小さな掌 第二話
フェリシアンは子育てなどしたことはない。する目前で妻子を失った。
だが、赤ん坊が何を求めているのかは手に取るように分かった。
フェリシアンは昔から人の顔色を覗って生きてきた。言葉以外での感情の読み取りは得意だったのだ。
十年という孤独な隠遁生活を送っていたとしてもその勘は鈍ることはなく、そして、相手の年齢にも影響されることはなかった。
泣いている、という目に見える事実だけでなく、自分が感じた温度や湿度、臭いから何までで何を欲しているのか感じ取る。
大人になると人間は我慢するのが当たり前になっていく。そうしていく内に少し熱さや寒さなど気にしなくなっていくのだ。
だが、赤ん坊は全てが初体験なのだ。熱いと言うことも寒いと言うことも、それがどんなに些細であっても未知な不快感であり、その不快感さえも未知な物なのだ。
未知の物というのは大人でも恐怖を感じる。それが小さな赤ん坊ともなればどれほどの恐怖なのだろうか。
物心が付く前というのは、その未知によって味わう恐怖で心が壊れないための準備期間なのではないだろうか。
記憶と慣れは同じかも知れない。だが、慣れた物に対して脳が何かを考えているとは思えない。記憶して慣れ、さらにその先の反射になっていくのだろうか。
フェリシアンは子育てで妙に哲学的になっていた。だが、それをノンビリと考えていられるほど暇ではなかった。
お腹空いた。おしめが蒸れてる。寒い。熱い。眠い。臭い。などなど……。
要求が分かるというのは子育てにおいて大きなアドバンテージだが、それに対応するのはフェリシアンにとって慣れのない初体験であり、かなり困難なことだった。
フェリシアンはアナンヤが出かけたその日のうちに、雪が積もる前に買い出しに出かけ、離乳食やおむつを買った。それで何とか食事は対応することが出来た。
このとき、アナンヤはどうやって子育てをしていたのだろうかと疑問に思った。しかし、相変わらず悠長にそのようなことに思いを巡らせている暇などなかった。兎にも角にも、この子を飢えさせてはいけないと必死なのだ。
困ったことは食事だけに尽きなかったからだ。
問題の一つを言えば、フェリシアンはこの子の名前を知らないのだ。一ヶ月間アナンヤとこの赤ん坊と生活していたはずなのに、名前を知る機会に恵まれなかったのだ。
何と呼んだら良いのか分からなかったが、ほとんどの時間を傍で過ごすので呼ぶ必要は無かった。だが、一番困ったのは病院だった。




