EP 6
ポポロ村の休日と、ヤンデレ兎と人狼の『絶対に彼女を泣かせない』密約
決戦となる全体監査会議を翌日に控えた、週末の朝。
完璧な弾劾資料を組み上げた天木桜は、久々の有給休暇(という名の絶対休養日)を取得し、ルナミス帝国の辺境――獣人王国と魔皇国の国境に接する緩衝地帯『ポポロ村』を訪れていた。
「ああっ! 待てコラ! 今日の夕飯のシチューに入れたるから大人しく抜かれろ!」
「ギャアアアアア!!(意訳:嫌だ食べられたくない!)」
村の入り口をくぐった途端、農家のおばちゃんと二本足で爆走する『人参マンドラ』の命がけの追いかけっこが視界を横切っていく。
その足元の畑では、収穫間近の『ネタキャベツ』たちが「ねぇねぇ、昨日のルナキン(ファミレス)で、ボルドー局長がキャバ嬢にフラれて泣いてたらしいよ」「ウケる〜」とゲスな三面記事ゴシップを喋り合っていた。
「……相変わらず、ツッコミどころしかない狂気と混沌の村ですね」
桜が呆れ半分、癒やし半分で微笑んだ、その時だった。
「桜ちゃーーーーん!!」
ドゴォン! と、地面が爆発したかのような踏み込み音が響いた。
直後、100mを5秒台で駆け抜ける凄まじいトップスピードで、一人の美少女が桜の胸に飛び込んできた。
「わっ!? キャ、キャルルちゃん!」
桜を抱きしめて頬ずりしているのは、頭にピンと立った兎の耳を持つ、誰もが振り返るほどの美少女だ。
彼女の名前はキャルル・ムーンハート。
元レオンハート獣人王国の第三姫君にして、現在はひょんなことからこのポポロ村の村長を務める、桜のシェアハウス時代からの親友である。
動きやすいパーカーにショートパンツというラフな現代風ファッションの彼女だが、その足元には、つま先に鋼板と雷竜石が仕込まれたタローマン製の『特注魔導安全靴』が鈍く光っている。
「もう、急に来るんだから! 連絡してくれれば、村の入り口で『乱れ流星脚(連続飛び蹴り)』の演武でお出迎えしたのに!」
「それをやられると村の防衛障壁がへこむからやめてください。今日は少し、英気を養いに来ただけですから」
桜は苦笑しながら、キャルルのフワフワの兎耳を撫でた。
◇◇◇
村の広場にあるオープンカフェに席を取り、キャルルは村の特産である『陽薬草』を煎じた温かいハーブティーを桜に振る舞った。
「……なるほど。無能な上司が、桜ちゃんに横領の罪を着せようとしてるんですね」
桜からこれまでの経緯と明日の監査会議の計画を聞いたキャルルの目が、スッと細められた。
愛らしい星の王子様のような笑顔の裏に潜む、冷徹な戦闘者の顔。キャルルは席を立ち、桜の隣に座ると、桜の胸元にスッと自分の耳を押し当てた。
「キャルルちゃん?」
「……心音は嘘をつきません。トクトク、って、綺麗で冷静な音ですけど、ちょっとだけ疲労のノイズが混じってます。夜遅くまで残業して、一人で頑張った証拠ですね」
キャルルのウサギの耳が、ぴくりと不穏な角度に曲がる。
「許せません。桜ちゃんの定時退勤を脅かす害虫は、私が駆除します。今からルナミス帝国の財務総局にカチコミかけて、ボルドーとかいう太ったオッサンの顎に『月影流・顎砕き』を叩き込んで、物理的に喋れなくしてきましょうか? 今夜は月も出てますし、ついでに病院の患者も全員完治させて――」
「ストップ、ストップ。ヤンデレモードに入らないで」
桜はパーカーのポケットから、善行通販で取り寄せた地球の『特製イチゴキャンディ』を取り出し、キャルルの口にポンと放り込んだ。
「んむっ……あまーい♡」
「甘いもの食べて落ち着いてください。暴力で解決したら、私の事務官としてのキャリアに傷がつきます。明日の会議で、完璧なロジック(証拠)で社会的に抹殺しますから」
「……むぅ。桜ちゃんがそう言うなら、我慢しますけど」
飴玉を転がしながら、キャルルは不満げに頬を膨らませた。
「じゃあ私、ちょっとタローマートで明日の朝食用のパンを買ってきますね。ここで待っててください」
桜が席を立ち、広場の向こうへと歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなった瞬間――キャルルの口から飴玉の甘い響きが消え、絶対零度の冷気が漂った。
「――さて。桜ちゃんがいなくなったことだし」
キャルルは安全靴の踵を鳴らし、カフェの裏手にある薄暗い路地裏へと歩を進める。
「……いつまでコソコソ隠れてるつもりですか? 心音でバレバレですよ。帝国の『ワンちゃん』」
路地裏の静寂を切り裂くようなキャルルの声。
すると、木箱の陰から、音もなく一人の男が姿を現した。
仕立ての良い黒の高級背広。銀縁眼鏡。そして、頭頂部にそびえる銀色の獣耳。
ルナミス帝国軍・特務大佐、ギルバート・ヴォルフであった。彼は桜が心配で(そして休日の彼女の姿が見たくて)、気配を完全に絶ってポポロ村まで護衛に来ていたのだ。
「……気づかれていたか。さすがは月兎族、いや、元レオンハート王国の第三姫君と言うべきか」
「今はただのポポロ村の村長です。で? 帝国軍最強の特務大佐様が、休日に何の用ですか。桜ちゃんに手を出そうっていうなら、たとえ同盟国の軍人でも容赦しませんよ」
キャルルは低い姿勢を取り、足元の特注安全靴に微かな『闘気』を這わせた。
だが、ギルバートは一切の警戒を解いたまま、静かに答えた。
「誤解するな。彼女は我が部隊の兵站を維持する『命綱』だ。私は、帝国の貴重な軍事資産を不測の事態から護衛しているに過ぎない」
「ふーん。……『軍事資産』、ねぇ」
キャルルはトンッ、と地面を蹴り、一瞬にしてギルバートの胸元――パーソナルスペースの内側へと潜り込んだ。
特務大佐の反射神経すら凌駕する速度。そして、キャルルはギルバートの胸に、自らの兎耳をピタリと押し当てた。
ドックン! ドックン! ドックン!!
