【閑話】 百刃のオルグレイ
帝国との一件が終わり、ローゼンバーグ王国にもいつもの日常が戻り始めた頃。
王城の兵舎前で、一人の大男が兵士達と揉めていた。
「だから俺は仕官しに来たんだ! 腕には自信がある。細かい話をするより、実際に俺の力を見てもらった方が早ぇだろ!」
男の名はオルグレイ。
筋骨隆々の巨体を包むのは、見るからに頑丈そうな完全鎧。その各所には刃のような突起が飛び出し、背には本人の身長にも迫ろうかという長大な鋸歯状の武器を背負っている。
どう見ても、普通の仕官希望者ではなかった。
「ですから、仕官を希望するのであれば、まず手続きが必要なんです!」
「その手続きの前に、強ぇって分かった方が話が早いだろ?」
「早くありません!」
オルグレイ本人に悪意はない。ただ声が大きく、力も強く、何事もまず腕力で証明しようとするだけだった。
そのせいで止めようとした兵士が何人か弾き飛ばされ、軽い怪我人まで出始めたところで。
「何の騒ぎだ」
ハルトが現れた。
兵士達が露骨に安堵した顔をする。
「ハルト様。この男が仕官希望なのですが、腕を見せると言って聞かなくて……」
「おう! ちょうどいい。あんた強そうだな!」
「……人の話を聞く気はないらしいな」
ハルトは頭を掻いた。こういう手合いは、言葉で説得するより実際に納得させた方が早い。
「分かった。俺が相手をする。ただし、仕官出来るかどうかは別の話だからな」
「はっはっは! 勝ってから考えりゃいい!」
「だから人の話を聞け」
こうして始まった立ち合いだったが、オルグレイの腕自慢は伊達ではなかった。
長大な獲物が唸りを上げて振り下ろされ、ハルトが半歩ずれてかわす。そのまま懐へ踏み込み、鎧の隙間を狙って剣を走らせる。
――ガキィン!
刃は入った。だが、浅い。
「いい踏み込みだ!」
オルグレイが嬉しそうに笑い、そのまま巨大な武器を横薙ぎに振るう。ハルトは身を沈め、頭上を通り過ぎる刃をやり過ごした。
速さそのものは見切れる。技量でもハルトが劣っているわけではない。
問題は、オルグレイ本人とその装備だった。
とにかく頑丈だった。
多少の攻撃では止まらない肉体を、さらに分厚い完全鎧が守っている。こちらが一撃を入れても致命打にならない一方、オルグレイの一撃は受けるだけでも武器に尋常ではない負担がかかる。
「随分と面倒な相手だな」
「褒め言葉として受け取っとくぜ!」
「好きにしろ」
再び武器同士がぶつかった。
――ガキィン!
ハルトの手に、嫌な感触が伝わる。
剣を見ると、刀身に細い亀裂が走っていた。
「……参ったな」
「どうした? まだ俺は立ってるぞ!」
「見れば分かる」
次の一撃を受け流そうとした、その時だった。
――バキン!
