芽生えは爆発と共に③
【第三章 第一話】
芽吹きは爆発と共に③
翌朝。
王城の中庭には、一台の馬車が停まっていた。
目的地は、シルヴァニア豊穣公国との国境近くにある町。そこに、バランという頑固なドワーフ職人が住んでいるらしい。
エミリアは昨日鍛冶ギルドから貰ってきた試作刀も荷物へ加え、馬車へ乗り込んだ。
「それじゃあルミ、お願い」
「はい。ただし、シルヴァニアの中へ直接飛ぶことはできませんよ」
御者台へ座ったルミが答える。
「やっぱり?」
「やっぱり、とは?」
「バルカーボの時、そんなこと言ってたでしょう? 他の神の加護が強い場所には、直接飛びにくいって」
「……エミリア様。盗み聞きは、はしたないですよ」
「聞こえてきたのよ」
「扉の前で立ち止まって、最後まで聞いてましたよね?」
「細かいことは気にしないの」
ルミは呆れたように息を吐いた。
「まあ、シルヴァニアも同じです。他の神の力が強く及んでいる場所へ、私の力で勝手に転移するのは難しいんです」
「不便ね」
「神の領域を何だと思ってるんですか?」
「便利な移動手段?」
「違います!」
即座に否定された。
とはいえ、ローゼンバーグ国内なら問題ない。国境近くまで転移し、そこから先は普通に街道を進めばいい。
「では、行きますよ」
ルミが軽く指を鳴らす。
馬と馬車をまとめて包み込むように景色が歪み、次の瞬間には王城の中庭が消えていた。
◇ ◇ ◇
転移した先は、シルヴァニアとの国境を守るローゼンバーグ側の砦、その少し手前だった。
街道の先には石造りの砦が構え、王国の旗が風にはためいている。
突然現れた馬車に衛兵達が一瞬身構えたものの、側面に刻まれた王家の紋章へ気づくと、すぐに姿勢を正した。
馬車はそのまま砦へ向かう。
王都から遠く離れた地方ではあるが、ここへ至る街道も以前と比べれば随分と整備が進んでいた。石畳と呼べるほど立派なものではない。それでも路面は平らに均され、深い轍は埋められ、雨水を逃がすための簡単な溝まで作られている。
「ここまで整備が進んでいたのね」
窓の外を眺めながら、エミリアが呟く。
「王都から少しずつ広げていますからね。全部一気にというわけにはいきませんけど」
「十分よ。前よりはずっとマシだわ」
道が良くなれば、人も物も速く動く。雨のたびに荷車が泥へ沈むことも減り、物流にも良い影響が出る。
もっとも、エミリアにとって今一番分かりやすい恩恵は別にあった。
単純に。
乗っていて楽だった。
王家の馬車を止める者などいるはずもなく、砦はすぐに門を開いた。
その先で、街道は一本の川へと続いていた。
大河というほど広くはない。けれど、人が簡単に渡れるような幅でもなく、対岸へ向かって木と石で組まれた頑丈な橋が架けられている。
この川が、ローゼンバーグ王国とシルヴァニア豊穣公国を隔てる国境の一つだった。
流れは穏やかで、橋の上から覗けば澄んだ水の下に丸い石がいくつも見える。
「水は綺麗ね」
「豊穣の国ですから。その辺りはさすがですよ」
橋の中央を越える。
そこから先は、もうローゼンバーグではない。
対岸には丸太の柵と門、その脇に小さな詰所が建っていた。ローゼンバーグ側の砦と比べれば随分と簡素だが、シルヴァニアへ入る者を確認するための関所らしい。
王家の紋章を掲げた馬車が近づくと、門番達の顔色が変わった。
「お、お待ちください!」
慌てて駆け寄ってきた兵士が、馬車と紋章を何度も見比べる。
「こちらは……ローゼンバーグ王国の?」
「エミリアよ」
窓から顔を覗かせると、兵士の背筋が勢いよく伸びた。
「エ、エミリア女王陛下!?」
「そんなに驚かなくてもいいでしょう」
「し、失礼いたしました! ですが、他国の女王陛下がお越しになるとは伺っておりませんので……」
