EP 3
予算ゼロの魔法。チートスキル『善行通販』で極上物資をお取り寄せいたします
冷たくて甘い高級イチゴパフェで、限界に達していた脳への糖分補給は完了した。
ギルバート特務大佐の、不器用だが確かな気遣いに背中を押され、桜は午後の業務へと取り掛かる。
「さて、予算ゼロでの前線部隊への物資補給、ですね」
桜は誰の目もない第4地下倉庫へと足を運び、小さく息を吐いた。
ルナミス帝国軍の通常補給ルートを使えば、予算ゼロでは当然ながら木箱ひとつ送ることはできない。ボルドー局長は桜が泣きついてくるのを待っているのだろうが、そんな三流のパワハラに屈する桜ではない。
彼女は目を閉じ、自身のユニークスキルに意識を集中させた。
「起動、【善行通販型ネット通販】」
桜の視界にだけ、青白く発光する半透明のインターフェースが浮かび上がる。
それは、地球で桜が愛用していた大手ネット通販サイトに酷似した画面だった。検索窓、カートのアイコン、そして画面の右上には、現在の残高を示す数字が輝いている。
【現在の徳ポイント(善値): 85,200 pt】
この世界に転生して得たこのチートスキルは、お金(硬貨)ではなく、自身の行った「善い行い」によって蓄積されるポイントを通貨として、地球のありとあらゆる物品を取り寄せることができる神のシステムだ。
桜は今日の午前中の行動を振り返る。
(朝、迷子になっていた獣人族の子供を案内して500pt。共有魔導給湯器のフィルターを重曹で徹底洗浄して1,200pt。隣の部署の若手が泣きそうになっていた紙詰まりと関数エラーの修正で3,000pt……ふふっ、塵も積もればなんとやら、ですね)
前世のブラック企業で培った「誰かがやらないといけない名もなき仕事」を率先してこなす癖が、この世界では最強の錬金術となっているのだ。
桜は空中に浮かぶ検索窓に、素早くキーワードを入力していく。
「ギルバート大佐の率いる『人狼部隊』は、ルナミス帝国軍の中でも最強の突破力を誇る反面、消耗も激しいと聞きます。何より、彼らは嗅覚と味覚が人間の数万倍も鋭敏……」
桜は、帝国軍が誇る(そして最悪の不評を買っている)第3型戦闘糧食――通称『ゲロオムレツ』を思い出し、身震いした。
スライムの凝固剤とロックバイソンの骨粉を固めた、消しゴムのような食感と腐った靴下の匂いがする悪魔のレーション。あんなものを鼻の利く獣人兵に食わせれば、栄養補給どころかストレスで闘気が霧散してしまうだろう。
「前線で命を懸けている営業(兵士)たちには、最高の福利厚生(食事)を提供する。これが事務職の矜持です」
桜の指が空中で踊る。
・『業務用 極厚切りベーコン(桜チップ燻製) 50kg』――カートへ。
・『特選牛ブロック肉(赤身・A5ランク相当) 100kg』――カートへ。
・『専門店焙煎 コーヒー豆(深煎り・エスプレッソ用) 20kg』――カートへ。
・『タローマン互換・魔導ライフル用 最高級メンテナンスオイル 100本』――カートへ。
合計金額、84,000ポイント。
桜の財布(徳ポイント)は一気にスッカラカンになったが、痛くも痒くもない。無能な上司の尻拭いで理不尽な死を遂げる兵士が減るのなら、これほど安い買い物はない。
「配送オプション……『天界お急ぎ便(即時召喚)』を選択、と。ポチッ」
決済ボタンを押した瞬間。
何もない地下倉庫の空間がぐにゃりと歪み、黄金色の魔法陣が展開された。
そこから、天使の羽のロゴが印字された頑丈なダンボール箱が、次々と音もなくパレットの上に積み上げられていく。
「ふぅ。これで発注完了、ですね。検品作業に入ります」
桜がダンボールの封を切り、中身と納品書を照らし合わせ始めたその時だった。
(……馬鹿な。空間転移魔法……いや、術式の気配すらなかったぞ!?)
