入隊試験
王国までの道のりを、ルシエルとアークと共に泳ぐ。
村を発つ際、源爺からは防寒着代わりにと、魚の皮を縫い合わせて作った服を渡された。
美萩からは「道中、お腹が減ったら食べな」と、タコの卵をご飯に見立て、ワカメで包んだおにぎりを。
千萩や村人たちからは、無事を願う激励の言葉を。
そして良造からは――
『……ゆきを頼む』
その一言と共に、レッドファングの牙を加工して作ったカランビットナイフを、ルシエルの護身用として託された。
そんな村人たちの思いを背負っている――はずなのだが。
「もぐもぐ……」
当のルシエルは、美萩特製のおにぎりを頬張りながら、もう片方の手でカランビットナイフをクルクルと回していた。
「ルシエル、遊びに行くんじゃないんだぞ」
「だって……こうでもしないと、気持ちが落ち着かなくて……」
回していたナイフを止め、ルシエルが俯く。
その紅い瞳が、わずかに潤んでいた。
(頬っぺたに卵の粒くっつけながら言われてもな……)
「キュゥ」
大地の心の声が聞こえたわけでもあるまいに、アークがルシエルの頬へ顔を寄せた。
そして、くっついていたタコの卵をチュッと吸い込む。
「もう、アーク……」
「キュゥ!」
嬉しそうに鳴いたアークは、そのままルシエルを守るように寄り添って泳ぎ始めた。
その姿を見ながら、大地はふと思う。
(こいつ……また大きくなってないか?)
初めて鉱山で見つけた頃と比べれば、明らかに身体が大きくなっている。
相変わらず食ってばかりだから当然といえば当然なのかもしれないが――今は、それよりも気になることがあった。
大地は隣を泳ぐルシエルへ視線を移す。
(……複雑な気持ちだろうな)
これから二人が加わるのは、王国が編成する討伐隊。
そして、その討伐対象は――ルシエルが姉のように慕っていた、ゆきだ。
本人が決めたこととはいえ、平気なはずがない。
「……仕方ねえ。俺が守ってやるよ」
少しでも安心させてやろうと思って出た言葉だった。
だが、ルシエルはきょとんと大地を見ると、
「大地の方が弱いくせに、なにを偉そうに」
「…………」
(くっ……減らず口を)
「なんか言った?」
「何にも言ってねえよ」
「キュゥ?」
ルシエルが小さく笑う。
その顔から、ほんの少しだけ強張りが消えたように見えた。
大地はそれ以上何も言わず、前を向く。
ゆきを討つためではない。
ゆきを連れ戻すために――。
三人は王国を目指し、静かな海の中を泳ぎ続ける。
しばらく泳ぎ続けていると、次第に道幅が広くなっていった。
道の両脇には淡い光を放つ珊瑚が増え、暗かった海底を色鮮やかに照らし始める。
奴隷村へ続く道とは、明らかに違う。
行き交う人魚の姿も少しずつ増え、荷物を背負った者や、魚を引き連れて泳ぐ者の姿も見える。
「大地、あれを見て」
隣を泳いでいたルシエルが前方を指差した。
「……あれ?」
大地が目を凝らす。
そして――思わず息を呑んだ。
海底に聳え立つ、山と見紛うほどの巨大な岩塊。
それは自然にできた岩山などではなかった。
表面には無数の穴が穿たれ、窓や出入口らしき場所から淡い光が漏れている。岩肌を覆うように群生した珊瑚礁が、赤、青、黄と色鮮やかな光を放ち、巨大な岩山を煌びやかに彩っていた。
だが、その威容は美しいというより――どこか物々しい。
海底から高く聳え立つ岩壁は分厚く、外から内部を窺える場所は驚くほど少ない。
「あれが――ワダツミ王国よ」
「……あれが?」
大地は目を見開いた。
王国。
そう聞いていたから、てっきり広大な場所に町や城が建ち並んでいるものだと思っていた。
だが、目の前にあるものは違う。
巨大な岩そのものが、国なのだ。
岩の内部には無数の空洞や通路が掘り巡らされているのだろう。開口部からは人魚たちが絶え間なく出入りし、その姿はまるで巨大な蟻の巣――あるいは蜂の巣のようにも見える。
「……でっけえ要塞みたいだな」
「要塞?」
「ああ。外から攻め込むの、大変そうだ」
