リターンマッチ②
グンタイアジの巣へ近づきながら、大地は静かに海流を蹴っていた。
ふと胸に浮かんだのは、ひとつの疑問だった。
――この世界で、自分が望んでいたような一対一の戦いは、もう二度とできないのだろうか。
強敵と向き合い、拳を交え、リングの上で強さだけを競い合う。
そんな戦いを求めてきた自分がいる。
なのに今、自分は群れを相手に戦おうとしている。
胸の奥に、小さな虚しさがよぎった。
生き延びるために群れを成す魚たち。
生き延びるために力を合わせる人間や人魚たち。
この海底世界では、それが当たり前なのだ。
あの頃のように、一対一で強さを証明する場所はもう存在しないのかもしれない。
(……悩むな。)
大地はゆっくりと息を吐いた。
(悩めば、作戦を考えてくれたルシエルも、協力してくれた千萩姉さんも危険に晒すことになる。)
今は一人で勝つ戦いじゃない。
仲間と生きて帰るための戦いだ。
大地は改めてグンタイアジの巣を見据える。
黒い影が幾重にも重なり、巨大な群れが海中を渦巻いていた。
(ああ……群れで戦うこいつらも、紛れもなくカイブツだ。)
その光景に、不思議と恐怖よりも胸が熱くなった。
体中の血が、じわりと滾り始める。
そして脳裏に浮かんだのは、深紅の牙を持つ巨体だった。
レッドファング。
あの圧倒的な強さ。
捕食者と呼ばれるあのカイブツならば、この程度の群れなど真正面から食い破ってしまうだろう。
大地は腰の赫灼牙へ手を添え、その柄を強く握り締めた。
(待ってろ。)
(この群れを越えて――俺はお前に追いつく。)
視線を横へ向ける。
アーチ状の珊瑚では、ルシエルと千萩が魚網を張り終えようとしていた。
二人は同時に頭の上で腕を大きく回し、丸印を作る。
準備完了。
大地も静かに腕で大きな丸を返した。
(リターンマッチだ。)
(今度は俺たちの土俵で勝つ。)
その瞬間、ルシエルの隣にいたアークが青白い電気をふわりと放ち、合図のように海中を照らした。
大地は容器の蓋を開ける。
ピンク色の撒き餌が海流へ溶けるように広がっていく。
――リターンマッチが、始まった。
◇
ピンク色の撒き餌が、ゆっくりと海流に乗り、アーチ状の珊瑚へ向かって流れていく。
(ここまではルシエルの計算通りだ。)
大地は息を潜め、その行方を見守った。
次の瞬間だった。
幾重にも重なっていた黒い影が、一斉に動き出す。
銀色の鱗が陽光を反射し、無数のグンタイアジが撒き餌へ向かって雪崩れ込んできた。
さらに、周囲の小さな巣穴という巣穴からも次々と群れが飛び出し、本能のまま餌へと群がっていく。
海底は一瞬で銀色の濁流に飲み込まれた。
群れが生み出した巨大な渦が海流を乱し、大地の身体を容赦なく引き込もうとする。
「くっ……!」
流されまいと必死に海底を蹴るが、水の力は想像以上に強い。
その時――。
ふわり、と背中に温もりが伝わった。
「バカ大地っ! 何ぼーっとしてんのよ!」
ルシエルだった。
大地の腕を掴み、そのまま力強く引き寄せる。
「大地、あの洞窟まで下がるよ!」
「わかった!」
大地は迷わず頷き、ルシエルとともに岩陰へ退いた。
二人が身を隠した直後、巨大な群れは勢いそのままにアーチ状の珊瑚をくぐり抜け、魚網の内側へ次々と吸い込まれていく。
銀色の奔流が一本の道となって流れ込み、網の中はあっという間にグンタイアジで埋め尽くされた。
そして――最後の一匹が網の中へ入った瞬間。
ルシエルは大きく息を吸い込んだ。
「千萩姉っ!!」
「おうっ!!」
待ってましたと言わんばかりに、千萩が鉄のツルハシを大きく振りかぶる。
狙いは、アーチ状の珊瑚を支える一本の根元。
「せぇぇぇいっ!!」
ガキィィンッ!!
