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8/8

 

 地下牢の空気は重く湿っていて、息をするだけで胸が苦しくなる。壁際に座る女性たちは皆が疲れ切った顔をしていて、誰も声を発することなく、ただ怯えを隠すように膝を抱えている。


「立て! 外へ出ろ!」


 重い格子が開き、男たちが松明を掲げて乱暴に声を張り上げた。


 わたしたちは列を作らされ、石段を上って外へ連れ出された。夜気が肌を刺し、吐く息が白く揺れる。


 ——ガタン。


 外には古びた荷馬車が止まっていた。後部の板囲いが開かれ、女性たちは次々と中へ押し込まれていく。背を強く押され、わたしも暗い車内へ足を踏み入れた。


 女性たちに続いて腰を下ろすと、対面の女性の栗色の髪が目に入り、思わず声が漏れた。


「リヴ……っ!」

「しーっ!」


(どうしてリヴがここに……? 彼女まで捕まってしまったの……!?)


 荷馬車は軋む音を立てながら走り出し、車体が揺れるたびに不安が募る。わたしはリヴへ視線を送ったが、彼女は人差し指を唇に当て、今は話すなと示した。


(わたしたちはこの先どうなってしまうの……せめてリヴだけは助けたい……)


 やがて荷馬車は港へと着き、わたしたちは次々と降ろされた。目の前に現れたのは黒塗りの巨大な船。


「これは、ノールの港で見た貨物船だわ……」


 男たちの手によって、わたしたちは下層の貨物室へと連れて行かれた。リヴはさりげなくわたしの横に腰を下ろし、周囲に気づかれぬよう小さな声で囁いた。


「アリシア、あなたが無事でよかった。それから、いい? 落ち着いて聞いてちょうだい……」






「——という訳なのよ」

「そ、んな……じゃあ、オズワルド様、は……」


 リヴからオズワルド様の真意を聞き、心臓が痛むほどに締め付けられた。後悔と安堵がないまぜになり、声が震えて言葉にならならない。視界が滲み、涙が今にも零れそうになる。


『距離をおきたいんだ』


 あれは別れの言葉じゃなかった。彼自身の理性を保つためのものであり、全て誤解だったのだ。


 オズワルド様は決してわたしを傷つける人ではなかったのに、あの舞踏会の夜、彼らの話を耳にして、わたしは彼に殺されると思い込んでしまったのだ。


(オズワルド様を信じていればこんなことにはならなかった。わたしの身勝手な行動が、彼に多大な迷惑を掛けてしまった……)


