EP 7
残業帰りの夜道とゴロツキ。そして、私の盾となる『断罪のネクタイ剣』
ルナミス帝国の首都。中央省庁が立ち並ぶ区画から少し外れた、薄暗い石畳の路地裏。
時刻は21時を回っていた。
明日の『全体監査会議』に向けた完璧な弾劾資料(ボルドー局長の不正ログと裏帳簿)をまとめ上げた桜は、久しぶりの残業に少しだけ肩を回しながら、足早に職員寮への帰路を急いでいた。
(ふぅ……。明日のプレゼン構成も頭に入りましたし、あとはゆっくりお風呂に入って寝るだけですね)
冷たい夜風に吹かれながら、桜がタローマン製の防弾ヒールを鳴らしていた、その時だった。
「――よう、お姉ちゃん。ずいぶんと遅いお帰りじゃねえか」
路地裏の影から、ぬらりと3つの人影が這い出してきた。
手には鈍く光る短剣や、魔導式スタンバトンを握りしめている。いずれもガラの悪い、いかにも裏社会で日銭を稼いでいるようなゴロツキたちだ。
「……何かご用でしょうか? 業務時間外ですので、勧誘やセールスでしたらお断りいたしますが」
桜は足を止め、一切の動揺を見せずに完璧な営業スマイルを向けた。
内心では、即座に状況を分析している。
(ボルドー局長が雇ったチンピラですね。データ改ざんの隠蔽工作だけでは飽き足らず、物理的に私の口封じ、あるいは私が持っている資料の強奪を狙ってきたわけですか。……どこまでも昭和で、暴力的なワンマン社長みたいな思考回路です)
「強がるなよ。お前がカバンに持ってるその『書類』とやらを置いていけば、痛い目は見せずに帰してやる。命と紙切れ、どっちが大事かくらい、頭のいいお役人サマならわかるだろ?」
ゴロツキの一人が、下卑た笑いを浮かべてナイフをちらつかせた。
(さて。どうしましょうか)
桜はカバンを胸に抱き寄せながら、脳内で『善行通販』のインターフェースを開いた。
現在の徳ポイントなら、地球の防犯グッズ――『業務用・超高電圧スタンガン』や『催涙ペッパースプレー』を即座に召喚できる。ただ、素人の自分が彼ら全員を無力化できるかは未知数だ。
「大人しくしろッ!」
ゴロツキの一人が痺れを切らし、桜の腕を掴もうと飛びかかってきた。
桜がスタンガンの【購入】ボタンを押そうとした、まさにその瞬間。
「――私の直属の補佐官に、指一本でも触れてみろ。貴様らの首から下を『不良在庫』としてゴミ捨て場に廃棄するぞ」
夜の冷気をさらに凍らせるような、絶対零度の声が路地に響き渡った。
ドスッ! という鈍い音響と共に、桜に飛びかかろうとしたゴロツキの体が、見えない壁に弾かれたように後方へと吹き飛び、石壁に激突して白目を剥いた。
「な、何だ!? 誰だテメェ!」
残された二人のゴロツキが慌てて身構える。
月明かりに照らされた路地の入り口に、一人の男が立っていた。
仕立ての良い黒の高級背広。知的な銀縁眼鏡。そして、その頭頂部にそびえる銀色の獣耳。
ルナミス帝国軍・特務大佐、ギルバート・ヴォルフ。
「大佐……! どうしてここに?」
「あなたがいかに有能な事務官であろうと、夜間における単独の行動はリスクが高すぎる。……私が勝手に、護衛(残業)をさせてもらっただけだ」
ギルバートは桜を一瞥して「怪我はないな?」と目で確認すると、ゆっくりとゴロツキたちへ向き直った。
その全身から立ち上る、獣人族最強と謳われる『人狼』の爆発的な闘気。しかし、彼の出立ちはあくまで理知的な軍人のそれである。
「チッ、なんだコイツ! 役人の分際で気取ってんじゃねえ! 殺せ!」
ヤケになったゴロツキの一人が、魔導弾を装填した短銃を引き抜き、ギルバートに向けて発砲した。
パンッ! という破裂音。
しかし、ギルバートは回避すらしない。弾丸は彼の着用している背広の胸元に直撃したが、カンッ! という硬質な音を立てて弾き落とされた。