「当たり前よ」
ルシエルが巨大な岩塊を見上げる。
「あの中には、生命の樹があるから」
「生命の樹……」
「王国にとって、一番大切なもの。だから昔から、どんな大きな生き物に襲われても守れるように造られてるの」
大地もつられるように見上げた。
なるほど。
海の中では、敵が正面から来るとは限らない。
横からも、下からも――そして頭上からも襲ってくる。
あの異様なまでに巨大で分厚い岩塊は、国を守るためだけのものではない。
その中心にある生命の樹を守るための、巨大な殻なのだ。
「……すげえな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
だが――。
王国を見上げていた大地の表情が、ふっと曇った。
「あそこに……真夏さんが……」
あの日の光景が脳裏をよぎる。
何もできなかった。
追いかけることも、取り戻すこともできず、ただ連れ去られていく真夏を見ていることしかできなかった。
悔しさに、大地は僅かに奥歯を噛み締める。
「……真夏さん?」
隣から聞こえた声に、大地は我に返った。
ルシエルが、不思議そうにこちらを見ている。
「ああ」
「誰?」
「俺の不甲斐なさで離れ離れになっちまった……大切な人だ」
「……大切な人?」
ルシエルの紅い瞳が僅かに細くなる。
「もしかして……女の人なの?」
「ああ」
「…………ふーん」
ルシエルはそれだけ言うと、ぷいっと前を向いた。
「なんだよ?」
「別に」
「……?」
なぜか少しだけ不機嫌になったルシエルを横目に、大地はもう一度ワダツミ王国を見上げる。
(真夏さん……)
すぐそこにいるかもしれない。
そう思えば、今すぐにでも探しに行きたい。
だが――。
(入隊試験に合格すれば、王国の中に入る機会も増えるかもしれない。そうすれば、真夏さんのことだって……)
そこまで考えて、大地は首を振った。
(いや……今は、ゆきさんが最優先だ)
真夏を助けたい。
ゆきも助けたい。
どちらも諦めるつもりなどない。
そのためにも――まずは目の前の入隊試験を突破する。
大地は巨大な王国を見据え、再び前へと泳ぎ始めた。
◇
やがて二人と一匹は、ワダツミ王国の巨大な門へと辿り着いた。
分厚い岩壁に穿たれた巨大な門。
その周囲には武装した男人魚の兵士たちが配置され、王国へ出入りする者へ鋭い視線を向けている。
(……ずいぶん厳重だな)
大地は周囲を見回しながら、源爺に書いてもらった入隊試験の申込書を取り出した。
「入隊試験を受けに来ました」
「ああ?」
門番の兵士が申込書を受け取り、面倒臭そうに目を通す。
「人族の男と……女人魚……」
そこで兵士の目が止まった。
「おい。三人と書いてあるが、残りの一人はどこにいる?」
「もう一人は……」
大地は自分の隣を指差した。
「コイツです」
「キュゥ!」
アークが元気よく鳴く。
門番はアークと申込書を交互に見た。
「…………」
そして――。
「ぷっ……くくくっ!」
堪えきれないとばかりに吹き出した。
「おいおい、本気か? こんなチビまで討伐隊に入れるつもりなのか?」
「キュ?」
何を言われているのか分からないアークが、首を傾げる。
「相手は山の景色を一変させ、近づく者を片っ端から笑いながら凍らせる――〝冷笑の魔女〟だぞ?」
「…………」
「お前らみたいなへなちょこに、何ができるってんだ?」
大地の眉がピクリと動いた。
(この野郎……)
拳を握り締める。
だが、ここで問題を起こせば入隊試験どころではなくなる。
大地はグッと怒りを堪えた。
その後ろでは――。
クルクル……。
ルシエルが、レッドファングの牙から作られたカランビットナイフを指先で回していた。
「ん?」
門番がようやくルシエルへ目を向ける。
「それに後ろのお前。白い髪に紅い眼って……なんだ、気味の悪いヤツだな」
ピタッ。
回っていたカランビットナイフが止まった。
「…………」
「ルシエル?」
ズンッ!