鉄と珊瑚がぶつかる甲高い音が海中に響いた。
ひび割れが一気に走り、アーチ状の珊瑚が轟音とともに崩れ落ちる。
ガラガラガラッ――!!
崩れた珊瑚と魚網が出口を完全に塞いだ。
逃げ場を失ったグンタイアジたちは網の中で激しく暴れ回り、水しぶきのような泡が辺り一面に舞い上がる。
「アークっ! 今よっ!!」
「キュ、キューーーッ!!」
アークのヒゲが青白く輝いた。
次の瞬間、魚網へ向かって雷のような電撃が走る。
バチバチバチッ!!
青白い閃光が魚網全体を包み込み、暴れていたグンタイアジの群れが一斉に痙攣した。
銀色の群れはその場で動きを止め、ゆっくりと網の底へ沈んでいく。
静まり返った魚網を見つめながら、大地は思わず息を呑んだ。
「……すげぇ。」
戦わずに勝った。
格闘家だった自分には思いつきもしなかった勝ち方だった。
安堵が胸に広がった、その瞬間――
「まだよっ!」
ルシエルの鋭い声が飛ぶ。
「……潮が、動き始める。」
ルシエルは海流に漂うピンク色の撒き餌の筋を睨んでいた。
さっきまで一本だった筋が、ゆっくりと揺らぎ始める。
海流が変わる合図だった。
「バカ大地っ! いつまでぼーっとしてるの!」
ルシエルは大地の腕を引っ張る。
「あの網ごと洞窟まで運ぶよ!」
「わ、わかった!」
大地は我に返ると、魚網へ向かって勢いよく泳ぎ出した。
網の中では、気絶した何百匹ものグンタイアジが折り重なるように詰まっている。
想像以上の重さだった。
「千萩姉はシェルターお願い! アークも手伝って!」
「ああ、任せろ!」
「キュキュッ!」
千萩は荷車へ向かって全力で泳ぎ、アークも小さな体で魚網をくわえて必死に引っ張る。
ルシエルも網を抱え込み、歯を食いしばった。
「私が初めて考えた作戦……。」
その声は震えていた。
「コーラル・トラップ……絶対に失敗で終わらせないんだから!」
必死だった。
作戦を考えたのは自分だ。
だから最後まで成功させたい。
その思いだけで網を引いている。
「ルシエル。」
大地も網に肩を入れた。
「絶対に成功で終わらせよう。」
「……うん!」
二人で力を合わせるが、網はほとんど動かない。
魚の重さに加え、潮が少しずつ流れを変え始めていた。
その時だった。
「ルシエル! 大地! こっちに乗せろ!」
振り向くと、千萩がウミウシの牛車を引いて戻ってきていた。
荷台には、良造が作った鋼鉄のシェルターが積まれている。
「千萩姉!」
「二人とも急げ!」
三人がかりで魚網を荷台へ押し上げる。
ようやく網が荷車へ乗った、その瞬間――
ゴゴゴゴゴ……。
海底そのものが唸るような低い音が響いた。
潮が動き始めた。
海流が一気に強まり、撒き餌の匂いが広範囲へ流れていく。
大地は鋼鉄のシェルターを担ぎ上げた。
「千萩姉さん、代わります!」
受け取った直後――
ガンッ!!
鋼鉄に硬い何かが激突した。
衝撃で腕が痺れる。
「……ナゲヤリイカが、もう来た。」
ルシエルが息を呑む。
暗い海の向こうで、槍のような触腕が何本も光った。
「狙いはやっぱりグンタイアジだろうな。」
千萩は荷車の魚網へ視線を向ける。
血と撒き餌の匂いに引き寄せられたのだ。
「ナゲヤリイカは、俺が止めます。」
大地は鋼鉄のシェルターを両腕で構えた。
リングでは拳で守れなかったものがある。
だが今は違う。
守るべきものが、この盾の後ろにある。
「アーク、お前も手伝ってくれるか?」
「キューッ!」
アークが青白い電気をまとい、大地の横へ並ぶ。
次々と飛来するナゲヤリイカの槍を、鋼鉄のシェルターが激しい音を立てて受け止める。
ガンッ! ガキィンッ! ガンッ!
