↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/31

リターンマッチ①

 “鉄”と“熱”が、奴隷村を変えていく。


 食事時になれば、あちこちの竪穴住居から魚の焼ける香りが漂い、炭火の弾ける音が響く。子どもたちは串焼きを頬張りながら走り回り、大人たちは笑顔でその様子を眺めていた。


 良造が鉄のツルハシを完成させたことで、鉄鉱石や石灰岩の採掘効率は格段に向上した。鉄鍋や包丁まで作られ始め、奴隷村の暮らしは目に見えて豊かになっている。


 皆が前へ進んでいる。


 ――それなのに。


 大地だけは胸の奥に燻るものを抱えたまま、腕を組んで頭を抱えていた。


 グンタイアジ討伐。


 あれ以来、何度思い返しても答えが見つからない。


 群れを前に何もできず、ナゲヤリイカとの衝突で生まれた魚の死骸を拾って終わった自分。


 狩りの結果とは裏腹に、あれは勝利とは到底思えなかった。


 「大地、まだあの時のことモヤモヤしてるの?」


 文字の勉強の休憩時間。向かいに座るルシエルが、不思議そうに首を傾げる。


 「その通りだ。」


 大地はため息をついた。


 「大群を相手にした時、どう動くのが正解だったのか……未だにわからない。」


 格闘技なら答えはある。


 一対一なら相手を見て、間合いを読み、カウンターを合わせる。


 だが、相手が何百匹もの魚だったら?


 拳を振るう相手すらいない。


 その現実が、大地のプライドを静かに傷つけていた。


 「大地くん、どうしたの?」


 見かねたゆきが、湯気の立つお茶を持って声を掛ける。


 「ゆきさん。」


 大地は姿勢を正した。


 「大群を相手にした場合、“狩り”ってどうするのが正解なんですか?」


 その言葉に、隣で魚を頬張っていたアークが「ピギッ?」と顔を上げる。


 「母ちゃん、大地は死骸拾いじゃ満足できないんだってさ。」


 ルシエルが悪戯っぽく笑う。


 「あら、そう……。」


 ゆきは少し考えたあと、あっさりと言った。


 「それなら簡単よ。能力で全部凍らせてしまえばいいんじゃない?」


 ――シン。


 部屋の空気が一瞬で冷え込む。


 テーブルの湯呑みには薄く霜が張り始め、大地の肩が思わず震えた。


 「……そ、それはゆきさんしかできない芸当です。」


 「ふふ、ごめんなさい。」


 ゆきは悪びれもなく笑う。


 「わかった!」


 ルシエルが勢いよく立ち上がった。


 「格闘バカの大地のために、この私が知的な作戦を考えてあげる!」


 紅い瞳をキラキラと輝かせ、胸を張る。


 「誰が格闘バカだ!」


 大地も立ち上がる。


 「俺だって頭くらい使う!」


 「へぇ? 本当に?」


 「お前よりは使える!」


 二人が睨み合った瞬間――


 パンッ!