ルシエルは無言のまま、目の前の受付台へカランビットナイフを突き刺した。
「ヒッ!?」
門番の顔から笑みが消える。
岩の台に突き刺さった、紅く巨大な牙。
「こ、これは……」
門番が目を見開いた。
「レッドファングの……牙……?」
「そうよ」
ルシエルがゆっくりと顔を上げる。
その紅い瞳が、真っ直ぐに門番を射抜いた。
「そのへなちょこが倒したレッドファングの牙よ」
「えっ?」
門番の視線が大地へ向く。
「コイツが……?」
「そうだけど」
ルシエルは突き刺したカランビットナイフを引き抜くと、再び指先でクルリと回した。
「それで――」
紅い瞳を見開き、門番を睨みつける。
「へなちょこの私たちに、何か文句ある?」
「い、いえっ! ありません!」
門番の背筋が伸びた。
「どうぞお通りください!」
そして後ろを振り返る。
「おい! 門を開けろ! 今すぐにだ!」
(……態度変わりすぎだろ)
大地は呆れながらも、開かれていく巨大な門を見上げた。
こうして二人と一匹は、ワダツミ王国へと足を踏み入れた。
門を抜け、兵士から離れたところで大地はルシエルへ尋ねる。
「なあ、ルシエル」
「なに?」
「さっきの、どういうことなんだ?」
「さっきの?」
「これ見せた途端、あいつの態度が変わっただろ」
大地がルシエルの手にあるカランビットナイフを指差す。
「ああ……大地、知らなかったの?」
「知らねえよ」
「この国ではね、人喰い鮫みたいな危険な生き物の牙や皮を身につけている人は、それを倒した強者として扱われるの」
「へえ……」
「特にレッドファングは滅多に倒せないから、その牙を持ってるだけでも扱いが全然違うわ」
「そうだったのか……」
大地は、ルシエルの指先で回るカランビットナイフを見つめた。
村を発つ前、良造は言っていた。
『……ゆきを頼む』
そして、護身用だと言ってこのナイフをルシエルに託した。
(護身用……そういう意味もあったのか)
武器として身を守るだけではない。
王国の中で、余計な侮りを受けないための〝証〟でもあったのだ。
(良造さん……ありがとう)
ぶっきらぼうな鍛冶師の顔を思い浮かべながら、大地は小さく笑った。
「こちらにどうぞ」
門番に案内されながら足を踏み入れた王国内部は、大地が想像していた以上の活気に満ちていた。
見上げるほど大きな男人魚たちが忙しなく行き交い、採れたばかりの魚介を次々と運び込んでいる。
その傍らでは、色とりどりの髪をした女人魚たちが魚を丁寧に捌き、別の場所では細く裂いた海藻を束ね、器用に織り上げている者たちの姿もあった。
「これは……思った以上に賑やかだな」
「ここは庶民が暮らす階層よ」
ルシエルが懐かしそうに辺りを見回す。
「今のワダツミ王になってから、少しずつ活気が戻ってきたの。でも昔は……先代の王の頃は、とても貧しくて……」
「…………」
そこでルシエルは言葉を詰まらせた。
大地の脳裏に、以前ルシエルから聞いた言葉が蘇る。
白い髪と紅い瞳。
その容姿を理由に、この国で迫害されていたこと――。
「……戻りたいのか?」
「え?」
「この国に」
ルシエルは少しだけ王国の景色を眺めた。
そして、小さく首を横に振る。
「ううん」
迷いのない声だった。
「私は、あの村が好き」
「……そうか」
大地はそれ以上聞かなかった。
「だったら早く入隊試験に合格して、ゆきさんを迎えに行こうぜ」
「キュッ! キュッ!」
アークが同意するように鳴きながら、ルシエルの横をクルクルと泳ぎ回る。
「うん!」
ルシエルも小さく拳を握った。
「頑張ろう!」
「あ、あの……」
そのとき、前を泳いでいた門番が申し訳なさそうに振り返った。
「お話の途中、すみません。こちらが入隊試験の会場となります」
案内された部屋の中には、武装した屈強な男人魚たちが大勢集まっていた。
「……よし」
大地が拳を握る。
「行くぞ」
「うん!」
「キュッ!」
二人と一匹は、意気揚々と試験会場へ足を踏み入れた。
◇
入隊試験の会場へ足を踏み入れた大地は、そこで見覚えのある男たちの顔を見つけた。
「……アイツら」
大地の拳が、自然と握られる。
その視線の先にいたのは、三人の男人魚。
セイゴ、フッコ、マダカ――。
以前、大地がこの世界に来たばかりの頃、真夏を連れ去った三人だ。
「ん?」
三人のうち一人が、こちらに気づく。
「おいおい……あの人族は……」
「おお、アイツか」
「……泣いてた男だな」
ピクッ。
大地の眉間に青筋が浮かぶ。
「誰が泣き虫だ……」
大地は三兄弟を睨みつけながら、ゆっくりとその前まで進んだ。
「おい、フッコ、マダカ」
セイゴが槍を構える。
「こいつ……やる気だぞ」
「ぶふっ……ぶふふっ!」
フッコが腹を抱える。
「マジかよ? あの泣き虫が?」
「セイゴ、俺はいつでもいいぞ」
マダカも槍を手に取り、ニヤリと笑った。
一触即発。
そんな大地たちの様子に気づき、周囲にいた兵士たちがざわつき始める。
「おい……なんでこんな場所に人族がいるんだ?」
「知らねえよ。どう見ても弱っちいだろ」
「馬鹿、相手を見ろ。戦士長の息子たちだぞ」
「ありゃ終わったな……」
周囲から聞こえてくる声。
だが、大地は三兄弟から目を逸らさない。
「…………」
「その目……気に入らねえな」
セイゴの槍を握る手に力がこもった。
次の瞬間――。
シュッ!
