閑話 ルミナ教?
ルミナ大神殿予定地。
そこは、まだ神殿と呼ぶにはあまりにも未完成だった。
切り出された石材。
積み上げられた木材。
組み上げ途中の足場。
布で覆われた仮の祭壇。
そして、その中央で職人達を怒鳴りつける女の声が響いていた。
「おい、そこの若いの! その石はそこじゃないって言っただろ!」
「基礎を舐めんじゃないよ! 上にどれだけ立派な飾りを乗せたって、足元が腐ってりゃ全部おしまいなんだ!」
「柱を半歩ずらせ! 図面を見ろ図面を! エミリア様の線を勝手に殺すんじゃないよ!」
「そこの足場、組み直し! 怖いなら降りな! 怖くないならもっと丁寧にやりな!」
声の主は、マルタだった。
かつて王都の建築ギルドを束ね、職人達から「マルタ姉御」と呼ばれていた女棟梁。
今は、ローゼンバーグ王国初のイミタートとして、失ったはずの脚を取り戻し、再び現場に立っている。
若返った身体。
戻った脚。
鍛えられた腕。
鋭い目。
その姿は、貴族的な美しさではない。
現場で汗を流し、石と木と職人達を従える、力強く美しい女だった。
「いいかい!」
マルタは図面を片手に、職人達へ声を張る。
「これはただの神殿じゃない!」
「礼拝堂、救護所、子供らの生活区画、薬品庫、調理場、洗い場、配管、換気、採光!」
「全部まとめて一つの建物にする、馬鹿げた図面だ!」
職人達が思わず顔を見合わせる。
マルタは、にやりと笑った。
「だが、理屈は通ってる!」
「無茶だが、無理じゃない!」
「だったら作るんだよ!」
「アタシら職人が、エミリア様の無茶を形にするんだ!」
その声に、職人達が一斉に返事をする。
「へい、姉御!」
「声が小さい!」
「へい、姉御!!」
「よし、動け!」
マルタの声が響くたび、現場は一つの生き物のように動き出す。
木材が運ばれ。
石材が積まれ。
足場が直され。
神殿予定地は、少しずつ形を得ていく。
かつて太陽神教の神殿であった場所。
今は、禍津神ルミナを祀る大神殿へと作り替えられようとしている。
けれど、その中心で働く者達の熱は、神への畏れというより。
エミリアが描いた無茶な図面を、現実に叩き込もうとする職人達の意地だった。
そんな喧騒の中。
一人の聖女が、仮設祭壇の前へ静かに歩み寄った。
黒と白に、淡い紫を重ねた巫女服。
太陽神教の白い神官衣とはまるで違う装い。
髪の色も。
瞳の色も。
纏う空気すらも、以前とは変わっている。
だが、その所作には、かつて聖女と呼ばれた者の名残があった。
穏やかで。
清らかで。
人に安心を与えるような微笑み。
「グレゴール様」
静かな声に、仮設祭壇の近くで祈りの場を整えていた老神官が振り返る。
グレゴールは、セリアを見た。
そして、わずかに目を見開いた。
「セリア様……」
その名を呼ぶ声には、驚きがあった。
だが、それはすぐに、深い納得へと変わる。
グレゴールには分かった。
髪も。
瞳も。
衣装も。
そして、魂の向かう先すらも変わっている。
この方もまた、見つけたのだ。
本当に信じるべきものを。
セリアは、丁寧に頭を下げた。
「グレゴール様」
「先日は、貴重なお言葉をありがとうございました」
その所作は、以前と変わらず美しい。
けれど、その奥に宿る熱は、もう太陽神へ向けられてはいなかった。
グレゴールは、静かに微笑んだ。
「セリア様」
「あなたも、本当に信じるべきものを見つけられたのですね」
その声には、祝福があった。
「素晴らしいことです」
セリアは、静かに目を伏せた。
「ええ」
「私も、エミリア様のために、ここで仕えることとなりました」
グレゴールの目が、穏やかに細められる。
「それは何よりです」
「エミリア様は、素晴らしい方です」
セリアの声に、柔らかな熱がこもる。
「私の弱さも」
「愚かさも」
「救いたいという願いも」
「すべてを理解した上で、私に道を与えてくださいました」
グレゴールは、黙って聞いていた。