衝撃が腕まで響くたびに、大地は歯を食いしばった。
その間にルシエルと千萩は荷車を押し、洞窟の奥へと進んでいく。
激流とナゲヤリイカの猛攻をかいくぐりながら、一行は何とか洞窟の中へと逃げ込むのであった。
◇
命からがら洞窟へ飛び込み、大地は鋼鉄のシェルターを入り口へ押し当てた。
ガキィン!! ガキィン!!
ガンッ! ガンッ!
鋼鉄を叩く激しい衝撃音が洞窟中に響き渡る。
どうやらナゲヤリイカは、まだ諦めていないらしい。
それでも良造が鍛えた鋼鉄のシェルターは微動だにしなかった。
「ふぅーっ……取りあえず、一安心だな。」
千萩が大きく息を吐く。
大地も肩で息をしながら周囲を見回した。
洞窟の中は思っていたよりもずっと広い。
壁一面に色とりどりの珊瑚が群生し、淡い光を放ちながら幻想的に内部を照らしていた。
青、緑、桃色――まるで夜空の星のように揺らめいている。
「やったぁーっ!」
ルシエルが満面の笑みで飛び跳ねる。
「大成功じゃん!」
「だな!」
二人は勢いよくハイタッチを交わした。
パンッ、と乾いた音が洞窟に響く。
その時だった。
洞窟のさらに奥。
珊瑚の光とは違う、鈍く妖しい光が揺れた。
大地の表情が変わる。
「……一難去って、また一難か。」
ゆっくりと立ち上がる。
その口元には、不思議と笑みが浮かんでいた。
「大地? どうしたの? 源爺みたいなこと言って……。」
ルシエルが首を傾げる。
「ルシエル。千萩姉さん。」
大地は視線を外さないまま言った。
「危ないので、二人とも下がっていてください。」
視線の先。
珊瑚の陰から現れたのは、人間ほどの大きさをした異様な生き物だった。
甲殻は赤黒く光り、巨大な鎌のような腕を折り畳んでいる。
カチャ……カチャカチャ……。
硬い殻を擦り合わせる不気味な音が洞窟に響いた。
「な、なにあれ……。」
ルシエルは思わず千萩の腕へしがみつく。
「シャコーブリアン……。」
千萩の顔から笑みが消えた。
「簡単に言えば、大型のシャコだ。」
「大地、気を付けて! シャコのパンチは――」
パァンッ!!
言葉を遮るように、洞窟内へ銃声のような破裂音が響いた。
水中とは思えない鋭い衝撃音。
ルシエルと千萩は思わず耳を塞ぐ。
その一撃だけで洞窟の水が震えた。
「……面白ぇ。」
大地は指をポキポキと鳴らした。
右手に赫灼牙。
左手に灰燼。
二本のカランビットを静かに抜く。
(ああ……。)
血が騒ぐ。
(これこそが、俺の望んだ戦いだ。)
拳と拳。
命と命。
「生存競争だ!!」
海底を蹴り、大地が一直線に飛び込む。
パァンッ!!
シャコーブリアンの拳が弾丸のように撃ち抜かれる。
その瞬間。
大地の身体がわずかに沈んだ。
紙一重。
拳をかわすと同時に赫灼牙が閃く。
ザシュッ!
右腕の手首が宙を舞った。
返す刃。
灰燼がもう片方の腕を斬り裂く。
ザンッ!!
両腕を失ったシャコーブリアンは悲鳴の代わりに殻を鳴らす。
ギギギギッ!!
