ゆきの帰還
道中でキャペリンと別れた大地たちは、ようやく奴隷村へと帰ってきた。
見慣れた岩壁に囲まれた村の入り口。門の前には源爺をはじめ、村人たちがずらりと並んで待っていた。
その姿を見た瞬間、大地は胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。よくぞ生きて戻ってきた」
源爺は目尻を下げ、いつもの豪快な笑い声を響かせる。
「便りの無いのは良い便りと言えど……心配は身の毒じゃてのう」
「源爺、大変ご心配をおかけしました。皆さんも、ごめんなさい」
ゆきは村人たちへ向き直ると、深々と頭を下げた。
すると、人垣の中から二人の少女が飛び出してくる。
「ゆきさん……お帰りなさい!」
「本当に、本当に良かった……!」
千萩と美萩だった。
二人は涙をこぼしながら、ゆきにぎゅっとしがみつく。ゆきは少し驚いたように笑い、優しく二人の頭を撫でた。
「千萩、美萩。心配かけたね」
しばらく抱きしめたあと、ゆきはふと辺りを見渡した。
「それと……あの人は?」
「あ、良造さんなら工房です」
千萩が涙を拭いながら答える。
「この間、採掘場で鉄鉱石が見つかったでしょう? それで朝からずっと工房にこもって、色々準備してるんです」
「鉄鉱石……」
大地は思わず聞き返した。
この海底世界で鉄が見つかった――それがどれほど大きな出来事なのかは、まだ完全には分からない。それでも良造が夢中になる理由だけは容易に想像できた。
ゆきはくすりと笑う。
「ふふっ。あの人らしいわね。見つけたらきっと寝るのも忘れてる。」
そう言ってから、大地へ視線を向ける。
「大地くん、ちょっと一緒に来てくれる?」
ゆきは手招きをした。
「母ちゃん、私は?」
ルシエルが首をかしげる。
「あなたは源爺に旅の報告をお願いね。みんな、ルシーの話も聞きたがってるから」
「うん、分かった!」
ルシエルは元気よく頷くと、さっそく源爺たちの輪へ駆けていった。
「じゃあ大地くん、よろしくね」
「はい」
大地は返事をすると、ゆきの隣に並ぶ。
久しぶりの村の道を歩く。岩肌をくり抜いて造られた住居の窓からは村人たちが顔をのぞかせ、無事に戻った一行へ安堵の笑顔を向けていた。
その温かな空気に包まれながら、大地はゆきとともに良造の待つ工房へと歩き始めた。
◇
岩をくり抜いただけの粗末な工房。その木戸をゆきが静かに開けた。
中には鉄鉱石や石材が積み上げられ、煤の匂いが充満している。
「ただいま」
ゆきの柔らかな声が工房に響く。
しかし返事はない。
炉の前に立つ良造は、槌や工具を手にしたまま、黙々と作業を続けていた。声に気付いていないのか、それとも気付かないふりをしているのか、大地には分からない。
「まったくもう……あの人は」
呆れたようにため息をつくゆき。
それでもその表情はどこか嬉しそうで、迷うことなく良造のもとへ歩み寄る。
汗と煤で黒く汚れた大きな背中へ、そっと抱きついた。
良造の手がぴたりと止まる。
「……綺麗な服が汚れるからって、いつも言ってるだろ」
ゆっくりと振り向いた良造の顔には、驚きと安堵が入り混じっていた。
「私は『ただいま』って言ったのよ?」
ゆきは少し頬を膨らませる。
「何もないの?」
「ああ……おかえり」
「それだけ?」
「えっと……その……」
言葉に詰まる良造。
視線は泳ぎ、口だけが何度も開いては閉じる。
「それよりも――」
「もうっ!」
ゆきは良造の耳をぎゅっとつねった。
「私のことより仕事、仕事……ほんと馬鹿!」
「いだだだだだっ!」
良造は情けない声を上げる。
「すまん、ゆき! 本当に悪かった! でもあと少し炉を熱する力さえあれば……あと少しでこの炉が使えるんだ」
その一言に、ゆきはいたずらっぽく微笑んだ。
「あるわよ」
「……ある?」
良造は目を丸くする。
「熱源が?」
ゆきは後ろに立つ大地へ視線を向けた。
「大地くん、お願い。」
「わかりました。」
大地は炉の前へ立つ。
深く息を吸い込み、両手を炉へとかざした。
胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
その熱が腕を伝い、掌から炉の中へ流れ込んでいく感覚――。
次の瞬間。
黒かった石炭がじわりと赤く色づき始めた。
赤は橙へ、橙は白に近い輝きへ変わり、炉の中で炎の代わりに灼熱の光が揺らめく。
熱気が一気に工房へ広がった。
「……すごい」
良造は思わず炉に顔を近づける。
冷たい海底とは思えないほどの熱が頬を打ち、鉄鉱石まで赤く染まり始めていた。
「ゆき……これは?」
「大地くんの能力よ。」
ゆきはどこか誇らしげに答える。
「私の能力が『冷』なら、大地くんは正反対の『熱』。どうやらそういう力みたい。」
「……そう、みたいです。」
大地自身もまだ半信半疑だった。
けれど炉の熱は確かに自分から生まれている。
良造は炉と大地を何度も見比べた。
信じられないものを見るような目だった。
そしてゆっくり振り返ると、大地の肩を力強くつかんだ。
