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地下に眠る天才 ① 挿絵有

6/21 エミリア 設定資料集風イラスト追加しました

※本話以降、主人公は外見上の分かりやすさを優先し「エミリア」と表記します。

※元のエミリア本人の意識は( )内で表記されます。

※蓮本人の思考や人格を強調する場合のみ「蓮」と表記します。


 第3話 地下に眠る天才


 炊き出し開始から数週間。

 王都は少しずつ変わり始めていた。


 街路からゴミが減った。

 市場には活気が戻り始めた。


 まだ滅亡寸前であることに変わりはない。

 だが確実に。

 以前より良くなっている。


 そして王城の執務室では。

 その報告書に目を通しながら。

 エミリアが別のことをしていた。


 さらさらとペンが走る。

 一枚の紙。

 そこには美しいドレスのデザイン画が描かれていた。


 黒を基調としたドレス。

 銀糸の刺繍。

 黒薔薇の装飾。

 優雅でありながら威厳を感じさせる意匠。


 エミリアは少し首を傾げる。


「ここが微妙ね」

(あの……)


 内側から声が聞こえた。


(その部分はもう少し細くした方が綺麗だと思います)


 エミリアはペンを止める。


「どこ?」

(そこです)

(腰から裾にかけてのラインをもう少し……)

「なるほど」


 さらさら。

 迷いなく線を引き直す。

 数秒後。

 二人は完成した絵を見た。


「素敵じゃない」

(素敵です)


 エミリアは満足そうに頷く。


「私が着るのに相応しいわ」

(そう言えば私が着せられるんでした……)


 内側のエミリアは少しだけ遠い目をした。

 そんなことは気にしない。


 エミリアは机のベルを鳴らす。

 しばらくして。

 セバスが入室した。


「お呼びでしょうか」

「これ」


 エミリアは紙を差し出す。

 セバスは受け取る。

 内容を見た。

 そして。

 静かに苦笑した。


「また新しいドレスですか」

「当然でしょう?」


 エミリアは胸を張る。


「悪の女王に衣装は重要よ」

「左様でございますか」


 セバスは慣れた様子だった。

 もう驚かない。

 驚いても無駄だからである。


「オルガには?」

「まだよ」

「では私から伝えておきましょう」

「お願い」


 セバスは一瞬だけ。

 心の中でオルガへ謝罪した。

 そして退室する。


 扉が閉まる。

 静寂。

 エミリアは椅子へ深く腰掛けた。


 報告書。

 王都。

 財政。

 人材。

 山積みの問題。

 だが。

 今の彼女にはもっと重要な問題があった。


「水洗トイレよ」


 ルミが顔を上げた。


「はい?」

「水洗トイレが必要だわ」


 沈黙。


「特にウォシュレット」

「ビデ」

「温水機能」

「乾燥機能」

「最低でもそこまでは欲しいわね」

(何のお話でしょう……)


 内側のエミリアも困惑していた。


「ありません」


 ルミは即答した。


「この世界にそんな物ありません」

「無ければ作ればいいのよ」

「作れません」


 これも即答だった。

 エミリアは不満そうに腕を組む。


「仕組みは分かるのよ。でも作れないの」


 水路。

 配管。

 貯水設備。

 浄水。

 理屈は分かる。

 だが作れない。

 そもそも上水道そのものが存在していない。


「魔法で何とかならないの?」

「なりますよ?」


 ルミは即答した。


「私が作れます」

「今からでも」

「ぱっと」

「却下」

「何故です?」


 エミリアは真顔で答える。


「美しくないもの」

「は?」

「私の美学に反するわ」


 ルミは遠い目をした。


(この人は何のために私を魅了したんでしょう……)


