逃れられぬもの 第四話
雨に曝され続けたフェリシアンが絶望に頭の上まで飲み込まれて諦めそうになったとき、アナンヤは「いらっしゃい」とドアを開けてフェリシアンが入ることを許した。
「なんで鍵開けとかないのよ。田舎っつーか、もう自然なんだから鍵なんかかけないでしょ、フツーは。
鍵屋こんなとこにまで呼びつけて開けて貰ったんだから。なんか出張費用とかイチャモンつけられて結構な金額請求されたから、お金はあとでキチンと請求するからね」
フェリシアンは家に入ることを許されたことに束の間の安堵を得たが、人生原初から刻まれ続けた絶望は彼の思考を絶えず鈍らせアナンヤの言葉の理解を遅らせた。
「か、鍵は、交換になったんだろう? マ、マスターキーを渡して、くれ、ないか?」
アナンヤは「はぁ?」と顔をしかめた。
「いや、何でよ? 鍵の交換のおカネ出したの、ア・タ・シ」とアナンヤは自分を指さした。
「家の、持ち主は、ぼ、僕だ」
「あー、いいのいいの」と右手を払うように振った。
「アンタ仕事してないんだし、どうせずっと家に引きこもってんでしょ?
家にいるんなら鍵なんか持ってても意味ないって。アタシは外出るから必要だけどさ。
それに田舎だし、誰も入んないわよ」とダイニングの方へ向かっていった。
フェリシアンは絶望に囚われまだ理解が追いついていなかった。アナンヤがここに住む気でいることに気がついたのは、だいぶ後だった。
仮にこの場で即座にフェリシアンがアナンヤの行動の意味を理解出来たところで、彼にはアナンヤを追い払うことはできなかっただろう。
フェリシアンはアナンヤよりも力は強いが、生まれついての絶望が彼を底無しに脱力させるからだ。
「アンタがここに住んでるって聞いて、会いに来たの」とダイニングに入った。
「首都の興信所に頼んだらすぐに見つけてくれたわ。アンタ、ダメじゃない。家族に黙っていなくなるなんて」
二十代後半の男がテーブルに足を乗せ椅子を浮かせながら座り、つまらなさそうに天井を見つめている。
何十年も会っていないが、それは甥っ子であるというのはすぐに分かった。
それよりもフェリシアンが驚いたのは、その横に小さな赤ん坊がいたことだ。
「そ、それは誰の子ども、なんだ?」
アナンヤは「アタシのだけど」と当たり前のことを聞くなというふうにいい加減な返事をした。
「ち、父親だよ」
アナンヤは「さぁ」と肩をすくめた。
「とりあえずできたから産んだ。でも命ってすごいわよね。どんな状況でも強く生まれてきて、育っていくっていうのは」
自信に満ちた笑顔を向けて来た。何故そのようなことが言えるのか、そのような顔が出来るのか、フェリシアンには理解出来なかった。
彼がそのとき、この小さな赤ん坊はきっと自分に似た境遇になるのだろうと思った。
フェリシアン自身、父親が分からない。一つだけ分かっているのは、アナンヤとは違う父親だと言うことだけだ。
ほんの僅かな、小さくかきむしったときの痛みような同情の後に、性格は姉に似るのかと思うと無感情になった。
「アタシってさ、ホラ、やっぱり勇者の孫で、昔から曲がったこと大嫌いじゃん。
アンタと違って勇者の孫っていうのを自分で言ってもいいほどの英雄の性質が強く出ちゃって正義感強いじゃん。
それにさ、サイコパスで強い女だからさ、みんな引いちゃうのよ」と言って赤ん坊を抱き上げて腕の中で揺らした。
「そういえば」と赤ん坊を揺らしながらアナンヤは話を続けた。
「母さん、死んだわよ」




