夢か現《うつつ》か
目が覚めると部室にはだれもいなかった。開け放った窓から、強い西日とともにゆるゆると風が入ってくる。壁にへばりついているメモ用紙やポスター、写真などがときおり揺れた。よそよそしい風景である。なぜ自分がこんなところに寝ているのか思い出し、嫌悪感からますます物との距離が遠くなる。背中が汗ぐっしょりで気持悪く、体を起こすと頭が重い。右足がしびれたようにだるかった。あれしきのビールでこの体たらく。
酔いにまかせてあんなことを言うなんて、ばかなことをしたものだ。沖野牡丹ははじめからぼくには遠い存在だったのに、いまさらムキになってもなんにもならないではないか。いっそ文次先生とのことを知らない間に、富士谷の先輩のようにラブレターでも出せばよかった。感情を表現し、その結果としてたとえフラれたにせよ、ひとつの行為が完結するのだから自分のなかで諦めもつくだろう。ああ、それなのに。なにもしないで早くも終わってしまった。片思いにもならない恋なんて。
「うー、うー」
苦しそうにうめく声が聞こえた。自分の声だと思ったが違った。
「う~」
西日が直撃している入り口付近からその声は聞こえた。寝ころんだまま目を向けると、直射日光を浴びて上下する小山が見えた。腹のようである。
おや、あれは。
文次先生ではないか。ぼくと同じく放っておかれたのか、あんなところに寝転がっている。腹が暑くてうなされているのだろう。いい気味だ。うめき声はやがてとぎれた。
「う~ん、あーあ」
伸びをしながら文次先生が立ちあがる気配がした。腹をなでて室内を見回し、ビールの空缶をまとめてかかえると部室から出ていった。ぼくには気がつかなかったようだ。
風にのって作業場の声が届く。本原くんたちは取材の続きに出たのだ。早く合流しなくてはと思うのだが体が言うことをきかない。二度めの眠りがそこまでやって来て襲いかかる。
どのくらい時間がたっただろうか。まっ黒い闇が部室にこもっていた。しばらくして目が慣れてくると、窓のあたりにほのかに感じられるていどの明るさがただよいはじめた。そのときふと人の気配がした。夢かうつつか幻か、しかしそれは沖野牡丹にちがいないと、なぜかぼくは確信していた。忍ぶ足が近づいてきて、その生あたたかい息が頬にかかり、やわらかなものがくちびるに重なった。ぼくは気を失わんばかりに動転し、実際、意識がうすれ、またも深い眠りの底に落ちていた。
翌日はぼんやりしたまま時が過ぎた。風邪をひいたせいもあるが、夢とうつつの境で浮遊する感覚を引きずっていたせいでもある。あれはやっぱり夢だったのだろうか。あのくちびるの感触は。まだときおりよみがえるのだが、眠っているすきに、ゴキブリかネズミが触れていって、それを夢魔がいたずらしたのかもしれない。狂おしい記憶はあいまいなまま宙ぶらりんとなった。




