砦の守り
北砦群の前へ到着した帝国軍は。
すぐに攻撃準備へ入った。
山脈の出口を塞ぐように築かれた、灰色の城塞。
高い石壁。
分厚い城門。
その上に見える王国兵は、数えるほどしかいない。
一万の帝国軍を迎え撃つには。
あまりにも少なかった。
「どうやら、兵を揃える余裕すらなかったらしい」
ガルドスは馬上から砦を見上げ、鼻で笑った。
長い行軍によって歩兵は疲れ。
白銀騎兵団の軍馬にも負傷や疲労が見え始めている。
後続の補給部隊も、まだ山道を抜け切ってはいない。
本来ならば。
一度陣を敷き。
兵と馬を休ませ。
砦の構造と守備兵力を調べるべき状況だった。
「殿下」
ザルガンが進言する。
「日没も近づいています。後続の到着を待ち、明朝から攻撃を開始するべきです」
「必要ない」
ガルドスは即座に退けた。
「見ろ。守備兵など、ほとんどいないではないか」
「少なすぎるからこそ、警戒するべきです」
「弱小国が、兵を用意できなかっただけだ」
ガルドスは砦の門を指した。
「城門を破れ」
「そのまま砦を占領する」
命令を受け。
帝国軍の工兵達が動き始めた。
前方へ運ばれてきたのは。
太い丸太の先端を鉄で覆った、屋根付きの破城槌。
兵士達が内部へ入り。
重い破城槌を押しながら、城門へ向かって進んでいく。
砦からの反撃はなかった。
城壁上の兵士達も。
弓を射ることなく。
魔法を放つこともなく。
静かに帝国軍を見下ろしている。
破城槌は。
何の妨害も受けず、城門の目前まで到達した。
「構えろ!」
工兵の号令に従い。
兵士達が丸太を後方へ引く。
「打て!」
巨大な破城槌が。
勢いよく城門へ叩きつけられた。
その瞬間。
透明な壁が、城門の前へ現れた。
鈍い衝撃音。
破城槌は城門へ触れることすらできず。
見えない壁へ激突し。
その反動によって、激しく弾き返された。
内部で丸太を支えていた兵士達が倒れる。
屋根を支える柱が軋み。
破城槌全体が、後方へ大きく押し戻された。
城門には。
傷一つ付いていない。
透明な壁は。
水面のような揺らぎだけを残し、再び見えなくなった。
「防御結界……」
ザルガンが呟く。
ガルドスも。
僅かに目を見開いていた。
破城槌の一撃は。
確実に城門を捉えていた。
それを。
砦を覆う結界が、完全に受け止めた。
「もう一度だ!」
ガルドスの命令が飛ぶ。
兵士達が立ち上がり。
再び破城槌を振りかぶった。
二度目。
三度目。
巨大な丸太が、見えない壁へ叩きつけられる。
その度に。
破城槌の方が激しく弾き返された。
砦は。
微動だにしない。
城門だけではない。
その周囲の石壁にも。
亀裂一つ入っていなかった。
「一台では足りぬか」
ガルドスは、砦を睨みつけた。
防御結界があることには驚いた。
だが。
それを破れないものだとは考えなかった。
一点へ加える力が足りないのであれば。
数を増やせばいい。
城門だけが守られているのなら。
城壁を越えればいい。
「破城槌を全て前へ出せ!」
ガルドスが命じる。
「城門へ同時に叩き込め!」
「梯子隊も出せ!」
「壁を越え、中から門を開かせろ!」
帝国兵達が動き始める。
後方から、さらに複数の破城槌が運ばれる。
長い梯子を抱えた歩兵達。
工兵。
盾を持った護衛兵。
弓兵と魔導師。
最初の攻撃を上回る人数が。
砦の正面へ集められていく。
「殿下、お待ちください」
ザルガンがガルドスへ馬を寄せた。
「何だ」
「敵は、まだ一度も反撃していません」
「反撃する力がないのだろう」
「ならば、何故あれほど落ち着いているのです」
城壁上の王国兵は。
相変わらず少ないままだった。
帝国軍が新たな攻城準備を始めても。
慌てる様子はない。
増援を呼び集める姿も。
弓矢や石を運び込む姿もない。
ただ。
