鉱山都市 アイゼル
国境都市アイゼルへ入ったエミリア達は、まず馬車を預けることにした。
街へ入る前に、馬車に刻まれたローゼンバーグ王家の紋章には覆いを掛けてある。関所を通るためには身分を示す必要があったが、街中でまで王族だと宣伝して歩く理由はない。
馬車を預けたエミリアは、ルミと並んでアイゼルの街を歩き始め、すぐに首を傾げる。
「……思っていたのと違うわね」
確かに、鉄と火の街ではあった。通りの奥からは絶えず槌の音が響き、工房の煙突から細い煙が立ち上っている。煤に汚れた服を着たドワーフ達が行き交い、荷車には鉱石や炭、加工途中らしい金属が積まれていた。
けれど、店先に並んでいるものがエミリアの想像とは違っていた。宝石を嵌め込んだ短剣、鞘に細かな彫金を施した剣、銀細工の酒杯や食器。花や動物を象った金属細工に、小さな置物まである。
武器ですら、戦場で振るうためというより、壁に飾って眺めることを目的としているような品が多い。
『物語に出てくるアイゼルは、もっと鉄が打ち鳴らされているような街だったのですが……』
「鉄なら打ち鳴らされてるわよ」
『そういう意味ではなくてですね……』
エミリアは改めて街並みを見渡した。
そういえば、自分が知っているシルヴァニアの情報は、ほとんどが魂エミリアの記憶を通して得たものだった。そして、その魂エミリア自身も、病弱だったため城の外へ出ることすらほとんどなく、ましてや他国を訪れた経験など一度もない。
「……下調べくらいしてくるべきだったかしら」
『今更ですね』
「貴方の記憶があったから、なんとかなると思ったのよ」
『私だって、本で読んだことしか知りませんよ』
「それを忘れてたわ」
『酷くないですか?』
もっとも、目的のバランがアイゼル近郊にいることさえ分かっていれば、今のところ大きな問題はない。
エミリアとルミは何軒かの店を覗きながら、ゆっくりと通りを進んでいく。その間にも、すれ違う人々が次々とこちらを振り返っていた。
『……目立ってますよ!?』
「当たり前じゃない」
『当たり前なんですか!?』
「人は美しいものに反応するものよ。気にせず、自信を持って歩けばいいの」
『その自信はどこから湧いてくるんですか……』
「鏡を見れば分かるわ」
『…………』
いつも通りだった。
そんなエミリアへ、通りの一角から声が飛んでくる。
「そこのお嬢さん! ちょっと見ていかないかい?」
振り向けば、小柄なホビットの商人が満面の笑みを浮かべていた。店先には、銀細工の酒杯や小箱、金属製の置物、装飾を施された短剣などが所狭しと並んでいる。
「私は人を探しているのだけれど」
「人探しかい? だったらなおさらだ。この街で商売してりゃ、色んな話が耳に入るからね」
そう言いながらも、ホビットの視線はエミリアのドレスや装飾品を忙しなく行き来している。明らかに、金を持っている客を見る目だった。
実際、間違ってはいない。
「それより、これなんかどうだい?」
ホビットが一本の短剣を取り出した。鞘には繊細な彫金が施され、柄には赤い宝石が嵌め込まれている。刃そのものよりも、装飾へ力を入れた品だった。
「名のあるドワーフ細工師が手掛けた一点物だよ。こんな品、そうそう出回らない」
「へえ」
エミリアは短剣を受け取り、ゆっくりと眺める。
造形は悪くない。むしろ、かなり良い。細かな模様まで丁寧に作り込まれており、装飾品としてなら城へ置いても見劣りしないだろう。
「どうだい? 気に入っただろ?」
「そうね……」
エミリアは短剣を眺めたまま、ふと口元を緩めた。
「商売の話をすれば、口が軽くなるってところかしら?」
「ん?」
「面白いわね。まず、おいくらかしら?」
