地下に眠る天才 ① 挿絵有
6/21 エミリア 設定資料集風イラスト追加しました
※本話以降、主人公は外見上の分かりやすさを優先し、基本的に「エミリア」と表記します。
※元のエミリア本人の意識は『 』内で表記します。
※蓮本人の思考や人格、元の世界の知識を強調する場合のみ「蓮」と表記します。
炊き出しを始めてから、数週間が経った。
王都は少しずつ変わり始めていた。
大通りからは目立つゴミが消え、放置されていた木箱や壊れた露店も片付けられた。清掃の仕事で僅かながら賃金を得る者が増え、その金が使われることで、閉まりかけていた店にも少しずつ客が戻っている。
もちろん、滅亡寸前だった国が数週間で立ち直るはずもない。金も足りず、食料も十分とは言えない。直さなければならない場所だって、探せばいくらでも出てくる。
それでも、以前よりは随分ましだった。
王城の窓からそんな街を眺め、エミリアは満足そうに頷く。
「悪くないわね」
『街が随分綺麗になりましたね』
「当然でしょう? 私が住む街なのだから、汚いままでは困るもの」
『皆さんも喜んでいるみたいです』
「そう」
それについては、特に感想もないらしい。
エミリアは窓辺を離れ、執務机へ戻った。
机の上には王都の報告書や財政関係の資料、食料の在庫表などが広げられている。
そして、それらと同じくらいの場所を占領しているのが――大量のドレスのデザイン画だった。
「……これも違うわね」
一枚を横へ除け、次の紙を引き寄せる。
黒を基調としたドレス。銀糸を使った刺繍。薔薇を思わせる装飾に、大胆に広がるシルエット。
肩や背中を大きく見せ、身体の線が最も美しく映えるよう、細部まで考えられている。
既に何着か新しいドレスを作らせているというのに、エミリアに満足する気配はなかった。
『また作るんですか?』
「当たり前でしょう?」
『この間のドレスも、まだ数回しか着ていませんよね?』
「だから何?」
『普通は、そんな頻度で新しいドレスを作らないと思います……』
「普通の王女になるつもりはないもの」
『悪の女王って、そんなに衣装が必要なんですか?』
「必要よ」
即答だった。
『……本当に?』
「少なくとも私は必要なの」
元のエミリアが何か言いたそうにしていたが、気にせず筆を走らせる。
せっかく理想通りの身体を手に入れたのだ。ならば、着たい服を好きなだけ着る。
悪の女王を名乗るなら、その姿まで美しくなければならない。
それが蓮なりの矜持だった。
『あ、そこ』
「何?」
『腰から裾の線、もう少し緩やかにした方が綺麗だと思います』
エミリアの手が止まる。
「こう?」
『もう少しだけ……はい。それくらいです』
「なるほど」
言われた通りに線を修正する。
ついでに襟や袖にも元のエミリアが口を出し、何となくそのまま描き直していくと、最初に考えていたものとは随分違った服が出来上がった。
露出は少なく、黒でもない。華美というより上品で柔らかな印象があり、それでいて古臭さを感じさせない、妙に洗練されたデザインだった。
エミリアはしばらく眺める。
「……綺麗ね」
『でしょう?』
「でも、私が着るには大人しすぎるわ」
『えぇ……』
「もっとこう、見ただけで悪の女王だと分かるくらいじゃないと」
『服だけで分からせる必要があるんですか?』
「あるわよ」
エミリアはそのデザイン画を、自分用とは別の束へ置いた。
最近、こういうものが時々出来上がる。
自分用のドレスを考える途中で元のエミリアが口を挟んだり、息抜きに彼女の思い描く服を形にしたりすると、蓮の趣味とは明らかに違うデザインになるのだ。
自分で着たいとは思わない。
だが、捨てるには惜しい。
今の二人にとっては、その程度の認識だった。