ハルトの剣が折れた。
周囲の兵士達が静まり返る。
オルグレイは満足そうに胸を張った。
「はっはっは! なかなかやるじゃねぇか!」
「勝ったみたいな顔をするな。俺はまだ立ってる」
「武器折れただろ?」
「だから勝負を止めるだけだ。……それより、この剣は誰に請求すればいいんだ?」
「細けぇなぁ!」
「細かくない」
◇
その様子を、王城のテラスから眺めている者がいた。
エミリアは頬杖をつき、眼下のオルグレイをじっと見つめていた。
全身を覆う刺々しい鎧。馬鹿みたいに長大な武器。遠目に見ているだけでも分かる筋肉質な巨体。そして、細かいことは全て腕力で解決しそうな言動。
「…………いいわね」
傍にいた者が、思わず聞き返す。
「はい?」
「あのトゲトゲした鎧。無駄に大きな武器。それに、見るからに頭より先に筋肉が動きそうなところ」
エミリアの瞳が楽しそうに輝く。
「今の私達に必要な人材だわ」
「どの辺りがでしょうか?」
「悪の組織には必要でしょう? 馬鹿な筋肉枠」
あまりにも即物的な評価だった。
エミリアは近くの通信具を取り上げる。
「クロエ、下に面白そうなのがいるわ」
『面白そう?』
「ええ。とても頑丈そうよ」
短い沈黙。
それだけで、向こうの興味が跳ね上がったのが分かった。
『……詳しく聞こうか』
「確保」
『了解』
オルグレイ本人の知らないところで、彼の進路はほぼ決まった。
◇
立ち合いを終えたオルグレイは、折れた剣を片付けるハルトの横で上機嫌に笑っていた。
「いやぁ、でも思ってたより普通なんだな、この国」
「何がだ?」
「帝国の大軍を退けたって聞いたからよ。兵士まで化け物ばっかりなのかと思ってたんだ」
オルグレイに王国を侮るような様子はない。単純に、自分の目で見たものと聞いていた噂に差があると感じているだけだった。
「昔は無能姫なんて呼ばれてた女王が帝国を追い返したって話も聞いたしな。まあ、噂ってのは尾ひれがつくもんだ」
「……今、何て言ったの?」
背後から少女の声がした。
オルグレイが振り返る。
そこにいたのは、黒を基調としたナース服姿のリンと、同じく黒を基調とした巫女装束のセリアだった。
先ほど怪我をした兵士達の治療役として、偶然二人とも呼ばれていた。
そして二人とも、聞いてしまった。
「無能姫」という言葉を。
「申し訳ありません。私にも、もう一度聞かせていただけますか?」
セリアが穏やかに微笑んだ。
「ん? ここの女王の話だよ。昔は無能姫って呼ばれてたんだろ?」
「ボクがやる」
リンが言った。
「いいえ、私が」
セリアも即座に答える。
「なんで? ボクが先に言ったでしょ」
「エミリア様への侮辱です。譲る理由がありません」
「ボクだって同じなんだけど?」
「私も同時に聞きましたので」
「だから何? セリアが引けばいいじゃん」
オルグレイは二人を交互に見た。
「……なんだ? こいつら何の話してんだ?」
「オルグレイ」
ハルトが低い声で呼ぶ。
「俺も今の発言に対しては怒りを感じている。だが、悪いことは言わない。今すぐ謝っておけ」
「は? 何言ってんだ?」
オルグレイが眉をひそめる。
その時だった。
周囲の兵士達が、じりじりと後退していることに気づいた。
一人。
また一人。
明らかにリンとセリアから距離を取っている。
「……本気か?」
オルグレイは呆れたように笑った。
「女の子二人が怒ったくらいで、揃いも揃って逃げるのかよ。無能姫の兵隊は臆病者ってか?」
兵士達の退避速度が上がった。
ハルトは額を押さえた。
「……だから謝っておけと言ったんだ」
「決めた」
リンがセリアを見る。
セリアも静かに頷いた。
「ええ。口で言い争っていても仕方ありませんね」
「どっちがあいつを相手するか、実力で決めよう」
「望むところです」
「…………?」
オルグレイだけが、まだ状況を理解していなかった。
ハルトは周囲を見回す。
「全員、怪我人を連れて離れろ」
「はっ!」
慣れている兵士ほど行動が早かった。
「おい、何で本当に逃げるんだよ?」
そんなオルグレイを放置して、リンが小瓶を取り出した。
「じゃあ、まずこれ!」
蓋が開き、淡い色の霧が広がっていく。
セリアは逃げない。それどころか、何事もなかったように毒霧の中に立っていた。
「あらあら。私達ドールズにそのような毒が効かないことを、忘れてしまったんですか?」
「分かってるよ! 新しく作ったから試してみただけ!」
リンは少し悔しそうに眉を寄せた。
「……これもダメかぁ」
「当然です」
「ぐっ……?」
横から妙な声がした。
オルグレイが自分の腕を見ている。
「おい……なんだこれ。身体が動かねぇ……」
指が動かない。脚にも力が入らず、その巨体がゆっくりと膝をついた。
リンがそちらを見る。
「あ、普通の人にはちゃんと効くんだ」
「効くんだ、じゃねぇ!」
どさり、とオルグレイが倒れた。
完全鎧は、毒までは防いでくれなかったらしい。
「なるほど。効果の確認は出来ましたね」
「うん。でもセリアに効かないならボクの負けみたいで嫌だ」
リンは次の容器を取り出した。
セリアが僅かに眉を上げる。
「まだ何かあるんですか?」
「毒がダメなら、こっち!」
リンがばら撒いたのは、特殊な花粉だった。
薬草学の知識からリンが見つけ、クロエが安定して扱えるよう調整した爆発性の花粉。
舞い上がったそれが、一斉に爆ぜる。
――ドォン!!
