地下に眠る天才 ③
老人が怪訝そうに顔を上げる。
「……何が面白い」
エミリアは答えず、手にしていた設計図から周囲へ視線を巡らせた。
机の上だけではない。壁にも、棚にも、床にも、形にならなかった無数の発想が残されている。
「これ、全部貴方が考えたの?」
「ああ」
「作らないの?」
老人の手が止まる。
「作れない。材料がない。加工できる職人もいない。金もない。設備もない」
震える指で、老人は紙を一枚めくった。
「考えることだけなら、金はいらん」
だから老人は、作れなくても、試せなくても、何十年も考え続けた。
エミリアは黙って周囲を見回す。
老人の身体はもう限界に近い。だが、この部屋に残された紙を見る限り、頭の中まで老いているわけではなかった。
むしろ逆だ。
身体が追いつかないだけで、思考だけが走り続けている。
その時、老人がふとエミリアを見る。
「……エミリア?」
後ろにいたノーシ家当主が顔をしかめた。
「無礼だぞ。ローゼンバーグ王国第一王女、エミリア様であらせられる」
「王女?」
老人は一度だけエミリアを見る。
「そうか」
そして、再び紙へ視線を戻した。
ハルトの眉が跳ね上がり、ノーシ家の者達も青ざめる。
だが、エミリアだけは笑った。
「いいわね」
「……何がでしょうか」
ハルトが小声で尋ねる。
「こっちを見ないところ」
普通なら王女だと知れば、怯えるか、媚びるか、何かしら反応する。
この老人は違う。
自分よりも、目の前の紙の方が大事らしい。
エミリアは改めて手元の設計図へ視線を落とした。
先ほど、思わず「銃じゃない」と呟いたもの。
長い筒の内部に何かを通し、先端から金属の塊を飛ばすらしい構造だった。
「これは?」
老人の視線が動いた。
「昔考えたものだ」
「筒の中で力を生み出して、これを飛ばす?」
「ああ。強い力を一方向へ集中させれば、弓より速く、遠くまで飛ばせるはずだ。だが無理だった。必要な力がない。筒も耐えられん。加工精度も足りない。飛ばしたところで真っ直ぐ進む保証もない」
その問題点を理解した上で、それでも図面を捨てていない。
エミリアは口元を緩めた。
「だったら、本体と飛ばすものを別々に考えてみたら?」
老人の顔が上がる。
「……何?」
「飛ばされる側が、自分で進む力を持っていたら?」
沈黙。
老人の視線が図面へ落ちる。
しばらく動かなかったが、やがて震える指が紙の上を走り始めた。
「飛ばす側ではなく……飛ぶ側に……」
ぶつぶつと呟きながら、頭の中で何かを組み替えている。
エミリアは確信した。
やはり、面白い。
「ねえ。聞いてる?」
「静かにしろ。今考えている」
ハルトが息を呑み、ルミが口元を押さえる。
エミリアは――笑った。
「決めたわ。貴方、私のところへ来なさい」
老人の手が止まる。
「……何?」
「研究者を探していたの。貴方にするわ」
あまりにも一方的だった。
老人はしばらくエミリアを見つめる。
「何を作らせるつもりだ」
「色々」
「兵器か?」
「作りたければ作れば?」
老人が眉を寄せた。
その反応を見て、エミリアは妖しく微笑む。
まるで、悪魔が契約を持ちかけるように。
「でも、これは取引よ」
老人の目が細くなる。
「貴方、私に魂を売る覚悟はある?」
その言葉に、周囲の空気が張り詰めた。ノーシ家の者達は息を呑み、ハルトまで僅かに身構える。
老人だけは、少し考えただけだった。
昔なら何か迷うものもあったのかもしれない。
だが今は、家族が何を望んでいるのか、国が何に使うのか、作ったものがどう利用されるのか。それらを理解していないわけではないが、それ以上に知りたかった。
考えたかった。
作りたかった。
身体はもう長くない。手は震え、目も悪くなり、立つことすら難しい。
それでも頭の中には、まだ作りたいものがある。答えを出していない問題が山ほど残っている。
ならば。
「ある」
答えは早かった。
「作らせてくれ」
エミリアの笑みが深くなる。
「そう」
老人は真っ直ぐエミリアを見る。
「何をすればいい」
「何?」
「魂を売ってまで、私に何を作らせる?」
当然の問いだった。
兵器か。
新しい魔道具か。
王国のための何かか。
だが、エミリアが口にした言葉は、老人の予想とはまるで違っていた。