「エミリア様」
扉の外から声がした。
「入りなさい」
「失礼いたします」
入ってきたのはセバスだった。
老執事は机の上に積み上がった大量の紙を見て、一瞬だけ視線を止める。
「……また、新しい衣装でございますか」
「何よ、その言い方」
「いえ。何も申し上げておりません」
返答が妙に早かった。
部屋の隅に控えていたルミが、小さく笑う。
「最近、裁縫を担当されている方々がエミリア様のお名前を聞くと、少しだけ遠い目をされるようになりました」
「失礼ね」
「何故でしょうね」
「知らないわ」
絶対に原因を分かっている顔だった。
セバスは何も言わず、持っていた書類を差し出す。
「昨日までの王都清掃についての報告でございます」
「そこへ置いてちょうだい」
エミリアは簡単に目を通した。
大通り、市場、住宅区、裏路地。当初より清掃する範囲はかなり広がっている。
「まだ西側が遅れているわね」
「人手を追加いたしますか?」
「そうしなさい。目につくところだけ綺麗でも意味がないわ」
「承知いたしました」
そこでエミリアは報告書を机へ置き、少し嫌そうな顔をした。
「……ただ」
「何か問題がございましたか?」
「臭いわ」
「はい?」
「街が」
ゴミそのものは減った。
だが、それだけでは消えない臭いがある。
この世界では、汲み取り式の便所が一般的だった。王城や貴族の屋敷であっても基本は同じで、溜まったものを使用人や専門の者が定期的に回収する。
平時なら、それでも何とか回る。
だが今のローゼンバーグ王国は、人も金も足りていない。当然、回収も滞る。
「せっかくゴミを片付けたのに、何でまだこんなに臭うのよ」
『それは……仕方ないのでは?』
「嫌よ」
即答だった。
『嫌と言われましても……』
「私が住む街なのよ? 窓を開けたら臭い、歩いても臭いなんて美しくないでしょう?」
『美しさの問題なんですね……』
「重要よ」
元の世界で現代日本に生きていた蓮にとって、この世界の排泄事情はかなり辛い。
そして、一度気になり始めるともう駄目だった。
「水洗トイレが欲しいわ」
「すいせん……といれ?」
セバスが聞き慣れない言葉を繰り返す。
「水で流すのよ。用を足したら、全部まとめて流してしまうの」
『そんなことができるんですか?』
「できるわ」
エミリアは新しい紙を取り出し、簡単な図を描き始めた。
「水を高い場所へ溜めて、そこから高低差と圧力を利用して流す。必要な場所まで水路を引いて、使った水は別の水路から外へ出す」
セバスが図を覗き込む。
「そのような仕組みを……」
「水路を引くところまでは、それほど難しくないと思うわ」
蓮は技術者ではない。
だが、元の世界で得た知識はある。
上下水道がどういう考え方で作られているのか。水源からどう水を運ぶのか。高低差や水圧をどう利用するのか。排水する水路に勾配が必要なことも分かる。
王都の地形と水源を調べれば、大まかな水路を引くことくらいはできるだろう。
問題は、その先だった。
エミリアは図の建物部分を筆先で軽く叩く。
「問題はこっちね」
水を必要な量だけ流し、必要な時には止める。水漏れを防ぎ、圧力に耐えられる配管を繋ぐ。
そして、便器から下水へ綺麗に流す。
現代では当たり前に存在した設備で、仕組みも分かっている。
だが――。
「この世界で同じものを作ろうとすると、面倒なのよ」
『仕組みが分かっていても駄目なんですか?』
「考えはつくわ。でも、それを作る設備がないもの」
精密な加工。
均一な部品。
大量の配管。
水漏れしない接合部。
元の世界なら当たり前に手に入ったものでも、この世界ではそうはいかない。
金と時間をかければ、似たものを一つ作ることくらいはできるかもしれない。
