魔紋の射手 ②
最後の円盤が床へ落ちた。
回転鋸の耳障りな唸りが途絶え。
訓練室には、魔力の焼けた匂いと、金属片が石床を転がる乾いた音だけが残された。
ウルは二挺の魔導銃を下ろした。
息は乱れていない。
肩にも、余計な力は入っていない。
ヴェールに覆われた顔にも、試験を終えた高揚や、自らの技量を誇る様子はなかった。
獲物を仕留めた。
ただ、それだけ。
かつて山野で生きていた頃から変わらない、猟師の静けさだった。
観覧席からその姿を眺めていたエミリアは。
しばらく何も言わなかった。
床へ転がった標的。
撃ち抜かれた制御核。
獲物が通るよりも先に置かれた弾丸。
一発として無駄にすることなく。
目を向けることさえせず、訓練室の全方位を支配した技。
その全てを確かめるように眺めた後。
エミリアは、満足そうに頷いた。
「十分ね」
その一言に。
操作盤を囲んでいた研究員達から、安堵の息が漏れる。
ウルは魔導銃を収めると、観覧席の正面へ身体を向けた。
片脚を静かに引く。
背筋を伸ばし。
長い上衣の裾を乱さぬよう、片手で僅かに整える。
そして、流れるような所作で頭を下げた。
元は、山で獣を追っていた平民の猟師。
そう聞かされていなければ、誰も信じなかっただろう。
ルミによって叩き込まれた、淑女として隙のない礼だった。
もっとも。
美しく整えられたのは所作だけで。
その内側にいるのは、今も変わらず寡黙な老猟師だった。
「恐れ入ります」
短い返答。
エミリアは、もう一度頷く。
「それでは」
「次の話をしましょうか」
ウルが顔を上げた。
「次?」
「ええ」
エミリアは組んでいた脚を解き、椅子へ座り直す。
「貴方に、やってもらいたいことがあるの」
ウルは僅かに首を傾けた。
「命令ではないのか?」
その問いに。
エミリアは、少しだけ目を丸くした。
やがて。
何を当然のことを尋ねるのかとでも言いたげに、肩を竦める。
「命令ではないわ」
「イミタートである貴方は自由よ」
エミリアは、ウルの胸元に飾られた青薔薇へ視線を向けた。
「その身体を与えられたからといって、別に私の所有物になったわけではないもの」
「私の配下になることも」
「私のために力を使うことも」
「貴方自身が決めることよ」
ウルは黙って聞いていた。
エミリアの声には、忠誠を試すような響きも。
服従を求める圧力もない。
「けれど」
エミリアの口元が、僅かに吊り上がる。
「私に恩を感じることがあるのなら」
「お願いくらいは聞いてくれると思っているわ」
自由だと言いながら。
断りにくい場所へ、きちんと言葉を置いてくる。
しかも、それを隠そうともしない。
ウルはしばらく、エミリアを見つめていた。
ヴェールに遮られ、その瞳は見えない。
それでも。
その時のウルが向けていたのは。
聞き分けのない孫を眺める老人のような、呆れを含んだ穏やかな眼差しだった。
「聞いていた通りの女王様だな」
「どういう意味かしら?」
「自由だと言いながら」
ウルは淡々と答える。
「断る理由は、先に奪っている」
エミリアは悪びれることなく、胸を張った。
「部下の全てを操り、管理するのが私の悪なのよ」
「まだ部下ではないはずだが?」
「今のところはね」
即答だった。
ウルは小さく息を吐いた。
その傍らでは。
メイド服姿のクロエが、水差しを抱えたまま笑いを堪えている。
「それに」
エミリアは続けた。
「これから頼むことは、貴方自身の望みにも繋がるはずよ」
その言葉に。
ウルを包んでいた空気が変わった。
大きく姿勢を変えたわけではない。
声を上げたわけでもない。
ただ。
先ほどまで我が儘な孫を見るようだった気配が消え。
獲物の痕跡を見つけた猟師のものへ変わる。
「望みか」
「ええ」
ウルがイミタートとなった理由。
若さを得るためではない。
失った視力を取り戻すためでもない。
かつて自分を支えてくれた者達へ。
その者達ごと救ったエミリアへ。
受けたものを返すため。
新たに得た力を、王国のために使うためだった。
「王国の北へ行ってもらいたいの」
エミリアは、それ以上を語らなかった。
