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千人殺し

黒墓標が、獣の唸りにも似た機関音を響かせた。


長大な銃身が帝国軍の前線を横薙ぎに追う。


次の瞬間。


盾を重ね、隊列を立て直そうとしていた兵士達の中央を、無数の弾丸が走り抜けた。


盾が砕ける。


鎧が穿たれる。


密集していた兵士達が、互いの身体へ折り重なるように倒れていった。


中央ではベルンが双月偃刃を振るい、帝国兵を斬り伏せながら前進を続けている。


その周囲には、クルドのアラクネ・コードが張り巡らされていた。


帝国兵が散開すれば、糸に足や武器を絡め取られる。


集まって隊列を組もうとすれば、黒墓標の機関銃によって一帯ごと薙ぎ払われる。


辛うじて二人の間を抜けた者も。


ウルの精密射撃によって、ベルンやクルドへ刃を届かせる前に撃ち抜かれた。


一万の帝国軍が。


僅か三人の女によって、一方的に蹂躙されていた。


「何をしている!」


馬上のガルドスが声を張り上げる。


「敵は三人だぞ!」


「囲め! 数で押し潰せ!」


だが。


前線の兵士達は、すぐには動かなかった。


槍を握る手が震えている。


盾を構えながら、一歩ずつ後ろへ下がっていく。


何人で向かえば勝てるのか。


その答えを。


誰も見つけられなくなっていた。


「進め!」


ガルドスが再び叫ぶ。


しかし。


先ほどまで声に宿っていた覇気は、明らかに失われていた。


一万の兵を率いながら。


僅か三人を前に、何もできず敗北する。


その現実が。


ようやくガルドスの中にも入り込み始めていた。


だが。


帝国軍一万の全てが、既に砦前へ到着していたわけではない。


長く伸びた山道からは。


今も後続の兵士達が、次々と戦場へ流れ込んでいる。


疲れ切った身体を引きずり。


前方で何が起きているのかも知らないまま。


盾を担ぎ。


槍を手に。


砦前へ合流していく。


その後続部隊の中に。


一際大きな影があった。


重い足音が響く。


一歩進むたびに。


分厚い鉄板が擦れ合い、大地が僅かに揺れた。


周囲の帝国兵達が。


畏れるように左右へ道を開けていく。


現れた男は。


二メートルを優に超える巨躯を持っていた。


頭から爪先まで。


白銀の全身鎧に覆われている。


鎧というより。


人の形へ組み上げられた、鉄の城壁。


何層にも重ねられた装甲には。


黄金の麦穂と、翠色の蔓草を模した装飾が刻まれていた。


神聖。


荘厳。


見る者へ、その二文字を抱かせる装い。


だが。


兜の細い隙間から覗く眼光には。


神聖さとは程遠い、獣のような濁りがあった。


男の肩に担がれているのは。


三メートルにも届こうかという巨大なウォーハンマー。


人間の胴ほどもある鎚頭。


長大な柄。


兵士を倒すための武器ではない。


城門や城壁を、そのまま打ち砕くための攻城兵器に近かった。


その巨体。


全身を覆う重装甲。


巨大な鎚。


男はその武装ゆえに、騎兵を中心としたガルドスの進軍速度についていくことができなかった。


隊列の最後方を歩き。


戦いが始まってから、ようやく砦前へ辿り着いたのだ。


帝国将軍。


オルグレン。


かつて。


一つの戦場で、千を超える敵兵を自らの手で殺した男。


一度戦場へ立てば。


敵味方を問わず、周囲にある全ての命を奪い尽くす。


人々は畏怖を込めて。


彼をこう呼んでいた。


千人殺しのオルグレン。


オルグレンは戦場を見渡した。


倒れた白銀騎兵。


黒く焼けた指揮陣。


倒木と糸に阻まれた街道。


その中央を悠然と進むベルン。


木々の間を飛び回るクルド。


そして。


砦を背負い、黒い十字架を構えるウル。


兜の奥から。


低い笑い声が漏れた。


「皇子殿下のお守りで終わる」


「退屈な戦場かと思っていたが」