 乾いた手拍子が部屋に響いた。


 「はいはい、そこまで。」


 ゆきが二人の間に入り、穏やかな笑みを浮かべる。


 「ルシー。大地くん。」


 二人は同時に姿勢を正した。


 「“狩り”はね、“戦い”じゃないの。」


 ゆきの一言で、部屋の空気が静まる。


 「人間は昔から、生きるために食料を確保してきた。そのために道具を作ったり、罠をはったり、知恵を使ってきたの。」


 ゆきは優しく微笑んだ。


 「力で勝つことより、安全に獲物を手に入れること。それが狩りよ。」


 その言葉は、大地の胸に静かに沈んでいく。


 「ルシー。」


 「はい。」


 「だったら、ちゃんと作戦を練りなさい。」


 「任せて!」


 「大地くん。」


 「はい。」


 「あなたは、安全に食料を確保するために、自分に何が足りなかったのかをもう一度考えてみなさい。」


 大地はゆっくりとうなずいた。


 「……ありがとうございます。ゆきさん。」


 胸の中の霧が、ほんの少しだけ晴れた気がした。


 勢いよく立ち上がる。


 「やるぞ、ルシエル!」


 「うん!」


 「グンタイアジに――リターンマッチだ!」


 その宣言にルシエルも笑顔で拳を掲げる。


 大地の心には、悔しさとは違う熱がもう一度灯り始めていた。


 ◇

 「千萩姉さん、力を貸してください」


 採掘場に訪れていた大地は、汗と埃に塗れ、休憩中の千萩に頭を下げていた。


 「でもなぁ…アタイには戦う力なんてないよ」


 「戦わなくて良いんです。千萩姉さんには狩場を見て欲しいんです。千萩姉さんは、俺が必ず守ります」


 「狩場を見るだけで必要なのか?それに…俺が必ず守るって……気恥ずかしい台詞を言えるようになって、なんか嬉しいよ」


 そう言って千萩は照れ臭そうに鼻の頭をポリポリとかいた。


 「頼りにされるのは嫌いじゃない。よし、大地、アタイが力になってやる」


 「それでは、今から下見に行きましょう」


 「今から?ちょっと待ってくれ、アタイもこう見えて女なんだ。少しくらい綺麗にさせてくれよ」


 「わかりました、それでは村の入り口で待ってます」


 そう言うと大地は、採掘場をあとにするのであった。


 ◇


 村の入り口で千萩を待つ間、大地はぼんやりと海流を眺めていた。


 脳裏に、不意に懐かしい声が蘇る。


「大地! 相手の土俵で戦うな! もっと考えながら戦え!」


 現役時代、何度も耳にしたセコンドの怒鳴り声だった。


 あの頃の大地は、その言葉の意味を理解していなかった。


 若さに任せ、相手の得意な距離へ飛び込み、相手の得意技すら力でねじ伏せる。野生の勘とも言える反応速度と身体能力だけで勝ち続けていた。


 だから、考える必要などないと思っていた。

 だが――。


 グンタイアジの大群を前に、何もできなかった今ならわかる。


 相手の土俵に乗り続けた結果、完敗したのだ。


 「要するに……自分の土俵に持ち込めばいいんだろ。」


 誰に聞かせるでもなく、大地は静かにつぶやく。


 そのために必要だと直感したのが、千萩の「地形を読む力」だった。


 初めて採掘場で働いた日のことを思い出す。


 千萩は作業員たちが怪我をしないよう、岩盤のひび割れや崩落の危険箇所を細かく調べ、一つひとつ補強していた。


「作業員全員を、毎日怪我なく帰らせる。それが現場監督のアタイの仕事さ。」


 あの言葉は、大地の胸に深く刻まれている。


 自分だけが無事ならいいわけじゃない。


 仲間全員を無事に帰すために、戦う前から勝負は始まっている。


 ――千萩姉さんなら、きっと見えている。


 魚の群れより先に、海底の地形が。


 「お待たせ、大地。」


 声に振り向くと、千萩がこちらへ泳いできた。


 汗と埃を洗い流したその姿は、日に焼けた褐色の肌が海の光を受けて輝き、引き締まった腕や肩には、現場仕事で鍛えた健康的な美しさがあった。


 「待たせたか?」


 「いえ、大丈夫です。」


 「……あれ? ルシーは?」


 「ルシーは今、一人で作戦を練ってます。」


 「へぇ。」


 千萩は意味ありげに口元を緩めた。


 「じゃあ今日は二人っきりかぁ。なんかデートみたいだね。」


 「で、デートって……!」


 大地は一瞬で顔を赤くする。


 そんな反応がおかしくてたまらないのか、千萩は肩を揺らして笑った。


 「ははっ、冗談冗談。」


 「もう……からかわないでください。」


 耳まで赤くなった大地に、千萩は満足そうに頷く。

 「そういうとこ、まだまだ子どもだねぇ。」


 「そ、それより行きましょう!」


 話を強引に切り替える大地に、千萩は「はいはい」と笑って手を振った。


 「うーん……そうだな。」


 少し考える素振りを見せると、いたずらっぽく目を細める。


 「お願いを聞く代わりに、アタイからもお願いしようかな。」


 「お願いですか?」 


 「大地が初めてこの村へ来た時さ。」


 千萩は懐かしそうに笑った。


 「アタイがおんぶして運んでやったろ?」


 「あ……はい。」


 腰を痛め、自力で歩くこともできなかったあの日の記憶が蘇る。


 「だから今日は逆。」


 千萩は両腕を広げた。


 「目的地まで、大地がアタイをおんぶしてくれ。」


 一瞬だけ大地は目を丸くしたが、すぐに真剣な表情で頷いた。


 「……わかりました。」


 「へへっ。あんがとよ。」


 千萩は迷いなく大地の背中へ飛び乗る。


 ふわりと体温が背中に伝わった。


 「へへっ、男らしい広い背中だ。」


 「ありがとうございます……。」


 素直に礼を返したものの、大地の心臓は落ち着かなかった。


 背中に伝わる柔らかな感触に意識が引っ張られ、顔が熱くなる。


 (落ち着け……落ち着け俺。)