鋭い穂先が、大地の顔面目掛けて突き出された。
「大地!」
ルシエルが声を上げる。
だが――。
スッ。
大地は首を僅かに傾けただけだった。
槍の穂先が頬のすぐ横を通り過ぎる。
「なっ……!」
「分かってんだよ」
「あ?」
「お前らの攻撃は――」
大地が薄く笑う。
「もう見た」
「このっ!」
今度はフッコ。
横から槍が迫る。
大地は足を動かさない。
上半身を僅かに反らし、穂先をやり過ごす。
「なら、これはどうだ!」
間髪入れず、反対側からマダカの槍。
今度は身体を捻る。
穂先は大地の服を掠め――虚しく空を切った。
「なっ……!」
三人の顔から、徐々に笑みが消えていく。
「おおっ!」
「なんだ、あの人族!」
「三人の槍を全部かわしたぞ!」
先ほどまで大地を馬鹿にしていた兵士たちから、歓声が上がり始める。
大地は未だ、一歩も動いていない。
「くそっ!」
「もう一度だ!」
「今度こそ――」
「大地」
そのとき、後ろからルシエルの声がした。
「これ、いる?」
ルシエルが腰元から何かを持ち上げる。
レッドファングの牙から作られた、カランビットナイフ。
だが、大地は振り返りもせずに答えた。
「必要ない」
「そう」
ルシエルは素直にナイフを下ろそうとする。
――その瞬間だった。
「…………おい」
三兄弟の動きが、ピタリと止まった。
「ん?」
ルシエルが首を傾げる。
「それ……」
セイゴがナイフを凝視している。
「あ、あれは……」
「……捕食者……」
マダカがゴクリと唾を呑んだ。
「レッドファングの牙……」
三兄弟の声が震える。
その言葉を聞いた周囲の兵士たちが、さらにざわめき始めた。
「レッドファング!?」
「嘘だろ……」
「なんであんな奴らが持ってるんだ?」
「お、お前……」
セイゴが大地を見る。
先ほどまでの余裕は完全に消えていた。
「それを……どうした?」
「どうしたって?」
「何をしたんだよ!」
「ああ」
大地は何でもないことのように答えた。
「俺たちが倒した」
「「「…………」」」
三兄弟が固まる。
(本当は撃退しただけだけどな……)
正確には、大地たちだけで仕留めたわけではない。
(まあ……今はこの状況、利用させてもらおう)
そして――。
「「「倒しただとぉぉぉぉっ!?」」」
三兄弟の絶叫が試験会場に響き渡った。
セイゴ、フッコ、マダカが顔を見合わせる。
「…………」
「…………」
「…………」
三人同時に槍を下ろした。
「す、すまん」
「今日のところは……」
「ここまでだ」
「お、おう……」
大地が呆気に取られる中、三兄弟はそそくさと部屋の隅へと泳いでいった。
「逃げたな」
ルシエルが呟く。
「……逃げたな」
「キュゥ」
アークまで同意するように鳴いた。
周囲からどよめきが湧き上がる中、大地は小さく息を吐く。
そのときだった。
ドォンッ!!
突如、腹の底まで響くような轟音が鳴り響いた。
「うおっ!?」
同時に凄まじい波動が走り、部屋中の海水が大きく震える。
先ほどまで騒いでいた入隊希望者たちが、一斉に音のした方へ振り返った。
「血気盛んなのは頼もしいが――」
低く、よく通る声。
「少し静かにしてもらおうか」
そこに立っていたのは、見上げるほどの大男だった。
大地など簡単に吹き飛ばしてしまいそうな巨体。
その肩には、武器というより巨大な鉄塊と呼んだ方が相応しいほどの大槌が担がれている。
そして両腕を覆っているのは、豹のような斑紋が浮かぶ籠手。
その外側には、大きな胸鰭が張り出していた。
男の隣には、もう一人。
こちらも屈強な男人魚だが、巨漢の男とは対照的に、腰には銀色に光る大太刀を携えている。
「ペルカ討伐隊長、どうぞ」
大太刀の男が一歩下がり、巨漢へ場所を譲った。
「ゴホン」
ペルカと呼ばれた巨漢が咳払いをする。
そして、室内を見回した。
「キャペリン副隊長」
「はい」
「彼ら入隊希望者が、整列すらしていないのはどういうことだね?」
「…………」
キャペリンの表情が僅かに強張る。
「これから我々は、悪名高き〝冷笑の魔女〟を討伐しに行くというのに……」
ペルカの声が低くなる。
「規律すら守れない者は、私の隊には必要ないよ」
「……申し訳ありません」
静かな口調だった。
だが、その声には明らかな怒気が含まれている。
ペルカは豹柄の籠手で額の汗を拭った。
その腕を見た大地が、隣のルシエルへ小声で尋ねる。
「なあ、ルシエル。あの腕についてるのって……」
「豹紋鮫の胸鰭よ」
「捕食者か?」
「ええ。それもかなり危険な」
「ってことは……」
「そう」
ルシエルはペルカを見つめたまま答えた。
「あの人が倒したってこと」
「……マジか」
大地は改めてペルカを見る。
巨大なハンマー。
捕食者を仕留めた証。
そして、騒いでいた屈強な男人魚たちを、声だけで黙らせる威圧感。
(……すげぇな、このオッサン)
そのとき――。
「全員、整列ッ!!」
「っ!」
キャペリンの怒号が部屋中に響き渡った。
入隊希望者たちが一斉に動き出す。
「大地!」
「お、おう!」
「キュッ!」
大地、ルシエル、アークも慌てて列へ加わった。
つい先ほどまで騒がしかった室内が、瞬く間に静まり返る。
「ペルカ隊長。大変お待たせしました」
「うむ」
ペルカは巨体を揺らしながら、整列した入隊希望者たちの前へ進み出た。
そして巨大なハンマーを床へ立てる。
ドンッ!