セリアは続ける。
「特別に」
「エミリア様の御名のもとに」
「救済という言葉を使うことを、許していただけたのです」
その言葉に、グレゴールの表情が明るくなる。
「なんと……」
彼は、胸の前で手を組んだ。
「それは、まことに尊い御采配」
「セリア様」
「あなたは、エミリア様より救済を許された聖女となられたのですね」
「はい」
セリアは微笑む。
「私は、最後まで救済を試みます」
「苦しむ者に手を伸ばし」
「迷う者に言葉を与え」
「エミリア様の悪が、人々にとってどれほど深く、美しいものかを伝えてまいります」
グレゴールは、深く頷いた。
「素晴らしい」
「では、私達は共に歩むべきでしょう」
「ええ」
セリアは、グレゴールを見つめる。
「グレゴール様は、この地で教えを整え、人々へ説いておられると伺いました」
「まだ、整えている最中です」
グレゴールは、謙遜するように笑った。
「ルミナ様への信仰」
「エミリア様への忠誠」
「そして、エミリア様がこの国にもたらされた美しき秩序」
「それらを、民にも分かる言葉へ変えていく必要があります」
セリアは静かに頷く。
「私も、お手伝いいたします」
「人々は、ただ救われるだけでは足りません」
「何故、救われたのか」
「誰の御心によって、前へ進めたのか」
「それを知る必要があります」
グレゴールの瞳が、深い感動に揺れた。
「まさしく」
「その通りです」
「人は、ただ食を与えられただけでは感謝の向け先を見失う」
「ただ傷を癒されたのみでは、奇跡の意味を理解できない」
「だからこそ、教えが必要なのです」
セリアは、穏やかに微笑む。
「エミリア様の悪を、人々が受け取れる形に」
「ええ」
グレゴールも微笑む。
「エミリア様の御心を、人々が信じられる形に」
二人は、互いに向き合った。
慈愛に満ちた聖女。
温厚な老神官。
その姿だけを見れば、穏やかな信仰者同士の再会に見える。
だが、二人が見ているものは同じではない。
セリアは、蓮の魂を見た。
神を殴り飛ばすほどの悪の意志を、魂そのものとして見た。
だから彼女は、最後まで救済を試みる。
生きて救えるなら、生きて。
けれど、蓮の障害となるのなら。
エミリアの理想を阻むのなら。
死してルミナの御許へ送り、次の生で救われることすら救済とする。
一方、グレゴールは。
蓮の魂を宿したエミリアを見た。
この国を作り替え。
民を導き。
悪の名のもとに救済を否定しながら、救いより深いものを与える女王を見た。
だから彼は、諦めない。
相手が苦しもうとも。
狂おうとも。
心が壊れようとも。
いつかエミリアの御心へ至る日まで、説き続ける。
二人の信仰は、似ている。
けれど、同じではない。
「セリア様」
グレゴールは言った。
「あなたは、人々を救済へ導いてください」
「私は、人々へ教えを説き続けましょう」
「たとえ、どれほど遠くとも」
「たとえ、どれほど理解されずとも」
セリアは静かに頷く。
「はい」
「私は、手を伸ばします」
「最後の瞬間まで」
「生きて救えるなら、生きて」
「死して救われるなら、死して」
「その魂が、エミリア様の悪へ至れるように」
グレゴールは、穏やかに微笑んだ。
「頼もしい」
「では、共に広めましょう」
セリアもまた、聖女のように微笑んだ。
「ええ」
「エミリア様の教えを」
二人は、仮設祭壇の前に並んだ。
そこには、禍津神ルミナを示す月の紋章が掲げられている。
まだ新しい布。
まだ仮の祭壇。
まだ完成していない神殿。
だが、その前で二人は誓った。
ルミナ大神殿となるこの場所で。
禍津神ルミナの名を掲げながら。
エミリアの教えを広めることを。
その時だった。
どこからともなく、かすかな声が聞こえた気がした。
『……私の教えじゃないの……?』
セリアは、静かに瞬きをした。
グレゴールも、わずかに首を傾げる。
だが、すぐに二人は祭壇へ向き直った。
気のせいだろう。