 神の奇跡を拒否する人間など初めて見た。


「何とかならないかしら……」


 エミリアは考え込む。

 王国。

 人材。

 職人。

 学者。

 発明家。

 技術者。


 そこで。

 ふと思い出した。


「そうだわ」

「ん?」

「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」


 ルミが嫌な予感を覚える。


「やっぱりトイレですか?」

「そっちじゃないわ」


 少し残念そうに答えた。

 ルミは安心する。

 どうやらトイレの話ではないらしい。


「じゃあ何です?」


 エミリアは少し考えた。

 そして口を開く。


「悪の組織には優秀な幹部が必要でしょう?」

「知りません」

「必要なの」


 真顔だった。


「怪しい科学者」

「狂信的な部下」

「忠実な側近」

「そういうのが必要なのよ」


 ルミは頭を抱える。

 始まった。

 また始まった。


「それで?」

「配下は美しい方が良いでしょう?」

「知りません」

「重要よ」


 エミリアは断言した。


「とても重要」


 ルミは諦めた。

 真面目に考えるだけ無駄だった。


「例えば」


 エミリアはルミを見る。


「才能はある」

「でも身体に恵まれない」

「そんな人がいたとして」

「はい」

「もっと美しく出来ない?」


 ルミは少し考えた。

 そして。

 にっこり笑った。


「容易いことですよ」


 エミリアが固まる。


「出来るの?」

「出来ます」

「本当に?」

「神ですから」


 ルミは胸を張る。


「魂の定着」

「肉体生成」

「能力補正」

「全部可能です」

「へぇ……」


 エミリアの口元が吊り上がる。

 良いことを聞いた。

 非常に良いことを聞いた。


 ルミはそんな顔を見て。

 猛烈な嫌な予感を覚えた。


「何を企んでるんです?」

「秘密よ」


 即答だった。


「先に言ったらつまらないでしょう?」


 絶対に碌なことではない。

 だが。

 エミリアは既に別のことを考えていた。


 王国の人材。

 技術者。

 発明家。

 そして。

 一つの記憶が引っ掛かる。


 魔導バッテリー。

 天才発明家。

 貴族家の三男。

 地下研究室。

 変人。

 天才。

 そして――。


「……あら」


 エミリアが笑う。


「良い人材がいるじゃない」


 ルミが嫌な予感を覚える。


「今度は誰です?」


 エミリアは立ち上がった。

 新しい玩具を見つけた子供のように。


「悪の組織には怪しい科学者が必要よね」


 そう言って。

 エミリアは執務室のベルを鳴らした。


 しばらくして。

 使用人が慌てて入室する。


「お呼びでしょうか」


 エミリアは微笑んだ。

 悪戯を思いついた子供のように。

 そして。

 王命を告げる。


「ノーシ家へ使いを出しなさい」


 使用人が固まる。


「ノーシ家……でございますか?」

「ええ」


 エミリアは頷く。


「今から私が行くと伝えなさい」

「か、かしこまりました!」


 使用人は慌てて部屋を飛び出した。

 その様子を見送ったエミリアは立ち上がる。


「行くわよ」

「今からですか?」


 ルミが呆れたように聞く。


「今からよ」


 思い立ったら即行動。

 それが悪の女王である。


 数分後。

 城門前。

 馬車の準備が進められていた。


「お待ちください!」


 駆け寄ってきたのはハルトだった。

 息を切らしている。


「どちらへ行かれるのですか!」

「人材確保よ」

「それは分かっています!」


 分かっていない気もした。


「せめて護衛を!」


 ハルトは真面目な顔で言う。


「ルミがいるでしょう?」


 即答だった。


「必要ないわ」


 ルミは少しだけ誇らしかった。

 ハルトは頭を抱える。

 知らないのだ。

 このメイドが世界最強格の神であることを。


「はぁ……」


 深いため息。

 そして。


「好きにしてください」


 投げた。

 もう知らない。


「当然ね」


 エミリアは満足そうに頷いた。


 こうして馬車は出発する。

 向かう先は貴族街。

 かつて王都の中心として栄えた地区。

 今では見る影もない。


 窓の割れた屋敷。

 放置された庭園。

 雑草の生えた石畳。

 貴族達の没落を象徴するような光景だった。


 その中でも。

 ノーシ家の屋敷は比較的大きかった。

 かつては豪華だったのだろう。

 しかし今は違う。

 手入れの行き届かない庭。

 色褪せた外壁。