 そのうえ、お屋敷まで間違えるなんて、なんて愚かなんだろう……。


 心の奥で自分を責める声が響き、嗚咽が喉まで込み上げる。


 そのとき、船が大きく揺れた。床板が軋み壁が震え、何かが起こったのだと直感する。船内は騒然となり、船員たちの怒鳴り合う声が聞こえてきた。


「おい、まずいぞ! 騎士団だ!!」

「チッ、バレねぇんじゃなかったのかよ!!」


 逃げ道を探し、船内を駆けまわる彼らの足音が響き渡る。


「逃げろ!」

『追え!』

「こっちだ!」

『探せ! 探すんだ!!』


 金属がぶつかる音、走り回る音、そしてグロッサ語とウエロスニア語が耳に届いた後、バンッと大きな音がして、貨物室に剣を構えた男性たちが入ってきた。


「きゃぁぁぁぁぁ」


 わたしたちは悲鳴を上げ、恐怖で身を縮めた。


「アリシア!!」


 その聞きなれた声に顔を上げると、見慣れた姿が視界に飛び込んだ。恐怖に縛られていた身体が解け、胸の奥に温もりが差し込む。


「オズワルド様……!」







「アリシア!! 良かった……無事で、本当に良かった……!」


 オズワルド様はわたしを強く抱き締めた。彼の腕は震えていて、その震えからどれほど安堵しているかが伝わってくる。


「アリシア、すまない。俺が情けないばっかりにお前を苦しませてしまった。本当にすまない」

「オズワルド様ごめんなさい。リヴから話を聞きました。本当にごめんなさい……!」


 彼の声は今にも泣き出しそうで、心が強く揺さぶられた。わたしは彼の胸に顔を埋めながら謝罪の言葉を繰り返した。


 そこへオズワルド様の部下である、イザベラ・テイラー男爵令嬢が駆け寄ってきた。


「グレイヘイブン宰相補佐官、アリシアちゃんいたんだね。良かったー」

「ああ、ようやく俺のところに戻ってきた」


 イザベラ・テイラー男爵令嬢——息をのむほどの美貌の女性。その姿に見惚れた瞬間、彼女の背後から敵が飛びかかってきた。


「うふ」


 イザベラ様はニコッと微笑むと、振り返りざまに拳を突き出した。


 ——ドゴッ


「グフッ」


 ——ドサッ


「え……?」


 その美貌からは想像もつかない彼女の鮮烈な一撃に、敵は白目をむいて床に崩れた。


「見たかアリシア。あれが彼女の本当の姿だ。あれを受け入れるのはアルフレッドくらいなんだよ」


 ぽかんと口を開けたまま固まっているわたしに、オズワルド様が苦笑交じりに言ったとき、扉の向こうからヘンリー王太子殿下が現れた。


「オズ、ヘルミット伯爵令嬢は無事に見つかったのだな?」

「ああ、無事に見つけられた。大きな怪我もなく、心底ほっとしている」


 オズワルド様が殿下に答えると、近衛騎士であるアルフレッド・レスティアル様と、ウィリアム・ロードン様が駆け寄り、剣を収めながら報告を行った。


「殿下、船員の大半は制圧いたしました。残る者は甲板側に追い詰めております」

「船内を隅々まで確認いたしましたが、他に誘拐された者は見当たりません」


 報告を受けた殿下は、低く息を吐きながら頷いた。


「残党を完全に鎮圧しろ。……国の威信を汚す不正を、二度と繰り返してはならない。それから、誘拐された女性たちは保護し、手厚く看護してやれ」

「「はっ!」」


 彼らは素早く持ち場へ散り、場の緊張がわずかに緩んだ。そのとき、隣にいたリヴがそっとわたしを抱きしめた。


「アリシア、誤解が解けて良かったわね」

「ええ……ありがとうリヴ」


 彼女の温もりに包まれながら、わたしは心の底からリヴに感謝した。彼女がいてくれたからこそ、こうして再びオズワルド様に会うことができたのだ。


 リヴがそっと腕を緩めると、ウィリアム様が彼女に声をかけた。


「あなたもウエロスニアから誘拐された被害者だろうか」

「いいえ、わたしはウエロスニア王国民だけど誘拐されたわけじゃないわ。アリシアを救うために協力したの」


 リヴは誇らしげに答え、ふと彼の手元に目を留めた。戦闘の最中に負ったのだろう、甲に赤い血が滲んでいる。彼女はすぐにハンカチを取り出し、差し出した。


「騎士様、どうぞお使いください。血が出ているわ」


 ウィリアム様は「ありがとう」と受け取ると、広げたそれを見つめ、つぶやいた。


「……ガーベラのハンカチ……」


 その瞬間、彼の瞳が揺れ頬に赤みが差した。リヴへ向けられた視線は、なぜか熱を帯びていた。



「アリー……いや、アリシア嬢。ご無事でなにより」

「え……? リック?」


 その場に現れた騎士服姿の彼に、わたしは目を見開いた。彼がわたしの驚きを受け止めるように微笑むと、ふいに横から伸びた大きな手が、わたしの視界を覆った。


「意外と狭量な男なのだな……」





 ***





 オズワルド様たちによって救出されたわたしは、翌日、母の生家であるハージェントン伯爵邸へ向かった。


 静謐な空気の満ちる広間には、わたしとオズワルド様のほか、ヘンリー王太子殿下と彼の側近たちが勢ぞろいしていた。近衛騎士アルフレッド様とウィリアム様、外交補佐官カイン様、侍従ユリウス様。そして、イザベラ様とリヴまでもが並び、皆が整然と姿勢を正し、厳しい面持ちをしている。