だが、王城の便所だけ綺麗になったところで、一歩街へ出れば結局臭う。
「それじゃ意味がないのよね……。どうせなら、街ごと綺麗にしたいわ」
『……やっぱり全部やるんですね』
「私が歩くところでしょう?」
『そうでしたね……』
元のエミリアも、少しずつ蓮の考え方に慣れてきたらしい。
セバスは報告を終えると一礼し、扉の外へ下がった。
扉が閉じる。
ルミが横から紙を覗き込む。
「そんなに欲しいのでしたら、私が作りましょうか?」
エミリアが顔を上げる。
「作れるの?」
「もちろんです」
ルミは胸を張った。
「神ですから」
「どのくらいで?」
「今からでも」
「王都全部?」
「その程度でしたら」
さらりと言った。
エミリアは数秒考える。
「却下」
「何故です!?」
「美しくないもの」
ルミの顔が止まった。
「……はい?」
「神様にお願いして、はい出来ました、ではつまらないでしょう?」
「便利ですよ?」
「知ってるわよ。でも嫌」
エミリアはきっぱりと言い切った。
せっかく自分が治める国なのだ。
欲しいものを神の奇跡だけで出してもらうなど、悪の女王として面白くない。
どうせなら、この国にあるものを使い、自分の望む形にしてみたい。
「私の国なのだから、私の好きなように作るわ」
ルミは少しだけ遠い目をした。
「この人は何のために神を魅了したのでしょう……」
『私も時々そう思います』
「聞こえてるわよ」
二人は黙った。
エミリアはもう一度、水路の図へ目を落とす。
現代の設備を、そのまま再現する必要はない。
結果さえ同じならいい。
この世界には地球にはなかった魔法があり、魔道具もある。特殊な素材だってある。
それらを利用すれば、もっと別の方法で同じ結果を作れるかもしれない。
「問題は、それを作れる人がいるかね」
既にあるものを作れるだけでは足りない。
存在しないものを説明され、それを形にできる人間。
常識にない仕組みを聞かされても、最初から無理だと決めつけない人間。
そして何より、面白いものを作ること自体を楽しめる人間。
そこまで考えたところで、エミリアはふと口元を緩めた。
「悪の組織には、やっぱり怪しい科学者が必要よね」
「急に何の話ですか?」
ルミが真顔で聞いた。
「重要な話よ」
「トイレの話では?」
「同じ話よ」
「同じなのですか?」
エミリアは真剣だった。
悪の女王。
怪しい研究所。
天才科学者。
実に素晴らしい。
その時、記憶に引っかかるものがあった。
蓮の記憶ではない。
元のエミリアが持つ、この世界の記憶。
「……あら?」
『どうしました?』
「そういえば……いたわね」
ある家名が浮かぶ。
ローゼンバーグ王国の貴族――ノーシ家。
そして、その三男。
表舞台へ姿を見せることはほとんどなかったが、彼が生み出したものだけは有名だった。
魔道バッテリー。
魔力を蓄え、魔道具へ外部から供給するための装置。
それまでの常識を大きく変えた発明だった。
「魔道バッテリー……」
エミリアは扉へ視線を向けた。
「セバス」
「はい」
扉が開き、先ほど退室した老執事が再び姿を見せる。
「ノーシ家の三男だったわよね?」
セバスが僅かに眉を動かした。
「左様でございます」
確認を終えたセバスは再び一礼し、扉の外へ下がった。
エミリアの記憶にも、その人物について詳しい情報は残っていない。
天才。
発明家。
変わり者。
そして、ノーシ家の三男。
魔道バッテリーが世に出た頃には噂になったものの、本人が公の場へ姿を見せることはほとんどなかった。
いつしか、その噂さえ聞かなくなった。
今も研究を続けているのか。
今もノーシ家にいるのか。
そもそも生きているのか。
それすら分からない。
だが。
「面白そうじゃない」
