった。
それぞれの役割を胸に、彼らは王宮への道を進み始めるのだった。