「…………」
「…………」
数秒の沈黙の後、キャルルはニヤリと、小悪魔のような(あるいは夜叉のような)笑みを浮かべてギルバートを見上げた。
「心音は嘘をつきませんよ、大佐。……なるほどぉ。桜ちゃんのこととなると、そんなに激しく脈打つんですねぇ? 耳も真っ赤ですし」
「なっ……! こ、これは、人狼族の基礎代謝の高さゆえの心拍だ! 他意はない!」
珍しく狼狽し、眼鏡のブリッジを押し上げて必死に表情を取り繕うギルバート。
しかし、彼の背中では隠しきれない銀色の尻尾が「バッサバッサ」と暴風のように揺れ動いている。
キャルルはふっと真顔に戻り、鋭い視線でギルバートを射抜いた。
「大佐。桜ちゃんは、この世界でたった一人で、理不尽と戦ってきました。彼女のあの強さと笑顔の裏には、誰にも言えない孤独があるんです」
「…………」
「もし……もしあなたが、あの子の心を弄んだり、泣かせるような真似をしたら」
バチィッ!!
キャルルの足元の安全靴から、紫電の雷光が弾けた。内蔵された雷竜石が、彼女の闘気と呼応して臨界点に達しようとしている。
「私の『超電光流星脚(マッハ1・1億ボルトの飛び蹴り)』で、あなたを消し炭にしますからね。……約束できますか?」
それは、ただの脅しではない。
帝国最強の人狼を相手に、本気で命を奪う覚悟を決めた親友としての「殺気」だった。
その圧倒的なプレッシャーを正面から浴びながら。
ギルバートは一切の闘気を出さず、ただ静かに、そして力強く頷いた。
「……望むところだ」
彼の金色の瞳に、一切の迷いはなかった。
「彼女の知性と誇りを、私は誰よりも尊敬している。彼女が定時で帰り、穏やかな休日を過ごせるようにするためなら、私はこの命を盾にする覚悟だ」
「…………」
「あなたがその蹴りを放つ日は、永遠に来ない。……私が、絶対に彼女を泣かせないからだ」
路地裏に、静かな風が吹き抜けた。
互いの譲れない「彼女を大切に想う心」がぶつかり合い、そして、静かに同調する。
キャルルは足元の紫電をスッと収めると、パァッと星の王子様のような満面の笑みを浮かべた。
「……合格です! ふふっ、桜ちゃんは良いパートナーを見つけましたね」
「パートナーなどと、そんな……私はただの補佐官で……」
「あーあ、耳がまたピコピコ動いてますよ? 人狼族って本当に素直なんですね」
からかうキャルルに、ギルバートが居心地悪そうにそっぽを向いた、その時。
「キャルルちゃーん! お待たせ! 菓子パン買ってきたよー!」
広場の方から、何も知らない桜の明るい声が響いた。
二人は瞬時に「何事もなかった顔」を作り、路地裏から広場へと戻っていく。
「あれ? ギルバート大佐? どうしてポポロ村に?」
「ご、偶然だ。私はポポロシガーの正規流通ルートの視察に来ていて……」
しどろもどろになるギルバートの横で、キャルルが桜の腕にギュッと抱き着いた。
「ふふっ。大佐ったら、桜ちゃんがいなくて寂しくて追いかけてきたんですよ! ねーっ?」
「き、貴様ッ! 余計なことを言うな!」
顔を真っ赤にして怒るギルバートと、けらけらと笑うキャルル。
二人の最強の理解者に囲まれながら、桜は不思議そうに小首を傾げ、しかしとても心地よい安心感に包まれていた。
(なんだか、すごく平和ですね。……よし、しっかり休めました)
桜は空を見上げる。
明日はついに、ブラック上司との決戦の火蓋が切って落とされる。
だが今の彼女には、一切の不安はなかった。背中を預けられる最強の相棒と、最高に心強い親友が、自分を支えてくれているのだから。
読んでいただきありがとうございます。
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