「そうでしょうね。知らせてないもの」
兵士が困った顔をする。
「恐れ入りますが、ご訪問の目的をお伺いしても?」
「アイゼルへ美術品を見に来たの。気に入るものがあれば買って帰るわ」
嘘ではない。
鍛冶職人を訪ねるのが本来の目的ではあるが、面白い工芸品があれば買うつもりもある。
兵士は戸惑いながらも頷き、詰所へ戻ろうとした。
「では、通行の記録と確認を――」
「待ちなさい」
エミリアは小さな革袋を取り出し、窓から差し出した。
「面倒な手続きは嫌いなの。これで早くしてちょうだい」
「は、はい!」
受け取った兵士の動きが目に見えて速くなった。
『……それ、賄賂ではありませんか?』
「心付けよ」
魂エミリアの指摘を、エミリアは軽く流す。
御者台からルミも呆れた声を飛ばした。
「普通、そういうものはもう少し隠れて渡すものでは?」
「別に後ろ暗いことなんてしてないわ。堂々としてれば問題ないのよ」
『問題はそこなのでしょうか……』
確認は驚くほど早く終わった。
門が開き、馬車は何事もなくシルヴァニアへ入っていく。
◇ ◇ ◇
国境を越えたからといって、一歩目から景色が大きく変わるわけではない。
同じ空が広がり、同じような森と街道が続いている。
けれど、馬車が進むにつれて少しずつ違いが見えてきた。
ローゼンバーグ側では平らに均されていた路面に窪みが増え、深い轍がそのまま残っている。ところどころ木の根が地面を押し上げ、雨水に削られた場所も補修されていなかった。
ガタンッ。
「……っ」
馬車が大きく跳ね、エミリアの身体が座席から僅かに浮いた。
しばらく進むと、また大きく揺れる。
「……お尻が痛いわ」
「道が悪いですからね」
御者台から、ルミの声が返ってきた。
「このまま乗っていて、立ち上がった時にお尻が真っ赤だったらみっともないじゃない!」
少しの沈黙。
「……ふふっ」
「今、笑ったでしょう?」
「いえ。ただ、肌を見せないようにすれば分からないのではないかと」
『そこは私も賛成です』
「それは美しくないわ」
『どうしてですか!?』
そこでエミリアは、ふと眉を寄せた。
「……ちょっと待って」
「はい?」
「貴方、ずっと前を向いて御者してるわよね?」
「そうですね」
「そこから私のこと見えてるの?」
「見えてますよ?」
「……どうやって?」
「神なので」
「便利ね」
「こういう時だけ素直に納得するのやめてもらえます?」
また馬車が揺れた。
エミリアは不満そうに座り直す。
「神なら、この揺れくらいどうにかできないの?」
「できますよ?」
「じゃあ、やりなさいよ」
「使ってもいいですけど、ラクシュにバレますよ?」
「確か、豊穣神よね?」
「はい。大地と豊穣、それに創造を司る神です。シルヴァニア豊穣公国は、彼女の加護を強く受けています」
「つまり、ここはラクシュの領域ってことね」
「そういうことです。少しくらいなら問題ありませんけど、移動中ずっと馬車を神力で支えるような真似をすれば、さすがに気づかれるかもしれません」
「それは面倒ね」
今のところシルヴァニアと争うつもりなどない。目的は一人の鍛冶職人を訪ねるだけだ。わざわざ相手の神へ、自分達が来ていると教える必要もなかった。
「貴方、ラクシュとは仲が悪いの?」
「仲が悪いといいますか……」
ルミは少し困ったような声を出す。
「私、ほら。禍津神ですから」
「ああ」
「なんだか他の神達から目の敵みたいにされてるんですよね。私は何もしてないのに」
「絶対嘘だ」
『絶対嘘です』
「なんで二人して即答するんですか!?」
「日頃の行いでしょう?」
『私もそう思います』
「……本当に仲いいですよね、あなた達」
ルミの呆れた声に、エミリアは小さく肩を竦めた。
その直後。
ぽんっ、と。
何もなかったエミリアの目の前に、柔らかそうなクッションが現れた。
