EP 3
施しは受けない人魚姫。事務聖女の『善行通販(先行投資)』と、月夜のプロフェッショナル
ポポロ村の夜は早い。
帝国軍の中継基地としての顔を持つこの村だが、日が落ちれば農家たちは床に就き、静寂が村を包み込む。
「ふぅ……。ポポロ村の物流データ、第一段階の最適化は完了ですね」
村長であるキャルルの家の客間。
天木桜は、魔導端末の画面から目を離し、小さく伸びをした。
隣の部屋からは、すっかり仲良くなった(というか保護者とヤンデレ親友という奇妙な絆で結ばれた)ギルバートとキャルルが、明日の警備体制について真面目に話し合っている声が聞こえてくる。
(さて、少し夜風に当たってきましょうか)
桜が席を立ち、縁側から外に出ようとした、その時だった。
「……あ、桜。外に出るのか」
襖が開き、黒の背広姿のギルバートが顔を出した。
彼は桜が薄着であることに気づくと、無言で自分の背広のジャケットを脱ぎ、桜の肩にそっと掛けた。
「夜の辺境は冷える。……私の体温が残っていて不快かもしれないが、風邪を引かれるよりはマシだ。羽織っていきなさい」
「あ……ありがとうございます、ギルバート」
彼の名前を呼ぶと、ギルバートはピクリと銀色の耳を揺らし、「……うむ」とだけ言って少し顔を背けた。
相変わらずの不器用な優しさに胸を温めながら、桜は彼の上着をしっかりと羽織り、村の広場へと続く小道を歩き出した。
男物の、少し大きなジャケット。
そこから漂う微かなポポロ・コーヒーの香りと、彼特有の安心するような高い体温に包まれながら歩いていると――。
「……〜〜♪」
不意に、夜の静寂を縫うように、透き通るような美しい歌声が聞こえてきた。
それは、昼間に聞いた『ハゲたぬきのポンポコ節』や『5円玉ノーズキャノン』の破天荒な少女からは想像もつかないほど、繊細で、それでいて力強い、心に直接響くようなメロディだった。
(この声……リーザちゃん?)
桜は足音を忍ばせ、広場の物陰からそっと覗き込んだ。
月明かりに照らされた広場の中央。
誰もいないその場所で、昼間と同じピンク色の芋ジャージを着た人魚姫・リーザが、目を閉じて真剣な表情で歌い上げていた。
彼女の周囲には、微かな水色の魔力が漂っている。
人魚族の歌声には、聴く者の心を癒やし、時には奇跡すら起こす力があるという。その片鱗が、彼女の真剣な発声練習から漏れ出していた。
「……っ、コホッ、コホッ」
一曲歌い終えたリーザは、小さくむせ込み、足元に置いてあった水筒(中身はただの水道水だ)をゴクゴクと煽った。
「ダメですの……。高音の伸びが、昨日よりコンマ数秒足りない……。カロリー不足のせいで、腹筋がブレてますわね」
リーザは自分の腹筋をペチペチと叩きながら、悔しそうに顔をしかめた。
昼間、ギルバートからプレミアム弁当をもらって狂喜乱舞していた彼女だが、それはあくまで「限界突破した餓死寸前」だったからだ。
普段の彼女は、キャルルがどんなに「ご飯食べる?」と誘っても、「アイドルは施しは受けません!」と謎のプライドを貫き、パンの耳や公園の雑草サラダで食いつないでいる。
「……どうして、そこまで無理をするの?」
桜は物陰から歩み出て、リーザに声をかけた。
「ひゃあっ!? さ、桜様!?」
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの。でも、すごく綺麗な歌声だったから、つい聞き入っちゃって」
リーザは慌てて水筒を隠し、コホンと咳払いをして「お、お聞き苦しいところを……」と、取り繕うように背筋を伸ばした。
「リーザちゃん。あなた、本当はキャルルちゃんに頼れば、毎日温かくて美味しいご飯が食べられるのに。どうして『施しは受けない』なんて意地を張るの? 昼間はギルバートのお弁当、あんなに美味しそうに食べていたじゃない」
桜が優しく問いかけると、リーザはエメラルドグリーンの瞳をスッと細め、月明かりの下で、驚くほど大人びた、真剣な表情を見せた。
「……昼間のアレは、本当に餓死しそうだったから、生命維持の緊急避難として受け取っただけですの。でも、普段の生活で他人に甘えて養ってもらうわけにはいきませんわ」
リーザは、キュッと両手で拳を握りしめた。
「桜様。私がステージに立って歌うと、ファン達の『時間』を奪うことになるんですの」
「……時間を奪う?」
「そうです。みんな、仕事や生活で辛いことや、考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。私が歌っているその瞬間だけは、全部忘れて、私だけを見てくれるんですの」
リーザの瞳の奥に、ただの純真さではない、アイドルの『業』にも似た執着の炎が揺らめいた。
「だから、私は……ファン達の『世界』そのものになりたいんです。彼らの視線も、お金も、心も、何もかもを全部奪い尽くして……その代わり、彼らの人生に『宇宙一の幸せな時間』を味わわせてあげるんです」
それは、ただの我儘なお姫様の言葉ではなかった。
すべてを奪う代わりに、すべてを背負う。