ここは、禍津神ルミナの大神殿予定地。
そして、エミリア様の御心を広める場所なのだから。
工事現場には、再びマルタの声が響く。
「おい! その月紋を雑に扱うんじゃないよ!」
「神様の紋章だろうが、エミリア様の図面だろうが、曲がってたらアタシが許さないからね!」
「あと、祭壇布を踏んだやつ! 今すぐ謝ってから洗ってこい!」
職人達の慌ただしい返事が響く。
「へい、姉御!」
「分かりゃいいんだよ!」
マルタは図面を丸め、肩に担ぐようにして笑った。
「いいかい!」
「この神殿は、ただ祈るだけの場所じゃない!」
「病人を受け入れ、子供を守り、飯を作り、水を流し、人を生かす場所だ!」
「エミリア様がそう描いた!」
「なら、アタシらはそう建てる!」
槌の音が響く。
木材が運ばれ、石が積まれ、祈りの場が形になっていく。
その中心で。
救済する聖女と、説き続ける神官は。
同じように穏やかに微笑んでいた。
ルミナ教は、今まさに形を持とうとしていた。
ただし。
その教えの中心にいるのが誰なのかについては。
ルミナ本人だけが、少しだけ納得していなかった。
◇
ルミナ大神殿予定地。
まだ完成には遠いものの、仮設の礼拝堂と診療所はすでに機能し始めていた。
祈りの場。
診療の場。
孤児達の生活区画。
薬品庫。
洗い場。
調理場。
それらが同じ敷地の中に置かれ、職人達が怒鳴り声と槌の音を響かせる中、信徒達は新しい教えと、新しい奇跡の扱いを学んでいた。
その中心にいるのは、グレゴールだった。
元・太陽神教の高位神官。
そして今は、ルミナ教の教えを整え、人々へ説く者。
彼は高位の神官ではあったが、奇跡の力そのものが突出して強いわけではない。
人の心を導くこと。
教えを説くこと。
祈りの意味を言葉に変えること。
そちらにこそ、グレゴールの本質はあった。
だが、ルミナ教として人々を受け入れる以上、癒しの奇跡を扱える者を育てる必要がある。
そのため、グレゴールはセリアと共に、奇跡の行使方法の教授を任されることとなった。
もちろん、そこにはリンもいた。
「まず、癒しの奇跡は万能じゃない」
リンは、診療所の一角で信徒達に向かって言った。
「いや、強い奇跡ならかなり無茶はできるんだけど」
「でも、無駄に力を使う必要はない」
「傷の中に異物があるなら取り除く」
「骨がずれているなら整える」
「原因が外にあるなら取り除く」
「そうした方が、少ない力で、確実に癒せる」
信徒達が真剣な顔で頷く。
その横で、セリアも静かに頷いた。
「癒しとは、ただ力を注げばよいものではありません」
「命へ触れる奇跡です」
「だからこそ、まずは見ること」
「知ること」
「整えること」
「それから、祈りを捧げるのです」
ちょうどその時だった。
診療所へ、一人の職人がやってきた。
手のひらを押さえている。
「すまねぇ、ちょっと木片が刺さっちまってよ」
どうやら作業中に、木材のささくれが手に深く刺さったらしい。
リンはその手を見て、頷いた。
「ちょうどいいね」
「え、ちょうどいい?」
職人が顔を引きつらせる。
リンは真面目な顔で言った。
「ちゃんと許可は取るよ」
「この傷を、奇跡の実演に使わせてもらってもいい?」
職人は、周囲の視線を浴びて少し戸惑ったが、やがて肩をすくめた。
「まあ、治してくれるなら構わねぇけどよ」
「ありがとう」
リンは頷き、セリアへ向き直る。
「じゃあ、セリア」
「まずは、何もせずに癒しを使ってみて」
「木片を残したままだと癒しにくいっていうのを、みんなに見せるから」
「分かりました」
セリアは、職人の手をそっと取った。
そして、静かに祈る。
「禍津の月よ」
「傷ついた命に、静かな癒しを」
淡い光が、セリアの手から零れた。
次の瞬間。
傷は塞がった。
木片は、押し出されるように外へ落ちた。
赤く腫れていた皮膚は滑らかになり、痛みすら消えている。
職人が、目を丸くした。
