リターンマッチ①
“鉄”と“熱”が、奴隷村を変えていく。
食事時になれば、あちこちの竪穴住居から魚の焼ける香りが漂い、炭火の弾ける音が響く。子どもたちは串焼きを頬張りながら走り回り、大人たちは笑顔でその様子を眺めていた。
良造が鉄のツルハシを完成させたことで、鉄鉱石や石灰岩の採掘効率は格段に向上した。鉄鍋や包丁まで作られ始め、奴隷村の暮らしは目に見えて豊かになっている。
皆が前へ進んでいる。
――それなのに。
大地だけは胸の奥に燻るものを抱えたまま、腕を組んで頭を抱えていた。
グンタイアジ討伐。
あれ以来、何度思い返しても答えが見つからない。
群れを前に何もできず、ナゲヤリイカとの衝突で生まれた魚の死骸を拾って終わった自分。
狩りの結果とは裏腹に、あれは勝利とは到底思えなかった。
「大地、まだあの時のことモヤモヤしてるの?」
文字の勉強の休憩時間。向かいに座るルシエルが、不思議そうに首を傾げる。
「その通りだ。」
大地はため息をついた。
「大群を相手にした時、どう動くのが正解だったのか……未だにわからない。」
格闘技なら答えはある。
一対一なら相手を見て、間合いを読み、カウンターを合わせる。
だが、相手が何百匹もの魚だったら?
拳を振るう相手すらいない。
その現実が、大地のプライドを静かに傷つけていた。
「大地くん、どうしたの?」
見かねたゆきが、湯気の立つお茶を持って声を掛ける。
「ゆきさん。」
大地は姿勢を正した。
「大群を相手にした場合、“狩り”ってどうするのが正解なんですか?」
その言葉に、隣で魚を頬張っていたアークが「ピギッ?」と顔を上げる。
「母ちゃん、大地は死骸拾いじゃ満足できないんだってさ。」
ルシエルが悪戯っぽく笑う。
「あら、そう……。」
ゆきは少し考えたあと、あっさりと言った。
「それなら簡単よ。能力で全部凍らせてしまえばいいんじゃない?」
――シン。
部屋の空気が一瞬で冷え込む。
テーブルの湯呑みには薄く霜が張り始め、大地の肩が思わず震えた。
「……そ、それはゆきさんしかできない芸当です。」
「ふふ、ごめんなさい。」
ゆきは悪びれもなく笑う。
「わかった!」
ルシエルが勢いよく立ち上がった。
「格闘バカの大地のために、この私が知的な作戦を考えてあげる!」
紅い瞳をキラキラと輝かせ、胸を張る。
「誰が格闘バカだ!」
大地も立ち上がる。
「俺だって頭くらい使う!」
「へぇ? 本当に?」
「お前よりは使える!」
二人が睨み合った瞬間――
パンッ!
乾いた手拍子が部屋に響いた。
「はいはい、そこまで。」
ゆきが二人の間に入り、穏やかな笑みを浮かべる。
「ルシー。大地くん。」
二人は同時に姿勢を正した。
「“狩り”はね、“戦い”じゃないの。」
ゆきの一言で、部屋の空気が静まる。
「人間は昔から、生きるために食料を確保してきた。そのために道具を作ったり、罠をはったり、知恵を使ってきたの。」
ゆきは優しく微笑んだ。
「力で勝つことより、安全に獲物を手に入れること。それが狩りよ。」
その言葉は、大地の胸に静かに沈んでいく。
「ルシー。」
「はい。」
「だったら、ちゃんと作戦を練りなさい。」
「任せて!」
「大地くん。」
「はい。」
「あなたは、安全に食料を確保するために、自分に何が足りなかったのかをもう一度考えてみなさい。」
大地はゆっくりとうなずいた。
「……ありがとうございます。ゆきさん。」
胸の中の霧が、ほんの少しだけ晴れた気がした。
勢いよく立ち上がる。
「やるぞ、ルシエル!」
「うん!」
「グンタイアジに――リターンマッチだ!」
その宣言にルシエルも笑顔で拳を掲げる。
大地の心には、悔しさとは違う熱がもう一度灯り始めていた。
◇
「千萩姉さん、力を貸してください」
採掘場に訪れていた大地は、汗と埃に塗れ、休憩中の千萩に頭を下げていた。