己の歌で他人の人生を幸せにするという、パフォーマーとしての圧倒的な『覚悟』と『プロ意識』だ。
「誰かの施しで満たされたお腹じゃ、ファンの人生なんて背負えません。私は私の足で立って、私の力で勝ち取った泥臭いエネルギーで、最高の歌を届けなきゃいけないんですの……!」
(……なるほど)
桜は、深く、深く心を打たれていた。
芋ジャージを着て、5円玉を鼻に詰めて野良犬と戦うギャグキャラクターだと思っていたこの少女は、根っからの『プロフェッショナル』だったのだ。
営業事務として、前線で戦う営業(兵士)たちを支えることに誇りを持っている桜の価値観と、ファンの人生を背負うために自分を追い込むリーザの価値観が、見事に共鳴した。
「……わかりました。あなたのその矜持、素晴らしいと思います。まさに、プロのアイドルですね」
桜はそう言って微笑むと、自身の脳内で『善行通販』のインターフェースを展開させた。
(今日一日、ポポロ村の物流データを最適化して、村人たちの無駄な労働時間を削減したことで、徳ポイントは【45,000pt】まで貯まっています。……プロフェッショナルには、それに相応しい『投資』が必要ですね)
桜の指先が空中で踊る。
・『地球の最高級マヌカハニー(殺菌・喉のケア用)1瓶』――カートへ。
・『無添加・特製オーガニック温野菜弁当(高タンパク・低カロリー)』――カートへ。
・『アイドルのためのボイストレーニング&ストレッチ教本』――カートへ。
「天界お急ぎ便、決済」
カァァァッ……!
夜の広場に、黄金の魔法陣が展開される。
「えっ!? な、なんですの、この光は!?」
驚くリーザの前に、ポンッという音とともに、可愛らしいラッピングが施された紙袋が現れた。
桜はそれを両手で持ち上げ、リーザの前にスッと差し出した。
「はい、これ。受け取ってください」
「だ、だから、私は施しは受けないと……!」
「施しではありませんよ、リーザちゃん」
桜は、かつてボルドー局長を論破した時の絶対零度の笑みとは違う、最高に温かく、そして有無を言わせぬ『営業事務のトップスマイル』を浮かべた。
「これは『先行投資』です」
「……せんこう、とうし?」
「ええ。私は事務官として、伸びる事業(才能)には適切にリソースを配分する義務があります。あなたのそのプロとしての覚悟と、ファンを幸せにするというビジョン。それは将来、莫大な利益(みんなの笑顔)を生み出すと判断しました」
桜は紙袋を、リーザの芋ジャージの胸元にギュッと押し付けた。
「これは慈善事業ではなく、私の独断で行う『ビジネスの経費』です。だから、あなたはプロとしてこれを摂取し、喉をケアして、最高のパフォーマンスを発揮する義務があります。……出資者からの、業務命令ですよ?」
「桜様……っ」
ビジネスの論理で強引に、しかしこの上なく優しく『プライド』を守ってくれた桜の言葉に。
リーザのエメラルドグリーンの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「うぅぅ……っ! さ、桜様のいじわる……! そんな風に言われたら、アイドルの義務として、断れないじゃないですかぁぁっ!」
「ふふっ。冷めないうちに食べてくださいね。マヌカハニーは、お湯に溶かして飲むと喉にいいですよ」
リーザは紙袋からホカホカのオーガニック弁当を取り出すと、その場にぺちゃん、と座り込み、ポロポロと涙を流しながら、それを大切に、本当に大切に口へと運んだ。
「お、おいひいです……! 野菜が、雑草じゃない味がしますのぉぉ……っ!」
「ゆっくり噛んでね。明日、私があなたのライブを『プロデュース』してあげますから」
泣きながら食べる人魚姫の頭を、桜は愛おしそうに撫でた。
その光景を、広場の少し離れた木陰から、静かに見守っている影があった。
ギルバート・ヴォルフである。
(……見事だ。相手の矜持を決して傷つけず、最大のパフォーマンスを引き出すための完璧な『兵站』)
彼は、月明かりの下で微笑む桜の横顔を見つめながら、ふっと口元を和らげた。
(あれだけ頑なだった姫君の心を、たった数分で掌握してみせた。……やはり、私の見込んだ女性だ)
ギルバートの銀色の耳が、桜への絶対的な尊敬と、果てしない愛おしさでピコッと揺れる。
「……風邪を引く前に、連れて帰らねばな」
彼はわざと足音を立てて広場へと歩み寄り、「夜更かしは肌に悪いぞ、二人とも」と、保護者のような顔で声をかけた。
桜の肩に掛けられた自分の背広が、彼女の体温を守っているのを見て、ギルバートの尻尾が暗がりで誇らしげに揺れている。
最強の事務聖女が、極貧のアイドルをプロデュースする。
その完璧な布陣が整った月夜。ポポロ村の運命を変える伝説のライブの幕開けは、もう目の前に迫っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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