地下に眠る天才 ②
ノーシ家の屋敷は、かつて名門貴族と呼ばれていた頃の面影を残していた。
大きな門に広い庭。屋敷そのものも立派だが、外壁や庭の一部には手入れが行き届いていない場所が目立つ。
エミリアが馬車を降りると、玄関前には当主らしき男と数人の使用人が並んでいた。
「エ、エミリア様。本日はこのようなところまで、わざわざお越しいただき……」
「挨拶はいいわ。貴方の家の三男に会いに来たの」
「……三男、でございますか?」
ほんの一瞬、男の表情が固まった。僅かな変化だったが、エミリアは見逃さない。
「魔道バッテリーを作った人よ。いるのでしょう?」
今度は明らかな沈黙だった。隣に立つハルトも眉を寄せる。
「どうしたの?」
「い、いえ……確かに、そのような者はおりますが……」
「なら会わせなさい」
「しかし、あれはエミリア様がお会いになるような者ではございません」
「あれ?」
声の調子は変わらない。それでも、当主の肩が僅かに強張った。
「随分な呼び方をするのね」
「も、申し訳ございません。ただ、非常に変わった男でございまして、人前へ出せるような者では――」
「私が会いたいと言っているのだけれど?」
男が言葉を失う。
エミリアは微笑んだ。
「案内なさい」
拒否という選択肢は、最初から与えていなかった。
「……かしこまりました」
当主は諦めたように頭を下げた。その様子をルミは楽しそうに眺め、ハルトだけが何か引っかかったようにノーシ家の者達を見ていた。
◇
ノーシ家の三男は、生まれた時から歓迎されていなかった。
理由は単純だった。
醜かったからだ。
「……なんだ、その顔は」
父親は生まれたばかりの我が子を見て顔をしかめた。母親は目を逸らし、二人の兄も成長するにつれて彼を笑うようになった。
「まるでゴブリンだな」
幼い頃から、家族の中に居場所はなかった。
食事も部屋も与えられ、最低限の教育も受けさせてもらった。ただし、それは愛情からではない。ノーシ家の人間として、外で恥を晒さないため。それだけだった。
学園へ通うようになっても、状況は大して変わらない。
家名は伏せられた。ノーシ家は、彼が一族の人間だと知られることすら嫌った。
「おい、ゴブリン」
「こっち見るなよ」
同級生から笑われ、教科書を隠され、時には石を投げられることさえあった。
けれど、本人は意外なほど気にしていなかった。
そんなことより、もっと面白いものを見つけてしまったからだ。
魔道具。
初めて授業で触れたその日、彼は教師の説明よりも、目の前の道具そのものに夢中になった。
何故、この形なのか。何故、魔力を流すと術式が動くのか。中はどうなっているのか。
知りたい。
もっと知りたい。
授業が終わった後、こっそり分解した。
元に戻せなくなった。
当然、怒られた。
そして翌日。また別の魔道具を分解した。
「昨日怒られただろう!」
「今度は戻せると思ったんですが」
「戻せていないだろう!」
もっともだった。
だが、本人にとって重要なのはそこではない。昨日分からなかったことが、今日は一つ分かった。
ならば、それでいい。
調べて、分解して、考えて、作る。
気付けば教師よりも魔道具の構造に詳しくなり、教えられていない理論を理解し、誰も見たことのない仕組みを設計図へ描くようになった。
研究している時だけは、周囲の視線など本当にどうでもよかった。
楽しい。
知りたい。
作りたい。
それだけで十分だった。
やがて、その才能は一つの発明として形になる。
当時、魔道具を使用するには、基本的に使用者自身の魔力が必要だった。
ならば、先に魔力を貯めておけばいい。必要な時に、そこから魔道具へ供給する。
考え方だけなら単純だったが、それを実際に動く物へ変えるには幾つもの問題を越えなければならない。
何度も失敗し、設計を変え、また試す。
そしてついに完成した。
魔道バッテリー。
魔力を蓄え、必要に応じて魔道具へ供給する装置だった。
その価値に周囲が気付くまで、時間はかからない。学者が驚き、商人が興味を示し、軍も目をつけた。
――ノーシ家が、画期的な魔道バッテリーを開発した。
その名は王都に広まった。