その一言で、ホビットの顔がぱっと明るくなった。
「話が分かるねぇ!」
提示された金額は、当然のように高い。エミリアは何も言わず、机の上へ金貨を一枚置いた。
「ところで、バランという職人を探しているの」
「バラン?」
もう一枚。
「ああ、あの偏屈爺か」
「知っているのね」
「そりゃ知ってるさ。この街で鍛冶に関わってて、知らない奴なんていないよ」
さらに一枚。机の上に金貨が増えていく。
「おいおい、何枚積むんだ?」
「どこのお嬢様だ?」
「景気のいい商談だなぁ」
いつの間にか、近くにいた客や商人まで足を止め始めていた。もともとエミリアが目立っていたこともある。黒いドレスの美女が、商人を前に金貨を積み上げているのだ。興味を持つなという方が無理だった。
「バランの腕は?」
「一級品さ。昔は神に献上する剣まで打ったって話だ」
「昔は?」
「今じゃ、ほとんど仕事をしてないよ」
また一枚。
「どうして?」
「時代が変わったのさ」
ホビットは肩をすくめた。
「今のアイゼルじゃ、ただ切れるだけの剣なんて売れない。どうせ買うなら、皆こういう見栄えのするものを欲しがる。宝石を付けて、彫金を入れて、飾って自慢できるようなやつをね」
エミリアは周囲の店へ視線を向けた。なるほど。街へ入ってから感じていた違和感の正体は、それらしい。
「バランは作らないの?」
「作らないねぇ。頼んだって『宝石が欲しけりゃ宝石屋へ行け』で終わりさ」
「あら。いいじゃない」
「いいのかい?」
「嫌いじゃないわ」
ホビットは妙なものを見る顔をしたが、目の前の金貨を見れば口は止まらない。
「そういう昔気質の連中は他にもいるけどね。今じゃ皆、郊外に固まってるよ。昔はあっちも賑やかだったらしいけど、今じゃすっかり寂れちまった」
「バランもそこに?」
「ああ」
「最近は?」
「何か作ったって話は、もう随分聞かないねぇ」
「住んでいる場所は?」
「北側の郊外さ。古い工房が集まってる辺りを抜けて、湖沿いの道を進めば分かる。大きな煙突のある古い工房だ」
「なるほど」
欲しかった情報は、おおよそ揃った。エミリアは満足そうに頷く。
「じゃあ、この短剣をいただこうかしら」
「毎度あり!」
ホビットが満面の笑みを浮かべた。
その瞬間、エミリアは積み上げていた金貨の半分を、自分の方へ戻した。
「……え?」
「これ、確かに装飾としての造形は素晴らしいわ」
「だ、だろ?」
「価値はあると思うわよ」
「そうとも!」
「でも、この宝石。偽物よね?」
先ほどまで聞こえていた周囲の声が、消えた。
「…………」
ホビットの笑顔が固まる。
「いやいや、お嬢さん。何を根拠に――」
『確か、物語で読んだことがあります。豊穣神の加護で、透明な鉱石に色を付けるものが……』
「【万色】ですね」
それまで黙っていたルミが、隣から静かに補足した。
「透明度の高い鉱石へ、魔力で色を定着させる加護です」
「それよ」
エミリアは赤い石を光へ翳す。
「綺麗には染まっているけれど、天然の宝石とは色の入り方が違うわ」
「そ、それは……」
「それと、これ。名のあるドワーフ細工師の作品だと言っていたわよね?」
「あ、ああ! そこは本当だ! 王侯貴族だって欲しがる一級品で――」
「城で見たことがあるわ」
ホビットの声が止まった。
「芸術品としては一級品でしょうね」
「だ、だろ?」
「本物なら、ね」
また金貨が減った。
「癖が違うわ」
「……癖?」
「ここよ」
エミリアは柄に刻まれた細工の一部を指差す。
「この線の終わらせ方。それに、ここの彫りも僅かにずれている」
「それくらいなら――」
「あの作者なら、こんなものを作った時点で世に出さないわ」
最後の一枚まで、エミリアの手元へ戻った。