「……治った」
信徒達も、ぽかんとした顔でその手を見る。
リンも固まった。
「……あれ?」
セリアも、きょとんとしていた。
「治りましたね」
「治りましたね、じゃないよ」
リンは思わず声を上げた。
「木片を取り除かないと癒しにくいって説明する予定だったの!」
「申し訳ありません」
セリアは真剣に頭を下げる。
「力を抑えたつもりだったのですが」
「抑えてこれなの!?」
信徒達がざわめく。
グレゴールは、静かに感動していた。
「素晴らしい……」
「これほどまでに清らかで強き癒し」
「まさしく、エミリア様に許された救済の奇跡……」
「グレゴールさんも感動してないで止めて」
リンは頭を抱えた。
だが、実演はそこで終わらなかった。
次に運ばれてきたのは、足場から落ちて腕を折った若い職人だった。
本来なら、骨の位置を確認し、添え木をして、癒しをかける手順を教える予定だった。
しかし。
セリアが祈ると、骨は正しい位置へ戻り、そのまま癒えた。
「……今、骨、勝手に戻らなかった?」
リンが呟く。
「戻りましたね」
セリアが答える。
「だから、戻りましたねじゃないってば!」
さらに、調理場で指を落としてしまった男が担ぎ込まれた。
信徒達の顔色が変わる。
リンもさすがに真剣な表情になった。
「これは、まず止血」
「切断された指の状態を確認して」
「汚れを落として」
「再接合できるかを見て」
そう説明しようとした時だった。
セリアが、祈った。
月の光が、男の手を包む。
失われた指先が、淡い光の中で再び形を取り戻していく。
皮膚。
爪。
感覚。
血の通った、生きた指。
男は、自分の手を見て震えた。
「戻った……」
「指が、戻った……!」
診療所内が、完全に静まり返った。
リンは、ゆっくりとセリアを見た。
「セリア」
「はい」
「何やってんのさ」
「え?」
「自分一人で癒してたら、何の勉強にもならないよ!」
「も、申し訳ありません」
セリアは本気で困惑していた。
自分では、そこまで強い力を使ったつもりはない。
以前の自分なら、これほど容易く癒せるはずがなかった。
木片が刺さった傷。
骨折。
そして、失われた指。
それらを、当然のように癒してしまった。
「私の癒しは……」
セリアは、自分の手を見つめる。
「これほどの力ではなかったはずです」
グレゴールが、深く頷く。
「セリア様」
「ルミナ様とエミリア様の御心に触れたことで、あなたは新たな奇跡へ至られたのでしょう」
「素晴らしいことです」
リンは半眼で言った。
「説明になってないよ」
その日の癒しの講義は、予定とは大きく違うものになった。
低位の癒しを効率よく使うための実演ではなく。
セリアが、本人も理解しないまま高位奇跡を連発する場になってしまったのである。
そして午後。
講義は、攻撃性を持つ奇跡の実演へ移ることとなった。
場所は、クロエが作成した訓練場。
絶対安全。
完全防護。
衝撃吸収。
魔力拡散。
自動修復機能つき。
クロエいわく、
「理論上は、上級魔道士が暴れても周囲に被害は出ない」
という、聞く者によってはむしろ不安になる説明がついていた。
訓練場の中央には、黒い金属と魔石で作られた的が並んでいる。
クロエ特製の耐魔力標的。
通常の奇跡や魔法では傷一つつかない。
信徒達は、緊張した面持ちで並んでいた。
グレゴールが説明を始める。
「太陽も月も、光を司る神性を持ちます」
「そのため、太陽神教にも、ルミナ教にも、光を放つ奇跡が存在します」
「基本となるのは、光」
「レイと呼ばれる奇跡です」
「少量の光と熱を放ち、対象へ打撃を与える」
「威力は高くありませんが、扱いやすく、訓練に適しています」
信徒達が頷く。
リンはセリアを見た。
「さっきみたいなことにならないようにね」
「分かっています」
セリアは、少し緊張した表情で頷いた。
「今度こそ、力を絞ります」
彼女は的へ向き直る。
右手を静かに掲げた。
