EP 9
最強の盾と親友の助言。昭和の根性論を粉砕する、完璧なる弾劾ロジックの構築
決戦の朝。
ルナミス帝国・国家財務総局の全体監査会議がおこなわれる当日の午前7時。
始業時刻にはまだ早い静まり返ったオフィスビルの、普段は誰も寄り付かない地下資料室に、天木桜の姿があった。
「よし。これでデジタルデータの裏付けは完璧です」
桜は持ち込んだノート型の魔導端末を前に、小さく息を吐いた。
画面に表示されているのは、ボルドー局長が自身の横領を隠蔽し、桜に罪をなすりつけるために強引に書き換えた『偽の帳簿』。
そしてその横には、桜の魔導Excelが自動でクラウド(天界の余剰空間)にバックアップを取っていた『真の帳簿』と、1秒の狂いもない『変更履歴ログ』が並んでいる。
(ボルドー局長は『闘気と気合でデータを上書きした』と思い込んでいますが、変更履歴にはご丁寧に彼自身の端末からのアクセス記録と、改ざんの手順がすべて残っています。ITリテラシーの欠如が生み出した、完全な自爆ですね)
あとは、このデジタルデータと結びつく『物理的な証拠』さえあれば、言い逃れの余地は一切なくなる。
「桜ちゃん。嘘吐きを追い詰める時の鉄則、覚えてますか?」
不意に、桜の脳裏に昨夜の魔導通信石でのやり取りが蘇った。
親友であるポポロ村の村長、キャルル・ムーンハートからの通信だ。月兎族の卓越した聴覚で、数々の政治的駆け引きを制してきた彼女からの、実戦的なアドバイスである。
『相手が自分の嘘に酔いしれている時、心音は一時的にすごく高揚して、大きくなるんです。だから、最初から証拠を突きつけちゃダメ。まずは相手に気持ちよーく喋らせて、高い高いところまで登らせてあげるんです』
通信石の向こうで、キャルルは星の王子様のような無邪気な声で、恐ろしいことを言っていた。
『そして、相手が一番得意げになった瞬間に、梯子を外す。そうすれば、心音はパニックを起こして自滅します。桜ちゃんの完璧な資料なら、絶対に勝てますよ!』
(頼もしい親友です。……ふふっ、キャルルちゃんの言う通り、ボルドー局長には存分に独演会を開いていただきましょう)
桜が魔導プロジェクターへの出力テストを終えた、その時。
「――天木殿。待たせたな」
資料室の重い扉が音もなく開き、暗がりから一人の男が姿を現した。
完璧な黒の背広。銀縁眼鏡。静かながらも圧倒的な存在感を放つ人狼の大佐、ギルバート・ヴォルフである。
昨夜、桜を寮まで送り届けた後、彼は徹夜で「ある任務」に当たっていたはずだが、その端正な顔立ちに疲労の色は微塵も感じられない。
「大佐。おはようございます。……その封筒は?」
桜が尋ねると、ギルバートは手に持っていた分厚い茶封筒を、桜のデスクの上に静かに置いた。
「あなたが依頼していた、ボルドー局長に関する『物理的な裏付け』だ」
桜が封筒を開けると、中から出てきたのは大量の『紙の領収書』と『納品書』の束だった。
「これは……ゴルド商会が発行した、正規の領収書ですね。宛名は……ルナミス帝国軍・兵站管理部。但し書きは『前線用・特殊防寒具および回復薬』となっていますが」
「書類上はそう偽装されている。だが、昨夜、ゴルド商会のオロチ会長と少し『対話』をして確認をとった」
ギルバートは銀縁眼鏡のブリッジを押し上げ、冷たく言い放った。
「実際にボルドーへ納品されていたのは、ポポロ村で取引される最高級の嗜好品『ポポロシガー』と、帝都の高級キャバクラのツケの請求書だ。オロチ会長も、兵站の予算がそんなものに回されているとは知らず、単なる上客として処理していたらしい」
「……オロチ会長が、よくこんな裏帳簿の証拠を出してくれましたね? あの人、商売にはがめついのに」
「最初は渋っていたが、ネクタイを少し緩めて、『我が部隊の兵士の血肉を食い物にしているのか』と闘気を込めて尋ねたら、非常に協力的になった。……商人は、計算が早いからな」
(それ、対話じゃなくて完全に物理的な脅迫ですよね……!?)
桜は内心でツッコミを入れたが、彼が自分のために、帝国随一の大商人であるオロチ会長を相手に一歩も引かず、証拠をもぎ取ってきてくれた事実に胸が熱くなった。
「ありがとうございます、大佐。これで、私の集めた『データ改ざんのログ』と、大佐が集めてくれた『物理的な領収書』が完全にリンクしました」
桜は魔導端末に領収書のデータをスキャンして取り込み、真の帳簿と紐付けていく。
パズルの最後のピースが、今、完璧にハマった。
「これで、チェックメイトです。ボルドー局長が何をどう言い逃れようとしても、退路は一つもありません」
桜が凛とした声で宣言すると、ギルバートは深く頷き、彼女の手元へ視線を落とした。
桜の右手の指先には、昨夜ギルバートが巻いてくれた純白のハンカチが、今も丁寧に結ばれている。
「……指の痛みは、どうだ。タイピングに支障はないか?」
「はい。大佐が巻いてくれたこのハンカチのおかげで、冷え性の私でも指先がずっと温かくて。いつも以上のスピードで資料を作れました」
桜がハンカチの巻かれた指をふりふりと揺らして微笑むと、ギルバートはホッとしたように目元を和らげた。
だが、すぐにまた人狼の耳をピコッと動かし、少しだけ顔を背ける。
「……そうか。ならば良い」
照れ隠しのように短く答える彼の姿に、桜はくすりと笑みをこぼした。
「大佐。昨夜も言いましたが、大佐が盾になってくれるなら、私はどんな会議でも勝てます。……今日、私が前でプレゼン(弾劾)をしている間、私の背中を守ってくださいますか?」
桜が真っ直ぐに見つめて問いかけると。
ギルバートは姿勢を正し、右手を左胸に当てる帝国軍の最敬礼の姿勢をとった。
「当然だ。私はあなたの『盾』であり、あなたの論理が及ばない物理的な障害を切り捨てる『剣』だ」
彼の金色の瞳が、夜明けの光を反射して力強く輝く。
「天木殿。あなたはただ前だけを見て、その類まれなる知性で、この腐った部署の悪を薙ぎ払いなさい。あなたの定時退勤を阻むすべての障害は、私が排除する」
「……はい。頼りにしています、私の最高のパートナー」
『気合』や『根性』といった昭和の精神論ではなく。
圧倒的な『デジタルデータ』と、裏付けとなる『物理的証拠』。
そして、互いのプロフェッショナルな能力を完全に信頼し合う、事務官と軍人の絶対的なパートナーシップ。
この二人が組み上がった時点で、ボルドー局長の運命はすでに決まっていた。
「さあ、行きましょうか大佐。全体監査会議の始まる、9時のチャイムが鳴ります」
桜は魔導端末を小脇に抱え、タローマン製の防弾ヒールを力強く鳴らして、資料室の扉を開けた。
その後ろを、一切の隙のない足取りで、最強の人狼が付き従う。
ブラック部署に巣食う害虫を駆除し、真のホワイト環境(定時退勤)を勝ち取るための、完璧で容赦のない反撃の狼煙が、今まさに上がろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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