家族 第六話
何の音かについて、フェリシアンはこれまで気がついていなかった。
細い紐が束ねられて出来ていた太い縄の内側で、これまでの長い人生の間で幾度となく細い紐が一本ずつ張り詰めて弾けるように切れていく音は確かにしていた。
だが、今その瞬間、アナンヤの一言によって残りの全てが雷ような音を立てて割け始め、そして最後に残った一本、頑丈なはずの最後の一本まで切れ、これまで支えていた何かが倒壊していく音がした。
全てが切れて倒れた後、それが理性だったというのを理解した。
腹の底が燃えるような感覚に襲われた。煮えた泥を飲まされたのではなく、自らの感情によって腹の底に溜まっていた泥の全てが一瞬で沸騰した。
フェリシアンはゆっくりとウェイトレスを床に横たえた。
ウェイトレスは行かないでと声にならない喘鳴で必死に呼びかけ手を伸ばしたが、フェリシアンは立ち止まることも振り向くこともなく姉の方へと足先を向けた。
アナンヤの前に立ちはだかると握りしめていた右掌を開き、「なにするつも」とアナンヤの言葉を遮るように右腕を素早く動かした。
フェリシアンは勝手に動いた右掌を見つめた。掌の中にはアナンヤの顔の鼻から下があった。口唇と皮膚と、縁では引きちぎれた表情筋がひくついている。
首を傾けて掌の中のものの裏側を見つめた。上顎骨と下顎骨、それに付いた奥歯。下顎の血管から血が吹き出ている。
水の袋が落ちる様な音がしてふと足元を見た。彼の瞳にはうつ伏せになった姉がヒクヒクと痙攣している様子が映っていた。
血が脈打つように広がり、元々赤かった別珍の絨毯に赤黒い丸い池が出来上がっていく。
自分にはこんな力があったのか。
フェリシアンは、祖父ドナシアンが自分を気にかけていたのはガリマールの家に生まれた初めての男だから気に入っていたのではなかったのだなと、そのときになって気がついた。
「ああ、お爺ちゃん、そっかぁ。やっと分かったよ。僕のこと大事にしてくれて、ありがとう。随分時間が、かかっちゃったね。
そういえば僕は傷の治りも早かったなぁ。ふふっ。そうか、お婆ちゃんもずっと僕の傍にいたんだね。
スジャータお婆ちゃん、会ったことないけど何だか、とっても懐かしいよ」
フェリシアンは自分の祖先たちが背中を押しているのではないかという高揚感に包まれた。
血の池の真ん中に浮かぶアナンヤの髪の毛を掴み上げた。まだ微かに息をしていたので、フェリシアンは掌の中にあったアナンヤの顎を元の場所に戻し、祖母の能力であった魔法を使って無理矢理くっつけて血を止めた。
アナンヤは怨みがましい目をぎょろぎょろと動かした。アナンヤも勇者の孫であり頑丈さはフェリシアンほどではないものの持ち合わせており、死にかけているとは思えないほどの鋭い眼光をしていた。
だが、フェリシアンは睨まれても脱力することはなく、姉の目をやさしく見つめ返し「ダメだよ、姉さん。そんな簡単に死んじゃあ。僕と同じ勇者の孫なんだよ? しっかりしなきゃ」と囁いた。
そのまま髪を掴んで身体を引き摺り、ドメニコーニの方へゆっくりと足を向けた。
血の繋がった姉が作った血の池を踏み絞め、床に赤い足跡を連ねて、一歩一歩と姉の新しい男の方へ向かった。
警察官たちは異様な光景に硬直していたが、気を取り直すとすぐに「撃て! 撃て! 発砲許可だ! 構わず撃ち続けろ!」と怒鳴り声を上げた。それに合わせるようにいくつもの発砲音が屋敷の窓をビリビリと震わせた。