だが、それを作った本人の姿が表へ出ることはなかった。
「お前は出るな」
父親はそう命じた。
「……何故です?」
「本当に分からないのか? その顔でノーシ家を名乗られてみろ。家名に傷がつく」
兄達も同じだった。
「発明だけあればいい。お前が表へ出る必要はない」
彼らが欲しいのは三男ではない。
その頭脳だった。
その後、屋敷の地下に研究室が用意された。
外へ出るな。人前にも出るな。必要な研究をしていればいい。
本人は、最初それほど嫌がらなかった。
「研究は続けていいんですか?」
「必要な物は用意する」
「なら構いません」
家族は呆れた。
外へ出ても笑われるだけだ。地下には紙があり、インクがあり、工具がある。
研究ができる。
なら、どちらでもよかった。
そこで彼は次々と新しいものを考えた。生活を便利にする道具、農作業を助ける仕組み、少ない労力で大きな仕事をするための機械、魔力を効率良く利用する方法。
そして――兵器。
ある日、兄が一枚の設計図を見つけた。
「……なんだ、これは?」
そこには長い筒状の物体が描かれていた。
「兵器です」
「これが?」
「筒の中で瞬間的に大きな力を発生させ、その力で金属の塊を前方へ射出します」
兄は設計図を見つめた。
「……爆発させるのか?」
「それに近い現象を利用できれば」
「そんな魔法をどうやって安定して発生させる?」
「まだ方法はありません」
「筒はどうする。そんな力を閉じ込めれば壊れるだろう」
「ですから、それに耐えられる素材と加工技術が必要です」
「あるのか?」
「ありません」
「射出した物が真っ直ぐ飛ぶ保証は?」
「そこも研究が必要です」
兄はしばらく黙ったあと、設計図を机へ叩きつけた。
「何一つ出来ていないではないか! 兵器を作れと言ったんだ! 使えもしない妄想に時間を使うな!」
「ですが、理論としては――」
「理論で敵が死ぬか!」
もっともだった。
兄が地下室を出ていくと、男は床へ落ちた設計図を拾った。
確かに、今の技術では作れない。瞬間的に必要な力を発生させる方法も、それに耐えられる素材もない。精密な筒を作る加工技術も足りず、実験するための予算も設備も与えられていなかった。
ならば、この設計はただの紙切れだ。
――今は。
男は再び椅子へ座った。
もし力を生み出す方法が見つかったら。耐えられる素材ができたら。飛ばす物体へ回転を与えれば、軌道を安定させられるのではないか。
そこで手が止まった。
これは、人を殺すための道具になる。
分かっていた。
自分が本当に作りたいのは、もっと多くの人間が便利に使えるものだ。魔道バッテリーだって、そのために作った。
生活を便利にしたい。苦労している仕事を楽にしたい。魔力を持たない者でも、新しい道具を使えるようにしたい。
その気持ちに嘘はない。
ならば、こんな物は考えるべきではない。
そこまで分かっている。
それでも。
「……回転」
もし射出する金属を回転させれば、本当に軌道は安定するのだろうか。
どの程度の速度まで上げられる。
形は。
重さは。
筒の長さは。
気付けば、再び筆を握っていた。
止められなかった。
人を助ける道具か、人を殺す道具か。
そんなこととは別のところで、一度見つけてしまった可能性の先を知りたかった。
考えたい。
確かめたい。
できるのなら――作ってみたい。
それが彼だった。
もちろん、設計図の大半は実物にならなかった。
金がない。材料がない。設備がない。何より、時代そのものが彼の発想へ追いついていない。
だから紙だけが増えていく。
ある物は後に見れば農業機械の原型だった。ある物は同じ部品を何度も正確に作るための装置。ある物は離れた場所へ力を伝えるための機構。
中には、本人でさえ何に使えるのか分からないまま描いた物まであった。
ノーシ家の評価は一つだった。
「また使えない物を考えているのか」
「金にならん」
「役に立たない」
「何故こんな無駄なものばかり考える?」
本人も反論できないものは多かった。
今は作れない。用途もはっきりしない。金にもならない。
それでも、思いついてしまう。
そして思いついた以上、その先を考えずにはいられなかった。
