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地下に眠る天才 ③

「エミリア様!」


 勢いよく執務室の扉が開いた。

 飛び込んできたのはクロエだった。


 深いスリットの入った黒いチャイナドレス。

 白衣。

 そして伊達眼鏡。


 三日間に及ぶ悪の美学レッスンの成果である。

 もっとも。

 興奮すると全て吹き飛ぶのだが。


「出来ました!」


 案の定だった。

 エミリアはペンを置く。


「何が?」


 クロエは満面の笑みを浮かべた。


「トイレです!」


 沈黙。

 そして。

 エミリアは静かに立ち上がった。


「案内しなさい」





 そこにあったのは。

 白い陶器で作られた便器だった。


 まだ王都に上水設備は存在しない。

 そのため。

 魔導バッテリーと魔道具を利用した試作品である。


 しかし。

 形状は間違いなく。

 前世で見慣れた水洗トイレだった。


「まだ試作段階ですが」


 クロエは説明する。


「給水機構」

「排水機構」

「洗浄機構」

「全て問題なく動作します」

「将来的には上水設備へ接続する前提ですね」


 エミリアは感動していた。

 本当に作った。

 この短期間で。


「使っても?」

「もちろんです!」


 クロエの目が輝く。


「むしろ使ってください!」

「感想をお願いします!」





「では失礼するわ」


 エミリアは試作トイレの扉を閉めた。

 王国初。

 魔道具式水洗トイレ。


 まだ上水設備は完成していない。

 そのため魔導バッテリーを利用した試作品ではあったが。

 それでも。

 エミリアにとっては革命だった。


「ついに……」


 感慨深い。

 前世では当たり前。

 だが。

 この世界では夢の設備。

 エミリアは静かに腰を下ろした。





 数分後。


「……素晴らしいわ」


 文明の勝利だった。

 思わず天を仰ぐ。

 やはり水洗トイレは偉大である。

 心からそう思った。


 そして。

 以前の自分の発言を思い出した。


『特にウォシュレットが必要だわ!』


 そのため。

 クロエは律儀に搭載していた。

 洗浄機能付きである。


「仕事が早いわね……」


 少しだけ緊張する。

 そして。

 魔道具のスイッチを押した。


 次の瞬間。


「ひゃっ!?」


 身体が跳ねた。

 予想以上だった。

 思わず立ち上がりそうになる。

 冷たい。

 くすぐったい。

 妙な感覚だった。


『な、何ですか今の!?』


 頭の中で。

 エミリアの魂が悲鳴を上げる。


(ウォシュレットよ)

『ウォシュレット!?』

(説明すると長いわ)

『凄いです!』

『凄いです!』

『凄いです!』

(落ち着きなさい)

『だって!』

『だって凄いじゃないですか!』

『水が!』

『お尻を!』

(言わなくていいわ)


 エミリアは額を押さえた。

 頭の中が騒がしい。


『これ王城全部に付けましょう!』

(そのために水道を作ってるのよ)

『天才ですか!?』

(当然でしょう)

『さすがです!』

『未来の悪の女王です!』

(でしょう?)


 少しだけ気分が良くなる。

 そして。

 エミリアは静かに頷いた。


「確かに便利ね」


 前世では当たり前だった。

 だからこそ。

 失って初めて価値が分かる。

 文明とは偉大である。





 数分後。


「どうでした!?」


 扉を開けた瞬間。

 クロエが飛び出してきた。

 目が輝いている。

 完全に発明家の顔だった。


「完璧よ」


 エミリアは満足そうに頷く。


『最高でした!』

(静かにしなさい)

『でも最高でした!』

(それは認めるわ)