苦し紛れに尾を振り抜く。
大地は灰燼でその一撃を受け流し、体勢を崩した相手の頭上へ飛び上がった。
「終わりだ。」
赫灼牙が脳天へ突き立つ。
ドサッ。
巨大な身体が崩れ落ちる。
カチャ……カチャカチャ……。
気味の悪い音を残したまま、動かなくなった。
だが、大地は刃を下ろさなかった。
視線は洞窟のさらに奥を見据えている。
「……もう一匹いるの?」
ルシエルが息を呑む。
「だから戦い方を変えたんだ……。」
珊瑚の影が揺れる。
先ほどよりひと回り大きなシャコーブリアンが姿を現した。
殻の色はさらに濃く、拳も一回り巨大だ。
ガチャ……ガチャガチャ……。
低く不気味な音を響かせる。
次の瞬間。
バァンッ!! バァンッ!!
目にも止まらない左右のワンツーが放たれた。
まるで二丁拳銃だった。
しかし――。
大地は笑っていた。
「大地、気を付けて!」
千萩が叫ぶ。
「シャコのパンチは打ち終わりに真空を作り出すの! 巻き込まれたら――!」
「さっき見たので知ってます。」
大地は短く答えた。
再び真正面から突っ込む。
バァンッ!! バァンッ!!
二発の拳が一直線に飛ぶ。
だが大地は急停止した。
拳先が鼻先をかすめる。
そして、その直後。
空気が引き裂かれるような違和感。
水が拳の軌道へ吸い寄せられ、小さな真空が生まれる。
(思った通り。)
(軌道は変えられない。)
大地は、その吸い込む力を利用した。
真空へ身体を預け、一気に相手の懐へ滑り込む。
「うおぉぉぉぉぉっ!!」
二本の刃が紅く輝く。
赫灼牙。
灰燼。
交差するようにシャコーブリアンの腹部へ深々と突き刺さった。
ザシュッ!!
巨体が震える。
ガチャ……ガチャガチャ……ギチャ……ギチャギチャ……。
断末魔のような殻の音が洞窟へ響き渡る。
やがて、その音も静かに途絶えた。
大地はゆっくりと刃を引き抜き、深く息を吐く。
「生存競争は――俺の勝ちだ。」
思わず拳を高く掲げる。
その姿を見つめるルシエルは、小さく息を呑んでいた。
さっきまで「漁」をしていた大地とはまるで別人だった。
そこに立っていたのは、リングでカイブツと渡り合ってきた格闘王・湯本大地、そのものだった。
シャコーブリアンの巨体が動かなくなると、洞窟の中に静寂が戻った。
ルシエルはまだ呆然と大地を見つめている。
「ねぇ、大地……。」
「ん?」
「なんであんな速いパンチを避けられるの?」
ルシエルの声には純粋な驚きが混じっていた。
さっきの拳は、目で追うことすら難しい速さだった。
大地は首をかしげる。
「なんでって……。」
当たり前のことを聞かれたような顔をした。
「アイツ、一度素振りしただろ?」
「……素振り?」
「最初の一匹。」
大地はシャコーブリアンの死骸を親指で指した。
「あの時パンチを見て、だいたいリーチはわかった。」
赫灼牙を肩に担ぎながら続ける。
「それに関節も固そうだったし、拳は真っすぐしか飛んでこない。」
大地は自分の鼻先を指で軽く叩く。
「だったら、あれ以上伸びないところで避ければいい。」
少し間を置いて、さらりと言った。
「避けるのなんて簡単だろ?」
「……。」
ルシエルは言葉を失う。
千萩も思わず苦笑した。
「いや、それを『簡単』って言うのは大地だけだよ。」
アークが「キュッ」と鳴き、小さく頷いた。
ルシエルは額を押さえ、大きくため息をつく。
「やっぱり格闘バカだ……。」
「誰が格闘バカだ。」
大地の返事に、洞窟の中へ笑い声が響いた。
「さて――こいつら、どうする?」
