第三章 プロローグ 滅びの女王
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夢を見ていた。
けれどエミリアは、すぐに気づいた。これは、自分の夢ではない。
見たことのない街。夜なのに昼のように明るい光。空へ伸びる巨大な建物と、その間を走る鉄でできた乗り物。
地球。
蓮が生まれ育った世界だった。
そして、その街の中心で。一人の女王が、五人のヒーローと戦っていた。
漆黒のドレスに、長い黒髪。燃えるような赤い瞳。
女王は、美しかった。
「行くぞ!」
赤いヒーローが剣を構え、一気に距離を詰める。しかし女王は動かない。刃が届く寸前、僅かに身体を傾けただけで剣は空を切った。
「遅いわ」
女王が片手を振る。ただ、それだけで赤いヒーローの身体が吹き飛び、建物の壁へ叩きつけられる。
「みんな、一斉に行くぞ!」
残る四人が同時に動いた。炎、光、銃弾、巨大な拳。四方から迫る攻撃を前にしても、女王は怯まない。
むしろ、薄く笑った。
「その程度で、私を倒せると思って?」
黒い光が弾けた。
次の瞬間、五人のヒーロー全員が地面へ倒れていた。
瓦礫の中で立っているのは、女王ただ一人。
世界を侵略する悪の女王。人々を苦しめる、大悪党。
それなのに、テレビの前に座っていた幼い蓮は目を輝かせていた。
――かっこいい。
それが最初だった。
強くて、綺麗で、一人なのにヒーロー全員より強い。誰を相手にしても怖がらず、いつだって堂々としている。
幼い蓮は、その悪の女王に一目で心を奪われた。
物語の名は――
『滅びの女王と世界樹の涙』。
◇ ◇ ◇
女王の故郷は、地球とは違う世界にあった。地球と表裏一体に存在する、もう一つの世界。
その名は、リバーステラ。
かつて、そこは豊かな世界だった。大きな森が広がり、川には澄んだ水が流れ、畑にはたくさんの作物が実っていた。
そして世界の中心には、一本の巨大な樹が立っていた。
世界樹。
リバーステラに、命を与え続けてきた大切な樹だった。
しかし、いつしか世界樹は枯れ始めた。森から緑が消え、川が細くなり、畑から作物が取れなくなった。
やがて人々は飢え始める。今日食べるものさえなく、明日まで生きられるかも分からない。
世界そのものが、ゆっくりと死に始めていた。
王女は世界を救う方法を探した。古い書物を読み、遺跡を調べ、誰も近づかなかった禁じられた場所へも足を運んだ。
そして、ようやく一つの方法を見つける。
世界樹に、もう一度実をつけさせる。
その実があれば、失われた命の力を世界へ戻すことができる。
けれど、世界樹を実らせるための力は、もうリバーステラには残っていなかった。
その力は、地球にあった。
地球とリバーステラでは、世界の境界を越える時、力の性質が反転する。地球で生まれた悲しみや怒り、憎しみ、絶望、そして涙。
それらはリバーステラへ渡ると、命を育てる力へと変わる。
だから王女は決めた。
地球へ行く。
地球の人々から、悲しみを集める。
たとえ地球を敵に回しても。
自分の世界を救う。
その日、王女は自らを【悪の女王】と名乗った。
◇ ◇ ◇
悪の女王は、地球に怪物を生み出した。
けれど、怪物になる者達は最初から悪い人間だったわけではない。誰にも助けてもらえなかった者。仲間外れにされた者。何をしても認めてもらえなかった者。ずっと一人で苦しんできた者。
女王は、そんな人々の前に現れた。
「苦しいのでしょう? 辛いのでしょう?」
誰にも分かってもらえなかった心へ、白い手を差し伸べる。
「ならば、その心を解き放ちなさい。あなたの望みを叶えてあげる」
人は怪物へ変わった。
怒りをぶつけ、街を壊し、人々を恐怖させる。傷ついた人々は泣き、怒り、憎んだ。
その感情を、女王は集めていった。
地球で生まれた涙はリバーステラへ送られ、ほんの少しずつ、枯れた世界樹へ命を戻していく。
だが、怪物が現れるたび、五人のヒーローも立ち上がった。
「ここから先は、俺たちが守る!」
ヒーロー達は怪物を倒し、人々を救った。時には怪物となった人間の心まで救い、元の姿へ戻した。
地球の人々にとって、彼らは間違いなく正義の味方だった。
幼い蓮も、それは分かっていた。人を助けるのはいいことだし、怪物を倒すのも正しい。
でも。
物語が進むほど、蓮は女王の方を見るようになった。
どうして、こんなことをするんだろう。
どうして、何度ヒーローに邪魔されても諦めないんだろう。