再び、海水が震えた。
「諸君!」
ペルカが一同を見渡す。
「これから向かう相手は、山の景色すら一変させるほどの力を持つ〝冷笑の魔女〟だ!」
先ほどまで威勢の良かった者たちの表情が、僅かに引き締まる。
「遊びではない。訓練でもない。ひとつ判断を誤れば――死ぬ」
「…………」
「それでも行くというのなら聞こう」
ペルカがハンマーを握る。
「お前たち! 死ぬ覚悟はあるか!」
静まり返る室内。
「覚悟のない者は、今すぐこの部屋から立ち去れ!」
だが――。
誰一人として動かなかった。
当然といえば、当然なのかもしれない。
この国では、強さそのものが評価に繋がる。
ましてや王国を騒がせる〝冷笑の魔女〟討伐ともなれば、そこで功績を上げた者は一躍名を上げることになるだろう。
危険を承知でも、成り上がるには絶好の機会なのだ。
「…………」
ペルカは一人一人の顔を確かめるように、ゆっくりと見渡した。
「ふむ」
そして、僅かに口元を緩める。
「いい覚悟だ」
巨大なハンマーを肩へ担いだ。
「では――入隊試験を始めよう」
室内に緊張が走る。
「試験は単純だ」
ペルカがニヤリと笑った。
「私と立ち合い――一撃、当ててみろ!」
「「「はいっ!!」」」
希望者たちの声が重なり、部屋中の海水が震えた。
「へえ……」
大地の口元が吊り上がる。
筆記でも、知識を問われるわけでもない。
相手は、見るからに強そうな討伐隊長。
そしてやることは――ただ一撃、当てればいい。
「ふん……」
大地は拳を握った。
「面白いじゃねえか」
思いもよらぬ試験内容に、大地は不敵な笑みを浮かべていた。
◇
入隊希望者たちは部屋を出て、さらに奥にある広大な大広間へと移動した。
巨大な岩盤をくり抜いて造られた空間は、先ほどの部屋とは比べものにならないほど広い。
その中央には――。
「…………」
ペルカが巨大な大槌を脇に抱え、今か今かと挑戦者を待ち構えていた。
キャペリンが希望者たちの前へ進み出る。
「それでは、入隊試験を開始する!」
銀色に輝く大太刀を抜き、その切っ先を希望者たちへ向けた。
「我こそは一番に挑戦したいという者――名乗り出ろ!」
「はい! やります!」
「えっ?」
ほとんど間を置かず、一人の手が上がった。
大地だった。
「コラ、大地!」
ルシエルが慌てて服を引っ張る。
「少しくらい他の人の戦いを見てからにした方が……」
「キュウ〜……」
アークまで心配そうに大地を見上げている。
だが、大地は楽しそうに笑っていた。
「何言ってんだよ」
「え?」
「強いヤツと一番最初に戦えるんだぜ?」
大地の口元が吊り上がる。
「最高じゃねえか」
「…………」
ルシエルは呆気に取られた。
その顔は、これまで見てきた大地とは少し違う。
楽しそうだった。
純粋に、強者と技を交わせることが嬉しくて仕方がない――そんな少年のような顔。
世界王者を夢見て、ただひたすら強さを求め続けていた頃の大地が、ほんの一瞬だけ戻ってきたかのようだった。
「ほう」
ペルカが大地へ目を向ける。