 維持費すら厳しいことが一目で分かる。


「間に合ったみたいね」


 エミリアが馬車の窓から眺める。

 屋敷の中が慌ただしい。

 使用人達が走り回っていた。

 どうやら使者は先に到着していたらしい。


 ルミが耳を澄ませる。


「面白いですね」

「何が?」

「中で騒いでます」


 そして。

 少し楽しそうに笑った。


「何で無能姫が来るんだって」


 エミリアは鼻で笑う。


「ふん」

「勝手に言わせておきなさい」


 馬車の扉が開く。

 エミリアは優雅に降り立った。


「羽虫がどう騒ごうとも」

「私には聞こえないわ」


 実際は聞こえていた。

 だが気にしない。

 悪の女王とはそういうものである。


 正面玄関では。

 既に当主らしき男が待っていた。

 額には汗。

 顔には作り笑い。

 典型的な貴族だった。


「これはこれはエミリア様」


 深々と頭を下げる。


「本日はどのようなご用件で――」

「羽虫に用はないわ」


 男の笑顔が固まった。

 エミリアは構わない。

 男の横を通り過ぎる。

 そして。

 迷いなく屋敷の奥へ向かった。


「なっ……」

「お待ちください!」


 当主が慌てる。

 使用人達もざわつく。

 何故知っている。

 何故そちらへ向かう。


 エミリアは振り返らない。

 ただ一言。


「ここにいるでしょう?」


 その声に。

 屋敷中の空気が凍り付く。


「最高の魔導技師が」



 誰も言葉を発せない。


 何故知っている。


 何故そこへ向かう。


 その答えを知る者は。


 まだ誰もいない。


 エミリアは地下へ続く扉の前で立ち止まる。


 そして振り返った。


「開けなさい」


 当主が慌てて前へ出る。


「お、お待ちください!」


「そこは物置でして――」


 エミリアは冷たく視線を向けた。


「私が」


 一歩前へ出る。


「この先に用事があるの」


 静寂。


 その美貌も相まって。


 空気が凍り付く。


「開けなさい」


 有無を言わせない声音だった。


 当主は顔を青くする。


「か、鍵を持ってこい!」


 使用人達が慌てて駆け出した。


 しばらくして。


 重い鍵が運ばれてくる。




 ――地下には。

 一人の天才がいる。

 誰にも理解されず。

 誰にも必要とされず。

 それでも研究を続けることをやめられなかった。

 一人の発明家が。


 ローゼンバーグ王国。

 ノーシ家。

 かつては名門と呼ばれた貴族家である。

 その三男として。

 一人の子供が生まれた。


 誰も祝福しなかった。

 産声を上げた瞬間から。

 醜かったからだ。


「なんだこの顔は……」

「本当に我が家の子か?」

「まるでゴブリンじゃないか」


 父は顔をしかめた。

 母は目を逸らした。

 兄達は笑った。


 その日から。

 彼は家族ではなくなった。

 ただ家に置かれているだけの存在。

 それが彼だった。


 それでも。

 最低限の教育だけは受けさせられた。

 貴族として必要だからではない。

 恥をかかせないためだ。


 やがて学園へ通う年齢になる。

 家名は伏せられた。

 当然だった。

 こんな顔をした子供がノーシ家の人間だと知られたくなかったからだ。


 学園でも状況は変わらない。


「ゴブリンだ」

「おいゴブリン」

「こっち見るなよ」


 毎日のように笑われた。

 石を投げられたこともある。

 教科書を隠されたこともある。

 だが。

 本人はあまり気にしていなかった。


 そんなことより。

 面白いものを見つけてしまったからだ。

 魔道具。

 それが全ての始まりだった。


 初めて触れた日を覚えている。

 どうして動くのか。

 どうして魔法が発動するのか。

 どうしてこの形なのか。


 知りたかった。

 もっと知りたかった。

 だから調べた。

 分解した。

 壊した。

 怒られた。

 また作った。


 気付けば。

 誰よりも詳しくなっていた。

 教師ですら理解していない理論を。

 彼は理解していた。

 同級生達が理解できない設計を。

 彼は描けた。


 研究は楽しかった。

 生きていると感じられた。

 初めてだった。


 そして。

 才能は花開く。

 魔力を持たない者は魔道具を扱えない。

 それが世界の常識だった。


 ならば。

 魔力を貯めておけばいい。

 誰でも使えるようにすればいい。


 発想は単純だった。

 だが。

 誰も思いつかなかった。


 そして完成する。

 魔導バッテリー。