北。
帝国との国境がある方角。
だが。
そこで何をするのか。
誰を待つのか。
何を狩ることになるのか。
この場では明かさない。
「貴方に」
エミリアは静かに告げる。
「新しい狩場を一つ、任せたいのよ」
ウルは、その言葉だけで何かを察したらしい。
詳しい任務内容を問い返すことはなかった。
「なるほど」
短く息を吐く。
そして。
胸元へ片手を添えた。
流れるように片脚を引き。
ルミから叩き込まれた、美しく隙のない礼を取る。
「では」
「そのお願い、聞こうじゃないか」
所作は淑女のもの。
けれど口調は、山野で生きた老猟師のままだった。
エミリアは満足そうに笑う。
「良い返事ね」
それから。
訓練室の奥へ視線を向けた。
「貴方用の衣装と武器を用意してあるわ」
研究員達が動き。
奥に置かれていた、大きな荷を運び出す。
その全体は厚い黒布に覆われていた。
形状を窺うことはできない。
布の隙間から時折覗くのは。
黒い金属。
深い藍の魔導光。
そして、冷たく輝く銀色の縁取りだけ。
ただし。
内部に幾重もの魔導回路が組み込まれていることは。
ウルの感知能力には、隠しようがなかった。
「随分と複雑な作りだな」
「貴方専用よ」
エミリアは平然と答える。
「衣装と一緒に持っていきなさい」
そして。
一拍置いた後。
傍らへ視線を向ける。
そこには。
黒と白のメイド服を身につけたクロエが立っていた。
工具も。
記録板も。
研究者としての白衣も与えられず。
水差しを手にしたまま、ただエミリアの側へ控えている。
それでも。
布に覆われた自らの新作を前にした顔には。
隠しきれない自信が浮かんでいた。
「使い方だけは、気をつけてね」
エミリアはクロエを見ながら続ける。
「本人曰く」
「勝手に爆発することはないらしいわ」
クロエは誇らしげに胸を張った。
「もちろんだねぇ」
ウルの頬が、僅かに引きつる。
「待て」
視線が。
先ほどまで手にしていた二挺の魔導銃へ落ちた。
「では、今使っていた武器も……?」
「そちらは大丈夫よ」
エミリアは軽く手を振る。
「あれは何度も改良を重ねたものだから」
ウルの肩から、僅かに力が抜けた。
「そうか」
「爆発するとしたら、あの円盤の方かしら」
戻りかけていた安堵が。
跡形もなく消えた。
ウルはゆっくりと。
床へ散らばっている、回転鋸のような円盤へ顔を向ける。
先ほど。
一度に四基。
続いて十二基。
前後左右。
頭上と足元。
完全に包囲する形で、周囲を飛び回っていた。
あれが。
もしも一斉に爆発していたら。
逃げ場のない訓練室で。
十二の爆発に包まれていたことになる。
規模にもよる。
小さな破裂で済むのか。
部屋そのものが吹き飛ぶのか。
製作者がクロエである以上。
楽観する理由はなかった。
ウルの喉が動く。
ごくりと。
唾を飲み込む音が、小さく響いた。
「安心なさい」
エミリアは、まるで安心させる気のない声で告げる。
「今日は爆発しなかったでしょう?」
「今日は、という言葉が余計だ」
クロエが不満そうに眉を寄せた。
「失礼だねぇ」
「理論上は、正常に動作するよう作られているよ」
「理論の外へ出るから爆発するのでは?」
「鋭いねぇ」
褒められても、少しも嬉しくなかった。
エミリアは床へ転がる円盤を見下ろし、小さく息を吐く。
「元々は」
「あの子、普通のノコギリを作っていたはずなのよ」
ウルが顔を向けた。
「普通の?」
「ええ」
「刃が勝手に動けば、木を切るのが楽になるはずだと考えたの」
動力を魔力へ置き換えた、自動回転式のノコギリ。
人の力だけで挽くよりも速く。
太い木であっても、少ない労力で伐採できる。
森林開拓や建築資材の確保にも役立つ。
確かに。
そこまでは便利な道具だった。
「そこまでは良かったわ」
エミリアの目が遠くなる。
「以前、私が木も呼吸していると教えたことを思い出したらしいのよ」
ウルの表情が止まる。
「それで?」
「木の呼吸を感知して」
「ノコギリが自分で木を探し」
「勝手に飛んでいって伐採すれば、さらに便利になるのではないかと」