 クロエは嬉しそうだった。


「それは良かった!」

「では改良案を――」

「その前に資料を見せなさい」





 執務室。

 机の上には大量の書類が積まれていた。


 上水設備計画書。

 取水設備案。

 王都配管設計図。

 沈殿槽設計。

 ろ過設備案。

 維持管理計画。

 どれも完成度が高い。


「順調ね」

「ええ」


 クロエも満足そうだった。


「面白い研究でした」

「でした?」

「はい」


 クロエはあっさり答える。


「基礎理論は完成しました」

「後は実務担当者へ引き継げば問題ありません」

「私は別の研究を始めようかと」


 エミリアは苦笑した。

 本当に発明バカだった。

 普通なら人生を賭けるような大事業である。

 だが。

 クロエにとっては。

 既に完了した研究らしい。


「次は何を研究するの?」


 クロエの目が輝く。


「実はですね――」

「待ちなさい」


 エミリアは手を上げる。


「その前に」

「私も試してみたいことがあるの」


 クロエが首を傾げる。


「試したいこと?」

「ええ」


 エミリアは楽しそうに笑った。


「少し手伝ってもらえるかしら?」


 その笑顔を見て。

 クロエも笑う。


「もちろんです」

「面白そうですね」

「でしょう?」


 エミリアは立ち上がった。


「研究室へ行くわよ」


 こうして。

 王国初の水洗トイレ完成を祝う暇もなく。

 新たな研究が始まるのだった。





 研究室。

 クロエは新しい設計図を机いっぱいに広げていた。


「それでですね、エミリア様!」

「次は魔導バッテリーの小型化を――」

「待ちなさい」


 エミリアが手を上げる。

 クロエは不思議そうに首を傾げた。


「何でしょう?」

「その前に少し話があるの」


 珍しく真面目な声だった。





「実は」


 エミリアはゆっくり口を開く。


「私は本当のエミリアではないの」


 クロエは黙って聞いていた。


「私は異世界から来た人間よ」

「今はエミリアの身体を借りている状態なの」


 数秒の沈黙。


「なるほど」


 クロエはあっさり頷いた。

 それだけだった。

 エミリアは頭を抱える。


「驚かないの?」

「異世界の知識がありますよね?」

「あるわ」


 クロエの目が輝いた。


「最高じゃないですか!」

「未知の技術!」

「未知の理論!」

「未知の文化!」

「もっと早く言ってください!」


『そんなことって……』


 頭の中でエミリアの魂が呟く。

 王国の存亡に関わる秘密より。

 異世界知識の方が重要らしい。





「それで本題よ」


 エミリアは机の上へ一枚の設計図を置いた。

 先程完成したばかりの水洗トイレだった。


「クロエ」

「はい」

「今の魔道具って基本的に一つのことしか出来ないでしょう?」

「そうですね」


 クロエは頷く。


「火を出す」

「水を出す」

「風を起こす」

「基本的には単機能です」


 エミリアは設計図を指差した。


「今回のトイレもそう」

「水作成」

「水操作」

「給水」

「排水」

「全部別々の魔道具よ」

「ええ」

「寄せ集めですね」





「でも魔法使いは違うでしょう?」


 エミリアは続ける。


「火を出して」

「操って」

「維持して」

「複数の術式を同時に扱う」


 クロエの表情が変わった。

 研究者の顔になる。


「……なるほど?」

「なら」


 エミリアは笑う。


「魔道具も同じことが出来るんじゃないかしら?」


 クロエは固まった。


「待ってください」


 珍しく即答しない。


「その発想自体はあります」

「あるの?」

「ええ」


 クロエは頷く。


「私も考えたことがあります」

「複数の術式を統合する理論」

「ですが成立しませんでした」


 その声には悔しさが混じっていた。


「何かが足りなかったんです」





 エミリアは楽しそうに笑った。


「だから試したいの」

「試す?」

「ええ」


 クロエを見る。


「貴方の知識を借りて」

「私の知識と合わせる」

「そうすれば答えが見えるかもしれない」


 クロエは数秒呆然とした。

 そして。


「面白い!」


 満面の笑みになった。


「やりましょう!」





 蓮は意識を集中する。

 そして。

 エミリアの身体から離れた。





『あれ……?』


 エミリアは目を瞬いた。

 指が動く。

 腕が動く。

 身体が動く。


『動きます……!』


 思わず立ち上がる。

 久しぶりだった。

 自分の身体を自分で動かす感覚。


『私……』

『私です……!』


 感動する。

 その時だった。

 鏡が目に入る。


『……』


 沈黙。


『きゃあああああっ!?』


 研究室に悲鳴が響いた。


『なっ!?』

『何ですかこの格好は!?』


 慌てて身体を隠す。

 顔が真っ赤だった。


『背中が開いてます!』

『足も見えてます!』

『何故こんな服を!?』


 ルミは平然としていた。


「中身の趣味ですね」

『良かった……』


 一瞬安心する。


「良くないですけど」

『良くないです!!』





 一方その頃。

 蓮はクロエの身体で目を閉じていた。


 圧倒的な知識が流れ込んでくる。

 魔石学。

 術式理論。

 素材学。

 魔道具理論。

 老人が人生を捧げて積み上げた知識の全て。


(何だこれ)

(頭おかしいだろ)

『褒め言葉として受け取っておきます』


 頭の中でクロエが答えた。


(全部理解してるのか?)

『しています』

(全部?)

『全部です』

(怖っ)





 蓮は設計図へ視線を落とす。


(やっぱりここだ)

『ええ』


 クロエも同じ場所を見ていた。


『私もここまでは辿り着いていました』

『ですがその先が見えなかった』

(魔法使いは複数の術式を扱える)

『ええ』

(なら魔道具も出来るはずだ)


 蓮は紙へ線を引く。

 術式。

 術式。

 術式。

 それらを繋ぐ。

 まるで電子回路のように。





『待ってください』


 クロエの声が震えた。


『そうか……』

『術式そのものではない』

『術式の接続です』


 猛烈な勢いで計算を始める。


『出来る』

『理論上可能です』

(マジか)

『いえ』

『可能どころではありません』


 クロエは歓喜していた。


『相乗効果が発生します』

『複数の術式を一つの基盤で制御できます』

『自動化も可能です』

『条件分岐も――』

(落ち着け)

『無理です』





 二人は沈黙した。

 紙を見る。

 回路を見る。

 理論を見る。

 理解した。


 これは新しい魔道具ではない。

 新しい学問だ。





(魔道具じゃないな)

『ええ』

(新しい技術体系だ)


 クロエは静かに頷いた。


『魔科学』

(いい名前だ)

『そして』


 クロエは笑う。


『これから生まれるものは魔道具ではありません』

『魔導具です』





 しばらく後。

 蓮はエミリアの身体へ戻った。


 机の上の回路図を見る。


「……あれ?」


 理解できる。

 理由は分からない。

 だが理解できる。


 理論が。

 構造が。

 感覚として残っている。





「エミリア様!!」


 クロエが勢いよく立ち上がった。


「予算ください!」

「いくら?」

「とりあえず全部です!」

「却下よ」

「では半分で!」

「却下」

「四分の一!」

「却下」

「十分の一!」

「何に使うの?」


 クロエは満面の笑みを浮かべた。


「温水です!」


 沈黙。


「温水?」

「トイレから温水を出せるようにします!」

「冷たい水しか出ませんからね!」

「快適性向上です!」

「王国の未来です!」


 エミリアは額を押さえた。


「……善処するわ」

「やりました!」


 その日。

 ローゼンバーグ王国に魔科学という新たな学問が誕生した。

 なお。

 最初の研究テーマは温水洗浄便座だった。



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