「禍津の月よ」
「闇を照らす光を、ここに」
セリアは、ほんの少しだけ力を込めた。
そのつもりだった。
「光」
「レイ」
瞬間。
眩い光線が、訓練場を貫いた。
それは、低位奇跡であるはずのレイではなかった。
太陽神教の中位奇跡、太陽光。
シャイニングレイ。
ルミナ教の中位奇跡、月光。
ルミナスレイ。
そのどちらをも超えるほどの光が、的を薙いだ。
轟音。
白い閃光。
訓練場の防護結界が、幾重にも波紋を広げる。
クロエ特製の標的は壊れなかった。
だが、表面にははっきりと焼け焦げた跡が残っている。
信徒達は、誰一人声を出せなかった。
グレゴールも、目を見開いていた。
リンは、ゆっくりとセリアを見た。
「……力、絞った?」
「絞りました」
「ほんとに?」
「はい」
「それでこれ?」
「……はい」
セリアの声も、少し震えていた。
そこへ。
いつの間にか、ルミが立っていた。
黒と白の衣を揺らし、にこにこと楽しそうに笑っている。
「セリアさん」
「気を付けてくださいね」
セリアは、ゆっくりと振り返る。
「ルミ様」
「ドールズは、神ではありません」
「けれど、神造人間です」
「元の器が、普通の人間とはまるで違います」
ルミは、楽しそうに続ける。
「それにセリアさんは、ルミナ神から直接加護を受けているようなものです」
「なので」
「神に届く可能性がある程度には、力を使えます」
沈黙が落ちた。
セリアは、ゆっくりと口を開く。
「それは」
「今、説明することです……?」
ルミは、にこりと笑った。
「禍津神様は、楽しいことが好きだから」
「つまり」
「わざとです」
セリアは、静かに目を伏せた。
そして、心の底から思った。
やはり、この神は邪神だ。
グレゴールは、その様子を見て感動していた。
「なるほど……」
「これが、禍津神ルミナ様の御心」
「人を試し、驚かせ、その先に新たな理解を与える」
「実に深い」
リンは小さく呟いた。
「たぶん、そんな深くないと思う」
ルミは、楽しそうに笑っていた。
その日の講義は、信徒達にとって忘れられないものとなった。
癒しの奇跡は、正しく扱えば人を救う。
攻撃の奇跡は、慎重に扱わなければ訓練場の空気ごと焼く。
そして、セリアに普通の基準を当てはめてはいけない。
それが、信徒達の心に深く刻まれた。
後日。
グレゴールもまた、ルミナ神の奇跡を行使することになった。
本人は、自分の奇跡の力をよく知っている。
高位の神官ではあるが、癒しや攻撃の奇跡において、特別に優れているわけではない。
だから、彼は静かに祈った。
無理のない範囲で。
信徒達に見せられる程度に。
「禍津の月よ」
「迷える者へ、静かなる光を」
その瞬間。
礼拝堂を満たすほどの月光が、彼の手から溢れた。
優しく。
冷たく。
深く。
それでいて、見る者の心を震わせるほど強い光。
信徒達が息を呑む。
グレゴール自身も、目を見開いた。
「これは……」
「私が……?」
どこからともなく、楽しそうな声が聞こえた。
『この国で初めての信者には、おまけよ』
グレゴールは、震える手を胸に当てた。
そして、深く頭を垂れる。
「なんと慈悲深き御方……」
『慈悲じゃないけど』
「この老骨に、なお役目を与えてくださるとは……」
『面白そうだっただけだけど』
「必ずや、エミリア様の教えを広めてみせます」
『私の教えは?』
グレゴールは、感極まった様子で祈り続けた。
ルミナの声は、それ以上届かなかった。
あるいは、聞こえていても都合よく解釈されたのかもしれない。
こうして。
ルミナ教の奇跡講義は、初日から多くの混乱と誤解と信仰を生み出した。
そして、セリアとグレゴールは。
それぞれ異なる形で、禍津神ルミナの名を掲げながら。
エミリアの教えを広める準備を進めていくのだった。
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