オルグレンは肩からウォーハンマーを下ろした。


巨大な鎚頭が地面へ触れる。


それだけで大地が陥没し。


周囲にいた兵士達が、衝撃でよろめいた。


「面白い獲物がいるではないか」


兜の隙間から覗く眼光が。


ベルンの身体を舐めるように捉えた。


「その美しい身体を叩き潰す感触は」


「さぞ甘美であろうな」


「オルグレン!」


ガルドスの顔へ。


再び希望が戻った。


「ようやく来たか!」


「あの女どもを叩き潰せ!」


オルグレンは。


ガルドスへ僅かに顔を向けた。


「随分と派手にやられているようだな、殿下」


「黙れ!」


ガルドスの頬が赤く染まる。


「奴らが卑劣な策を使っただけだ!」


「貴様が来たのなら、もう終わりだ!」


剣を高く掲げ。


兵士達へ見せつけるように叫ぶ。


「帝国兵よ!」


「千人殺しのオルグレン将軍が到着した!」


「恐れる必要はない!」


「将軍に続け!」


「三人の女を押し潰せ!」


動きを止めていた帝国兵達が。


次々と後方を振り返る。


鉄の巨人。


千人殺し。


帝国の英傑。


その姿を見た兵士達の目に。


失われかけていた戦意が戻っていった。


「オルグレン将軍だ!」


「将軍に続け!」


「帝国に勝利を!」


後続から到着した兵士達が。


オルグレンを中心として集まり始める。


崩壊していた帝国軍が。


再び軍として形を取り戻そうとしていた。


その動きを。


戦場最後方のウルは、既に捉えている。


魔紋から広がる見えない波が。


オルグレンの巨体を隅々まで読み取っていた。


鎧の厚み。


金属板の重なり。


その内部を満たす、強い神気。


常人とは比較にならない筋肉と骨格。


巨大なウォーハンマーへ宿る力。


『新手だ』


ウルの声が。


ベルンとクルドの耳元へ届く。


『大型の重装兵』


『あれを中心に、帝国軍が再編を始めている』


ベルンが。


帝国兵の剣を双月偃刃で受け流しながら、オルグレンへ目を向けた。


「随分と大きな男が出てきたものだ」


「大きいっていうか……」


クルドが倒木の上へ降り立つ。


「あれ、本当に人間?」


『二人とも射線から離れろ』


ウルが黒墓標の銃口を向ける。


『まず撃つ』


ベルンとクルドが左右へ散った。


黒墓標の機関部から。


低い唸り声が響く。


次の瞬間。


無数の弾丸が、オルグレンへ集中した。


胸部。


腹部。


肩。


兜。


分厚い全身鎧へ。


絶え間なく弾丸が叩きつけられる。


火花が咲き乱れ。


甲高い衝撃音が連続して響いた。


それでも。


オルグレンの身体は、僅かに後方へ押されただけだった。


胸当てに刻まれた麦穂と蔓草の紋様が輝く。


白銀の装甲を覆うように。


黄金と翠の神光が広がった。


潰れた弾丸が。


神聖な輝きの表面から、次々と弾き飛ばされていく。


「ほう」


オルグレンが楽しげに声を漏らす。


「それが、先ほどから我が兵を食い荒らしていた豆鉄砲か」


ウルは答えない。


機関銃による斉射を止め。


精密射撃へ切り替える。


狙うのは。


鎧が完全には覆っていない関節部。


膝の裏。


脇。


肘。


首元。


短い銃声が響く。


一発目。


オルグレンが僅かに膝を傾ける。


弾丸は関節を外れ。


分厚い膝当てへ滑るように弾かれた。


二発目。


脇へ向けられた弾丸を。


肘を下げるだけの小さな動きで、籠手の外側へ受け流す。


三発目。


兜と胸当ての隙間へ飛んだ弾丸が。


黄金と翠の光へ衝突した。


鎧の隙間から。


植物の根が伸びるように神聖障壁が広がり。


露出しているはずの首元を守っている。


さらに数発。


関節部へ弾丸が命中した。


だが。


神光が僅かに揺らいだだけで。


オルグレンの歩みは止まらない。


『関節部にも障壁』


ウルが告げる。


『通常弾では抜けない』


