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オズワルド視点
グロッサ王国に到着した翌日、俺はアリシアの母の生家である“ハージェントン伯爵邸”を訪れていた。
案内された客間は、王国様式の調度が整えられた静謐な空間だった。暖炉の火は控えめに揺れ、壁には歴代の当主の肖像画が並んでいる。
俺はソファーに腰を下ろすこともせず、執事が出て行った扉を何度も振り返った。指先に力が入りすぎて、手袋の縫い目が軋む。
やがて扉が静かに開き、戻った執事が頭を下げた。
「大旦那様がお目通りを許されました。どうぞ、こちらへ」
俺は無言で頷き、彼の後に続いた。長い廊下を抜け屋敷の奥にある寝室へと案内されると、そこにはベッドに横たわる老齢の男がいた。
アリシアの祖父である前ハージェントン伯爵。かつては政務官として辣腕を振るった人物であり、息子に爵位を譲った今もなお、一族の精神的支柱とされている。
俺は膝をつき、深く頭を下げた。
「ウエロスニア王国、グレイヘイブン侯爵家嫡男、オズワルド・グレイヘイブンと申します。アリシア・ヘルミット嬢の件で、前伯爵閣下にお目通りを賜りたく、参上いたしました」
名乗った瞬間、部屋の隅に控えていたメイドが「ひゅっ」と息を呑んだのに気づいた。ちらりと視線を向けると、彼女はすぐに目を逸らした。栗色の髪にグレーの瞳。見覚えはない。だが、その反応には明らかな動揺があった。
俺は何も言わず、視線を戻した。
ベッドに横たわる彼は、しばし黙したまま俺を見つめていた。鋭さを宿した灰色の瞳が、まるで心の奥を見透かすように静かに揺れる。
「……顔を上げなさい。君があの子の婚約者か」
「……はい」
俺は彼から目を逸らさず、言葉を絞り出した。
「申し訳ございません。俺の軽率な行動が、今回の事態を招きました」
彼はしばらく沈黙したのち、拳をゆっくりと握り込んだ。
「あの子は娘の忘れ形見だ。何もしてやれなかった分、せめて温かく迎えようと思っていたのに……その矢先にあの子の行方がわからなくなってしまった」
その声には、過去を悔いる気持ちと、届かなかった情への未練が滲んでいた。
「君が本当にあの子を大切に想っているのなら、どうか、見つけてやってくれ。老い先短いわしに代わって、あの子を守ってくれ」
「はい。必ずアリシアを見つけ出し、生涯守り抜くことを約束します!」
俺は右手を胸に添え、再び深く頭を下げた。その誓いに一片の迷いもない。アリシアを守り、今度こそ決して手放さない。
俺は視線を巡らせ、部屋の隅に控えていたメイドに意識を向けた。彼女は俺が名乗った瞬間から明らかに様子がおかしい。落ち着きなく視線を泳がせ、何度も俺の顔を盗み見ては逸らしている。
(彼女は何かを知っている……)
俺は部屋を後にする際、控えていた部下に命じた。
「あのメイドを見張れ。怪しまれないように、慎重にな」
日が落ちた頃、メイドを見張らせていた部下から連絡が入った。
「メイドが動きました。ハージェントン伯爵邸を出て、向かった先は“ハリントン子爵邸”です」
「なにっ!?」
思わず声が漏れる。それは、捜査線上に浮かんでいた子爵家の名だ。
急いでハリントン子爵邸へ向かうと、裏門の前で、あのメイドと使用人の男が言い合っていた。
「アリシアに用があるって言ってるでしょ! 出しなさいよ!!」
「だから、この屋敷に“アリシア”なんてメイドはいないんだ!」
「そんなわけないわ! アリシアがここで働いてるって言ったんだから!!」
「騒ぐな! チッ、面倒な女だな」
「アリシアは“ハージェントン伯爵邸”と“ハリントン子爵家”を間違えてここに来たのよ! どうしてメイドとして採用されたのかは知らないけど……あの子ったら肝心なところで抜けてるんだから……!」
アリシアの名を聞いた瞬間、俺はその場に飛び出していた。
「アリシアはここにいるのか!?」