クロエの顔が、得意げに輝く。
「人が運ばなくても、森へ放てば自動で木を見つけてくれるんだよ」
「素晴らしい発想だろう?」
エミリアは答えなかった。
木の呼吸を探知する。
自ら対象を捜索する。
空中を飛び回り。
外周の回転鋸によって、捕捉したものを切断する。
何をどう間違えれば。
伐採道具から。
どこぞの宇宙世紀に現れそうな、無差別殺戮兵器が完成するのか。
しかも。
製作者本人は、便利な林業用魔導具を作ったつもりでいる。
クロエは今も。
何故か誇らしげに胸を張っていた。
その時。
操作盤の前にいた研究員の一人が、おずおずと手を上げる。
「しかし、エミリア様」
「何かしら?」
「この試験で、全て使用する必要はなかったのではないでしょうか」
研究員は床へ落ちた円盤を見下ろす。
「これほどの速度で飛行し」
「自ら対象を感知して追跡できるのであれば」
「戦場へ投入すれば、敵軍を殲滅する兵器として活用できるのでは?」
訓練室に。
僅かな沈黙が落ちた。
クロエも。
先ほどまでの得意げな顔のまま、エミリアを見る。
エミリアは。
床へ転がる円盤へ、冷たい視線を向けた。
「敵も味方も区別せず」
「ただ、捕捉したものを切り刻むだけの道具を?」
研究員が言葉に詰まる。
「識別機能を追加すれば――」
「その判断すら、道具に委ねろと言うの?」
エミリアは鼻で笑った。
「誰を狩るのか」
「どこまで追うのか」
「いつ止めるのか」
「それを決める意思も持たない道具に、勝手に戦場を蹂躙させる」
一段高い観覧席から。
無残に撃ち落とされた円盤を見下ろす。
「そんなものは、私の悪ではないわ」
敵を殺すことを否定しているわけではない。
必要ならば。
エミリアは迷わず、敵を排除する。
国を守るためなら。
より狡猾な罠さえ仕掛けるだろう。
だが。
誰の意思も。
支配も。
美学も存在しないまま。
道具だけが勝手に殺戮を続ける。
それは悪ですらない。
ただ醜いだけの暴力だった。
「全てを操り」
「全ての結果を管理してこそ、私の悪よ」
「命令も理解できない道具に、私の戦場を任せるつもりはないわ」
エミリアは円盤を指差す。
「あんなものは」
「この扱いで十分よ」
「動く標的として使い潰しなさい」
「残ったものも全て解体」
「二度と自律して獲物を探す機能は搭載しないこと」
研究員達が一斉に頭を下げた。
「承知いたしました」
クロエは。
水差しを持ったまま、僅かに視線を落としていた。
先ほどまで浮かべていた誇らしげな表情はない。
自らが作ったものが。
エミリアの掲げる悪からさえ外れていたことを、理解したのだろう。
少しだけ気まずそうに。
胸元で水差しを抱え直す。
エミリアは、そんなクロエを責めなかった。
慰めることもしない。
過ちを理解したのなら。
次は同じものを作らなければいい。
それだけだった。
ウルは。
その一連のやり取りを、静かに聞いていた。
自由を与えると言いながら。
恩義を利用し、自分の望む場所へ動かそうとする。
随分と我が儘で。
狡猾な女王だった。
だが。
自らが使う力を。
自らの意思と支配から切り離すことを許さない。
善悪で語るのではない。
何を行うか。
どのように行うか。
その全てへ、自分の美学を通そうとしている。
ウルは、胸元の青薔薇へ静かに手を添えた。
力を預けると決めた相手は。
どうやら。
間違ってはいなかったらしい。
「では」
エミリアが、黒布に覆われた荷を指す。
「新しい狩場へ行く準備をなさい」
ウルは。
その場で美しく頭を下げた。
「承知した」
そして顔を上げると。
布に覆われた新たな武器と。
未だ少し気まずそうにしているクロエとを、交互に見る。
「一つだけ、確認しておきたい」
「何かしら?」
「本当に」
ウルは、黒布の奥で脈動する複雑な魔導回路を感知しながら尋ねた。
「勝手には爆発しないのだな?」
クロエは即答した。
「しないよ」
一拍。
「たぶんねぇ」
ウルは黙った。
エミリアも黙った。
研究員達は。
誰からともなく、黒布に覆われた荷から一歩ずつ距離を取った。
感想いただけると嬉しいです




