EP 2
予算ゼロの無茶振り任務と、冷徹な人狼大佐からの甘い差し入れ
翌朝、8時55分。
ルナミス帝国・国家財務総局のオフィスに、天木桜は今日もタローマン製の防弾ヒールを鳴らして出社した。
自分のデスクをウェットティッシュで拭き、魔導端末の電源を入れた直後、フロアの奥からドスドスと床を踏み鳴らす足音が近づいてきた。
「天木ィ! 昨日はずいぶんと威勢が良かったな!」
ボルドー局長である。昨日の夕方、桜の魔導Excelの前に大恥をかかされた彼は、一晩中どうやってこの生意気な部下を潰すか考えていたのだろう。目の下にはくっきりとクマがあり、血走った目で桜を睨みつけていた。
「おはようございます、局長。昨日の配備リストに何か不備がございましたか?」
「リストは……ッ、リストは完璧だった! だがな、状況が変わったのだ!」
ボルドーはバンッ! と桜のデスクに一枚の羊皮紙を叩きつけた。
「最前線で魔族の残党と小競り合いを続けている『人狼部隊』から、追加の物資要請が来た。食料、回復薬、武器のメンテナンスキット……ざっと金貨500枚分だ」
「なるほど。早急な手配が必要ですね。すぐにゴルド商会に卸売の打診をかけます」
「待て待て、話は最後まで聞け。あいにくだが、今期の我が局の予算はすでに底をついている。上層部からの追加予算も下りなかった」
ボルドーの顔に、底意地の悪い笑みが浮かんだ。
「つまり、この追加要請に割ける予算は『ゼロ』だ! だが、最前線を見捨てるわけにはいかんからな。魔法の計算が得意な貴様なら、予算ゼロでもなんとかして物資を捻出できるだろう? 明日の朝までに用意しろ!」
フロアが再び静まり返る。
予算ゼロで物資を調達しろなどと、ただの嫌がらせを通り越して不可能な命令だ。物理法則すら無視している。
(はぁ……。どこの世界にもいるんですね。「予算はないけど、君の創意工夫でなんとかしてよ」って言い出すヤバいクライアントみたいな上司)
桜が内心で深いため息をついた、その時だった。
「――ほう。我が部隊の兵士たちに、雪でも食って飢えを凌げと、そういう指示ですか? 局長殿」
オフィス内の空気が、急激に凍りついた。
声の主は、いつの間にかフロアの入り口に立っていた。
仕立ての完璧な黒の高級背広(タローマン特注・防弾仕様)。鋭い知性を思わせる銀縁の眼鏡。そして、その奥から射抜くような冷徹な視線を放つ、息を呑むような銀髪の美丈夫。
背広に隠されてはいるが、彼がルナミス帝国でも最強の戦闘力を誇る獣人族・人狼族であることは、頭頂部で微かに揺れる銀色の獣耳が証明していた。
ルナミス帝国軍・兵站総監部 特務大佐、ギルバート・ヴォルフ。
「ギ、ギルバート大佐……ッ! なぜ貴官が直々にこんな所へ……!」
「前線からの追加要請に対する回答が遅いのでね。直接、無能な役人の顔を拝みに来たのですよ」
ギルバートが一歩足を踏み出すごとに、彼から漏れ出る爆発的な闘気がフロアを圧迫する。ボルドー局長はカエルを飲み込んだような顔になり、後ずさった。
「局長。兵站とは軍の命綱だ。予算がないから物資は送れない? その一言で、前線で命を張る私の部下たちに死ねと言うなら……今ここで、あなたのその脂肪の詰まった首を刎ねますが」
「ひぃッ!? ま、待て! 私の責任じゃない! 担当はこの女だ! 天木に文句を言え!」
ボルドーはなんと、自分にヘイトが向いた瞬間に、すべての責任を桜に押し付けて逃げようとした。
(うわぁ……テンプレみたいなクソ上司ムーブ。これ、あとで絶対労基……じゃなくて内務省にチクろう)
桜は冷静に手帳にメモを取りながら、立ち上がった。
そして、恐ろしい闘気を放つギルバートの前に進み出ると、完璧な角度で一礼した。
「初めまして、ギルバート大佐。本件の担当事務官、天木桜と申します。前線での激務、本当にお疲れ様です」
ギルバートの鋭い金色の瞳が、桜を上から下まで値踏みするように見下ろした。
「……人間の娘か。ボルドーの言葉が真実なら、君は予算ゼロで我が部隊の物資を調達できるらしいな。くだらない冗談だ。魔法でもない限り、無から有は生み出せない」
「ええ、その通りです。無から有は生み出せません」
桜は真っ向から彼の視線を受け止め、凛とした声で答えた。
「ですが、私は『事務のプロ』です。予算がないなら、ないなりの調達ルートを確保いたします。明日の朝までに、ご指定の物資をすべて、必ずご用意いたしますので、どうかご安心ください」
ギルバートは、僅かに目を見開いた。