「簡単よ。私のもとで、好きな研究をして、好きな知識を得て、好きなものを作りなさい」
「…………は?」
老人の思考が止まった。
今度こそ、完全に。
「聞こえなかった?」
「いや、聞こえた。だから意味が分からん」
「研究室を用意してあげる。設備も材料も揃えるわ。必要なら職人も集める。面白いものを作るなら予算だって出してあげる」
「……失敗しても?」
「次を作ればいいでしょう?」
老人が黙った。
エミリアは不思議そうに首を傾げる。
「一度失敗したくらいで終わるなら、その程度だったということでしょう? 作りたいなら、成功するまで作ればいいじゃない」
無茶苦茶だった。
だが老人にとっては、あまりにも魅力的な無茶苦茶だった。
「それに――貴方には、まだ知らないことがたくさんあるわ」
老人の目が僅かに動く。
「魔法を使わずに動く車。空を飛ぶ巨大な鉄の機械。遥か遠くにいる相手と、その場にいるみたいに話せる道具。遠くの景色を映し出す薄い板」
老人の瞳が徐々に見開かれていく。
「人間は海の底へ潜り、空のさらに向こうまで行ったわ」
「……空の、向こう?」
「月にだって行った」
「嘘だ」
「そう思う?」
「そんな技術は聞いたことがない」
「当然でしょう。貴方達の知らない技術だもの」
老人の呼吸が変わった。
エミリアはそれを見逃さない。
「見たくない? 知りたくない? 作りたくない?」
老人の指が震えた。
老衰によるものとは違う。
「……作りたい」
掠れた声だった。
「もっと大きな声で言いなさい」
老人は図面を握り締める。
「作りたい」
先ほどより強い。
知りたい。理解したい。そして、作りたい。
長い地下生活の中でも消えなかった欲求が、一気に溢れ出す。
エミリアは満足そうに頷いた。
「でしょうね」
そして、手を差し伸べる。
紫の瞳が楽しそうに細められた。
「安心しなさい。貴方を飽きさせない自信はあるわ」
老人は、その手を見つめた。
悪魔の誘い。
そんな言葉が頭をよぎる。
だが、不思議と恐ろしくはなかった。むしろ何十年ぶりかも分からないほど、胸が高鳴っている。
エミリアはさらに笑う。
「その代わり――貴方はもちろん、私を楽しませてくれるのよね?」
長い沈黙の後、老人の口元がゆっくりと歪んだ。
「ああ。見せてやる」
震える声に、力が戻る。
「世界で一番面白いものを作ってやる」
エミリアの笑みが深くなる。
「良い返事ね」
その瞬間、二人の契約は成立した。
救済でも忠誠でもない。
未知を与える者と、それを形にする者。
ただそれだけの、奇妙な契約だった。
「エミリア様!」
それまで黙っていたノーシ家当主が、慌てて前へ出た。
「我々も彼の研究を長年支えておりまして、魔道バッテリーの開発につきましても、我がノーシ家が――」
エミリアがそちらを見る。
随分と早い。
老人が王女に気に入られたと分かった途端、これだ。
「そうなの?」
「もちろんでございます!」
老人は何も言わない。
興味がないのだろう。
エミリアも別に腹は立たなかった。
「貴方達、なかなか悪いわね」
当主の顔が明るくなる。
「恐れ入ります!」
「……何で喜ぶのよ」
「え?」
エミリアは地下室を見回した。
人を閉じ込め、利用するだけ利用し、使えなくなれば放置する。そのくせ、価値が戻った途端に自分達の功績だと言い始める。
悪い。
確かに悪い。
「私は悪いことをする人間そのものは嫌いじゃないわ」
ノーシ家の者達が僅かに安堵する。
「でも、悪に対する矜持がない者は嫌いなの」
紫の瞳が細められた。
「醜いから」
誰も言葉を発しなかった。
しばらくして、エミリアはもう興味を失ったように視線を逸らす。
「ああ、そうだわ。報奨をあげる」
「ほ、本当でございますか!?」
当主の顔が一気に明るくなった。
「ええ。その代わり条件があるわ。この人をノーシ家から外しなさい」
全員が固まった。
「今後、この人の研究にも、名前にも、成果にも、一切関わらないこと。もう貴方達とは無関係よ」
「それは……」
「嫌?」
一言。
当主は慌てて首を振った。
少し考えれば、それが自分達にとって悪い話ではないことにも気付いたのだろう。もう研究もできず、食費だけが掛かる老人を手放せる。その上、王家から報奨まで貰える。
「かしこまりました!」
返事は早かった。