「なら、動けなくすればいい!」


クルドが倒木を蹴った。


両腕のアラクネ・コードが。


淡い青紫色の光を放つ。


手首から放たれた無数の糸が。


オルグレンの腕と脚へ絡みついた。


糸は倒木へ巻き付き。


大岩へ繋がり。


巨体を四方から固定する。


「止まれ!」


クルドが指を引く。


強靱な糸が、一斉に張り詰めた。


オルグレンの足が。


一瞬だけ止まる。


だが。


「小賢しい」


そのまま。


オルグレンは一歩を踏み出した。


張り詰めた糸が軋む。


支点としていた倒木が引きずられ。


大岩が土を削りながら動き始める。


「嘘だろ……」


オルグレンが両腕を広げた。


甲高い音と共に。


糸が一本ずつ引き千切られていく。


魔力をさらに込めれば。


切られない強度まで高められるかもしれない。


だが。


それにはアラクネ・コードの出力を。


オルグレン一人へ集中させる必要がある。


周囲では。


今も後続の帝国兵が押し寄せていた。


一人へ集中すれば。


今まで糸で抑えていた戦場が解放される。


「クルド、離れろ!」


ベルンがオルグレンの前へ踏み込んだ。


巨大なウォーハンマーが。


横薙ぎに振るわれる。


ベルンは受け止めない。


双月偃刃の片方を、鎚頭の側面へ滑らせる。


自らも後方へ動き。


重い一撃を外側へ受け流した。


それでも。


衝撃を完全には殺し切れない。


ベルンの身体が地面を滑り。


靴底が長い跡を刻んだ。


「力だけではないか」


ベルンが双月偃刃を構え直す。


「その体格で、随分と器用に振るうものだ」


オルグレンは答えず。


三メートル近い柄を巧みに操った。


鎚頭で叩く。


柄で薙ぐ。


石突きで突く。


ベルンが間合いへ入ろうとすれば。


長大な柄が、先回りするように進路を塞ぐ。


右から斬り込む。


オルグレンは肩を僅かに傾け。


最も厚い装甲で刃を受け流した。


左の双月偃刃が関節部を狙う。


鎚の柄が回転し。


ベルンの手首ごと刃を外側へ弾く。


一見すれば。


巨大な鎚を振り回すだけの、大味な戦い方。


だが。


受けても問題のない攻撃は、神聖な鎧へ任せる。


致命傷になり得る刃だけを。


最小限の動きで確実に逸らしていた。


ベルンの身体が。


僅かに二重へ揺らめく。


本物から半歩ずれた幻像。


双月偃刃が。


左右から異なる軌跡を描いた。


オルグレンは。


偽りの刃へ目を向けなかった。


迷うことなく。


本物のベルンへウォーハンマーを振り下ろす。


ベルンが横へ跳ぶ。


直後。


鎚頭が大地へ突き刺さった。


轟音。


ウォーハンマーへ刻まれた黄金の鍛造紋が輝く。


それは。


ローゼンバーグ王国が用いる魔導回路ではない。


豊穣神の眷属たるドワーフが。


鉄を焼き。


折り重ね。


祈りと共に幾千、幾万と打ち鍛えることで。


神気を金属そのものへ根付かせた証。


鎚に宿る力と。


大地を満たす神気が呼応する。


地面へ巨大な亀裂が走った。


砕けた岩と土砂が跳ね上がり。


衝撃波が爆発するように周囲へ広がっていく。


ベルンは双月偃刃を円形に展開し。


盾として正面へ構えた。


石礫が青い月輪へ衝突し。


激しい火花を散らす。


「幻を見破ったか」


「知らん」


オルグレンが答えた。


「だが」


「貴様がそこにいると、身体が告げている」


理屈ではない。


数え切れない戦場を生き抜き。


千人を超える人間を、自ら殺してきたことで磨かれた感覚。


空気。


殺気。


大地の振動。


僅かな呼吸の変化。


野生の勘とも呼ぶべきものが。


視覚を欺く幻像の中から、本物だけを嗅ぎ分けていた。


オルグレンがウォーハンマーを横薙ぎに振るう。


巨大な鎚が。


空を引き裂いた。


鎚へ宿る神気が。


生み出された凄まじい風圧へ流れ込む。


白銀と黄金の軌跡が。