「誰だ!?」
「あっ! この浮気男! わたしの後をつけてきたのね!?」
「う、浮気男!?」
「浮気して婚約を破棄した挙句、アリシアが邪魔になったからって命まで狙うなんて、どれだけ最低なのよ!」
「俺がアリシアの命を狙う!? そんなわけあるか!! 君は俺が前伯爵閣下と交わした話を聞いていただろう!?」
「ふんっ、浮気する男なんて信用できるわけないでしょ。大旦那様には綺麗ごと並べてたけど、わたしは騙されないわよ。残念ね、アリシアはここにはいないわ!」
「さっきはここにいるはずだって言ってただろ!!」
「だからアリシアって誰なんだ!? くそっ、誰だか知らんがとにかく騒ぐな!!」
使用人の男が合図を送ると、それに応じるように物陰から騎士たちが現れ、俺たちは否応なしに通りの奥にある古びた建物へと連れて行かれた。
押し込まれるようにして中に入ると、薄暗い部屋の中央には長机があり、屋敷の見取り図らしき図面と、走り書きされた出入り記録が並んでいた。
数人の騎士たちがそれを囲み意見を交わしていたが、俺たちが入ると一斉に動きを止め、鋭い視線を向けてきた。
「パトリック、その者たちは誰だ?」
「屋敷の前で騒ぎを起こしかけていた者たちです。人目につく前に、ひとまずこちらへ」
騎士たちの視線が向けられる中、長机の奥に座っていた青年が立ち上がった。その顔を見て、俺は即座に膝をついた。
「グロッサ王国王太子、アレクサンダー殿下とお見受けします。私はウエロスニア王国王太子側近、オズワルド・グレイヘイブンにございます。本来ならば正式な手順をもってご挨拶申し上げるべきところ、このような形となりましたこと、深くお詫び申し上げます」
まだあどけなさが残る青年は、御年十五歳になられる、この国の王太子だ。
「ほう、隣国の者か。父上より緊急書簡の件は聞いている。貴殿は単独で先行捜査に?」
「いえ……事件とは別件なのですが、手違いにより、私の婚約者があの屋敷にいるようでして……」
「はぁ!? 手違い!? 元はと言えばあんたのせいでしょ!!」
「……こちらの女性は?」
メイドははっとして一歩下がり、カーテシーを取った。
「失礼いたしました。わたくしはウエロスニア王国、ベーカー子爵家が長女、オリヴィアと申します」
俺と使用人——いや使用人に扮していたであろう彼は、目を丸くし、思わず声を揃えた。
「「貴族令嬢だったのか!?」」
オリヴィア嬢から聞いたアリシアの状況に、俺は言葉を失った。
グロッサ王国に到着し、母の生家であるハージェントン伯爵邸へ向かうはずだったアリシアは、屋敷を間違えハリントン子爵邸へ着いてしまった。そこでメイドとして採用されたアリシアは、祖父に孫としてではなくただのメイドとして迎え入れられたと誤解し、誰にも助けを求めず黙って働き続けていた。しかも、屋敷内では理不尽な扱いを受けていたという。
「アリシアは……ずっと、たったひとりで耐えていたのか……」
俺は顔を伏せた。彼女を孤独に追いやったのは他ならぬ俺だ。
そのとき、険しい表情をしたパトリック殿が、言い淀みながら口を開いた。
「アリー……いや、アリシア嬢は貴殿の婚約者なのか……。彼女は、指輪を盗んだと疑われて侍女長に連れて行かれた。容姿が良いから、おそらく……」
そう彼が言いかけたところで、部屋の扉が開いた。若い騎士が足音を忍ばせて入室し、アレクサンダー殿下の前に膝をついた。
「アレクサンダー殿下、パトリック隊長。屋敷に動きがありました。ハリントン子爵夫妻が戻っています。今夜にも何かあるかと」
その報告に皆が表情を引き締める。部屋の空気は、一瞬にして緊迫したものへと変わった。
俺たちは息をひそめ、屋敷の様子を窺っていた。ほどなく小さな入口から十人余りの女性たちが乱暴に連れ出され、次々と荷馬車へ押し込まれていく。
次の瞬間、視界の端に見慣れた紺の髪が揺れた。心臓が跳ね、足が勝手に前へ出る。
——アリシアだ!