その顔には、隠しきれない喜びすら浮かんでいる。
エミリアはそれを見て、ほんの僅かに目を細めた。
やはり、醜い。
それ以上の感想はなかった。
「ルミ。連れて帰るわよ」
「はい」
老人は立ち上がろうとした。だが、腕に力を入れた途端、身体が大きく傾く。
「……無理ね」
エミリアが呟くと、老人は不満そうに眉を寄せた。
「歩ける」
「歩けてないじゃない」
「少し休めば――」
「却下。担架を用意して」
エミリアがノーシ家の使用人へ視線を向ける。
「しかし私は――」
「貴方、城へ着く前に死ぬつもり?」
老人が黙った。
「まだ世界で一番面白いものを作ってもらってないの。勝手に死ぬのは禁止よ」
ほどなくして、老人は担架へ乗せられた。
何十年も閉じ込められていた地下室を離れるというのに、一度も振り返らない。
その視線はもう、過去ではなく。
エミリアが語った、まだ見たことのない技術へ向いていた。
◇
帰りの馬車。
老人は座席へ横たえられ、毛布を掛けられていた。向かいではエミリアが窓の外を眺めている。
しばらくして、ルミが何気なく尋ねた。
「この後、処分するんですね?」
「何を?」
エミリアは首を傾げた。
「ノーシ家ですよ」
「え?」
本気で意味が分からない。
「今の家の人達ですよ」
「ああ」
ようやく思い当たったらしく、エミリアは頷いた。
「何で?」
今度はルミが固まった。
「何でって……かなり不敬でしたよ?」
「そう?」
エミリアは再び窓の外を見る。
「どうでもいいじゃない。もう終わった話でしょう? 欲しいものは手に入ったし」
本当に、それだけだった。
怒っているわけでもない。許したわけでもない。そもそも、もう興味がなかった。
その時、毛布の中から掠れた声がした。
「……ノーシ家?」
ルミが老人を見る。
「ええ。先ほどまでいた、貴方の御家族ですよ」
「家族?」
老人は僅かに眉を寄せ、しばらく考えた。
「ああ……そうだったのか」
今度はエミリアまで振り返る。
「知らなかったの?」
「昔、家名を名乗ることを禁じられた。それ以来、名乗っていない。研究には必要なかったから忘れていた」
「……忘れるものなの?」
「使わないものを覚えておく必要があるのか?」
エミリアは一瞬だけ黙った。
「ないわね」
あっさり納得した。
「だろう?」
老人も、それで話を終えた。
ルミだけが二人を交互に見る。
「……貴方まで気にならないんですか?」
「何がだ?」
「ノーシ家です。あれだけのことをされていたんですよ?」
老人は少しだけ考えたが、出てきた答えは極めて簡単だった。
「興味はない。私には今、もっと知りたいことがある」
そう言って、老人はエミリアを見る。
「空を飛ぶ鉄の機械とは、どういう原理だ?」
「今その話を始めるの?」
「駄目か?」
「城に着くまでに説明しきれないわよ」
「概要だけでいい」
「貴方、さっきまで死にかけてたのよ?」
「まだ死んでいない」
エミリアは呆れたように老人を見る。
そして、楽しそうに笑った。
ルミも堪えきれず吹き出す。
「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心って言うけど……ここまで徹底してるのは初めて見たわ」
エミリアは不思議そうな顔をした。
「羽虫を踏んだ後に気にする人なんているの?」
「羽虫……」
老人が呟いた。
エミリアとルミの視線が向く。
「小さなものなら……自力で飛ぶ魔道具も作れるか?」
今度はエミリアが固まった。
「……そこに食いつくの?」
「面白そうだ。飛ぶだけでは意味が薄いな。何かを運ばせるか、情報を伝えさせるか。それとも複数を――」
「ちょっと待ちなさい」
エミリアは額を押さえた。
「そういうものなら、似たものを知っているわ」
老人の動きが止まる。
「何という?」
「ドローン」
「……ドローン?」
先ほどまで話題にしていたノーシ家のことなど、二人の頭からは完全に消えていた。
「それについて詳しく」
「今じゃないわ」
エミリアは笑う。
「全てが始まった後に教えてあげる」
老人は不満そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
そんな二人を見て、ルミはおかしそうに笑っていた。
感想いただけると嬉しいです




