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オズワルド視点
「お前は馬鹿なのか?」
呆れたように言い放ったのは、俺の幼馴染にして、我がウエロスニア王国の王太子であるヘンリーだった。
「知らなかったの? 翻訳されて最近うちの国でも流行ってるんだよ?」
「隣国に行っていた俺たちですら知ってる」
「あれ、有名なセリフだぞ」
「早いとこ誤解を解いた方がいいぞ」
外交補佐官のカイン・エルフィンクレストは肩をすくめ、ヘンリーの侍従ユリウス・ヴァレイエットは眼鏡越しに冷ややかな視線を送ってきた。近衛騎士のアルフレッド・レスティアルは額に手を当てて天を仰ぎ、同じく近衛騎士のウィリアム・ロードンは苦笑しながら首を振った。
俺を含めたこの六人は、全員がヘンリーの側近であり、同い年の幼馴染でもある。
「……知らなかったんだよ、そんな小説」
俺は頭を抱えて言った。まさか、『距離をおきたい』が『婚約を解消したい』という意味を持つなんて思うわけないだろ!
「俺はアリシアになんてことを……」
「素直に言えばよかったじゃないか。『襲いそうだから離れてくれ』って」
「言えるかっ!!」
あの夜、アリシアがあまりに美しくて、俺は己の欲望と戦っていた。
我が国の成人は十八歳。アリシアはまだ成人前だ。しかし、成人前とは言え十六歳。立派に……そう、アリシアは立派に成長したんだ……!
真っ平だった胸は豊かに膨らんで、真っすぐだった腰はしなやかに括れ、尻も適度に丸みを帯び……いや、そういうことじゃない。とにかく、あの夜の彼女は、俺の理性を試すような存在だった。
会場にはゲストのための休憩室が設けられていた。俺は今にも欲望のままアリシアをそこへ連れ込んでしまいそうで、必死に距離を取ろうとした。だから言ってしまったのだ。
“距離をおきたい”なんて、最悪のセリフを。
俺は理性を保つのに必死で、アリシアの顔をまともに見ることができなかった。どことなく淋しそうな表情をしていたのは、俺が領地視察のため、しばらく王都を離れるからだとさえ思い込んでいた。
(俺はなんて馬鹿なんだ……)
あのとき、アリシアがどんな気持ちで「さようなら」と言ったのか。思い至った今、胸の奥がひどく沈み、鈍い痛みが広がる。
俺の愚かさが彼女を傷つけてしまった。
「とにかく、アリシアに会いに行ってくる!」
俺は椅子を蹴るように立ち上がり、王太子執務室を飛び出した。
我が国の宰相は、犯罪に手を染めている。
宰相補佐官である俺は、その証拠を掴むべく身を削って捜査を続けている。だが、相手は政の頂点に立つ男だ。用心深く、尻尾を掴ませない。
国王陛下には二人の王子がいる。正妃が生んだ第一王子のヘンリー。そして、側妃が生んだ第二王子のオスカー。
王侯貴族は、第一王子派、第二王子派、中立派に分かれていた。だが昨年、第二王子派は愚策を打ち壊滅した。オスカー殿下は幽閉され、側妃とその生家である侯爵家は粛清された。
それでも、第二王子派の中心人物であったにもかかわらず、宰相は証拠不十分を理由に裁かれず、今も政の中枢に居座っている。
俺はヘンリーたちが西隣のイローリス王国に避難していた間、国に残り宰相の不正資金の出所を探っていた。しかし、奴の帳簿は整いすぎていて、何ひとつ隙がない。だが、確かに金は動いている。その流れを暴ければ、奴の足元は崩れる。
俺は宰相の子飼いに接触するために動いた。
奴の腹心の一人が領地視察に向かうという情報を得た俺は、彼の馬車に細工を施した。途中で賊に襲わせる段取りを整え、俺自身が偶然通りかかったとして現場に居合わせ彼を助ける。混乱の中で接触し、信頼を得るための仕込みだった。
ただし、俺一人で動けば警戒される。そこで協力を仰いだのが、アルフレッドの恋人、イザベラ・テイラー男爵令嬢だった。
俺たちは恋人同士を演じ、“秘密の逢瀬”の途中で偶然出くわした、という体裁を取った。公にできない関係の方が警戒されにくいという利点を活かし、彼女には情報収集の補佐を任せた。
イザベラ嬢の働きは見事だった。彼女の機転と観察眼は鋭く、俺が踏み込めない場面でも巧みに情報を引き出してくれた。
その結果、俺たちは宰相が人身売買に関与しているという、国家を揺るがす事実にたどり着いた。証拠は未だ決定打とは言えないが、複数の状況証拠と証言を押さえ、確かな手応えを掴んだ。
ある程度の証拠を掴んだ俺たちは、一度王都へ戻り、進捗をヘンリーに報告した。
報告がひと段落すると場の空気がゆるみ、世間話に流れた。そして、ヘンリーの「お前は馬鹿なのか?」である……。
「いないとはどういう意味だ?」
馬を駆ってヘルミット伯爵家に到着した俺は、玄関で出迎えたロバートに詰め寄った。
「で、ですから……私が気づいたときには、アリシアはすでに姿を消しておりまして……」
姿を消した? 何を言っている……?