「ねぇ。こういう商売って、この街ではしていいのかしら?」
「……いや、その」
「商人組合に聞けば分かるかしら?」
「待った!」
ホビットが慌てて身を乗り出した。
「まだ何か知りたいんだろ!? 話す! 知ってることなら何でも話すから!」
「あら。最初からそうしてくれれば良かったのに」
「バランは金じゃ動かない! 偉い奴だろうが気に入らなきゃ追い返す! 最近は工房から出てくることもほとんどない!」
「他には?」
「昔から領主様とも折り合いが悪い! だから仕事だって――」
そこまで言って、ホビットは自分の口を押さえた。エミリアは僅かに目を細める。
「仕事だって?」
「……今のは忘れてくれ」
「そう」
無理に聞き出す必要はない。少なくとも、バランがただの偏屈な職人というだけではなさそうだ。
「まあ、いいわ。それで、この短剣だけれど」
「……まだ買うのか?」
「ええ」
「偽物だって散々言っただろ!?」
「名工の作品としては偽物よ」
エミリアは再び短剣を手に取り、光へ翳した。【万色】で染められた石。本物を真似た彫金。それでも隠しきれずに残った、作り手自身の癖。
「でも、模造品として見れば一級品だわ」
「……は?」
「ここまで精巧に本物へ寄せているのに、完全には同じにならない。その違いまで含めて、この短剣の個性でしょう?」
エミリアは楽しそうに目を細める。
「本物として売れば偽物。でも、模造品として見れば――これは本物よ」
そして改めて、短剣そのものに見合うだけの金貨を机へ置いた。
「本来なら世に出るはずのなかったもの。美しいと思わない?」
「……変わったお嬢さんだな」
「よく言われるわ」
ホビットは呆れながらも、しっかりと金貨を回収した。エミリアは短剣を受け取る。
「高い勉強料だったわね?」
「は?」
ホビットは金貨を握ると、強がるように鼻を鳴らした。
「残念だったな。仕入れ値を考えりゃ、ちゃんと儲けは出てるよ」
「あら、そう。それなら良かったじゃない」
「だろ?」
「でも――周りを見れば分かるんじゃないかしら?」
「……周り?」
ホビットが振り返る。
そして、固まった。
店の周囲には、いつの間にか人だかりができていた。客も、商人も、職人も、通りすがりの者まで。
商談が始まった頃には面白半分に囃し立てていた者達が、今は誰一人として口を開いていない。
ただ黙って、ホビットを見ていた。
「…………」
その顔から、みるみる血の気が引いていく。
「私は、ここのことを誰かに言うつもりはないわよ?」
エミリアは短剣を手に、にこりと笑った。
「でも、あの人達の口までは止められないわね?」
「お、おい……」
「商売って、信用が大切でしょう?」
返事はなかった。
「ルミ、行くわよ」
「はい」
二人はそのまま店を離れる。
少し歩いたところで、ルミが小さくため息をついた。
「相変わらず悪い人ですね……」
「何を言っているの? 私は代金まできちんと払ったわ」
『そこではないと思います』
「そうかしら?」
エミリアは手にした短剣を眺め、満足そうに笑った。
一方、店先に取り残されたホビットは、周囲から向けられる無言の視線に冷や汗を流していた。
「……まずい」
このままでは、明日からの商売に響く。
しかも、あの女はバランを探していた。身分こそ分からないが、金貨を惜しげもなく積み上げるほどの金持ちで、何より、この街でも見たことがないほど美しかった。
ホビットはしばらく考えたあと、小さく舌打ちする。
「……領主様に知らせとくか」
少なくとも、自分だけがこんな目に遭って終わるのは、どうにも癪だった。
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