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港に入港したまましばらく停泊していた船は、再び動き出し着岸したようだ。
わたしたちは貨物室の中で震えていた。
逃げ出すことが無理だとわかっていても、逃げ出したいという思いでいっぱいだった。
その時、突然、船が大きく揺れた。何かが起こったのだと感じた。船の中は騒がしくなり、船員たちの怒鳴り合う声が聞こえてきた。
『おい! まずいぞ!! 騎士団だ!!』
『チッ、バレねぇんじゃなかったのかよ!!』
彼らは船内を駆け回り、逃げ道を探しているようだ。
『逃げろ!!』
「追え」
『こっちだ』
「探せ!! 探すんだ!!」
遠くから金属がぶつかるような音、走り回る音、そして、グロッサ語とウエロスニア語が聞こえてきた。
バンッという大きな音がして、貨物室のドアが開き船員の男が入ってきた。
「きゃぁぁぁぁぁ」
わたしたちは悲鳴を上げ、恐怖で身を縮めた。
男はわたしの鞄を持っている。あの鞄があれば、海に飛び込んで逃げることが出来るかもしれない……。
男はわたしの鞄で貨物室の窓を割り、海へ飛び込んだ。わたしの鞄が水に浮くように作られていることを知っていたようだ。
「きゃぁぁぁぁぁ」
呆然としていると再び少女たちの悲鳴が響いた。
「アリシア!! アリシアいるか!? アリシア!!」
——聞きなれた声。
まさかそんなはずはないと思いながら振り返ると、そこにはオズワルド様がいた。
——夢を見ているのかしら。
彼がここにいるなんて信じられなかった。
「……オズワルド……様……? どうして……」
「アリシア!! アリシア!! ああ……良かった……。無事だった。生きていてくれた。良かった……!!」
わたしはオズワルド様に強く抱き締められた。オズワルド様は震えていた。
わたしを救い出してくれたこと、わたしが無事であることに、彼がどれほど安堵しているかが伝わってきた。
「アリシア、すまない。俺が情けないばっかりにお前を苦しませてしまった。本当にすまない」
オズワルド様は今にも泣き出しそうな声でそう言った。
そこへオズワルド様の部下である、イザベラ・テイラー男爵令嬢がやってきた。
「グレイヘイブン宰相補佐官、アリシアちゃんいたんだね。良かったー」
「ああ、無事に戻ってきた。本当に良かった」
イザベラ・テイラー男爵令嬢。近くでお会いするのは初めてだ。輝くようなピンクブロンド。澄んだ空を思わせる大きな青い瞳にすっと通った鼻筋と小さな唇。そして真っ白な肌と長い手足。本当に息をのむような美貌の女性だ。
わたしは夢のような状況から現実へと意識を戻し、オズワルド様に伝えた。
「オズ……、いえ、グレイヘイブン侯爵子息様、助けてくださりありがとうございます。ですが、イザベラ様に誤解されてしまいます。離してくださいませ」
わたしの言葉にオズワルド様は驚いたようだった。彼はわたしをゆっくりと離し、わたしの顔を見つめた。
「……何故?」
何故って……恋人であるイザベラ様の目の前で元婚約者を抱きしめているなんて、イザベラ様はどう思われるか……。
わたしは言葉を探した。オズワルド様にどう説明すればいいのかわからなかった。
「オズ! ああ良かった。ヘルミット伯爵令嬢は無事に見つかったのだな」
貨物室に王太子殿下が現れ、続いて近衛騎士であるアルフレッド・レスティアル公爵子息様、ウィリアム・ロードン伯爵子息様が報告に来た。
「殿下。大方の賊は捕縛しましたが、数人を逃してしまいました」
「市井を捜索すれば見つけられるでしょう。時間の問題です」
「了解した。誘拐された少女たちを保護してくれ」
「「はっ!」」
王太子殿下までこんなところにいらっしゃるなんて……。この誘拐事件は大きな事件だったんだわ。わたしは自ら事件に巻き込まれてしまったようなものだ。申し訳なくて自己嫌悪に陥る……。
「アリシア様、わたくしたち助かったようね……」
「ええ、オリヴィア様。本当によかった……」
オリヴィア様は目を潤ませて笑顔を浮かべている。わたしは彼女と抱き合って喜び、助かったことを実感した。
「あなたもウエロスニアから誘拐された被害者だろうか」
ロードン様がオリヴィア様に声をかけた。他の少女たちとともに保護されるようだ。
「はい。ノールの森で攫われました。あら……、騎士様、どうぞお使いください。血が……」
オリヴィア様はそう言ってロードン様にハンカチを手渡した。
ロードン様は戦闘中に傷を負ったようで、手の甲には血が滲んでいた。ロードン様は「ありがとう」と言って受け取ったハンカチを広げてつぶやいた。
「……ガーベラのハンカチ……」
「「「………………」」」
わたしは、オズワルド様に顔を向け謝罪した。
「あの、ご心配とご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ございませんでした……」
「いいんだ。アリシアは何も悪くないんだ。さあ、取り敢えず落ち着ける場所へ行こう。疲れているだろう?」
オズワルド様はそう言ってわたしを抱き上げて歩き出した。
「きゃぁ! だ、大丈夫です……! 自分で歩けます……!」
「嫌。無理。離さない。もう我慢しない」
「え……?」
「「ブフォ」」
わたしはオズワルド様の言葉の意味がよく分からなかったけれど、彼から伝わる温もりはわたしに大きな安心感を与えてくれた。
イザベラ様、ごめんなさい……。
わたしは心の中で謝りながら、彼女に目を向けた。イザベラ様は下を向いて震えているようだ。
今だけ……今だけは許してください。
オズワルド様に抱き上げられたまま馬車に乗りこんだわたしは、極度の緊張から解放されたためか泣き出してしまった。
止まらない涙をオズワルド様は優しく拭ってくれた。
何故オズワルド様はここにいるのだろう? 事件を追っていたのだろうか? けれど、オズワルド様は宰相補佐官だ。側近としての役割からなのだろうか。
そんなことを考えていたけれど、わたしは泣き疲れていつの間にか眠ってしまった。
***
目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。ここはどこなのだろうか……。
「アリシアちゃん起きた? お水飲む? はいどうぞ」
「ありがとうございます……」
ベッドの横の椅子に腰かけていたイザベラ様は、わたしに果実水を渡してくれた。
「ここはグロッサ王国の王城だよ。アルたちにアリシアちゃんが起きたって知らせてくるね。まぁ、アレは部屋の前でウロウロしてるんだろうけど」
イザベラ様がそう言って扉を開けると、同時にオズワルド様が入室した。
「おわっ、危なっ!!」
「アリシア、怪我は無いようだがどうだ? 具合は悪くないか? 食欲はあるか? ずっと傍にいたかったのに、テイラー男爵令嬢に追い出されたんだ」
「当たり前でしょ。“いただきます宣言”したくせに。いやー、思い出しても笑えるわ。わたしのアドバイスが効いちゃった?」
「あれはそういう意味ではなく……はないが、ないんだ!!」
気のせいかしら……。
「じゃあさ、わたしはアリシアちゃんの支度を手伝うから、アルたちにアリシアちゃん起きたって伝えてきてよ」
「…………………………わかった」
「早よ行け」