 世界を変える発明。


 その功績は王都中へ広まった。

 学者達が騒いだ。

 貴族達が騒いだ。

 商人達が騒いだ。

 軍部も騒いだ。


 未来が変わる。

 誰もがそう思った。


 だが。

 ノーシ家は違った。


「表へ出すな」


 父は言った。


「家名が穢れる」


 兄達も同意した。


「功績だけもらえばいい」


 誰も本人を見ていなかった。

 見ていたのは発明だけ。


 そしてある日。

 彼は地下へ閉じ込められた。

 広い研究室。

 最低限の設備。

 紙。

 インク。

 工具。

 それだけ。


 外へ出ることは許されない。

 誰とも会えない。

 研究だけが許された。


 それでも。

 最初は気にならなかった。

 研究出来るなら良かった。

 知りたい。

 作りたい。

 それだけで十分だった。


 ある日。

 地下室へ長男がやって来た。

 紙束を机へ投げる。


「見ろ」


 それは報告書だった。

 魔導バッテリーの運用実績。

 軍事利用。

 戦術研究。

 新兵器開発。


 そこに並んでいたのは。

 彼が想像していた未来ではなかった。


「そうか……」


 思わず呟く。

 生活を便利にしたかった。

 皆が使える道具を作りたかった。

 そのために作った。

 なのに。

 最初に利用したのは軍だった。


「次を作れ」


 長男は言う。


「もっと強いものを」

「もっと戦争に役立つものを」


 そう言い残して去っていった。

 一人になる。

 しばらく何も考えられなかった。


 だが。

 研究を辞めることは出来なかった。

 どうしても。

 どうしても。

 知りたかった。

 作りたかった。

 面白かった。


 一度見てしまったからだ。

 技術が世界を変える瞬間を。


 だからまた設計図を描く。

 新しい道具。

 新しい理論。

 新しい可能性。


 武器だけではない。

 生活を便利にするものも。

 効率を改善するものも。

 農業を助けるものも。

 次々と描いた。


 だが。

 ノーシ家は興味を示さなかった。


「役に立たん」

「売れない」

「戦争で使えない」


 それだけだった。

 そして。

 食事の回数が減った。

 一日三回だったものが。

 二回になり。

 一回になった。


 それでも研究は続けた。

 身体は痩せていく。

 頭だけが冴えていく。

 手は震える。

 足は動かない。

 それでも。

 ペンだけは止まらなかった。


 机の上には。

 誰にも理解されない設計図が積み上がっていく。


 ある日。

 ふと気付く。

 ああ。

 もう長くないのかもしれない。


 不思議と恐怖はなかった。

 少しだけ。

 残念だった。

 まだ知りたいことがあった。

 まだ作りたいものがあった。


 その時だった。

 地下室の外が騒がしくなる。

 怒鳴り声。

 慌てる足音。

 誰かが走っている。


 珍しい。

 この地下に用がある人間などいないはずなのに。

 やがて。

 重い扉の前で足音が止まった。

 鍵が回る。

 扉が開く。

 眩しい光が差し込んだ。


 そして。

 一人の女が現れる。

 黒いドレス。

 白銀の髪。

 血のように美しい赤い瞳。

 まるで。

 物語に出てくる悪の女王のようだった。


 ガチャリ。


 扉が開いた。


 瞬間。


 据えた空気が流れ出る。


 古い紙。


 インク。


 油。


 長年閉ざされた地下室の匂いだった。


 エミリアは迷わず中へ入る。


 床には紙。


 机にも紙。


 棚にも紙。


 部屋中が設計図で埋め尽くされていた。


 そして。


 その中央。


 一人の老人が倒れている。


 痩せ細った身体。


 乱れた髪。


 頬はこけていた。


 それでも。


 指には羽ペンが握られている。


 そして何より。


 目が死んでいなかった。


 エミリアは床へ散らばった設計図を拾い上げる。


 しばらく眺める。


 そして。


「やっぱり面白いじゃない」


 愉しそうに微笑んだ。


 ヒールを鳴らしながら老人へ近づく。


「ねぇ」


 老人は反応しない。


 いや。


 反応する余裕すら無かった。


 エミリアは一枚の設計図を持ち上げる。


「これ」


 老人の視線が僅かに動く。


「……魔導灯だ」


 掠れた声だった。


「そう」


 エミリアは設計図を見下ろす。


「でも無駄ね」


 老人の眉が動いた。


「……何がだ」


「光よ」


 エミリアは当然のように答える。