どうして勝っても、あの人は嬉しそうに笑わないんだろう。
そしてヒーロー達も、ついに女王が隠していた真実を知る。
司令部の巨大な画面に映し出されたのは、遠いリバーステラの姿だった。
枯れた森。空になった井戸。何も実らない畑。痩せ細った人々。僅かな食べ物を子供へ譲る母親。
そのさらに奥には、世界の中心に立つ枯れ果てた世界樹があった。
「……これが、女王の故郷?」
赤いヒーローが言葉を失う。
司令官が重い声で答えた。
『ああ。彼女は、この世界を救うために地球へ来たんだ』
誰も、しばらく言葉を発することができなかった。
◇ ◇ ◇
やがてヒーロー達は再び、女王と対峙した。
地球の街。いつもの戦場。
けれど、もう彼らは女王が何のために戦っているのかを知っていた。
赤いヒーローが一歩前へ出る。
「もう、戦うのはやめよう。俺達が協力する。地球とリバーステラが力を合わせれば、きっと助けられる!」
「そうだ! 一緒に方法を探そう!」
「二つの世界は、きっと共存できる!」
女王は、しばらく黙っていた。
そして。
「いつ?」
「え?」
「いつ、救えるの?」
ヒーロー達は答えられなかった。
「あなた達が方法を探している間にも、私の民は死んでいくわ。今日を生きられない者に、明日の約束をして何になるの?」
赤いヒーローが拳を握った。
「だからって、地球の人達を犠牲にしていいわけじゃない!」
「ええ」
女王は、あっさりと頷いた。
「だから私は、あなた達にとって【悪】なのでしょう?」
誰も言葉を返せなかった。
「私は王よ」
女王の声に、迷いはない。
「私の民を見捨てることなんてできない」
赤い瞳が、五人のヒーローを見据えた。
「誰かが犠牲にならなければならないのなら、私は私の民ではない者を選ぶ」
正しいとは言わなかった。許してほしいとも、自分は悪くないとも言わなかった。
「たとえ世界の敵になろうとも」
女王は、自分で選んだ道を進む。
「私は、私の民を救う」
テレビの前で、幼い蓮は女王から目を離せなかった。
最初は、ただ格好いいと思っただけだった。
でも今は、少し違った。
――この人、自分の国を助けたいだけじゃん。
――ヒーローは一緒に助けるって言ってるけど。
――どうやって助けるんだろう。
――今にも死にそうな人がいるのに。
難しいことなんて、まだ分からなかった。
それでも。
女王の方がずっと、本気で自分の世界を救おうとしている。
蓮には、そう見えた。
◇ ◇ ◇
そして、最後の戦いが始まった。
地球を守る五人のヒーロー。
リバーステラを救う、一人の女王。
誰も退かなかった。
女王は強かった。一人で五人を何度も追い詰め、それでも最後にはヒーロー達が勝った。
女王は地面に倒れた。
もう、立ち上がれない。
地球は守られた。
けれど、世界樹へ送った力は――あと少しだけ、足りなかった。
女王は空を見上げた。
この空の向こうにある、遠い故郷。
自分を待っている民。
あの子供達。
枯れた世界樹。
全部。
救えなかった。
「……ごめんなさい」
初めて、女王の声が震えた。
「ごめんなさい……救えなかった……」
一筋の涙が、頬を伝う。
地球で生まれた、女王自身の悲しみ。
自分の民を救えなかった無念。
世界を敵に回してまで戦い、それでも届かなかった絶望。
その感情に呼応するように、女王の身体が静かに光り始めた。
「な、なんだ……?」
ヒーロー達が息を呑む。
女王の指先が、腕が、身体が、黒く輝く結晶へと変わっていく。
やがて、そこに女王の姿はなくなった。
残されたのは、一つの黒い結晶だけだった。
「女王……」
赤いヒーローが、震える声で呟く。
結晶は静かに輝いていた。
だが、動かない。
リバーステラへ渡ることもない。
その時、通信機から司令官の声が響いた。
『聞こえるか! その結晶には、女王の感情が凝縮されている!』
「司令官!」
『あれだけの力なら、世界樹を実らせられるかもしれない! だが、このままでは届かない!』
五人が黒い結晶を見る。
『届けるんだ!』
司令官が叫んだ。
『女王が最後まで願い続けたものを!』
『リバーステラへ!』
赤いヒーローが、黒い結晶を抱き上げる。
「……分かった」
仲間達も、その周りへ集まった。
「行こう。あの人の世界を救うんだ」
「今度こそ、絶対に届けよう!」
五人が力を合わせる。
赤、青、黄、緑、桃。
五つの光が、一つになる。
「届けぇぇぇぇぇっ!!」
眩しい光が、黒い結晶を包み込んだ。
世界の境界が開く。