「アリシアの部屋へ案内しろ」
「お、お待ちください! あなた様はアリシアと婚約破棄なさったのでしょう? もうあの娘とは何の関わりもないではありませんか」
「俺は婚約破棄などしていない!!」
俺の怒声に、ロバートは目を剥いた。
「えぇっ!? で、ですが……アリシアが婚約破棄されたと言ったのですよ?」
「俺は一度たりとも、婚約破棄など望んだ覚えはない!! とにかくアリシアの部屋へ案内しろ!!」
「は、はいっ……!」
先導されて進むと、メイドは中央階段を上らず、屋敷の奥へと向かった。
「待て。アリシアの部屋は二階南側のはずだ」
「……お嬢様のお部屋は、北側の一階でございます」
ヘルミット伯爵家の一階北側は使用人部屋だ。嫌な予感が背筋を這い上がる。
案内された部屋の扉を開け、俺は呆然と立ち尽くした。
「……これは、なんだ……?」
そこにあったのは、貴族令嬢の部屋とは到底思えない、粗末な空間だった。
「これがアリシアの部屋だと……!? いつからだ……いつからアリシアはこんな部屋で暮らしていた!? ロバートを呼べ!! 今すぐ、ここに!!」
怒りが胸を焼く。俺は何をしていた? アリシアがこんな扱いを受けていたのに、気づきもしなかった。
やがて、ロバートとその妻が現れた。厚化粧に趣味の悪いドレス、身につけた宝石は明らかに伯爵家のものだ。
「これはどういうことだ? なぜアリシアがこんな部屋を使っている?」
「アリシアが使用していた部屋は、次期当主である息子が使っておりますの。それに、我が家のことは現当主であるロバートが……」
「次期当主? 現当主? ……ふざけるな!!」
俺はロバートの胸倉を掴み、怒鳴った。
「お前たちは何を勘違いしている!? ロバート、お前が伯爵だと? 笑わせるな!! お前はただの平民だ!! アリシアが成人するまでの“管財人”にすぎないお前が伯爵家の名を騙るな!!」
「「えぇっ……!?」」
俺はロバートを突き飛ばし、奴は情けない声を上げて尻もちをついた。
「お前たちは平民の分際で、貴族であるアリシアを虐待していたということだな……? それからお前、その宝石やドレスはヘルミット伯爵家の財産を横領して買った物か? 厳罰を覚悟しろ!」
目の前の二人は顔を青ざめガタガタと震え出した。
「こいつらを捕らえろ。息子もだ。それから捜索隊を出せ! アリシアを探すんだ!!」
そのとき、屋敷の奥から足音が響き、アリシアの乳母のマーサが駆け寄ってきた。
「オズワルド様! アリシアお嬢様は、グロッサ王国へ向かわれました!」
「グロッサ王国!?」
俺は息を呑んだ。掴んだ証拠をもとに宰相の資金経路を追う中で、捜査線上に浮かんだとある子爵家を捜査するため、隣国へ向かう予定だったからだ。
「ですが……」
マーサから告げられたのは、信じがたい事実だった。血の気が引き、全身が凍り付く。
だが、ここで後悔に立ち止まっているわけにはいかない。俺は迷いを振り払い、決意を固めた。
「アリシア……! 待ってろ。必ず見つけ出して、今度こそ、俺が守る!」
俺は踵を返し、馬を駆けた。必ず、この手にアリシアを取り戻すために。
「オズ、早かったな。誤解は解けたのか?」
王太子執務室に駆けこむと、ヘンリーが机に広げた書類に目を走らせながら問いかけてきた。
「ヘンリー!! 俺は先にグロッサへ向かう!! アリシアがそこにいるんだ!!」
「……は?」
ヘンリーが顔を上げ、眉をひそめる。周囲にいた友人たちも動きを止め、視線が俺に集まった。
俺は息を整え、マーサから聞いた話を手短に伝えた。アリシアが母の生家を頼ってグロッサ王国の祖父の屋敷に向かったこと。だが、彼女はそこに到着しておらず、行方がわからなくなっていること。祖父はそのことに衝撃を受け、臥せてしまっていること。
ヘンリーはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「わかった。陛下には非公式の緊急書簡を用意していただいている。準備が整い次第、俺たちもすぐに向かう。お前は先行して現地の情勢を探りつつ、彼女の行方を追え」
彼が振り返ると、側近たちは一斉に背筋を伸ばした。
「皆、抜かりなく動け。いいな?」
「「「「「はっ!」」」」」
その声に、場の空気が引き締まる。俺たちは揺るぎない意志のもと、全員が深く頷いた。