人狼族である自分の闘気を真っ向から浴びて、瞬き一つせず、怯えもせず、ただひたすらに「プロフェッショナル」としての確約を口にする人間の女。
その淀みのない心音を聞き取った彼は、彼女が一切の嘘やハッタリを言っていないことを悟った。
「……よかろう。そこまで言うなら、明日の朝を待とう。ただし、もし私を失望させれば、ただでは済まさない」
「はい。ご期待に沿えるよう尽力いたします」
踵を返し、オフィスを出ていくギルバート。その後ろ姿を見送りながら、桜は頭の中で高速で計算を始めていた。
(予算ゼロで金貨500枚分の物資……。まともに買えば絶対に無理だけど、私にはアレがある。問題は、決済用の『徳ポイント』が足りるかどうかですね)
――お昼休み。
オフィスの職員たちがこぞって食堂へ向かう中、桜は一人、デスクに残っていた。
彼女が持っているユニークスキル【善行通販型ネット通販】。
地球のあらゆる通販サイトのUIを脳内に展開し、物品を取り寄せるチートスキルだが、これを使うにはお金ではなく「善い行い」によって貯まる『徳ポイント』が必要不可欠だ。
(ええと、床に落ちていたゴミを拾って5ポイント。共有の魔導給湯器のフィルターを清掃して20ポイント。隣の部署の紙詰まりを直して……まだ足りない。もっと徳を積まないと、高品質な食肉が買えないわ)
昼食も食べずに、オフィス中の雑務や誰もやりたがらない清掃を黙々とこなし、ポイントをかき集める桜。
そんな彼女の姿を、オフィスの影から静かに見つめる鋭い瞳があった。
ギルバートである。
(あの女……天木と言ったか。自分の手柄でもない仕事のために、なぜあそこまで……。昼食すら摂らずに他人の仕事の尻拭いをしている。あれも調達のための行動だというのか?)
冷徹な合理主義者である彼にとって、桜の行動は理解不能だった。だが、彼女のその姿が、なぜか彼の獣としての本能を強く惹きつけた。
午後13時。
ポイント稼ぎ(雑務)を終えてデスクに戻ってきた桜は、小さく「ぐぅ」と鳴った自分のお腹を押さえて苦笑した。
「さすがにお腹空きましたね……。でも、あと少しポイントが……」
呟きながらデスクに座ろうとした桜は、自分の机の上に「ある物」が置かれているのに気づいて目を丸くした。
それは、結露した美しいガラスの器に盛られた、色鮮やかな『高級イチゴパフェ』だった。ルナミス帝国でも大人気のファミレス、ルナキンの看板メニューである。しかも、溶けないように微弱な氷魔法のコーティングまで施されている。
「えっ? これ、どうして……」
「……勘違いするな」
背後から、低く響く声が降ってきた。
振り返ると、銀縁眼鏡を指で押し上げながら、少しだけ気まずそうに視線を逸らしているギルバートが立っていた。
「君が食堂に行かず、デスクで無駄に動き回っているのを見た。脳のエネルギーが不足すれば、事務処理速度に重大な遅延が生じる。我が部隊への物資調達が遅れては困るからな」
「大佐が、わざわざ買ってきてくださったんですか?」
「ルナキンの前を偶然通りかかっただけだ。……円滑な業務のための、ただのカロリー補給だ。さっさと食べろ」
冷たい言葉とは裏腹に、彼の視線はどこか落ち着きがなく、何より――彼の銀髪の隙間から覗く人狼の耳が、パタパタ、ピコピコと、隠しきれない期待と照れ隠しで激しく動いていた。
(……え、なにこの人。言葉と耳の動きが完全に矛盾してるんですけど。……可愛い)
普段の冷徹な態度との凄まじいギャップに、桜は思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「ふふっ。ありがとうございます、ギルバート大佐。このカロリー、ありがたく業務の燃料にさせていただきますね」
桜が満面の笑みでパフェのイチゴを口に運ぶと、ギルバートは「……うむ」とだけ短く返し、耳まで少し赤くして足早に去っていった。
(さて、大佐からご馳走にもなっちゃいましたし。最前線で戦う彼らのためにも、最高品質の物資を『お取り寄せ』してあげますか!)
冷たくて甘いイチゴの味に背中を押され、桜はついに【善行通販】のインターフェースを脳内に展開した。
ブラック部署の常識を覆す、常外の調達劇が始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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