ヒーロー達の力によって、女王だったものが地球からリバーステラへ送られていく。
表から、裏へ。
境界を越えた瞬間。
黒い結晶は、眩しい生命の光へと変わった。
そして、枯れ果てた世界樹へ吸い込まれる。
世界樹が大きく震えた。
一つの枝に、小さな芽が生まれる。
芽は膨らみ。
花が咲き。
やがて。
一つの大きな果実が実った。
世界樹の実。
女王が、ずっと求め続けていたもの。
果実から溢れた光が大地を駆け抜け、枯れた川に水が戻る。土から緑が芽吹き、死んでいた森に命が戻っていく。
人々が空を見上げた。
世界が。
もう一度、生き始めた。
◇ ◇ ◇
ヒーロー達は、司令部の画面に映し出されたリバーステラを見つめていた。
赤いヒーローが静かに呟く。
「……届いたんだな」
「ああ。あの人の願いが」
仲間が、その肩へ手を置いた。
「俺達も、同じだったんだよ」
「え?」
「守りたいものがあった。世界は違っても、敵同士でも、誰かを救いたいって気持ちは同じだったんだ」
司令官の声が、優しく響く。
『そうだ。女王の願いを、お前達が受け取った。そして、お前達の誰かを救いたいという想いが、二つの世界を繋いだんだ』
五人のヒーローが頷いた。
やがて物語は、そう締めくくられた。
敵と味方。
正義と悪。
二つに分かれていた心は、最後に一つとなった。
誰かを思う気持ちは、世界の壁さえ越える。
女王の願いを受け継いだヒーロー達は、これから地球とリバーステラが共に生きられる未来を作っていく。
もう、二つの世界が戦う必要はない。
ヒーロー達は新しい未来へ向かって歩き始めた。
そして、物語は終わった。
◇ ◇ ◇
――違うじゃん。
幼い蓮は、テレビの前でそう思った。
最後まで頑張ったの。
女王じゃん。
ずっと自分の国を助けようとしてたの。
女王じゃん。
ヒーロー達は地球を守った。たくさんの人を助けたし、最後には女王の願いも届けてくれた。
それは、すごいと思う。
でも。
女王の国を救う方法を見つけたのは、女王だった。
何度邪魔されても諦めなかったのも、女王だった。
最後に世界を救う力になったのだって。
女王だった。
――やっぱり。
――この人の方が、かっこいい。
最初に見た時から、ずっとそうだった。
強くて、綺麗で、一人でヒーロー全員を圧倒して。みんなに悪い奴だと言われても、最後まで自分がやると決めたことをやめなかった。
負けても。
死んでも。
最後には、自分の世界を救った。
蓮は、正義の味方になりたいとは思わなかった。
なりたいと思ったのは。
世界中から悪と呼ばれても。
最後まで自分の信じたものを守った。
あの――
【悪の女王】だった。
◇ ◇ ◇
夢が、ゆっくりと遠ざかっていく。
エミリアは、最後までその記憶を見ていた。
蓮がどうして【悪】を好むのか。どうして、あれほど【悪の女王】というものに拘るのか。
少しだけ、分かった気がした。
あの王女のしたことを、正しいとは思わない。地球へ攻め込み、たくさんの人を苦しめた。
それは間違いなく【悪】だった。
けれど、エミリアにはあの王女を間違っていると言い切ることができなかった。
自分もまた、王族だったから。
国が滅びていくことを知っている。食べるものがなくなり、人々が苦しみ、明日を迎えられない者が増えていく。
そんな時。
自分は、祈ることしかできなかった。
誰かに助けてほしいと。
神様に救ってほしいと。
それだけだった。
けれど、あの王女は違った。
自分で選んだ。
世界を敵に回してでも。
悪と呼ばれてでも。
自分の民を救うと決めた。
自分には、そんな強さはなかった。
そして、きっと蓮は。
ずっと、あの強さに憧れていたのだ。
今のローゼンバーグを思う。
滅びかけていた国。自分では、何もできなかった国。
そこへやって来た蓮は、誰かが救ってくれるのを待たなかった。
自分を悪の女王だと名乗って、好き勝手なことを言って。
それでも。
この国を見捨てなかった。
今なら、ほんの少しだけ分かる。
蓮が見ているものが。
蓮が、ずっと夢見ていたものが。
自分は、あの女王のようにはなれない。
蓮のすることを、全部好きになることもできないだろう。
それでも。
この人が、あの日からずっと夢見ているものを。
自分も見てみたい。
『私も――』
眠る蓮へ。
エミリアは、静かに語りかけた。
『貴方の夢見る【悪】が勝つ未来を、見てみたいです』
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