「でもなぁ…アタイには戦う力なんてないよ」
「戦わなくて良いんです。千萩姉さんには狩場を見て欲しいんです。千萩姉さんは、俺が必ず守ります」
「狩場を見るだけで必要なのか?それに…俺が必ず守るって……気恥ずかしい台詞を言えるようになって、なんか嬉しいよ」
そう言って千萩は照れ臭そうに鼻の頭をポリポリとかいた。
「頼りにされるのは嫌いじゃない。よし、大地、アタイが力になってやる」
「それでは、今から下見に行きましょう」
「今から?ちょっと待ってくれ、アタイもこう見えて女なんだ。少しくらい綺麗にさせてくれよ」
「わかりました、それでは村の入り口で待ってます」
そう言うと大地は、採掘場をあとにするのであった。
◇
村の入り口で千萩を待つ間、大地はぼんやりと海流を眺めていた。
脳裏に、不意に懐かしい声が蘇る。
「大地! 相手の土俵で戦うな! もっと考えながら戦え!」
現役時代、何度も耳にしたセコンドの怒鳴り声だった。
あの頃の大地は、その言葉の意味を理解していなかった。
若さに任せ、相手の得意な距離へ飛び込み、相手の得意技すら力でねじ伏せる。野生の勘とも言える反応速度と身体能力だけで勝ち続けていた。
だから、考える必要などないと思っていた。
だが――。
グンタイアジの大群を前に、何もできなかった今ならわかる。
相手の土俵に乗り続けた結果、完敗したのだ。
「要するに……自分の土俵に持ち込めばいいんだろ。」
誰に聞かせるでもなく、大地は静かにつぶやく。
そのために必要だと直感したのが、千萩の「地形を読む力」だった。
初めて採掘場で働いた日のことを思い出す。
千萩は作業員たちが怪我をしないよう、岩盤のひび割れや崩落の危険箇所を細かく調べ、一つひとつ補強していた。
「作業員全員を、毎日怪我なく帰らせる。それが現場監督のアタイの仕事さ。」
あの言葉は、大地の胸に深く刻まれている。
自分だけが無事ならいいわけじゃない。
仲間全員を無事に帰すために、戦う前から勝負は始まっている。
――千萩姉さんなら、きっと見えている。
魚の群れより先に、海底の地形が。
「お待たせ、大地。」
声に振り向くと、千萩がこちらへ泳いできた。
汗と埃を洗い流したその姿は、日に焼けた褐色の肌が海の光を受けて輝き、引き締まった腕や肩には、現場仕事で鍛えた健康的な美しさがあった。
「待たせたか?」
「いえ、大丈夫です。」
「……あれ? ルシーは?」
「ルシーは今、一人で作戦を練ってます。」
「へぇ。」
千萩は意味ありげに口元を緩めた。
「じゃあ今日は二人っきりかぁ。なんかデートみたいだね。」
「で、デートって……!」
大地は一瞬で顔を赤くする。
そんな反応がおかしくてたまらないのか、千萩は肩を揺らして笑った。
「ははっ、冗談冗談。」
「もう……からかわないでください。」
耳まで赤くなった大地に、千萩は満足そうに頷く。
「そういうとこ、まだまだ子どもだねぇ。」
「そ、それより行きましょう!」
話を強引に切り替える大地に、千萩は「はいはい」と笑って手を振った。
「うーん……そうだな。」
少し考える素振りを見せると、いたずらっぽく目を細める。
「お願いを聞く代わりに、アタイからもお願いしようかな。」
「お願いですか?」
「大地が初めてこの村へ来た時さ。」
千萩は懐かしそうに笑った。
「アタイがおんぶして運んでやったろ?」
「あ……はい。」
腰を痛め、自力で歩くこともできなかったあの日の記憶が蘇る。
「だから今日は逆。」
千萩は両腕を広げた。
「目的地まで、大地がアタイをおんぶしてくれ。」
一瞬だけ大地は目を丸くしたが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「……わかりました。」