「〝捕食者討伐の証〟を持つ者か。確か……大地と言ったな」
「ペルカ隊長。名前まで覚えていただき、光栄です」
大地はペルカの前まで進むと、礼儀正しく頭を下げた。
「うむ」
ペルカの口元が僅かに緩む。
「礼節を知る者は嫌いじゃない。――かかって来い!」
「はい!」
大地の表情が変わった。
腰を落とし、全身の力を抜く。
両手を前へ。
まるで獲物へ飛びかかる直前のネコ科の猛獣のように、低く構える。
(まずは……流れの壁)
「ふぅ……」
小さく息を吐く。
周囲の雑音が遠ざかっていく。
海水の流れ。
ペルカの呼吸。
肩の動き。
視線。
大地の意識が、目の前の巨漢だけへと研ぎ澄まされていく。
「なるほど」
ペルカが大槌を構える。
「スピード勝負か」
そのとき――。
「スピード勝負だな」
「小さいからな」
「ちょこまか逃げ回って撹乱するしか能がねえんだろ」
聞き覚えのある声。
「…………」
大地の眉がピクリと動いた。
見ると、先ほどレッドファングの牙を見て部屋の隅へ逃げていったセイゴ、フッコ、マダカが、いつの間にか偉そうな顔をしてこちらを眺めている。
「……なんだと?」
スッ。
大地が構えを解いた。
「えっ?」
ルシエルが嫌な予感を覚える。
「大地?」
「いいだろう」
大地は三兄弟を横目で睨む。
「だったら、スピードなんか使わねえ」
「ちょ、ちょっと!」
ルシエルが声を上げる。
「大地! 煽りに乗っちゃダメ!」
「経験から成せる技ってヤツを見せてやる」
「もう!」
完全に乗っていた。
大地は改めてペルカへ向き直る。
「ペルカ隊長」
「なんだね?」
「失礼を承知でお願いします」
大地は両腕を下ろしたまま、ペルカを真っ直ぐ見据えた。
「隊長の実力――俺に見せてください」
「…………」
大広間が静まり返る。
「ほう」
ペルカの目が細くなった。
「私に……お前を攻撃しろと?」
「はい」
「面白いことを言うな」
ペルカは脇に抱えていた大槌を両手で握り締めた。
その瞬間、大地の肌が粟立つ。
(来る……!)
「嫌いじゃない」
ペルカが巨大な大槌を振りかぶる。
「嫌いじゃないぞ!」
全身の筋肉が膨れ上がった。
「死んでも――文句を言うなよ!」
ブォンッ!!
巨大な大槌が、まるでバットのように横薙ぎに振るわれた。
海水が押し退けられ、唸りを上げる。
「大地っ!」
ルシエルが叫ぶ。
避けない。
大地は、その場から動かなかった。
迫る巨大な鉄塊。
まともに受ければ、人族の身体など簡単に吹き飛ぶ。
そして――大槌が大地へ届く、その寸前。
「ふっ!」
大地の片手が、大槌の柄へ触れた。
受け止めない。
逆らわない。
押し返さない。
ペルカが生み出した凄まじい力の流れに――ほんの僅か、自分の力を添える。
大槌の軌道が、僅かに逸れた。
「ぬっ!?」
ペルカの目が見開かれる。
全力で振り抜こうとしていた力は、行き場を失わない。
そのまま大槌と共に、ペルカ自身の巨体を引っ張っていく。
さらに大地は半歩踏み込み、崩れた重心を導くように身体を入れた。
「なっ――」
ズシィィン!!