無数の鋭い刃へ変わった。


『下がれ!』


ウルの警告。


ベルンが身を伏せる。


クルドが糸を引き。


倒木の陰へ身体を逃がした。


直後。


背後の木々へ。


何本もの深い傷が走った。


巻き込まれた帝国兵達の鎧も裂け。


鮮血が舞う。


オルグレンは。


味方へ一瞥すら向けなかった。


「邪魔な場所へ立つ方が悪い」


再び。


ウォーハンマーを大地へ叩きつける。


神光を纏った石礫と衝撃波が。


敵味方の区別なく周囲を薙ぎ払った。


近寄れば。


オルグレン自身の攻撃に巻き込まれる。


帝国兵達も。


その巨体を中心に、一定の距離を空けて進むしかない。


一度戦場へ立てば。


戦場全ての命を奪い尽くす。


千人殺しの異名は。


誇張ではなかった。


オルグレンが胸を張る。


「俺の鎧は」


「豊穣公国のドワーフ共が鍛えた特注品だ!」


分厚い胸当てを。


鉄の籠手で叩く。


重く澄んだ音が。


戦場へ響き渡った。


鎧の麦穂と蔓草が輝き。


黄金と翠の光が、全身を包む。


「豊穣神の眷属が」


「神への祈りと共に打ち鍛えた聖鎧よ!」


「鉄は砕けず!」


「加護はこの身を守り!」


「大地の力が、俺の肉体へ尽きぬ力を与える!」


オルグレンが足を踏み締める。


その足元から。


植物の根にも似た光が大地へ広がった。


二メートルを超える巨体が。


大地そのものと繋がったように、揺るぎなく立つ。


「そんな豆鉄砲や!」


「ひ弱な刃で貫けるものではない!」


続いて。


巨大なウォーハンマーを高々と掲げる。


「そして、この鎚は!」


「ドワーフの名工、バランが鍛えたもの!」


オルグレンの言葉に応えるように。


鎚頭の鍛造紋が、黄金色の神光を放った。


「一度振るえば大地を割り!」


「空を裂き!」


「神をも穿つ、バラン渾身の一振りよ!」


ベルンが距離を取る。


クルドも新たな支点へ糸を伸ばした。


三人とも。


傷らしい傷は負っていない。


時間さえあれば。


誰であっても、オルグレンを攻略できるだろう。


ウルは魔紋で加護の流れを解析し。


守りが僅かに薄れる瞬間を見つけられる。


クルドは全ての出力を拘束へ注ぎ。


あの巨体さえ動けぬほどの糸を編み上げられる。


ベルンも攻防を重ねれば。


長い間合いの内側へ踏み込む方法を組み立てられる。


だが。


その時間がない。


山道からは。


今も新たな帝国兵が押し寄せていた。


ウルがオルグレンだけを狙えば。


別の場所で帝国兵が隊列を整える。


クルドが全ての糸を拘束へ使えば。


今まで抑えていた兵士達が解放される。


ベルンが長く斬り結べば。


その間にも敵は増え続ける。


難攻不落。


その言葉を。


一人の人間として形にしたような男だった。


クルドが周囲を見渡す。


正面にはオルグレン。


左右からは後続の帝国兵。


さらに後方では。


弓兵と魔法師が、新たな隊列を作ろうとしている。


いつもの笑みが。


クルドの顔から消えた。


「ベルン兄!」


ベルンの眉が。


僅かに動く。


「ウル爺!」


ウルの装具が。


ほんの少しだけクルドへ向いた。


それは。


三人がイミタートになるより前。


クルドが幼かった頃の呼び方だった。


『随分と懐かしい呼び方だな』


「そんなこと言ってる場合じゃないって!」


クルドは迫る帝国兵の足を糸で払い。


オルグレンを見据えた。


「これ、やばいよ」


一度息を吸い。


二人へ告げる。


「――アレで倒そう」


一瞬。


三人の間へ沈黙が落ちた。


ベルンが。


オルグレンのウォーハンマーを受け流しながら、口元を緩める。


「承知した」


黒墓標が。


低い機関音を響かせた。


『仕上げるぞ』


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