思わず飛び出しかけた俺の腕を、ベーカー子爵令嬢が強く掴んだ。
「待って。ここはわたしに任せて」
「だが、アリシアが……!」
彼女は俺が言い終わらないうちに、足音を忍ばせて塀へ近づいた。周囲を確かめ素早く塀を乗り越えると、女性たちの列の後方へ身を滑らせる。気づけば、まるで最初からそこにいたかのように自然に紛れ込んでいた。
(本当に貴族令嬢なのか!?)
荷馬車を見失わぬよう、俺たちは距離を保ちながら慎重に後を追った。
やがて荷馬車は港へと着いた。まだ薄暗い空の下、アリシアたちは貨物船へと乗せられていった。
「捜査に間違いはないようだ。宰相は貴国の貴族と手を組み、自国ではなく隣国で誘拐を行っていた」
「そして、第三国へ“商品”として売り払っている……。我が国の貴族がこのような恥をさらすとは、騎士として断じて許せん!」
抑えきれぬ怒りが声に滲み、拳を強張らせる。パトリック殿は苦々しい面持ちで低く唸った。
「オズ、ここにいたか」
その声に振り返れば、ヘンリーを先頭に仲間たちが並んでいた。彼らの姿を目にして、張り詰めていた胸の奥がほんの少しだけ緩む。
「陛下が高速船の使用を許可してくださった。だから俺たちもすぐに追いつけたんだ」
俺はこれまでの経緯を簡潔に説明した。ヘンリーは頷き、すぐに指示を飛ばした。
「状況は理解した。カインとユリウスは王城へ向かえ。グロッサの捜査隊と合流し、関係者の動きを抑えろ」
「「はっ!」」
ヘンリーの声に場が引き締まる。彼はアレクサンダー殿下に挨拶しようとパトリック殿へ声をかけた。だが、パトリック殿が馬車を確かめに行くと、殿下は座席に身を預けたまま眠っているという。
「なにぶん、こういう捜査は初めてで……。気負いすぎてしまわれたのです。若さゆえの背伸び、と申しましょうか……代わりに私が補佐を務めさせていただきます」
俺たちはわずかな間で要点を交わし、視線で合意を確かめると、ヘンリーを中心に貨物船の前へ踏み出した。
「我が名はヘンリー・ウエロスニア。ウエロスニア王国の王太子だ。全員、動きを止めよ。我々が船内を捜査する!」
その宣言と共に、俺たちは船内へ踏み込んだ。だが船員たちは素直に従うはずもなく、剣を抜いて襲いかかってくる。潮風に混じって剣戟の音が響き渡り、戦闘が始まった。
俺は刃をかわしながら反撃し、ウィルは大剣を振るって敵をなぎ払う。アルは素早い身のこなしで攻撃をかわし、隙を突いて斬り伏せる。ヘンリーは冷静に戦況を見極め、的確な指示を飛ばしていた。
「アリシア! どこだ! アリシア!!」
俺は船室を一つずつ確認しながら叫び続ける。部下たちに探索を命じ、下層の貨物室へ駆け下りた。扉は半ば開いている。剣を構え、勢いよく踏み込む。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
女性たちの悲鳴が響く。だが俺は耳を止めず、ただ一人を探す。
「アリシア!!」
暗がりの奥から、震える声が返ってきた。
「オズワルド様……!」