「魔石の光をそのまま前へ出しているでしょう?」


「それが普通だ」


「だから暗いの」


 エミリアは紙へさらさらと線を描く。


「後ろを鏡みたいな金属で覆うの」


「後ろへ逃げる光を前へ集める」


「同じ魔力でも、もっと明るくなるわ」


 静寂。


 老人の目が見開かれる。


 脳内で計算が始まった。


 光。


 反射。


 照射範囲。


 効率。


 次々と式が組み上がる。


 そして。


「……あ」


 声が漏れる。


「できる」


 震える手が設計図を掴む。


「できるぞ……」


 目の色が変わる。


 先ほどまで死にかけていた老人とは思えなかった。


 エミリアは満足そうに微笑む。


「ねぇ」


 老人が顔を上げる。


「もっと研究したくない?」


 沈黙。


「もっと知りたくない?」


 老人の身体が震える。


「もっと作りたくない?」


 掠れていた喉から。


 確かな声が漏れた。


「したい……」


 そして。


「作りたい」


 その瞳には。


 消えかけていた炎が再び灯っていた。


「でも」


 エミリアは妖しく微笑んだ。

 まるで悪魔が契約を持ちかけるように。


「これは取引よ」


 老人は顔を上げる。

 赤い瞳が自分を見ていた。

 逃げられない。

 いや。

 逃げる気もなかった。


「魂を売る覚悟はあるのよね?」


 魂を売る。

 その言葉を聞いて。

 老人は少しだけ考えた。


 昔なら迷ったかもしれない。

 生活を便利にしたかった。

 人を助けたかった。

 世界を豊かにしたかった。

 そんな理想もあった。


 だが。

 もうどうでも良かった。

 家族は自分を道具として扱った。

 軍は発明を兵器にした。

 誰も理想など見ていなかった。


 ならば。

 今更何を守る必要がある。

 信念。

 倫理。

 理想。

 そんなものは。

 とっくの昔に地下室へ置いてきた。


 作れと言われれば作る。

 兵器でも。

 禁忌でも。

 世界を滅ぼす道具でも。

 構わない。


 ただ一つ。

 研究だけは奪わないでくれ。

 知ることだけは。

 作ることだけは。

 取り上げないでくれ。


 老人に残っていたのは。

 知識への渇望。

 創造への執着。

 それだけだった。


「ある」


 即答だった。


「つくらせてくれ」


 エミリアは満足そうに頷いた。


「契約成立ね」


 ノーシ家の人間達は息を呑む。

 まるで悪魔と契約が結ばれたようだった。

 だが。

 次にエミリアが口にした言葉は。

 誰の予想とも違っていた。


「よく聞きなさい」


 老人は顔を上げる。


「貴方は私のもとで自由に研究するの」


 思考が止まった。


「好きなものを作るの」


 理解できない。


「好きなだけ知るの」


 もっと理解できない。

 老人は呆然とする。

 何を言われているのか分からない。


 兵器を作れ。

 新しい魔道具を作れ。

 軍事利用しろ。

 そう言われると思っていた。

 だが違う。

 目の前の女は。

 好きにしろと言った。


 生まれて初めて。

 思考に空白が生まれた。


「それに」


 エミリアは微笑む。

 そして。

 老人の世界を壊した。


「魔法を使わずに動く馬車」


 老人の瞳が揺れる。


「空を飛ぶ鉄の船」


 呼吸が止まる。


「遠く離れた相手と話せる箱」


 理解できない。


「遠くの景色を映し出す板」


 あり得ない。

 そんなもの。

 そんな技術。

 聞いたこともない。


「見たくない?」


 エミリアは楽しそうに言う。


「作りたくない?」


 老人の身体が震える。

 魂が震える。

 知りたい。

 理解したい。

 作りたい。


 その欲望が。

 理性を焼き尽くしていく。


「作りたい!!」


 魂を絞り出すような絶叫だった。


 エミリアは笑う。

 満足そうに。

 嬉しそうに。

 そして。

 悪の女王らしく。


「そう」

「安心しなさい」


 赤い瞳が細められる。


「貴方を飽きさせない自信はあるわ」


 老人の心臓が高鳴る。

 この女は本気だ。

 本当に知っている。

 本当に見てきたのだ。

 自分が想像すらできない世界を。


 エミリアは手を差し伸べる。


「だから」

「貴方はもちろん」


 妖しく。

 そして美しく。

 悪の女王は微笑んだ。


「私を楽しませてくれるのよね?」


 老人はその手を見つめた。

 悪魔の誘い。

 そう思った。

 だが。

 気付けば笑っていた。