「大旦那様がお越しになります」


 執事がそう告げると、広間の扉がバタンと開き、白髪を湛えた威厳ある老人が姿を現した。鋭い灰色の瞳がまっすぐにわたしを射抜く。


「アリシア」


 彼はツカツカと勢いよく歩み寄ると、ためらいもなくわたしを強く抱きしめた。


「顔をよく見せておくれ。ああ、娘に似ている……あの子の面影が、ここにある」


 その言葉に胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。


「……わしはなんと愚かだったのだ。娘を許せず、孫を遠ざけてしまった。だが、もう二度と過ちは繰り返さん。アリシア、お前はわしの大切な孫だ」


 堪えていた涙が溢れ、わたしは嗚咽を漏らしながら祖父の手を握りしめた。


「ありがとうございます。おじい様……」


 オズワルド様がそっとわたしの肩に手を添え、支えるように寄り添ってくれる。皆は柔らかな笑みを浮かべ、張り詰めていた気配は和らぎ、広間には温かな空気が満ちていた。


「さて、ではこれまでの件について話そう」


 殿下が口を開くと、広間の空気が再び張り詰めた。殿下は順を追って説明を始める。


 その中で、アンドリュー様の名が告げられ、胸の奥に重いものが沈む。わたしが従兄弟だと思っていた彼は、実際には従兄弟ではなかった。


 両親が逮捕されたため、彼はグロッサ王国の法に従い、幼くして子爵位を継ぐこととなった。成人するまでは王家の庇護と後見人の管理のもとで育ち、やがて自ら子爵として立つことになるのだ。


 そして屋敷のメイドたちの件が告げられた。誘拐に加担していたメイド長は厳しく処罰され、その取り巻きも同様に裁かれるという。


「それから、ヘルミット伯爵位はあなたが成人するまでの間、王家預かりとする。異論はないか?」


 殿下の問いに、わたしはオズワルド様の視線を受け止め、静かに頷いた。


 彼から、叔父ロバートは当主ではなく、わたしが成人するまでの管財人にすぎないと聞いた。ヘルミット伯爵家でのわたしの扱いを知ったオズワルド様は深く憤り、領地を王家預かりとするよう取り計らってくれた。そして、わたしがグレイヘイブン侯爵家で暮らせるように手配してくれたのだ。


「国に戻り次第、宰相を逮捕し真実を明らかにする。皆、心して務めよ」

「「「「「はっ!」」」」」





 ***





 舞踏会当日、華やかな会場には多くの貴族たちが集まっていた。わたしがオズワルド様とともに、そしてアルフレッド様がイザベラ様をエスコートして入場すると、人々は驚きの表情を浮かべ騒めきが広がった。


 やがて宰相が姿を現した。わたしは平静を装いながら、その背後に立つ宰相夫人を見て殿下に合図を送った。殿下は軽く頷き、側近たちへ指示を飛ばす。


 国王陛下が入場すると、騒めきはぴたりと止み、人々の視線は一斉に陛下へと注がれた。


「皆、今宵はよく集まってくれた。開会宣言に先立ち、王太子が発言をする」


 静まり返る会場内。殿下が壇上に立ち、事件の経緯と証拠を明らかにした。宰相は言い逃れを試みたが、殿下はさらに声を強める。


「証拠は他にもある。宰相、そのネックレスは、()()()()()()()()()()()()()()()ヘルミット伯爵令嬢が、()()()()()()()()際に奪われた物だ。パライバトルマリンは希少性が高く、我が国ではヘルミット伯爵家のみが所有している。それを夫人が身に着けていることこそが、関与の証だ!」


 人々は驚愕に息をのんだ。誰もが宰相に疑惑の視線を向ける。宰相は顔を引きつらせ夫人へ視線を走らせたが、夫人は蒼白なまま言葉を失っていた。逃げ場を失った宰相の肩が震え、観念したように膝を折った。


 殿下は深く息を吸い込み、会場に響き渡る声で宣言した。


「これにより宰相は逮捕され、法の下、厳正なる裁きを受けることとなる! アリシア・ヘルミット伯爵令嬢、イザベラ・テイラー男爵令嬢、捜査への協力に感謝する!」


 わたしとイザベラ様が淑女の礼を取ると、会場には大きな拍手が鳴り響いた。










「帰ろう、アリシア」

「はい……きゃぁ!」


 オズワルド様はわたしを抱き上げ、迷いなく馬車へと乗り込んだ。


「え……?」


 そして、気づけば彼の部屋。ベッドにそっと下ろされ、覆いかぶさる彼の瞳は真剣そのものだった。


「我慢するのは、もうやめた」


 熱を帯びた声に胸が高鳴る。わたしは彼の名を呼び、震える唇を重ねた。










 ——おわり——







 おまけ


 カイン「うちの国にもいるよね。残念な貴族令嬢」

 ユリウス「残念な宰相補佐官もな」

 ヘンリー「残念な近衛騎士もだろ」

 「「「はぁ~……………………」」」



 ***



 多くの作品の中から、この作品を読んでいただき、ありがとうございました。


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