「ありがとう、大地。本当にありがとう。」
その声は震えていた。
「それに……ゆき。」
今度は妻へ向き直る。
「心配を掛けた。苦労も掛けた。」
煤だらけの拳を握りしめる。
「俺はずっと、お前に嫉妬してた。」
ゆきは何も言わず聞いている。
「村を守るのはいつもお前だった。皆がお前を頼って、お前が戦って……俺は鍛冶しかできない自分が情けなくて、妬んでた。」
良造は目を伏せた。
「でも、この炉が動けば……やっと俺も、この村の役に立てる。」
しばらく沈黙が流れる。
ゆきは一歩近づき、良造の煤で汚れた頬にそっと触れた。
「守るって……知ってるわよ。」
「え?」
「私がいない間、この村を先頭に立って守ってたのは、良造さんでしょう?」
良造は息を呑む。
「ゆきほどじゃない。俺なんて、お前の足元にも及ばない。」
「良造さん。」
「ゆき……。」
二人の距離がゆっくり縮まっていく。
工房の温度はますます上がり、炉は赤々と輝いていた。
――そして。
(……俺、ここにいていいのかな。)
大地は工房の隅で一人立ち尽くしていた。
目の前では完全に夫婦だけの世界が出来上がっている。
熱いのは炉のせいなのか、それともこの空気のせいなのか。
大地は居心地の悪さに頬をかきながら、小さく視線を逸らした。
「……帰ろうかな。」
誰にも聞こえない声でそう呟いた。
◇
――良造の工房の炉に、ついに熱が灯った。
その知らせは、小さな奴隷村を潮の流れよりも速く駆け巡った。
炎は上がらない。ただ石炭だけが白く灼け、鉄を溶かす熱だけが生まれていた。
「炉が動いたぞ!」
「鉄が作れるらしい!」
「本当に火が使えるのか?」
村人たちは工房の前に集まり、赤く輝く炉をまるで祭りでも見るように囲んだ。
そしてその日の夕方、村の広場では急きょ村民会議が開かれることになった。
議題はただ一つ。
『初めて作れる鉄で、何を作るか』
会議の参加者は、源爺、良造、ゆき、千萩、美萩の五人。そして少し離れた場所で、大地とルシエルがその様子を見守っていた。
「では始めるわよ。」
ゆきが司会役を務める。
すると、開始早々――
「ワシはキセルが欲しい!」
源爺が勢いよく手を挙げた。
「この世界に来てから、ずーっと禁煙生活じゃ! もう限界なんじゃよ!」
「却下。」
ゆきが即答した。
「早っ!」
源爺が机に突っ伏す。
その隣で千萩が勢いよく立ち上がる。
「私は家をもっと立派にしたい! 鉄の柱とか、丈夫な扉とか作れたら絶対便利だもん!」
「千萩」
美萩がそっと妹の肩を叩く。
「家より先に、美味しいもの食べたくない?」
「え?」
「焼き魚とか……あったかいスープとか……。」
美萩は目を閉じ、幸せそうに両手を胸の前で組む。
「私、調理器具が欲しい。」
その一言で空気が少し揺れた。
「武器だ!」
今度は良造が立ち上がる。
「武器を作るべきだ! これ以上ゆきに負担を背負わせるわけにはいかん!」
拳を握る良造に、大地は思わず「職人なのに熱いな」と苦笑する。
「はいはい。」
ゆきが両手を叩いて場を落ち着かせた。
「全然まとまりそうにないわね。」
全員が黙る。
「良造さん。村の防衛は、私だけじゃないわ。」
ゆきは大地とルシエルを見る。
「大地くんもいるし、ルシーもいる。当面は何とかなる。」
ルシエルは胸を張る。
「任せて!」
「それに千萩。」
ゆきは妹のように可愛がる二人の妹分へ微笑んだ。
「家を建てるには、もっとたくさん鉄鉱石が必要よ。
今ある量じゃ全然足りない。」
「うぅ……確かに。」
千萩は肩を落とした。
ゆきは最後に美萩へ視線を向ける。
「美萩は?」
美萩は迷うことなく両手を挙げる。
「私も美味しいもの食べたい!」
「やったー!」
千萩が飛び上がる。
「美萩が食べ物って言うなら私も賛成!」
「現金ねぇ。」
ゆきは呆れながら笑った。
「ということで決まり。」
全員の視線が良造へ集まる。
「良造さん。最初は調理器具をお願い。」
「調理器具?」
「フライパンと包丁。このくらいなら、良造さんの能力ならすぐ作れるでしょう?」
良造は腕を組み、炉の方をちらりと見る。
「ああ。任せとけ。」
その一言に、美萩の目がきらきらと輝いた。
「焼き魚! 焼き魚!」
「スープも!」
千萩も便乗して騒ぎ始める。
こうして、奴隷村で初めて作られる鉄製品は『フライパンと包丁』に決定した。
理由は――
美味しいものが食べたい。
ゆきの鶴の一声で、村の未来は決まったのである。
会議が終わり、人が散り始めた頃。
源爺はこっそり良造の袖を引っ張った。
「りょ、良造……。」
「ん?」
「キ、キセルを……一本だけ……。」
源爺は周囲を気にしながら小声で囁く。
良造も同じように辺りを見回し、小さく頷いた。
「……わかりましたよ。」
さらに声を潜める。
「こっそり作っておきます。」
「さすが良造!」
源爺の顔がぱっと明るくなる。
そのやり取りを少し離れた場所から見ていたゆきは、にこりと微笑んだ。
「……全部聞こえてるわよ。」
「「しまった。」」
源爺と良造の声が見事に重なった。