最低限の人数だけが。
整然と城壁上へ残っている。
「結界以外にも、何か備えている可能性があります」
「臆病者は、何を見ても罠に見えるらしいな」
「これは用心です」
「攻めなければ、敵の力など分からぬ」
ガルドスは帝国軍へ向け、剣を掲げた。
「進め!」
複数の攻城部隊が。
一斉に砦へ向かって進み始めた。
破城槌が城門を目指す。
梯子を担いだ兵士達が、城壁の各所へ広がる。
その前方では。
大盾を構えた歩兵が壁を作っていた。
弓矢や魔法が飛んでくることを想定した隊形。
だが。
砦から攻撃が放たれることはない。
破城槌は。
再び城門の目前まで近づいた。
梯子隊も。
城壁へ取り付ける距離まで進んでいく。
砦の内部。
ウルは静かに目を閉じていた。
顔の上半分を覆う魔導具から。
目には見えない波が放たれる。
波は砦の石壁を通り抜け。
外に集まった帝国兵達へ広がっていく。
破城槌。
それを押す工兵。
梯子を担ぐ歩兵。
盾を構える護衛兵。
後方で指示を出す指揮官。
伝令。
魔導師。
一人一人の位置と動きが。
ウルの意識の中へ、鮮明な輪郭となって浮かび上がる。
外を目で確認する必要はない。
ウルにとって。
波が届く場所は、全てが狩場だった。
「城門正面」
ウルが告げる。
「破城槌、三」
その言葉が。
砦内部の兵士達へ伝えられる。
「左右の城壁へ、梯子隊」
「前方に盾兵」
「後続も射線へ入り始めた」
砦の壁には。
外から見ただけでは気付きにくい。
細長い覗き窓が幾つも設けられていた。
人一人が通ることもできない。
僅かな隙間。
その奥には。
クロエが製作した固定式魔導機関銃が並べられている。
一基ごとの可動域は狭い。
左右へ自由に砲身を振ることはできない。
だが。
一つの銃口が狙えない範囲を。
別の銃口が覆っている。
砦の正面には。
数多くの射線が、あらかじめ重ねられていた。
帝国兵達は知らない。
自分達が進んでいる場所の全てが。
既に照準の中にあることを。
「まだだ」
ウルが静かに言った。
破城槌を押す兵士達が。
結界の目前へ到達する。
「打て!」
三基の破城槌が。
ほぼ同時に城門へ叩きつけられた。
透明な結界が姿を現す。
重なった衝撃音が、山脈の間へ響き渡った。
それでも。
結界は揺らがない。
三基の破城槌が、一斉に弾き返される。
兵士達が倒れ。
後方から押していた者達と衝突した。
同時に。
梯子隊が城壁へ長い梯子を立てかける。
だが。
梯子の先端は石壁へ届かなかった。
壁の僅か手前に存在する結界へぶつかり。
大きく跳ね返される。
「押せ!」
「梯子を支えろ!」
「もう一度掛けろ!」
兵士達が集まる。
倒れかけた梯子を立て直す者。
破城槌を再び前へ運ぼうとする者。
前方の混乱を知らず、後ろから押し寄せる者。
帝国兵達は。
自らの手で。
砦の正面へ密集していった。
前には防御結界。
左右には城壁と山肌。
後ろには、次々と続く味方の兵。
破城槌と梯子が。
退路となるはずの場所を塞いでいる。
「後方部隊も入った」
ウルが呟く。
その意識には。
帝国兵一人一人の位置が、手に取るように見えていた。
もう少し。
指揮官が前へ出る。
伝令が混乱した部隊へ走る。
魔導師達も。
結界を破るため、射程内へ入っていく。
全てが。
砦の前へ集まった。
ウルが告げる。
「今だ」
砦の壁で。
幾つもの小さな音が重なった。
固く閉ざされていた覗き窓が。
一斉に開く。
細長い隙間の奥から。
固定式魔導機関銃の砲身が姿を現した。
帝国兵達が。
その意味を理解するよりも早く。
北砦群が。
火を噴いた。
凄まじい轟音。
無数の発射音が。
山脈の間で幾重にも反響する。
機関銃弾が。
砦の前へ密集した帝国兵へ降り注いだ。
盾が弾かれる。
鎧が砕ける。