巨大な大槌が空を切る。
勢い余ったペルカの巨体が泳ぐように崩れ、その場へドスンと尻餅をついた。
「…………」
大広間が静まり返った。
その背後。
大地は右の掌をペルカの背中へ寸前で止めていた。
「やあっ!」
打たない。
それ以上、追わない。
勝敗が決したことを示す――残心。
「…………」
ペルカが背中へ向けられた掌を横目で確認する。
そして。
「うむ」
座り込んだまま、静かに告げた。
「合格」
「「「ええええええっ!?」」」
大広間が一気にどよめいた。
「な、何したんだ!?」
「隊長が倒れたぞ!」
「あの人族、ほとんど力を使ってないぞ!?」
騒然とする希望者たち。
その中で大地はペルカへ向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「うむ。見事だった」
大地はもう一度一礼すると、ルシエルたちのもとへ戻っていく。
「だ、大地!」
待ちきれなかったようにルシエルが駆け寄ってきた。
「あ、あの技、何!?」
「ああ、あれか?」
「隊長のハンマーを、こう……ちょっと触っただけで、ドーンって!」
「説明が雑だな……」
「いいから教えて!」
「あれは〝合気〟っていうんだ」
「アイキ?」
「ああ。まあ……簡単に言えば、相手の力に逆らわず、その力を利用する技だ」
「…………」
ルシエルの紅い瞳が輝き始める。
「大地」
「なんだよ」
「今度、私にも教えてよね!」
「え?」
「約束よ!」
「いや……簡単じゃないぞ?」
「簡単そうに見えたもん」
「…………」
(簡単そうに見えたって……何年かかると思ってんだよ)
だが、期待に満ちた紅い瞳で見つめられ、大地は小さくため息をついた。
「……分かったよ」
「やったぁ!」
ルシエルが嬉しそうに両手を上げる。
そしてーー。
「じゃあ次は私が挑戦してくるね」
「え?」
ルシエルはクルリと振り返った。
その紅い瞳が悪戯っぽく輝く。
「我に秘策あり、よ」
「何をする気だ?」
「ふふん」
「キュッ」
ルシエルは答えず、アークをチラリと見た。
そして自身満々に胸を張ると、ペルカの待つ大広間の中央へと泳いでいった。
「ペルカ隊長、よろしくお願いします!」
大地に倣い、ルシエルはペコリと小さく頭を下げた。
「ふむ」
ペルカは立ち上がりながら、ルシエルへ目を向ける。
「もう一人の〝捕食者討伐の証〟を持つ者か。確か……ルシエルと言ったな」
「はい!」
元気のいい返事が大広間に響く。
「礼儀正しいのは結構。では――」
「あっ、隊長!」
「ん?」
「その前に、一つ相談があるのですが……」
「なんだね。言ってみろ」
「はい」
ルシエルは自分の身体を見下ろした。
そして、目の前に聳えるペルカを見上げる。
上。
さらに上。
まだ上。
「…………」
ルシエルが困ったように首を傾げた。
「隊長と私の体格差なんですけど……」
「うむ」
「大人と赤子……ううん」
少し考える。
「シジミとシャコ貝くらい違うと思うんです」
「…………」
大広間が静かになる。
「それがどうかしたのかね?」
「そこで相談なんですけど……」
ルシエルが両手の人差し指をツンツンと合わせる。
「お手伝い……」
「お手伝い?」
「お手伝いしてくれる仲間を、一人だけ加えてもいいですか?」
「ふむ……」
ペルカは改めてルシエルを見る。
小さい。
自分の身体を見る。
大きい。
確かに、あまりにも体格が違いすぎる。
「……まあ、いいだろう」
「本当ですか!?」
「ただし!」
ペルカが指を一本立てる。
「二人がかりで挑む以上、私に一撃も当てられなければ――二人とも不合格だ」
「はい!」
ルシエルの紅い瞳が輝いた。
「ありがとうございます、隊長!」
そして、すぐさま振り返る。
「アーク、おいで!」
「キュッ! キュッ!」
「…………」
大広間の空気が止まった。
ルシエルの横へやって来たのは、彼女よりもさらに小さなアーク。
「…………ぷっ」
「おいおい……」
「あれが助っ人?」
「小さいのが、もっと小さいの呼んだぞ」
入隊希望者たちの間から失笑が漏れる。
「…………」
大地だけは笑わなかった。
(……ルシエルのヤツ、何する気だ?)
ペルカも一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに巨大な大槌を構えた。
「……その者でいいのだな?」
「はい!」
「よかろう」
ペルカの表情が変わる。
巨大な大槌を構えた瞬間――凄まじい威圧感が大広間を満たした。
先ほどまで聞こえていた失笑が、瞬く間に消えていく。
「二人まとめて――かかって来い!」
「はい! 隊長、ありがとうございます!」
ルシエルが満面の笑みを浮かべる。
そして――。
ガシッ。
両手でアークを掴んだ。
「…………ん?」
ペルカの眉が動く。
「アーク!」
「キュッ!」
ルシエルはアークの身体を、まるで武器のようにペルカへ向けた。
「いっけぇぇぇぇっ!」
紅い瞳が輝く。
「アーク砲――発射ぁぁぁぁっ!!」
「キュゥゥゥッ!!」
バヂィィィィッ!!
アークの全身が激しくスパークした。
次の瞬間――。
ドォンッ!!
「ぐがぁっ!?」
一直線に放たれた電撃が、ペルカの腹部へ直撃した。
バチッ! バチバチッ!