 何十年ぶりかも分からないほど自然に。


「ああ」


 掠れた声が漏れる。


「見せてやる」


 知識への渇望。

 創造への執着。

 人生の全てを込めて。


「世界で一番面白いものを」


 その瞬間。

 老人は理解した。


 この女は。

 自分を利用するために来たのではない。

 同じ景色を見ている。

 同じ場所を目指している。


 生まれて初めて。

 自分と同じ目線で話してくれる存在だった。

 生まれて初めて。

 自分を発明道具ではなく。

 一人の人間として見てくれる存在だった。


 だから。

 後になってクロエは思う。

 あの日。

 自分は研究者として救われたのではない。

 発明家として認められたのでもない。

 ようやく。

 一人の人間になれたのだと。


 エミリアは満足そうに頷いた。


「良い返事ね」


 そして。

 ルミへ視線を向ける。


「ルミ」

「はい」

「ドールズの準備を」


 ルミの表情が変わる。

 普段のメイドではない。

 神としての顔だった。


「今の身体はいらないわ」


 ルミは静かに微笑む。


「……貴方の望みなら」


 老人は意味を理解できなかった。

 だが。

 その直後。

 全身から力が抜けた。

 糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。


 ルミがそっと受け止めた。


「私のドールズには美しさが必要よ」


 エミリアは当然のように言う。


「拒否権は無いわ」


 少し考えて。

 肩を竦めた。


「答えは聞いてないけどね」


 ノーシ家の人間達は何が起きているのか理解できなかった。

 だが。

 一つだけ理解できた。

 目の前の老人が。

 王女に気に入られたということだけは。


「エミリア様!」


 当主が慌てて前へ出る。


「我々も彼の研究を支えておりまして――」

「そうそう」


 エミリアは笑う。


「私はね。悪いことをする人は大好きよ」


 ノーシ家の人間達の顔が明るくなる。


「こんな場所に人を閉じ込めるなんて」

「なかなか出来ることじゃないもの」


 喜色が浮かぶ。

 だが。

 次の瞬間。

 空気が変わった。


「でも」


 エミリアの笑顔は消えない。

 それなのに。

 誰もが寒気を覚える。


「悪に対する矜持がない者は嫌いなの」

「醜いから」


 誰も言葉を発せない。


「貴方達は……どちらかしらね?」


 沈黙。

 冷や汗が流れる。


「今の私はとても気分が良いの」


 エミリアは優雅に微笑む。


「この意味」

「分かるかしら?」


 当主は震えた。

 本能が警鐘を鳴らしていた。

 ここで間違えれば終わると。


 だが。

 エミリアは突然興味を失ったように視線を逸らした。


「ああ、そうだわ」

「報奨をあげる」


 空気が緩む。

 安堵の息が漏れる。


「その代わり」


 エミリアは振り返った。


「その老人をノーシ家から除名しなさい」


 全員が固まる。


「今後一切関わらないこと」

「もう貴方達とは無関係よ」


 一瞬の沈黙。

 そして。

 ノーシ家の者達は顔を見合わせた。

 厄介払いができる。

 しかも報奨付き。


「かしこまりました!」


 彼らは喜んだ。

 最後まで。

 エミリアにとって。

 自分達より老人の方が価値が高いことに気付かぬまま。





 帰りの馬車。


「この後、処分するんですね?」


 ルミが何気なく尋ねる。


「何を?」


 エミリアは首を傾げた。


「ノーシ家ですよ」

「え?」


 本気で意味が分からない。


「今の家の人達ですよ」

「ああ」


 エミリアは頷く。


「何で?」


 ルミが固まる。


「とても不敬でしたよ?」

「そう?」


 エミリアは窓の外を見る。


「どうでもいいじゃない」

「もう終わった話でしょう?」

「欲しいものは手に入ったし」


 本当に。

 それだけだった。

 ルミは思わず笑う。


「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心って言うけど」

「ここまで徹底してるのは初めて見たわ」


 エミリアは不思議そうな顔をした。


「羽虫を踏んだ後に気にする人なんているの?」


 ルミは吹き出した。

 そして思う。

 やはり面白い。

 この人間は。



感想よろしくお願いします


エミリア 設定資料集風イラスト

挿絵(By みてみん)

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