EP 4
極上物資で前線の士気は最高潮へ。そして冷徹な人狼大佐の耳は嘘をつけない
「――報告します! 北部国境に配備された我が人狼部隊、作戦予定時刻を大幅に前倒しして目標ポイントを制圧! 負傷者ゼロ、部隊の士気は測定不能なまでに爆発しておりますッ!」
ルナミス帝国軍・兵站総監部の一角。
通信兵からの上ずった報告を聞きながら、ギルバート・ヴォルフ特務大佐は手元の報告書に静かに目を通していた。
(……当然だろうな。あんな規格外の物資を送り込まれれば、獣の血が騒がないわけがない)
報告書によれば、前線に届いたのは帝国軍支給の劣悪なレーション(通称:ゲロオムレツ)ではなく、桜のチップで燻された極厚のベーコンと、最高級A5ランク相当の赤身肉。そして、獣人族の鋭い嗅覚を極限まで心地よく刺激する、深煎りの特選コーヒー豆だった。
『大佐! この肉、噛めば噛むほど肉汁が溢れてきます!』
『朝のコーヒーで頭が冴え渡り、敵の伏兵の匂いが完全に可視化されました! 我ら人狼部隊、これより魔族の拠点を蹂躙して参ります! ヒャッハー!』
通信の向こうで感極まって号泣しながら突撃していく部下たちの声を思い出し、ギルバートは銀縁眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
予算ゼロという絶対的な制約の中で、あの人間の事務官は「ただ物資を揃えた」だけではない。人狼族という種族の特性――『肉の焼ける匂いと良質なカフェインが最も士気を向上させる』という生態を完璧に理解し、それに最適化された最高品質の品を用意したのだ。
「……恐れ入った。あれは魔法などというチャチなものではない。極まった『兵站の芸術』だ」
冷徹な合理主義者であるギルバートの胸の奥で、天木桜という一人の女性に対する評価が、すでに天井を突き破っていた。
◇◇◇
その日の昼休み。
財務総局のオフィスで、桜は自分の魔導端末に向かってキーボードを叩いていた。
前線への補給タスクが完了したとはいえ、ブラック部署の残務は山積みである。定時退勤を死守するためには、昼休みのフライング作業も辞さない構えだ。
「天木殿」
不意に頭上から、低く響くバリトンボイスが降ってきた。
顔を上げると、完璧な黒の高級背広を着こなしたギルバートが、彫刻のように美しい顔立ちに真剣な色を浮かべて立っていた。彼から発せられる強者のオーラに、周囲の職員たちは息を潜めて遠巻きにしている。
「お疲れ様です、大佐。追加の物資要請でしょうか?」
「いや。前線に届いた物資の確認と、その……」
ギルバートは僅かに言い淀むと、姿勢を正し、オフィス中に響くような通る声で告げた。
「我が部隊の窮地を救っていただいた対価として、貴官に『食事』を提供したい。ルナキンへ同行を願えるだろうか」
(……えっ? 大佐からの、ランチのお誘い?)