倉庫の天井付近、太い鉄骨の陰からその一部始終を息を殺して見下ろしている男がいた。
ギルバート・ヴォルフである。
彼は「予算ゼロで手配する」と豪語した桜が、軍の横領ルートや危険な闇魔法に手を染めるのではないかと危惧し、人狼族の隠密歩法で完全に気配を絶って尾行していたのだ。
だが、目の前で起きた現象は彼の理解を完全に超えていた。
(呪文の詠唱も、対価となる魔晶石の消費もない。あれだけの質量の物資を、いったいどこから……ッ!?)
驚愕するギルバートの超絶な嗅覚が、ダンボールから漏れ出す匂いを捉えた。
(こ、この香りは……!? まさか、最高級の燻製肉!? それにこの深く芳醇な香りは、ポポロ村の特級品すら凌駕するコーヒー豆だと!?)
軍の粗悪な保存食に慣れきっていたギルバートの口内に、無意識のうちに唾液が溢れる。獣としての本能が「それは極上の食料だ」と激しく訴えかけていた。彼は慌てて口元を押さえ、自身の緩んだ表情を引き締める。
だが、ギルバートの驚きはそこで終わらなかった。
神の如き奇跡の力で物資を召喚した桜が、最後に一番小さなダンボール箱を開けたのだ。
(さて、人間という生き物は強大な力を得れば必ず己の欲を満たすもの。あれだけの力を持つ女だ。密かに宝石か、国を買えるほどの黄金でも召喚したか……?)
ギルバートが目を細め、彼女の「罪(欲)」を見極めようとした瞬間。
「やったぁ! 届いてる届いてる!」
薄暗い倉庫の中で、桜がこれまで見せたことのないような、花が咲くような無邪気な笑顔を見せた。
彼女が宝物のように箱から取り出したのは――。
「これでやっと、あの滲んで手が汚れる羊皮紙用インクから解放されます! 『消せるボールペン(3色)』1ダース! それから『姿勢矯正用オフィスチェアクッション』! もうデスクワークで腰痛に悩まされなくて済むわ!」
桜はボールペンとクッションを胸に抱きしめ、本当に幸せそうに頬ずりをしている。
(…………は?)
鉄骨の上のギルバートは、あまりの予想外な光景にバランスを崩しそうになった。
(奇跡の魔法を行使して、横領したのが……『文房具』と『尻に敷くクッション』だと……!?)
彼女は、自分を飾る宝石にも、権力にも一切の興味がないのだ。
己の持つ神がかった能力のすべてを「前線への完璧な補給」と「己のデスクワークの効率化(=定時退勤)」のためだけに使い切っているのである。
「よし、検品完了。あとは明日の朝イチで運送ギルドに引き渡すだけですね」
桜は満足げにうなずき、腕時計に目を落とした。時刻は16時55分。
「完璧なスケジューリングです。今日も定時で帰れますね」
弾むような足取りで、彼女は倉庫を後にした。
静まり返った倉庫に、ギルバートが音もなく飛び降りる。
彼はパレットに積まれた最高級の肉とコーヒーの箱に触れ、そして、彼女が立ち去った扉の方をじっと見つめた。
「……天木、桜」
その口から、自然と彼女の名が漏れた。
冷徹で他人に興味のなかった彼の胸の奥で、決して職務上の評価だけでは片付けられない、熱く激しい感情が渦を巻き始めていた。
「どうやら私は……とんでもない女(天才)を、補佐官にしてしまったらしい」
銀縁眼鏡の奥で、金色の瞳が柔らかく細められる。
無意識のうちに、彼の人狼の尻尾が、パタパタと小気味良いリズムで床を叩いていた。
読んでいただきありがとうございます。
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