そんな中、魔道バッテリーだけは現実に世界へ出た。
やがて兄が、その運用報告書を地下へ持ってくる。
軍事利用。
戦術研究。
新しい兵器への応用。
魔道バッテリーは、男が思い描いていた以上に軍事分野で利用されていた。
「……なるほど。こんな使い方もあるのか」
報告書を読みながら男が目を細めると、兄は怪訝そうな顔をした。
「不満ではないのか? お前は生活を便利にしたいなどと言っていただろう」
「それは今でも思っています。ですが、これはこれで興味深い」
兄は呆れた顔をする。
「なら次は、もっと戦争に役立つ物を作れ」
「それだけですか?」
「……何?」
「せっかく新しいことができるようになったのに、兵器だけでは勿体ないでしょう」
「またくだらない物を考えるつもりか」
「くだらないかどうかは、作ってみなければ分かりません」
「作る価値がある物だけ考えろ!」
兄は怒鳴って出ていった。
男はその背中を見送り、再び机へ向かう。
価値があるかどうか。
役に立つかどうか。
それを最初から決めることに、どうしても興味が持てなかった。
可能性があるなら考える。
面白ければ研究する。
作れるかもしれないなら、作ってみたい。
ただ、それだけだった。
年月が流れた。
父は老い、兄達が家の実権を握る。男の存在を知る者も減り、新しい工具は届かなくなった。材料も減り、最初は十分に与えられていた食事も、いつしか一日二回になり、やがて一回になる。
それでも研究を続けた。
腹が減ることより、手が震えることの方が困った。
線が真っ直ぐ引けない。細かな作業ができない。考えることはできても、身体がついてこない。
それが何より腹立たしかった。
痩せ細った身体で机へ向かい、震える手で筆を握る。立ち上がることさえ辛くなっても、頭の中だけは動き続けた。
机の上には、完成しなかった設計図が積み上がっていく。
ある日、皺だらけになった自分の手を見て、男はふと思った。
「……もう、長くないか」
怖くはなかった。
ただ、惜しかった。
まだ試していない。
まだ分からない。
まだ作れていない。
頭の中には、いくらでも続きがある。
なのに身体だけが先に終わろうとしている。
「……勿体ないな」
掠れた声で呟いた。
その時だった。
地下室の外が騒がしくなった。
普段ならほとんど人の気配などしないのに、今日は複数の足音と、何かを言い争う声が聞こえる。
やがて階段を下りてきた足音が研究室の前で止まり、鍵が回った。
重い扉が開く。
久しぶりの明るさに、老人は目を細めた。
その光の中へ、一人の少女が入ってくる。
白銀の髪。
華やかな黒いドレス。
この薄暗い地下室にはあまりにも場違いなほど、堂々とした姿だった。
少女――エミリアは、まず老人を見る。
次に、机の上へ山のように積み上げられた設計図へ視線を移した。
一枚。
二枚。
何気なく手に取っていく。
「エミリア様、そのような物は見る価値もございません」
後ろからノーシ家の当主が言った。
「昔からそうなのです。役にも立たない物ばかり考えて……魔道バッテリー以外は、ほとんど使い物にならないものばかりで」
エミリアは答えなかった。
一枚の設計図を持ち上げる。
長い筒。
内部で急激な力を発生させ、その力で金属を前方へ射出する構造。
未完成。
使える動力はない。
素材も加工技術も足りない。
実物を作った形跡さえない。
けれど、蓮には分かった。
――これ。
「……銃じゃない」
小さな声が漏れた。
『じゅう?』
元のエミリアには意味が分からない。
さらに別の紙を取る。
これも。
その次も。
完成してはいない。中には荒唐無稽なものもある。
だが、少なくとも蓮には分かった。
この老人は誰かに教えられたわけでもないのに、この世界にまだ存在していないものへ、自力で何度も手を伸ばしている。
エミリアの口元が、ゆっくりと上がった。
「……ふふ」
老人が怪訝そうに顔を上げる。
エミリアは楽しそうに設計図を眺めた。
「この老人、面白いわ」
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