エミリアの口元が吊り上がった。
一度、この世界の常識を変えるものを作った人間。
それなら、地球の仕組みをこの世界の技術へ置き換えるという無茶な話にも付き合えるかもしれない。
しかも、変人。
悪の組織の科学者としては申し分ない。
『会ってみるんですか?』
「もちろん」
「今からですか?」
ルミが聞く。
「今からよ」
即答だった。
エミリアは扉へ向かって声をかけた。
「セバス。ノーシ家へ使いを出しなさい」
「承知いたしました」
「私が行くと伝えて」
セバスの動きが一瞬止まった。
「エミリア様ご自身が?」
「そうよ」
「まずは先方を城へ呼ばれては?」
「嫌」
「何故でございますか?」
「待つのが面倒だもの」
あまりにも単純な理由だった。
セバスは静かに頭を下げる。
「……かしこまりました」
足音が遠ざかっていく。
エミリアは満足そうに頷き、そこでふと思いついたようにルミを見る。
「そうだわ。ルミ」
「何でしょう?」
「例えば、ものすごく優秀だけれど、身体に恵まれていない人がいたとして」
「はい」
「もっと美しくできない?」
ルミが首を傾げる。
「できますよ」
「……できるの?」
「神ですから」
またその答えだった。
「魂の定着も、新しい肉体の生成も可能です。本人に合わせて調整することもできます」
「へぇ……」
エミリアの瞳が楽しげに細められた。
実にいい。
悪の組織らしくなってきた。
「何を考えているのですか?」
「別に?」
「その顔で言われても説得力がありません」
「会ってから考えるわ」
この時点では、相手がどんな人物なのかすら分からない。
今も生きているのかどうかも分からない。
ただ一つ。
面白そうだ。
エミリアにとっては、それだけで会いに行く理由として十分だった。
◇
それからしばらくして、王城の門前には一台の馬車が用意されていた。
「お待ちください!」
乗り込もうとしたところで、慌ただしい足音が近づいてくる。
ハルトだった。
「どちらへ行かれるのですか!」
「ノーシ家よ」
「何故!?」
「人材確保」
短い返答だった。
ハルトは息を整えながら馬車を見る。
護衛らしい騎士の姿はない。
いるのはエミリアとルミ、それに御者だけだった。
「せめて護衛をお連れください!」
「ルミがいるでしょう?」
「侍女一人では護衛になりません!」
ルミが少しだけ傷ついた顔をする。
当然、ハルトは知らない。
目の前にいるメイドが、地上のどんな生物よりも遥かに強大な神の分体であることなど。
「大丈夫よ」
「大丈夫ではありません!」
「じゃあ貴方も来れば?」
「最初からそのつもりです!」
どうやら止めるという選択肢は諦めたらしい。
「そう。なら乗りなさい」
「……承知しました」
ハルトは額を押さえながら馬車へ乗り込んだ。
ほどなくして、馬車が王城を離れる。
向かうのは王都の一角。
かつて名を知られた貴族家――ノーシ家。
その道中、エミリアは窓の外を眺めながら、自分の描いた水路の図を手にしていた。
欲しいのは、ただ快適なトイレ。
そして、自分が歩く街から糞尿の臭いを消すこと。
そのために、かつてこの世界の常識を変えた一人の天才を探しに行く。
本人にとっては、それだけのことだった。
やがて馬車が速度を落とし、窓の向こうに一つの屋敷が見えてくる。
「着きました」
御者の声がした。
エミリアは水路の図を畳み、楽しそうに微笑む。
今もいるのか。
どんな人間なのか。
自分の無茶な注文に、どんな顔をするのか。
何一つ分からない。
だからこそ、面白い。
馬車の扉が開く。
エミリアは黒いドレスの裾を揺らしながら、ノーシ家の屋敷を見上げた。
「さて――会わせてもらいましょうか」
かつて、この世界の常識を一つ変えた天才に。