大地が転がるシャコーブリアンの巨体を親指で指した。
すると千萩の目がキラリと輝く。
「馬鹿野郎!」
大地の肩を叩き、勢いよく叫んだ。
「持って帰るに決まってるだろ!」
千萩はシャコーブリアンへ駆け寄ると、嬉々として荷車へ積み始めた。
「アタイにとってシャコは寿司ネタのナンバーワンなんだぞ!」
「そんなに好きなんですか?」
「好きなんてもんじゃない!」
鼻息荒く胸を張る。
「コリコリ、プリプリ、甘みも最高! こんなでっかいシャコなんて、一生に一度食えるかどうかだ!」
「ほれ、大地! ぼーっとしてないで手伝え!」
「俺も実はシャコ好きなんです。」
「だろ? だろ?」
千萩は嬉しそうに大地の背中をバンバン叩く。
「気が合うじゃねぇか!」
大地は苦笑しながらシャコーブリアンを荷車へ持ち上げた。
ふと疑問が浮かぶ。
「千萩姉さん。」
「ん?」
「シャコーブリアンとかグンタイアジとか……この世界の生き物の名前って、誰が付けたんですか?」
千萩は即答した。
「源爺。」
「……源爺が?」
思わず間が空く。
「なんというか……的を射てるような、射てないような名前ですね。」
「ははは!」
千萩は豪快に笑った。
「堅っ苦しいこと気にすんな。源爺は思い付いた名前をそのまま付けるタイプなんだよ。」
「なるほど……。」
大地は少しだけ納得したような、していないような顔をした。
「今夜は美萩にご馳走を作ってもらおうぜ。」
「そうですね。」
グンタイアジにシャコーブリアン。
今日の収穫を思えば、村中が喜ぶ食卓になるだろう。
その時だった。
アークのヒゲがピンと伸びた。
「キュッ?」
何かを感じ取ったように、小さな体で洞窟の奥へふらふらと泳ぎ始める。
「アーク、どうしたの?」
ルシエルが心配そうに後を追う。
数秒後――
「千萩姉ぇー! 大地ぃー!」
洞窟の奥から弾んだ声が響いた。
二人は顔を見合わせ、慌てて奥へ向かう。
行き止まりになった小さな空洞には、丸々とした金魚が何匹も優雅に泳いでいた。
体はランチュウそのもの。
だが、大きさは鶏ほどもある。
「ケイランチュウ……。」
千萩が目を丸くしてつぶやく。
「知ってるんですか?」
「ああ。」
千萩は興奮を隠せない様子で頷く。
「飼育できるランチュウだよ。こいつらが産む卵は、鶏の卵みたいに大きくて、めちゃくちゃ美味いんだ。」
目を輝かせながら数を数え始める。
「これだけいれば毎日卵かけご飯も、卵焼きも、茶碗蒸しも――」
「千萩姉。」
ルシエルが呆れ顔で言った。
「食い意地張りすぎ。」
「食べ物を前に食い意地張らなくてどうする。」
千萩は悪びれもせず胸を張る。
ルシエルは大きくため息をついた。
その横でアークは得意げに胸を張っている。
「アーク!」
千萩はアークを抱き上げると、頭をわしゃわしゃとなで回した。
「ありがとう! お前、大手柄だぞ!」
「キュウ!」
気持ち良さそうに目を細めるアーク。
その鳴き声が、静かな洞窟いっぱいに嬉しそうに響いた。
◇
奴隷村へ戻る頃には、海底は夕暮れ色に染まり始めていた。
荷車いっぱいに積まれたグンタイアジを見つけた村人たちは、仕事の手を止めて一斉に振り返る。
「帰ってきたぞーっ!」
ルシエルが大きく手を振る。
次の瞬間――
「お、おい見ろ!」
「グンタイアジだ!」
「しかもこんな量……!」
村中がどっと湧いた。
子どもたちは荷車の周りを駆け回り、大人たちは信じられないという顔で魚網を覗き込む。
「大漁だぁーーーっ!」
歓声が竪穴住居の間に響き渡った。
「やったな、大地!」