「では、とりあえずこれを使ってください」
「……あら」
エミリアは少しだけ目を丸くし、それを手に取る。
「嬉しいわ。ありがとう」
「…………」
「どうしたの?」
「いえ……こういう時はズルいんですよね……」
『そこは私も同意です』
「あなた達も仲いいわね?」
「誰のせいだと思ってるんですか」
『誰のせいだと思ってるんですか』
「息までぴったりじゃない」
楽しそうに笑いながら、エミリアはクッションを座席へ敷いた。座り直してみれば、確かに随分と楽になる。
「……でも、根本的な解決にはなってないわね」
「その言い方、嫌な予感しかしません」
「馬車そのものを改良した方がいいかしら」
『また何か思いつきましたね』
「……サスペンション」
「ほら始まった」
エミリアは揺れる馬車の中で、地球にあった構造を思い出していく。
「実用的なのは、まず板バネかしら。でも今の鉄だと、十分にしならせながら強度を維持するのは難しそうね……」
「帰ったらクロエさんに相談するんですか?」
「そうね。金属だけで難しいなら、魔導回路で補助すればいいでしょう。【強化】を応用して、衝撃を受ける時だけ上手くしならせるとか」
「また研究室が爆発しそうですね」
「大丈夫よ。何度かバネが室内を乱反射するくらいで、そのうち完成するわ」
「全然大丈夫じゃありませんよ?」
『オルグレイさん、大丈夫でしょうか……』
「そのための助手でしょう?」
「もう完全にそういう扱いなんですね……」
クッションのおかげで少しだけ快適になった馬車は、そのままシルヴァニアの街道を進んでいった。
◇ ◇ ◇
しばらくすると、木々の切れ間から陽光を反射する大きな水面が見えた。
「湖?」
「みたいですね」
かなり大きい。
遠目からでは対岸まではっきり見えないほどの水面が、森の向こうへ広がっている。
エミリアは一度だけ、そちらへ目を向けた。
水が豊富なのは良いことだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
今の目的は湖ではなく、一人の鍛冶職人だった。
馬車はそのまま、目的の町へ向かって走り続ける。
◇ ◇ ◇
やがて、街道の先に建物が見え始めた。
「着いたみたいですね」
ルミの言葉に、エミリアも窓の外へ目を向ける。
シルヴァニア豊穣公国。
その名から、もっと緑に覆われた町を想像していた。大きな木々に囲まれた家々。蔦や花に彩られた通り。森と共に暮らす、いかにも豊穣の国らしい町。
けれど。
「……思っていたのと、随分違うわね」
町へ近づくにつれて最初に感じたのは、草木の香りではなかった。
鉄の匂い。
炭を焼く煙。
そして、絶え間なく響く槌の音。
カン、カン、と硬質な音が町のあちらこちらから重なって聞こえてくる。
門を抜ければ、その印象はさらに強くなった。
通りの両側には鍛冶工房が並び、店先には農具や包丁、鍋、金具、武具まで様々な鉄製品が吊るされている。鉱石や木炭を積んだ荷車が行き交い、煤に汚れた職人達が忙しそうに働いていた。
緑に溢れた森林の町――ではない。
むしろ正反対だった。
ここは国境都市、アイゼル。
近くに大きな湖があるため水が豊富で、さらに国境にも近い。国内外から鉱石や物資を運び込むにも、完成した製品を各地へ売り出すにも都合が良かった。
そんな条件に惹かれてドワーフの職人達が集まり、いつしかシルヴァニアでも有数の鍛冶都市へと発展したらしい。
「なるほどね」
エミリアは馬車の窓から、忙しく働く職人達を眺めた。
シルヴァニア豊穣公国。
その最初の町で彼女を迎えたのは。
森の香りではなく。
鉄と炎だった。
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