「ぬぅぅぅ……!」
巨体がビクリと痙攣する。
ペルカは大槌を取り落とし、その場へ膝をついた。
「…………」
大広間が静まり返る。
「…………え?」
「今……何した?」
「魚から雷が出たぞ……?」
誰も状況を理解できていない。
その中心で、ルシエルだけが期待に満ちた顔でペルカを見つめていた。
「隊長!」
「…………」
「今の、当たりましたよね?」
「…………」
ペルカが震えながら顔を上げる。
「ご……」
「ご?」
「ご……合格……」
「やったぁぁぁ!」
ルシエルが両手を上げた。
「隊長、ありがとうございます!」
そして、その場にうずくまっているペルカへ、改めて丁寧に頭を下げる。
「…………う、うむ」
「ペルカ隊長」
そのとき、キャペリンが静かに口を挟んだ。
「確認ですが……合格者はルシエル一名、ということでよろしいでしょうか?」
「えっ?」
ルシエルが振り返る。
「アークも一緒です!」
「しかし……」
キャペリンがアークを見る。
「魚だぞ?」
「キュ?」
「…………」
ペルカは腹を押さえながら、しばらく沈黙した。
やがて――。
「私が……二人とも、と言ったからね」
「では……」
「ルシエル、アーク――両名合格だ」
「やったぁぁぁ!」
「キュウ! キュウ! キュウ!」
アークが嬉しそうにルシエルの周りをクルクルと泳ぎ回る。
「やったね、アーク!」
「キュッ!」
二人は満面の笑みで、大地のところへ戻ってきた。
「大地! 二人とも合格したよ!」
「キュッ!」
「…………」
大地は何とも言えない顔で二人を見る。
自分は長年積み重ねてきた格闘技の技術を駆使し、命懸けで巨大な大槌を受け流した。
ルシエルは――。
アークを持って。
撃った。
「…………ずるい」
「え?」
思わず、心の声が漏れた。
「何か言った?」
「……何でもねえよ」
「?」
「キュ?」
首を傾げる一人と一匹を前に、大地は小さくため息をつくのであった。
「討伐隊長のご挨拶」
討伐隊出発前日――ワダツミ王国・訓練場。
「もう一度だ、ペルカ。」
腕を組んで立つのは、戦士長スズキ。
その前には、巨大なハンマーを抱えたペルカと、副隊長キャペリンが並んでいた。
「討伐隊長ともなれば、兵の前で士気を高める挨拶くらいできねばならん。」
「む……戦う方が得意なのだが。」
「だから練習するんだ。」
スズキが深いため息をつく。
「では始めろ。」
ペルカは咳払いを一つした。
「ゴホン!」
訓練場がビリビリと震える。
近くを泳いでいた小魚が一斉に逃げた。
「諸君!」
「声がデカい。」
「まだ何も言ってないぞ?」
「何も言ってない段階でデカい。」
キャペリンが即座に突っ込む。
「もう少し落ち着いて。」
「わかった。」
ペルカは小さく頷き、今度は声量を抑える。
「諸君……。」
「今度は小さすぎる。」
「難しいな。」
スズキはこめかみを押さえた。
「内容も重要だ。続けろ。」
ペルカは胸を張る。
「諸君! 本日より我々は冷笑の魔女を討伐する!」
「うむ。」
「死ぬ覚悟はあるか!」
「そこだ。」
スズキが手を挙げる。
「開口一番『死ぬ覚悟はあるか』はやめろ。」
「え?」
「士気は上がるかもしれんが、新人が帰る。」
「帰るのか?」
「帰る。」
キャペリンが静かに頷いた。
「もう少し希望を持たせてください。」
ペルカは腕を組み、真剣に考え始める。
「では……。」
「諸君!」
「今日も元気に頑張ろう!」
「誰だお前。」
今度はスズキが即座に突っ込んだ。
キャペリンが吹き出しそうになる。
「違うか。」
「違う。」
「難しいな……。」
しばらく沈黙が流れる。
やがてキャペリンが一歩前へ出た。
「隊長。私が見本をやります。」
咳払い一つ。
「諸君。本日の任務は困難を極める。しかし我々は仲間と共に帰還する。そのために規律を守り、互いを信じろ。」
静かな声なのに、不思議と兵士たちの背筋が伸びる。
「……ほう。」
ペルカが感心した。
「これが隊長の挨拶か。」
「副隊長です。」
「では、私も。」
ペルカは深く息を吸った。
「諸君。」
今度はちょうどいい声量だった。
「生きて帰れ。」
短い。
とても短い。
だが、その一言には重みがあった。
スズキは少しだけ目を細める。
「……それでいい。」
「本当か?」
「ああ。」
キャペリンも微笑む。
「隊長らしい挨拶です。」
ペルカは照れくさそうに頭をかいた。
「長い話は苦手だからな。」
その頃、大広間では――
「大地! アーク砲、発射ぁぁぁ!」
「キュゥゥゥ!」
「ぎゃああああ!」
訓練用の的が黒焦げになっていた。
遠くからその音を聞いたペルカは、ぼそりと呟く。
「……やっぱり、あの連中は帰らせた方が良かったかもしれんな。」
キャペリンは静かに首を横へ振った。
「もう遅いです、隊長。」