「ルシーたちがやったぞ!」
肩を叩かれ、背中を押され、大地は照れくさそうに頭をかく。
グンタイアジの群れに何も出来なかったあの日とは違う。
今日は、自分たちの力で村へ食料を持ち帰った。
その実感が胸いっぱいに広がっていた。
「……で、本命はこっちだ。」
千萩がニヤリと笑い、荷車の布を勢いよくめくる。
巨大なシャコーブリアンが姿を現した。
「美萩ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
村中に響くほどの大声だった。
料理場から慌てて飛び出してきた美萩は、その姿を見た瞬間、固まる。
「…………え。」
一歩、また一歩と近づき、震える手で甲殻に触れた。
「シャ、シャコーブリアン……。」
声まで震えている。
「しかも、この大きさ……。」
次の瞬間、美萩は飛び跳ねた。
「希少種じゃない!!」
両手を突き上げ、子どものように大喜びする。
「えっ、そんなにすごいの?」
ルシエルが目を丸くした。
「すごいなんてもんじゃないよ!」
美萩の目が料理人の目になる。
「シャコーブリアンは熱を通すとね……。」
ゴクリ、と唾を飲み込む。
「牛肉のシャトーブリアンと同じ味になるの!」
一瞬、村が静まり返る。
そして――
「「「えぇぇぇぇぇぇぇっ!!?」」」
歓声とも悲鳴ともつかない声が爆発した。
「今日は宴だぁ!」
「美萩姉ちゃん、早く焼いて!」
「俺、腹減った!」
子どもたちは大騒ぎで、美萩は満面の笑みを浮かべる。
「任せて! 今日は村始まって以来のご馳走を作るから!」
その隣で、千萩は勝ち誇ったように腕を組んだ。
「だから言ったろ? シャコは寿司ネタのナンバーワンなんだよ。」
「いや、今は寿司じゃなくて肉なんですけど。」
大地が思わず突っ込むと、村中から笑い声が起きた。
「そうだった!」
千萩まで笑い出す。
笑顔に包まれる村を見ながら、大地もつられて笑っていた。
「それと、こっちも見て!」
ルシエルがアークを抱き上げながら声を掛ける。
アークの後ろには、大きな桶に入れられた丸々とした金魚が泳いでいた。
「ケイランチュウだ。」
千萩が紹介する。
「飼育できるランチュウで、卵がめちゃくちゃ美味いんだ。」
「……卵?」
美萩の目の色が変わった。
桶の中を覗き込み、一匹ずつ真剣な表情で観察する。
「元気そう……傷もない。」
ぶつぶつと何かを確認すると、美萩は突然振り返った。
「良造さん!!」
鍛冶場から顔を出した良造が驚く。
「なんだなんだ?」
「お願い!」
美萩は良造の両肩を掴んだ。
「ケイランチュウを飼育する場所を作って!」
「飼育する場所?」
「うん!」
美萩は力いっぱい頷く。
「養鶏場……じゃなくて。」
一瞬考え込み、首を傾げる。
「養魚場?」
「養ランチュウ場?」
ルシエルまで一緒になって首を傾げた。
「名前は後で考えればいい!」
千萩が笑う。
「毎日卵が食える場所を作ればいいんだ!」
「結局そこか。」
大地の呆れた一言に、また笑いが起きた。
良造は腕を組み、桶の中をしばらく眺める。
やがて口元を緩めた。
「面白ぇ。」
鍛冶師らしい笑みだった。
「よし。村に新しい仕事を一つ増やそう。」
その言葉に、美萩と千萩は顔を見合わせて歓声を上げる。
アークも「キューッ!」と嬉しそうに鳴いた。
大量の魚。
希少なシャコーブリアン。
そして未来へ繋がるケイランチュウ。
敗北から始まったリターンマッチは、村に新しい恵みと、新しい未来をもたらして幕を閉じるのだった。