その瞬間、セリアの前に光の障壁が展開された。
爆炎が防御魔法へ激突し、左右へ大きく弾けていく。
炎が晴れる。
セリアは無傷だった。
ただし、先ほどまでの余裕に満ちた笑みとは少し違う。
「……リンさん。これはさすがに、まともに受けるものではありませんね」
「でしょ?」
リンが得意そうに笑った。
ドールズを相手にする攻撃としては、決定打になるほどの威力ではない。
だが、防御もせず直撃を受けていいものでもなかった。
そして。
防御魔法の範囲外では。
「ぐおおおおおっ!?」
麻痺して逃げられないオルグレイだけが、盛大に爆風を浴びていた。
「俺を先にどかせぇぇぇ!」
二人は聞いていなかった。
「では、私からも参ります」
セリアが静かに手を掲げる。
空気が変わった。
淡い月の光が周囲を満たし始める。夜ではない。それでも、まるでそこだけが月夜へ切り替わったかのように、無数の光が生まれていく。
同時に。
王城の建物や設備、そして退避が間に合っていない兵士達の前へ、次々と防御障壁が展開された。
セリアは喧嘩をしている。
だが、周囲まで無差別に破壊するつもりはなかった。
「月光【狂想】《ルミナス・カプリチオ》」
無数の光条が放たれた。
月光が地面へ突き刺さり、跳ねる。建物を守る障壁に当たれば、そこで弾かれて別の方向へ。別の光と交差し、再び軌道を変えながら、幾重にも乱反射していく。
その大半がリンへ集中した。
「うわっ!」
リンが身体を翻す。だが、四方八方から迫る光すべてを避けきることは出来ない。
逃げ遅れていた一人の兵士の前にも、一本の月光が迫る。
「ひっ……!」
目の前まで来た光が、防御障壁へ激突した。
光はそこで弾け、無数の方向へ拡散していく。
兵士は頭を抱えたまま、恐る恐る顔を上げた。
「た、助かった……」
そのすぐ横を、弾かれた月光が飛んでいった。
何度も反射しながら、少しずつ威力を失い。
最終的に。
防御障壁の張られていない場所へ転がっていたオルグレイへ。
――どごーん!!
「俺は!?」
黒煙が上がった。
だが、リンにはそんなものを見る余裕はない。
《ルミナス・カプリチオ》の光の大半が、彼女へと殺到していた。
「っ!」
避けきれないと判断したリンは、咄嗟に右腕を前へ突き出した。
月光が集中する。
閃光。
右手の皮膚が焼け、肉が裂け、血が散った。
セリアが僅かに目を細める。
「エミリア様からいただいた身体を、そのように傷つけるなんて……やはり、私の方が相応しいですね」
「何言ってるの?」
リンは心底不思議そうな顔をした。
焼け裂けた右手を軽く持ち上げる。
そして、癒した。
ただ、それだけだった。
焼けた皮膚が元へ戻り、裂けた傷が塞がり、血の跡すら消えていく。ほどなくして、そこには傷一つない綺麗な右手が戻っていた。
リンはそれをセリアへ見せつけるように、ひらひらと振る。
「ほら。こんなの、日焼けにすらならないよ」
「…………」
セリアの眉が僅かに動いた。
「では、もう一度試してみましょうか?」
「いいよ?」
二人の間に、再び不穏な魔力が満ち始める。
周囲の兵士達は、さらに数歩後ろへ下がった。
一方。
爆発と月光の余波を受けたオルグレイは。
完全鎧から黒い煙を立ち昇らせながら、真っ黒になって倒れていた。
◇
結局、いつまで経っても決着がつかなかった。
「もう! これじゃ終わらないから、じゃんけんで決めよう!」
「じゃんけん? 何でしょう?」
「え? 知らないの? じゃあ教えるよ。握るのがグー、指を二本出すのがチョキ、開くのがパー。それで――」
先ほどまで毒を撒き、爆発を起こし、強大な神聖魔法を撃ち合っていた二人が、突然向かい合ってじゃんけん講座を始めた。
「なるほど。では、これで勝敗を決めるのですね」
「そういうこと! いくよ、最初はグー!」
「最初は、ぐー」
「じゃんけん、ぽん!」
「あいこですね」