「へへっ。あんがとよ。」
千萩は迷いなく大地の背中へ飛び乗る。
ふわりと体温が背中に伝わった。
「へへっ、男らしい広い背中だ。」
「ありがとうございます……。」
素直に礼を返したものの、大地の心臓は落ち着かなかった。
背中に伝わる柔らかな感触に意識が引っ張られ、顔が熱くなる。
(落ち着け……落ち着け俺。)
必死に平静を装いながら、大地は海底を蹴った。
二人はゆっくりと海流へ乗り、グンタイアジの群れが棲む狩場へ向かって泳ぎ始める。
大地にとって、それは敗北した場所へのリターンマッチの始まりだった。
◇
「なるほどなあ、こんなだだっ広い場所で狩りをしようとしてたら……そりゃあそうなるわなぁ」
グンタイアジの巣の近くの海域を見た千萩は、開口一番呆れるような声を漏らす。
「やっぱり、そうですか?」
「そりゃそうさ、こっちが見えるってことは、相手も見えるってことだ。それに小さな岩陰で隠れたところで一緒だよ」
大地の背中におぶさりながら、所々に点在する岩を指差す。
「大地、ちょっとあそこに行ってみてくれ」
千萩は、アーチ状になった珊瑚を指差す。
「ふーん、ここなら…、そしてこの先は…」
珊瑚に触れながら、視線の先にある岩で出来たトンネルの方を向く。
「なるほど、なるほど…」
千萩が考えをまとめていると、遠くから「おーい」と声が聞こえてきた。
「おっ、ルシーじゃないか」
ウミウシの牛車に乗ったルシーが、アークと共に荷車に大量の荷物を載せてやってきた。
「げっ、千萩姉、大地の背中で何やってるの?」
「何って…おんぶしてもらってるだけだが」
「大地!わ、私が、も、」
ルシエルは真っ赤な顔で大地に怒りを露わにする。
「ルシエル、俺は何も……」
「へへっ、ルシー。そんなに怒るなよ。それにしても二人は本当に似たもの同志なんだな」
「誰がっ!!」
二人の声が見事に重なった。
一拍遅れてアークが「ピギッ!」と吹き出す。
「ごめん、ごめん」
そう言いながら千萩は、大地の背中から下りると、ルシエルの元へと近づいた。
「それで、作戦…….っていうか揃ったか?」
「うん、揃ったし、それに、作戦も完璧よ」
ルシエルは荷台に被せてあったシートを剥がす。
荷台には、大きな魚網と、中型のハンマー、それに何か入れ物に入ったピンク色の物体があった。
「大地、私たちは根本的に間違ってたの。私たちがしなくちゃいけないのは、狩りじゃなくて“漁”よ!」
「…….漁」
「そうよ、これからアタイたちがするのは、追い込み……モガモガ」
「千萩姉、作戦は私が言うの!」
ルシエルが手を伸ばして千萩の口元を押さえる。
「大地、良く聞いて、そして慄きなさい!私が決めた作戦!“コーラル•トラップ”の全貌を!!」
そう言うとルシエルは、岩底に紙を広げる。
「まずはあのアーチ状の珊瑚に網を設置する。そしてこの入れ物に入った“撒き餌”を海流に乗せてグンタイアジを誘導するように撒くの。網にグンタイアジが入ったらアーチ状の珊瑚を壊して捕獲完了!どう、私の考えた天才的な安心安全コーラル•トラップは?」
ルシエルがドヤ顔で見つめてくる。
「た、戦う必要は?」
「なるほど、格闘バカの大地くん。最初に言ったでしょ?これは“漁”だって」
「ぐっ……誰が格闘バカだ……」
そう言いかけたが、荷車に載った卵の殻のような物に目が移った。
「ルシエル、これはなんだ?」
「これは、もしものために身を守る手段。ナゲヤリイカの突撃さえ防ぐ鋼鉄のシェルター。村の子供たちを守るために、良造さんが造ってたのを拝借してきた」
「なるほど、ルシエルなりに色々と考えてきたみたいだな」
「じゃあ潮が動く前にチャチャっとやるか」
千萩が魚網を肩で担ぐ。
「撒き餌は大地の担当よ」
そう言うと、ルシエルは千萩の手伝いへと向かうのであった。