破城槌を押していた兵士達が倒れ。
巨大な丸太と屋根だけが、その場へ取り残される。
梯子を支えていた兵士が倒れ。
長い梯子が、後続の兵達へ向かって倒れ込んだ。
「下がれ!」
「退却しろ!」
「道を空けろ!」
命令が飛び交う。
だが。
後ろには。
状況を知らない兵士達が詰めかけている。
前方の部隊が退こうとしても。
破城槌と梯子が道を塞いでいた。
射撃口一つ一つの可動域は狭い。
その弱点は。
この場では、何の意味も持たなかった。
敵は自ら。
決められた射線の中へ密集している。
一つの射線から逃れようとすれば。
隣の射撃口が担当する範囲へ踏み込む。
砦の正面全体が。
無数の銃弾によって封鎖されていた。
ウルの指示が。
砦内へ静かに響く。
「右、梯子隊」
銃口が火を噴く。
「中央、指揮官」
伝令を集めていた帝国騎士が倒れる。
「左、魔導師」
詠唱を始めようとしていた一団が。
魔法を放つ前に崩れ落ちた。
無秩序な乱射ではない。
砦の外を完全に把握したウルが。
帝国軍の動きを止める場所へ。
的確に火力を集中させている。
指揮を失い。
退路を塞がれ。
攻城兵器を放棄することさえできず。
帝国軍の第一陣は。
瞬く間に、その形を失っていった。
やがて。
機関銃の音が止んだ。
射撃口から砲身が引き戻され。
覗き窓が閉じられる。
北砦群は再び。
何事もなかったかのような静けさへ戻った。
砦の前に残されたのは。
動かす者を失った破城槌。
折り重なった梯子。
倒れた兵士達。
そして。
辛うじて射程の外まで逃げ延びた、僅かな生存者だけ。
攻城部隊の第一陣は。
城壁へ指一本触れることもできないまま。
殲滅された。
ガルドスは。
言葉を失っていた。
砦の城壁上には。
今も僅かな王国兵しか見えない。
それなのに。
帝国軍の攻城部隊だけが。
砦の前から消えていた。
「……殿下」
ザルガンが静かに呼びかける。
今度は。
ガルドスも、その言葉を遮らなかった。
「言え」
「砦へ近づくべきではありません」
ザルガンは閉ざされた射撃口を見据えた。
「あの武器は強力です」
「ですが、砦へ固定されています」
「射撃口が狭い以上、射程と射角にも限界があるはずです」
ガルドスが。
倒れた第一陣へ視線を向ける。
「ならば、どうする」
「射程の外から攻めます」
ザルガンは、山道から運ばれてきている資材を指した。
「投石機を組み立てます」
「敵が砦から出てこないのであれば、こちらから近づく必要はありません」
「十分な距離を取り、石弾で結界と城壁を削るのです」
一撃で壊れなくとも。
何度も攻撃すればいい。
結界を維持する魔力にも。
砦側の物資にも、限界はある。
射撃口の届かない場所から。
時間をかけて攻めれば。
戦況がどう転ぶかは、まだ分からない。
「時間は必要ですが」
ザルガンは続ける。
「同じ場所へ兵を送り、無駄に失うよりは確実です」
ガルドスは。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
低い声で命じる。
「……投石機を出せ」
ザルガンが僅かに息を吐く。
ようやく。
ガルドスが自分の進言を受け入れた。
「射程の外へ陣を移す」
ガルドスは砦を睨みつけた。
「遠くから」
「砦ごと叩き潰してやる」
帝国軍は。
砦の射撃口から距離を取った。
後方から運び込まれた木材が、地面へ並べられる。
工兵達が太い柱を立て。
縄を張り。
投石機の土台を組み始めた。
周囲では。
盾を持った兵士達が砦を警戒している。
だが。
北砦群から攻撃が放たれることはなかった。
帝国軍が離れてから。
砦は完全に沈黙している。
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