「タローマンの特注スーツは防弾性に優れているが、そこに闘気を流し込めば、オリハルコンの盾すら凌駕する」
『背広闘気・カノン・ガード』。
一切のシワすらつかないその完璧な着こなしに、ゴロツキたちは絶望の表情を浮かべた。
「化け物かよ……ッ!」
「化け物ではない。兵站を守る、ただの軍人だ」
ギルバートはそう静かに告げると、首元に手をやり、きっちりと締められていたネクタイの結び目を――スッと、色気を孕んだ仕草で緩めた。
スルスルと首から引き抜かれた上質なシルクのネクタイ。
ギルバートがそこに闘気を流し込んだ瞬間、ネクタイは紫電のような光を帯び、硬度と鋭さを併せ持つ『光の剣』へと変貌を遂げた。
「な、なんだその武器は……!」
「『ネクタイ』だ。社会の歯車たる大人の嗜みであり、同時に、愚者を断罪するための刃でもある」
ギルバートが地を蹴った。
音も、風の揺らぎすら置き去りにする、人狼族の超絶的な歩法。
『ネクタイ闘気・タイ・オブ・ジャッジメント(断罪のネクタイ剣)』。
「ヒッ――!」
ゴロツキが短剣を振り回すよりも早く、閃光が路地裏を縦横無尽に駆け抜けた。
シャキィィィン!!
「があああッ!?」
「うぶッ……!」
血は一滴も流れない。
しかし、ゴロツキたちの持っていた武器はすべて綺麗に両断され、闘気の衝撃波を直接脳天に叩き込まれた彼らは、白目を剥いて次々と石畳に崩れ落ちた。
戦闘開始から、わずか3秒。
桜の持つ書類には、埃ひとつ、血の一滴すら飛んでいない。完璧で、清潔で、スタイリッシュな制圧劇だった。
「……業務終了だ。憲兵隊を呼んでおけ」
ギルバートは闘気を解き、再びネクタイを首に巻き直して、キュッと結び目を締めた。
乱れた息ひとつついていない彼が、ゆっくりと桜の方へ振り返る。
「……大佐。その、ありがとうございます。助かりました」
「気にするな。あなたは我が部隊の兵站を握る、文字通りの『命綱』だ。損失を未然に防ぐのは、前線指揮官として当然の務めだ」
言葉こそ事務的で冷徹だが、彼の金色の瞳には、桜を案じる深い熱が宿っていた。
桜は、彼のその言葉にどれほど自分が守られているかを実感し、張り詰めていた緊張がフッと解けるのを感じた。
「ですが、本当に強かったですね。まさかネクタイが剣になるなんて、思ってもみませんでした」
「……武器に頼るような闘い方は、私の信条ではないのでね」
桜が心からの称賛を向けると、ギルバートは居心地が悪そうに眼鏡を押し上げた。
そして、暗がりでもはっきりとわかるほど、彼の人狼の耳が「ピコッ、ピコッ」と照れくさそうに揺れている。
(……ふふっ。こんなに強いのに、耳は相変わらず正直なんですね)
「大佐が盾になってくれるなら、明日の監査会議、どんな敵が来ても勝てる気がします」
「当然だ。私の最高の補佐官に、指一本触れさせる気はない。……さあ、寮まで送ろう」
ギルバートが優しくエスコートしようと手を差し出した、その時。
「あ……」
桜が自分のカバンを持ち直そうとした瞬間、先ほどゴロツキの襲撃を避けようと壁に手をついた際、石垣で指先を少しだけ擦りむいていたことに気がついた。
チクッとした痛みに、桜が小さく顔をしかめる。
それを見逃すギルバートではなかった。
「……天木殿。その指は」
彼の表情からスッと「軍人」の顔が消え、今にも泣きそうな子供を見つけたかのような、切実で焦燥に満ちた色が浮かび上がる。
路地裏の静寂の中で、最強の人狼による『業務外の手当て』が始まろうとしていた。
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