桜は目を瞬かせた。
帝国最強と謳われる特務大佐が、一介の事務官をわざわざ昼食に誘うなど、異例中の異例である。遠くの局長室のガラス越しに、ボルドー局長が信じられないものを見るような顔でこちらを覗き込んでいるのが見えた。
「……お気遣いありがとうございます。ですが、まだ午後の資料作成が残っておりまして」
「天木殿。カロリーの枯渇は、事務処理速度の致命的な遅延を招きます」
ギルバートは一歩踏み出し、桜の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あなたには、常に最高のパフォーマンスを発揮していただかねば困る。……どうか、私に恩を返させてはくれないか」
その真摯な瞳と、微かに揺れる銀色の尻尾に、桜はふっと肩の力を抜いた。
「……わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
◇◇◇
ルナミス帝国が誇る24時間営業ファミレス『ルナミスキング』、通称ルナキン。
昼時の喧騒に包まれる店内の一角で、異彩を放つテーブルがあった。
軍服(背広)を隙なく着込んだギルバートと、清楚なオフィスカジュアルの桜。
ギルバートの目の前には、ルナキン名物『ロックバイソンの極厚ステーキ(400g)』が湯気を立てており、桜の前には『たっぷり野菜のランチCセット』と『食後の特大イチゴパフェ』が並んでいる。
「天木殿」
ステーキに手をつける前に、ギルバートはスッと姿勢を正し、桜に向かって深く、本当に深く頭を下げた。
「私は最初、あなたを侮っていた。予算ゼロという無茶振りを前に、どうせ泣き寝入りするか、不正に手を染めるのだろうと。……己の高慢さを恥じる。あなたの手配した物資は、私の想像を絶する品質だった」
頭を下げたまま、ギルバートの言葉が紡がれる。
「あの一ヶ月分の食料とオイルが、どれほどの兵士の命を救ったか。最前線で泥をすする私の部下たちに、あれほどの尊厳(食事)を与えてくれたこと……部隊を代表し、心より感謝を申し上げる」
それは、階級も種族の壁も超えた、一人のプロフェッショナルからもう一人のプロフェッショナルへの、最大級の賛辞と敬意だった。
顔を上げた彼の表情は、相変わらず冷徹な軍人のまま、ピクリとも崩れていない。
だが――。
(……あ、あれ?)
桜は、手に持ったフォークを思わず止めた。
ギルバートの顔は彫像のように無表情でクールなのだが、彼の銀髪から飛び出している『人狼の耳』が、ものすごい勢いでピコピコ、パタパタと動いていたのだ。
(えっ、待って。顔はめっちゃ真面目なのに、耳だけ……すっごい喜んでる!?)
獣人族、特に犬や狼の血を引く者は、感情が尻尾や耳にダイレクトに表れると聞いたことがある。
ギルバートは必死に理性を保ち、帝国軍人としての威厳を演じているつもりなのだろう。しかし、有能な桜への深い尊敬、彼女と一緒に食事をしているという事実、そして目の前にある極上のステーキの匂いに、彼の内なる『獣』が歓喜のダンスを踊ってしまっているのだ。
ピコッ。パタパタパタ。ピーン!
桜が彼を見つめていると、視線に気づいたのか、ギルバートが「……顔に何かついているだろうか?」といぶかしげに首を傾げた。その動きに合わせて、また耳がピコッと揺れる。
(か、可愛い……ッ!)
前世を含め、数々の厳しいビジネスマンを相手にしてきた桜だが、こんな「冷徹スパダリ無表情」と「犬のような素直さ」のギャップ攻撃を受けたことはない。
桜は必死に笑いを噛み殺し、イチゴパフェのグラスの陰で口元を隠した。
「いえ、何でもありません。……部隊の皆さんが喜んでくださったのなら、事務官冥利に尽きます。大佐たちが無事に帰還できるよう、後方支援は私に任せてください」
桜が満面の営業スマイルではなく、心の底から嬉しそうな、等身大の25歳の女性としての笑顔を向けた瞬間。
「ッ……!」
今度はギルバートの動きがピタリと止まった。
彼の人狼の鋭い視覚に、パフェのイチゴよりも鮮やかに微笑む桜の顔が焼き付く。ドクン、と彼自身の心臓が、今まで経験したことのない不規則な音を立てた。
「……大佐?」
「……いや。ステーキが冷める前に、いただこう」
ギルバートは慌てたように眼鏡を押し上げ、ナイフとフォークを手にした。
その銀髪の奥の耳が、先ほどの歓喜とは違う、照れ隠しのような赤みを帯びてペタンと伏せられたのを、桜は見逃さなかった。
(やっぱり、耳は正直なんですね)
「ふふっ。はい、いただきましょう」
冷たいだけのビジネスライクな関係から、確かな敬意と、ほんの少しの甘い感情が芽生え始めたランチタイム。
桜はパフェの生クリームをすくいながら、この「耳の正直な上官」のことが、少しだけお気に入りになり始めている自分に気づいていた。
読んでいただきありがとうございます。
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