 必死に平静を装いながら、大地は海底を蹴った。


 二人はゆっくりと海流へ乗り、グンタイアジの群れが棲む狩場へ向かって泳ぎ始める。


 大地にとって、それは敗北した場所へのリターンマッチの始まりだった。


 ◇


 「なるほどなあ、こんなだだっ広い場所で狩りをしようとしてたら……そりゃあそうなるわなぁ」


 グンタイアジの巣の近くの海域を見た千萩は、開口一番呆れるような声を漏らす。


 「やっぱり、そうですか?」

 

 「そりゃそうさ、こっちが見えるってことは、相手も見えるってことだ。それに小さな岩陰で隠れたところで一緒だよ」


 大地の背中におぶさりながら、所々に点在する岩を指差す。


 「大地、ちょっとあそこに行ってみてくれ」


 千萩は、アーチ状になった珊瑚を指差す。


 「ふーん、ここなら…、そしてこの先は…」


 珊瑚に触れながら、視線の先にある岩で出来たトンネルの方を向く。


 「なるほど、なるほど…」


 千萩が考えをまとめていると、遠くから「おーい」と声が聞こえてきた。


 「おっ、ルシーじゃないか」


 ウミウシの牛車に乗ったルシーが、アークと共に荷車に大量の荷物を載せてやってきた。


 「げっ、千萩姉、大地の背中で何やってるの?」


 「何って…おんぶしてもらってるだけだが」


 「大地!わ、私が、も、」


 ルシエルは真っ赤な顔で大地に怒りを露わにする。


 「ルシエル、俺は何も……」


 「へへっ、ルシー。そんなに怒るなよ。それにしても二人は本当に似たもの同志なんだな」


 「誰がっ!!」


 二人の声が見事に重なった。


 一拍遅れてアークが「ピギッ!」と吹き出す。


 「ごめん、ごめん」


 そう言いながら千萩は、大地の背中から下りると、ルシエルの元へと近づいた。


 「それで、作戦…….っていうか揃ったか?」


 「うん、揃ったし、それに、作戦も完璧よ」


 ルシエルは荷台に被せてあったシートを剥がす。


 荷台には、大きな魚網と、中型のハンマー、それに何か入れ物に入ったピンク色の物体があった。


 「大地、私たちは根本的に間違ってたの。私たちがしなくちゃいけないのは、狩りじゃなくて“漁”よ!」


 「…….漁」


 「そうよ、これからアタイたちがするのは、追い込み……モガモガ」


 「千萩姉、作戦は私が言うの!」


 ルシエルが手を伸ばして千萩の口元を押さえる。


 「大地、良く聞いて、そして慄きなさい!私が決めた作戦!“コーラル•トラップ”の全貌を!!」


 そう言うとルシエルは、岩底に紙を広げる。


 「まずはあのアーチ状の珊瑚に網を設置する。そしてこの入れ物に入った“撒き餌”を海流に乗せてグンタイアジを誘導するように撒くの。網にグンタイアジが入ったらアーチ状の珊瑚を壊して捕獲完了!どう、私の考えた天才的な安心安全コーラル•トラップは?」


 ルシエルがドヤ顔で見つめてくる。


 「た、戦う必要は?」


 「なるほど、格闘バカの大地くん。最初に言ったでしょ?これは“漁”だって」


 「ぐっ……誰が格闘バカだ……」


 そう言いかけたが、荷車に載った卵の殻のような物に目が移った。


 「ルシエル、これはなんだ?」


 「これは、もしものために身を守る手段。ナゲヤリイカの突撃さえ防ぐ鋼鉄のシェルター。村の子供たちを守るために、良造さんが造ってたのを拝借してきた」


 「なるほど、ルシエルなりに色々と考えてきたみたいだな」


 「じゃあ潮が動く前にチャチャっとやるか」


 千萩が魚網を肩で担ぐ。


 「撒き餌は大地の担当よ」


 そう言うと、ルシエルは千萩の手伝いへと向かうのであった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。