「もう一回!」
二人が真剣な顔で拳を構える。
そこへ。
「いやぁ、随分と仲良くなったものだねぇ」
声がした。
振り返ると、黒を基調とした衣装の上から白衣を羽織ったクロエが立っていた。
「仲良くない!」
「仲良くありません!」
また綺麗に重なった。
クロエは楽しそうに笑う。
「喧嘩するほど仲がいいとは、よく言ったものだ。特にエミリア様のことになると、君達は本当に息がぴったりじゃないか」
「……今回だけだよ」
「ええ。今回だけです」
「ほら」
リンとセリアが同時に顔を逸らす。
クロエは満足そうに笑った後、視線を少し横へ向けた。
そこには、黒焦げになった巨漢が転がっていた。
「それで……これがエミリア様の言っていた人材かな?」
「エミリア様?」
クロエはオルグレイの傍へしゃがみ込み、脈を確認する。それから鎧を見て、身体を見る。
「へぇ……毒を受けて、爆発に巻き込まれて、《ルミナス・カプリチオ》の余波まで受けて。それでも生きているのかい?」
眼鏡の奥の瞳が、怪しく輝いた。
「なるほど。エミリア様が『頑丈そう』と言った意味が分かったよ」
「クロエ。その顔やめた方がいいよ」
「何のことかな?」
完全に研究者の顔だった。
「興味深いねぇ。そういえば、ちょうど耐久実験をしたい兵装がいくつかあったんだ」
クロエは自分より遥かに大きなオルグレイを、ひょいと持ち上げた。
「どこに連れていくの?」
「研究室」
即答だった。
セリアが困ったように眉を下げる。
「クロエさん。ご本人の意思を確認された方がよろしいのでは?」
「もちろん。起きたら聞くよ」
「順番が逆だよ!」
その時、担がれたオルグレイの指が僅かに動いた。
「……おい……」
「おや。もう意識が戻ったのかい?」
「……俺の……意思……」
クロエの瞳が、さらに輝いた。
「ますます素晴らしい」
「……話……聞け……」
「大丈夫。悪いようにはしないよ」
「その台詞……信用……できねぇ……」
オルグレイの弱々しい抗議を聞き流しながら、クロエは上機嫌で研究室へ向かっていった。
その姿が見えなくなっても。
リンとセリアの勝負は終わらなかった。
「最初はグー!」
「最初は、ぐー」
「じゃんけん、ぽん!」
「あいこ!」
「もう一度です!」
気がつけば、二人とも完全に白熱していた。
「……お前ら」
低い声がした。
ハルトだった。
折れた武器の後始末と、負傷した兵士達の確認を終えて戻ってきたらしい。
そして、心底呆れた顔で二人を見ていた。
「何の勝負やってるんだよ。原因がもういなくなっただろうが」
「今いいところだから邪魔しないで!」
「今いいところですから邪魔しないでください!」
ぴたりと声が重なる。
「…………」
ハルトはしばらく黙った。
やがて周囲の兵士達へ手を振る。
「……解散。もういい、全員持ち場へ戻れ」
「はっ!」
兵士達は何とも言えない顔をしながら、それでも妙に素早く散っていった。
誰一人、これ以上ここに残ろうとはしなかった。
背後では、まだ二人の声が続いている。
「じゃんけん、ぽん!」
「私の勝ちですね」
「もう一回!」
「望むところです」
ハルトは大きく息を吐き、足元を見た。
セリアが建物や兵士達を守っていたおかげで、大きな被害は出ていない。
その代わり、防御する必要のない地面だけは、爆発と月光によってあちこち穴だらけになっていた。
「……今後は最初から、そのじゃんけんってやつで決めてくれ。この穴、誰が埋めると思ってるんだ……」
そう呟くと。
ハルトは、どこからともなくスコップを一本取り出した。
ざくっ。
土を入れる。
ざくっ。
また入れる。
その動きは。
妙に手慣れていた。
その背後で。
「最初はグー!」
「最初は、ぐー」
楽しそうな声が、いつまでも続いていた。
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